2011年12月26日月曜日

2011年12月22日木曜日

母の詫び状

仕事をしていると、電話のベルが鳴った。
「この間のことだけど、ゴメン。やっぱり、お母さんが間違ってたわ」
受話器から聞こえるの声は、普段より沈んていた。

しかし、私には謝られるような心当たりがない。
前回実家に帰ったときも、これと言って行き違いもなければ、気まずいこともなかった・・・と思う。
何について謝られているのか、何を間違ったのか、兎にも角にも確認する必要があった。

「何を間違ってしまったの?」
「こないだ話してた、あれよ」
「あれって?」
「お母さん・・・読んだのよ」
「何を?」
「だから、このあいだ言ってた、あれを。ほら、あそこで」
「どこで?」
「う~ん・・・」

私はあまりにも質問を畳み掛け過ぎてしまったようだ。
沈んだ母の声は、言い澱んだままだった。
何を間違ったのか確認して、すぐに謎から抜け出すはずが、
かえって、会話がはまり込んだ謎の淵に、更に深く深く、足を取られていった。

取り急ぎ頭を整理する必要がある。
いま分かっていることは、
① 最近私が実家に帰ったときに話題に上った案件である
② 母は、①に関し、何かを、どこかで、読んだ
③ ②の結果として、彼女は自らの過失に気付いた
④ ③に関して、私への謝罪がなされた
の4点である。

これら4つの条件を全て満たす『何か』をいきなり見つけることは、ほぼ不可能に思えた。
とりあえず、①②を満たす案件、つまり、
「最近、実家で話題にしたことで、何らか文字情報として読むことが可能なもの」は、
あるだろうか?

あった。このブログだ。
確かに、実家で話題に上ったし、読むことが可能な文字情報だ。
更に母は、これを「ほら、あそこで」読んだ、と言った。
実家には、パソコンが子ども(といっても十分大人の)部屋に一台あるのみで、
そこは母のテリトリーでないことから、「ほら、あそこ」と指差して言ったのかもしれない。

①と②はクリアした。

残るは、③と④、「母の過失」と、「私への謝罪」である。
母に限らず、誰かの過失に対する非難として受け取れる書きかたのないよう、心掛けてはいるつもりだが、やはり配慮が不足していたのかもしれない。
彼女は一体、何を自らの過失と認め、そして、なぜ私に謝罪したのか?

そうだ。考えられることと言えば、「末娘の子育て」だ。
彼女はこのブログを読んで、
自らが産み、育てた末娘のあまりのトンマ振りに、改めて驚いたのだろう。
そして、子育て、少なくとも末娘の子育てに関し、自らの過失を認めた。
更には、その過失の結果として、そんなトンマを疑いなくまっしぐらに突き進む私に、
せめてもの謝罪を述べたのかもしれない。

これで、③と④もクリアした。

軽い気持ちで投稿を重ねてきたが、
まさか実の母親に、ここまで打撃を与えてしまうとは、思いもよらなかった。
今からこのトンマを直すことは至難の業だし、一生かかっても完了できないかもしれない。
すぐに手をつけられることと言えば、このブログを閉じることくらいだ。

もう潮時、ということだろうか・・・。
案外短かったな。止めると思うと名残惜しい気がする。

そう思った時だった。
「ほら、駅前のスーパーで!」
受話器の向こうの母は言った。
しかし、駅前のスーパーでは、このブログを読むことはできない。

よくよく話を聞いてみると、こういうことだった。

実家近くの駅前のスーパーでは、使用済みスチロールトレイの回収をしている。
母はこれまで、納豆のトレイも綺麗に洗って回収ボックスに入れていた。
一方、私の住む地域では、納豆のトレイは回収対象外であるため、それを相違点として母に伝えた。
彼女は駅前のスーパーに行き、改めて注意書きを読んだところ、
そこでも納豆のトレイは回収対象外であることが判明した。

