2019年12月22日日曜日

好きな人の名前

珍しく、一問にかなりの時間を掛けて解き終えた彼は、
軽くため息をつくと、部屋中をゆっくりと見回し、誰かの名を言った。

誰だろう。
苗字も名前も、この生徒さんとは異なる。
憧れのアイドルにしてはパッとしない名前だ。
クラスメイトにしてもイマドキっぽくない。
学校の先生だろうか。

そんなことを思っていると、もう一度同じ名を言った。

誰だろう?
私の口から出かかっている疑問を、彼の方が口にした。

「誰ですか?」
「え?いま私、『誰だろう?』と思っていたんだけど……。」
「知らないんですか?」
「うん、知らない。」
「自分で書いたんじゃないんですか?ほら、あれ。」

彼の指差す先に目を遣ると、付箋が貼ってある。
そこには、確かに私の字で、彼の読んだ通りの名が書いてあった。

ああ、これか。

ある日、何となくラジオをつけると、ドラマが始まった。
聴くつもりなんてまるでなかったはずなのに、風呂に入るのも忘れ、
タオルを抱きかかえたまま、私はラジオの前に正座していた。
気付いたときにはドラマが終わり、エンドロール風のものが読み上げられていた。

そんな出来事があったことも忘れた頃の、また別のある日、
やはり何となくラジオをつけると、ドラマが始まった。
そしてまたもや私はタオルを抱きかかえたまま時の経つのも忘れ、
ラジオの前に正座して、そこで繰り広げられるドラマに夢中になっていた。
エンドロールで読まれた作者名が、前回と似ている気がした。

またまた忘れた頃のある日、同じようなことがあった。
エンドロールの作者名は、確かに前回と同じだ。
こうなったら、もう忘れるわけにはいくまい。
図書館でこの名前を調べてみよう。
彼が指差したのは、そう思って書き留めておいたメモだった。

このいきさつを伝えると、彼は少し残念そうな顔をして言った。
「好きな人の名前かと思った。」

好きな人の名前って、忘れないようにメモするものだろうか。

あの時は、自分でメモしたことさえ忘れていたけれど、
彼の言葉をきっかけにその名を調べた。
結局今では、その人の主宰する劇団の芝居を見に行き、その人の書くエッセイを読み、
もっと他にないものかと、時には慣れないネット検索までしてしまう。

今さらではあるけれど、そうです。あなたの仰る通り。
あの時あなたが読み上げて指差したもの、
それはまぎれもなく「好きな人の名前」です。