なるほど、確かにこれで、①~③はクリアしているものの、
最後の④、すなわち、なぜ私に謝ったのか、は未だ説明できていない。
更に話を聞いてみたところ、
回収ボックスに謝るのも変だし、そうかと言って黙っているのも収まりがつかずに、
誰に向けて良いかも分からない気持ちを、とりあえず私にぶっつけてみたらしいことが分かった。
晴れて①から④の全てがクリアされた。

母と私は、トレイ回収に関する正しい情報を得たことを共に喜び、今後はそれに従って分別することを約束して、電話を切った。

幸か不幸か、パソコンの苦手な母は、未だこのブログを目にしていないようだ。
末娘の子育てをひどく失敗した、と気に病んでもいないらしい。
やはり当面は、ブログを閉じることなく、ここでノーテンキな投稿を続けてみることにしよう。


窓を開けると、抜けるような青空が見えた。

個人にせよ地域にせよ世界にせよ、あらゆるレベルにおいて、様々な困難が尽きないけれど、
有難いことに、トレイ回収の注意事項が大問題として扱われるくらいに、
少なくとも、たった今だけでも、我が家は平和だ。
こんなチッポケな平和を、この空の下の全ての人が、
それぞれの暮らしの中で、自分のものとして享受できることを、願ってやまない。

2011年12月19日月曜日

人生は 重荷を背負いて 歩む道

第二の家族」として親しくしているパパ、ママ、弟くんと一緒に、温泉地に行った。

ショッピング好きのママは、お土産屋さんでも、抜かりなく目を光らせる。
そして、お眼鏡に叶う品を見つけると、「お揃いで買おうよ」と強く私に勧める。

この度も、棚の端から端まで眺め回していた彼女は、一つの品物に目を留めた。
女性の握りこぶしくらいの大きさの土鈴を取り上げてコロコロと鳴らすと、私に手渡した。
どうやら老眼鏡をバッグから取り出すのが面倒らしく、書かれた文字を音読するよう促された。

「人生は 重荷を背負いて 歩む道」

彼女の目が輝いた。「お揃いで買おうよ!」
素焼きの土鈴はホコリが積もっても水洗いできない。掃除の得意でない私にとっては、致命的だ。
首を横に振る私に、彼女は例のごとく、この商品が如何にスグレモノであるかを説いた。

人生において、自分のしたことは、他人のせいにすることも、消し去ることも出来ない。
どんなに愚かな失敗でも何でも、自分で背負って進まねばならないのは当然だ。
更には、時に自分の力ではどうしようもないことが課題となる場合もある。
しかし、それも、「業(ごう)」や「カルマ」と呼ばれるもので、
恐らく一生を通して、逃げることも放り投げることも出来ない。
いずれにしても自分のリュックサックにしっかり入れて、自分で背負って歩くしかない。
たとえそれが、どんなに重い荷物でも、覚悟を決めて、背負って、そして歩き続けるのだ。
だからこそ、人生の荷物が重く感じたとき、あるいは放り投げたくなったときに、
この土鈴を鳴らし、改めて覚悟を決めるのだ!

「買おうよ」「買わない」の押し問答が、土産物屋の店先でしばらく続いた。


ところで、
オシャレなママは、たとえ温泉一泊旅行といっても、化粧品もアクセサリーも、ちょっとしたドレスのような装いも、何でも持って来る。
宿に着いたと言ってはお色直しをし、皆が宿の名前をプリントされた浴衣で過ごす夕食タイムには、素敵にドレスアップして現れる。

さらには、海もプールもないところへ行くのに、トランクの中には水着も入っている。
ヨガをしないのに、ヨガマットもある。

それだけに、荷物がとてつもなく多い。
ちょっとした引越しにも見える。
そんな荷物が運べるのは、ひとえにパパと弟くんがいるお蔭だ。


・・・あらら?
ねえ、ママ、
自分の荷物は自分のリュックサックに入れて、自分で背負って歩くんじゃなかったの?

こう思った瞬間、むしろ合点が行った。

そう、ここでの『荷物』は、比喩だもの。
ママは、パパや弟くんが当然のこととして荷物を運んでくれるように、
日頃から彼らの胃袋とハートを鷲掴みにしている。
彼らに荷物を持ってもらうだけの、その土台を、365日24時間掛けて、しっかりと固めているのだ。
つまり彼女は、この巨大な荷物を、自分で運んでいると言っても差し支えない。


結局、彼女は釣れない私をなじりながらも、一人でその土鈴を買った。
宿では何度となく土鈴を箱から出し、よくよく眺めてはコロコロ鳴らし、「あんたも買えば良かったのに」と言った。

「ねえ、これ、また読んでよ」
寝入り端に声を掛けられ、目をこすりながら隣に座って読んだ。
「人生は 重荷を背負いて 歩む道」
ママは今一度目を輝かせ、この土鈴の素晴らしさを説いた。
「もう、寝てたのにぃ」と思ったのも束の間、つい付き合ってしまい、つい楽しくなってしまう。
そして、ついつい、老眼鏡の役目を買って出てしまう。

そう、私の胃袋とハートも、長い年月を掛けてしっかりと鷲掴みにされてしまったのだ。
つまり彼女は、私という老眼鏡をかけて、自分で読んでいると言っても差し支えない。

でもママ、寝入り端だけは勘弁してね。

2011年12月15日木曜日

一分勝負

OL時代、好きな人がいた。
カレー屋さんの移動販売車で、職場近くに毎週来ていたお姉さんだった。
『ハツラツ』という言葉をそのまま体現したような彼女から、「こんにちは!」と声を掛けられると、
それだけで、いっぺんに自分の人生が素敵に見えてくる。

恵まれた職場環境だったとはいえ、人並みに仕事上の困難や悩みはあった。
一週間分のそんなこんなが、彼女の「こんにちは!」と美味しいカレーで、
みんな希望に変わってしまう。
温かいカレーを手に職場まで戻る間、気をつけることといえば、
① スキップをしない
② 鼻歌を歌わない
③ 知らない人に笑いかけない
の三点だった。
そして実のところ、いずれも殆ど守れたためしがない。

そんな彼女にカレーを注文してから、器に盛ってもらい、受取るまでが、ほぼ一分間。
そんな短い時間ではあるが、ほんの少しずつ、オシャベリをするようになっていった。
週に一回一分間、話の進みは遅々たるものだが、
数多い顧客の注文を手際よく捌きながらも、彼女は必ず先週までの話を覚えていてくれた。


OLを辞め、カレー屋さんにもご無沙汰して、半年以上が経ったある日、
「あのカレーが食べたい!あのお姉さんに会いたい!」という抗し難い衝動に駆られた。

昼休み、気付くと、移動販売車の前に並んでいた。
前のお客さんが注文する肩越しに、彼女の姿を覗き見た。
以前と変わらぬ笑顔と、以前と変わらぬ手際だった。

間もなく始まる彼女との一分間の会話を、どう切り出したら良いのだろう。
そもそも、果たして私のことなど覚えているだろうか。
「私は○月まで毎週通っていた者です」心の中で練習してみた。
こんな言い方、ストーカーまがいの人間と思われるかもしれない。
かといって、何と言えば、思い出してもらえるだろう・・・。

前のお客さんがカレーを手に立ち去った。

「こんにちは!」以前と変わらぬハツラツとした笑顔が私に向けられ、一分勝負は始まった。
注文をした後、深呼吸をした。
残り50秒、当たって砕けろ!思い切って切り出した。
「あの、ご記憶でないかもしれませんが・・・」
「覚えてますよ!先生でしょ?」
彼女は、私の顔も、当時の髪型も、OLをしながら非常勤講師をしていたことも、数学の個別指導塾をしてみたいと話したことも、全部覚えていてくれた。

「数学ね。そういう考え方みたいなもの、これからの時代、特に必要とされると思うわ」
以前と変わらず、「頑張って!」という言葉を避けて、選び抜かれた激励が贈られた。

カレーが手渡され、私の一分勝負は終わった。

地下鉄で五分、仕事場に戻ってから食べたカレーは、以前と変わらぬ味だった。
以前と変わらず、あれから私は、スキップと鼻歌とニヤニヤが止まらない。
そして以前と変わらず、自分の人生が、いっぺんに最高に素敵に見えてきた。

彼女は私を「先生」と言ったけれど、実際には彼女が私の先生だ。
たった一分間で、一人の人間の生命力を何百倍にもしてしまう。
憧れであり、光であり、そして導き手でもある。
こんなお手本が目の前に示されたことを、ありがたいと思った。

いずれまた、地下鉄に乗って、一分勝負をしに行こう。
そして私の胸を希望でいっぱいにしてやろう。
そうしたら、
もしかすると、
いつの日か、
誰かの胸を希望でいっぱいにするお手伝いが、私にもできるようになるかもしれない。

2011年12月12日月曜日

工作教室 改め 人生相談

ある年、夏休みの単発バイトをした。
科学イベント・ブースでの、工作教室の説明係だった。
教室の参加者は殆どが小学生で、彼らに工作の手順を説明したら、あとは、各自の作業を応援し、完成を共に喜ぶ。
参加者が入れ替わっては、説明と応援と歓喜が夕方まで繰り返され、
更にそれが数日間繰り返された。

最終日の、とある回に参加した女の子が、作業をしながらポツリと言った。
「お母さんは、どうしてあっちに行っちゃうんだろう?」
見ると、母親は娘から少し離れて、壁面に貼られた図表を眺めていた。
「あっちには、何か魅力的なものでもあるんじゃない?」
「魅力的なもの?本当にある?それとも私に興味ないのかな?」
「興味津々、大ありに決まってるじゃない!」
「どうしてそう思うの?」
「そりゃ、大切な娘だもん。後で、お母さんに『私のこと好き?』って訊いてごらん?『大好き!』ってとろけちゃうよ」
「え~」
彼女は、嬉しそうに照れながら体をくねらせた。
しかし突然、表情を引き締めて尋ねてきた。
「もし、自分に娘がいて、毎日一緒に暮らしていても、いつでも『大好き!』って、言える?」
ドキッとした。
体の中身までえぐられるような、鋭い眼差しだった。
「もちろん!」
「じゃあ、悪さをしても?」
「悪さって、どんな悪さ?お母さんのスカートでもめくって叱られたの?」
「そんなバカなことはしない」
「さすがだな、利口なことしかしないのか~」

そこに母親が様子を見に来た。
「お母さん、あっちには何か魅力的なものがあったの?何を見ていたの?」
「魅力的なもの?資料集があったから、それを見てたけど・・・」
「お母さんには、それが魅力的なの?」
工作をする娘と説明係の私との間で、今の今まで繰り広げられていた会話を知らない母親に、
この質問の意図を読み取れと言うのは、困難を通り越して、無理な相談だった。
何も出来ない他人の私は、黙って見ているのもいたたまれず、横から軽く合いの手を入れた。
「学生時代と違って、大人になってから見る資料集は、格別に面白くて魅力的ですよね!」
「ええ、そうね。・・・あ、工作教室、改め、人生相談になったのかな?」
察しの良い母親は、私の言葉に合わせながらも、
娘が真剣な様子で、喉から出掛かっている私への問いかけを必死に抑えていることに気付き、
既に見終わった資料集をもう一度眺め直すことにして、その場を離れた。

「でもね、上手く言えないけど、もし自分の娘が何か悪さをしても、絶対に怒らないの?」
「『悪さ』って言葉だけだと意味が広すぎて、判断は難しいな。
ただ、自分の子どもはもちろんのこと、世界中の子ども達一人ひとりに、将来、人生をより幸せに歩んで、より楽しめるような大人になって欲しい。
だから、もしそれを妨げるようなことを自分の娘がしたら、私が悲しんでいるってことだけは、何とかしてその子に伝えたい。
それが怒っているように見えるかもしれないけど、実際は、伝えるのに必死になっているだけだろうな」
彼女は相槌さえ打たずに、ただただ真直ぐに、真剣に、しばらくの間私を見つめた。
その視線は、私の良心を鑑定しているかのようだった。
そして、おもむろに工作を再開した。

すんなりと綺麗に作り上げ、完成品を母親に見せて、無邪気に喜んだ。
「ありがとうございます!」明るく礼儀正しく、ほんの少しだけ照れ臭そうに言い、去っていった。


バイトの全日程を終え、ボンヤリと星を眺めながら、少し遠回りして歩いて帰った。

あの時の、あの質問は、彼女のどんな重大な局面をあらわしていたのだろう。
果たして、私の反応は、適切なものだったろうか。
傷つけるような言葉遣いはなかったろうか。
希望(*)を削ぐような態度はなかったろうか。
答えの出ない疑問がグルグル回り、喉元が締め付けられた。

気付くと、星に向かって、心の中で彼女に話しかけていた。

お母さんは、あなたの行いの好悪に係わらず、いつでもあなたを大好きだと思うよ。
叱るなんて、愛(*)をもって注意深く見ていなければ、絶対に出来ないことだ。
たまに叱られることがあっても、良いチャンスと思って、納得いくまで話し合ったら、
今よりも、もっともっと、お母さんと好き合うようになるんじゃないかな。


その後、彼女は母親と、どのように関わっているだろう。
延いては、自らの人生と、どのように関わっていくのだろう。

もしも将来また会うときがあったら、あなたの考えを聞かせてね。
そして、今度は私の人生相談に乗ってね。

2011年12月8日木曜日

3億円の使いみち

宝くじを買った経験がない。
従って、宝くじに当たった経験も、ハズレた経験もない。
しかし、こんな質問を受けた経験はある。

「3億円当たったら、何に使う?」
「もちろん!100円玉100枚持って、バッティングセンターに行く!」
「それって、しめて一万円・・・」

子どもの頃から温め続けてきたデッカイ夢だけに、余程の大金が必要なものとばかり思い込んでいた。
何度も検算し、間違いなく「100円玉×100枚=10,000円」であることを確認した。
しかし、検算後の今でも、100円玉100枚持ってバッティングセンターに行くことを想像すると、
どうしても、一万円札一枚分とは思えない。

まず、お財布には入りきらないだろう。
丈夫なカバン一つで足りるだろうか?
しかし、一人で持ち上げられないくらいに重たいかもしれない。
否、そもそもアパートに入りきらないかもしれないし、無理に入れたら床が抜けるかもしれない。
まるで、昔々の海賊が隠した宝物を独り占めしているような気分になってくる。

重さはともかく、第一、デッカイ夢を叶えるほどの、とてつもない大金だ。
100円玉100枚分、いっぺんにバッティングセンターで打ちまくったら、
さぞかし心持ちの良いことだろう。

そしたら、もう満足かな。
残りの2億9999万円は、義援金にしよっと。

2011年12月5日月曜日

女心・確認

町内会の掲示板の前で、思わず足を止めた。
そこに貼られたポスターには、標語としてこう書かれている。

 女心・確認

この町内会の掲示板、比較的オカタイ感じのお知らせしか見たことがない。
それが、この度ばかりは、あまりにも謎めいている。

男性諸氏への警鐘か、それとも、女性向けか?
いずれにせよ、何に注意を促そうと言うのか?

前者の場合、
「独りよがりな言動をして、実は女性たちから軽蔑されるようなことのないために、
まずは女心を確認してから、発言や行動をしましょう」
ということだろうか?

そもそも、どのような場面を想定しているのか?
職場、家庭内、友人同士、それとも近所づきあいか、はたまた恋人同士か?
いずれも当てはまるようでもあり、
かと言って、ことさらにポスターにまでする必要性もピンと来ない。

一方、後者の場合、
「あなたは、日々の暮らしに追われて、自分が女であることを忘れてはいませんか?
時には自らの内なる『女心』の存在を確認し、その声を聞き、それに従って生きてみましょう」
ということだろうか?

少なくとも私には、心当たりが、・・・ないこともない。
胸に手を当てて考えれば考えるほど、心当たりは、ある。確かに、ある。
しかし、こんなにも身につまされることを、
なにもそんなポスターにまでして貼り出すなんて、ずいぶん酷な仕打ちではないか。

大きく縦書きされた四文字を眺めながら、掲示板の前で呆然と立ち尽くし、そして我に返った。
改めてポスターの下のほうに書かれた小さな字を読んでみると、
「防炎マークの付いた製品を使いましょう」という内容だった。

「防炎マーク」と「女心」、一体どんな関係があるのか?
驚くべき進歩を遂げた現在の科学技術をもって作られた防炎マーク製品は、
女心が炎に包まれることまで防げる、とでも言うのだろうか?


掲示板には、幅の狭い雨よけ屋根が付いている。
ほんの少しだけ背を屈めて屋根の下を覗いた。
屋根の下、女の上には、「ウ」があった。
 安心・確認
と書いてあった。
「防炎マークがついていることを確認し、安心して製品を使用しましょう」というポスターだった。

「うかんむり」が屋根に隠れていたことを確認し、安心して帰宅した。

2011年11月28日月曜日

新しい趣味

最近、新しい趣味が出来たことに気付いた。
それは、「ブログの推敲」だ。

たまに、脈絡もなく突然に、かつて書いたものを読み返したくなる。
対象となる投稿は、つい最近のものだったり、だいぶ前のものだったり、
そのときの思いつきにより異なる。
読み返してみると、「てにをは」やら句読点やら、誤字脱字の修正をしたくなる。
興に乗ると、話の筋道にまで手を入れ始めてしまう。

投稿一つ一つの公開前に、推敲くらいしておいたら良いのに、という考え方は、
これを、作業効率を向上すべき仕事として捉える場合にのみ、成立する。
しかし、ここで言う推敲は、飽く迄も趣味、
すなわち、仕事・職業としてでなく、個人が楽しみとしている事柄なのだ。

句読点の打ち方一つで、様子がずいぶん変わることがある。
そんな時、「てんで大違い」って、こんなことかしら、とほくそ笑む。
ひと月以上も遡って投稿をこねくり回しているうちに、結末まで変わってしまうことがある。
そんな時、「この変更は、誰も知ることのない、私だけのもの」という気がする。
人ごみの中で、無防備に宝物を晒していても、誰一人それに目を留めることさえないような、
そんな錯覚に陥る。

新しい趣味、これもやはり、これまでの趣味(*)と同様、
履歴書にも書けないし、人に胸を張って言うこともできない。
こんな、小っ恥ずかしくも非生産的な行為に夢中になって、さんざん時間の無駄遣いをした後、
なぜか不思議な爽快感を味わう。

青春って、こんなことを指すのだろうか。

2011年11月24日木曜日

先生って・・・

何となく好きな人がいる。
大学の事務室で出勤簿に押印する時、大抵は彼女が対応してくれる。
ただ挨拶をして、事務的に判を押すだけの数十秒間、何を話すわけでもない。
それでも、明るく輝く瞳と爽やかな笑顔を見ると、
これからラッキーなことがありそうな気がする。

その彼女と、チョットだけ立ち話をした。
話の枝葉のところで、小さな告白があった。
「先生(*)って・・・前から、その・・・何て言うか、可愛らしいなって思ってたんです」

「可愛らしい」という言葉が文句なしに当てはまる年齢ではない私に、
ためらいがちにも、この表現を選び抜いた、というその話し振りから、
この単語を、今、私のために特別に定義し直してくれたように感じられた。
それが嬉しかった。

 可愛らしい : 愛すること(*)が可能であるらしい

 愛されること、与えられることを求めるのではなく、
 愛すること、与えることを喜びとし、そこに価値を置く。

そんな印象を受けましたよ、と言われた気がした。
ラッキーなことに、また一人、素敵な理解者を見つけてしまった。

授業前のひと時、ソフトクリーム(*)を片手に、芝生に腰を下ろして、日向ぼっこをした。
木々の葉は恥じらいがちに赤らんでいた。
冷たい風に、だいぶ体温を奪われたけれど、
不思議と、寒く感じなかった。

2011年11月21日月曜日

奥深い知恵

干し芋干し器(*)をもう一つ作って、実家にプレゼントした。
家族が、「干し芋を作ってみたら、スルメのように硬くなってしまった」と漏らした。

世界中の、むかし話を初めとする様々な物語において、
年長者達の固定観念を打ち破り、最も奥深い知恵をもって物事を実践するのは、
他ならぬ末っ子と相場が決まっている。

おお、知恵の浅い年長者達よ。
この家で最も奥深い知恵を持つ末娘が、干し芋の作り方を教えてやろう。

① 芋を洗い、蒸かす。
② 途中、火の通り具合を見るために、芋の端っこを少し切り取り、バターを付けて食べる。
③ もう少し蒸かして、今一度、端っこを切り取り、一つまみの塩を振って食べる。
④ 蒸しあがったら、繊維方向に包丁を入れ、1cm程度の厚みに切る。
  このとき、マヨネーズをつけて味を見ることを忘れずに。
⑤ 切った芋を、干し芋干し器に並べる。
  このとき、形が崩れたものがあれば、誰にも見られないうちに、お腹の中に片付けておく。
⑥ 芋を並べた干し芋干し器を、ベランダに干す。
⑦ 干し具合確認のため、およそ1~2時間おきにベランダに出ては、適当な芋を選び、かじる。
  そうこうしているうちに、2日ほどで干し芋干し器は空になっている。

この通りに作れば、スルメのように硬くなる心配はない。

ざっと説明を終えたところで、家族からコメントがあった。
「それでは、完成版の干し芋が手に入らない」

おお、知恵の浅い年長者達よ。
この家で最も奥深い知恵を持つ末娘が、「干し芋を作る」とは何かを教えてやろう。

そもそも、「干し芋を作る」とは、純粋にそのプロセスを楽しむためのいとなみであり、
浅ましくも、完成品を得るためにする行為ではない。

すると、家族から質問が出た。
「完成版の干し芋は、どうやって手に入れるのか?」

おお、知恵の浅い年長者達よ。
この家で最も奥深い知恵を持つ末娘が、完成版の干し芋の入手方法を教えてやろう。

お店屋さんに行って、買う。

私の予想をアッサリと裏切り、
家族は呆れた顔を見せることなく、揃って神妙に、「なるほど」と頷いた。

あらら?
実はこれ、本当に奥深い知恵だったのだろうか。

2011年11月14日月曜日

ドライブ・デート

以前、仕事でお世話になったオジサマ方と一緒に、小ぢんまりと昼食会をした。

「北海道で、ドライブ・デートしたよね。覚えてる?」一人のオジサマが私に言った。
「もちろん!」

数年前、東京では残暑の厳しい頃、肌寒い初秋の北海道に出張した。
とある催しの事前現場確認のために、
あっちからこっちへ、宿泊場所も転々としながら、
プロジェクト関係者たち、かなりの大所帯で、数日間を過ごした。

3日目辺りだったろうか、もともと乗り物に弱い私は、移動に次ぐ移動が応えてきた。
車酔いせずに一日過ごせることだけを祈りながら、朝の集合時刻に集合場所に参上し、
とある企業チームの移動車両に、間借りで乗せていただいた。
車で40~50分ほど走ったら、本日最初の確認地点に着く予定だった。

30分ほどを車中で過ごしたとき、自分の手元が、何か物足りなく感じた。
時計がない。
カバンの中もポケットの中も、探してみたが、見つからなかった。
ホテルのベッドサイドに置きっぱなしにしたことが、記憶としてよみがえって来た。
「あ~ぁ、親友とお揃いで買った、思い出の時計なのに・・・」思わず口から出た。
「じゃあ、戻ろうか?」運転中のオジサマは軽く言った。
「そんなこと、ダメです!どうせ安物だし・・・業務中なのに、皆さんに迷惑掛けられません」

その日のスケジュールも、かなりタイトなものであった。
屋外での確認作業は、日が落ちたらおしまいだ。
今からホテルに戻ったら、最低でも1時間のロスタイムが生じる。
下手に戻ったら、確認する場所を1箇所、割愛することになるかもしれない。
大所帯だったこともあり、皆を待たせることもできないし、
この車両のみ別行動を取って、同乗の企業チームだけに割を食わせることもできない。

「じゃあ、とりあえず行くとこまで行ってから考え直そう」オジサマは進み続けた。
最初の確認場所に到着すると、同乗していたもう一人のオジサマが降り際に言った。
「皆には適当に言い訳しておくよ」
運転席のオジサマの言葉がすぐに続いた。
「戻ろう」
優柔不断な私にさえ、決めかねてモジモジすることを許さないような、絶対的な迫力だった。
二人で宿に戻る途中、オジサマは言った。
「ものの価値は値段ではない。
思い出の品というのは、そんなに簡単に諦めてはいけない。
ましてや、仕事中だからとか、他の人に迷惑が掛かるとか、そんな心配してはダメだ。
私はこれを迷惑だなんて思っていないし、
あなたと親友との思い出のために一役買えるなら、むしろ光栄なくらいだ」

かくして、思い出の時計を取り戻した。

急いで現場に行くと、必要な確認を済ませた大所帯全員が、ノンビリと休憩していた。
広い牧草地で思い思いに過ごす関係者達は、まるで放牧された羊のように見えた。
「どう、あった?」アイスクリームをペロペロしながら、こわもての羊さんが私に尋ねた。
「ありがとうございます。お蔭様で見つかりました。お待たせしてしまい、申し訳ありません」
スケジュールが気に掛かる私は、平謝りに謝った。
「これ美味しいよ。あっちで売ってるの。皆もまだ食べてるし、一息いれたら?」

なんだか、気が抜けてしまった。
確かにタフなスケジュールはまだ続くけれど、それだけに皆もチョット休憩したかったのかな。
その場の全員が、私の思い出のために、喜んで一役買ってくれたようでもあった。

親友との思い出に加え、
関係者が揃って羊さんになり、暖かく見守ってくれたドライブ・デートの思い出の詰まった
その安物の時計は、
その後一年足らずで、壊れて止まってしまった。
それでも今なお、私の大切な宝物だ。

2011年11月7日月曜日

苦手なこと

何をするにも、自分の不器用なドン臭さが目に付いて仕方がない。
にも関わらず、不思議なことに、時折こんな質問をされる。
「苦手なことって、あるの?」
そして、不器用にドン臭くも、返答に窮する。

私の苦手なことって、何だろう?

お料理。
自己紹介。
固く閉まったビンの蓋を開けること。(*)
計画を立てること
出された食事を残すこと。
人前で話をすること。
他人に評価を下すこと。
損得勘定。
愛想笑い。
そして、苦手なことを考えること。


さて、雨も上がったことだし、
ひとっ走りして、汗流して、朝ごはんモリモリ食べよう!

2011年11月3日木曜日

ターシ君

夏休みやお正月休みを取っては滞在しているお宅がある。
そこには、ターシ君と名づけられた猫が出入りしている。
その界隈を縄張りとするオス猫で、住所は不定らしい。

2年ほど前に見たターシ君は、
ツーシ君(ツヨシ君)という、なんとも男らしい名の母猫の後ろに隠れて、
世界中の全てに怯え、体をブルブルと震わせながら、玄関前に現れた。
ツーシ君なら丸呑みしてしまうような、小指の先ほどの小さな魚の切れ端を一つだけ貰うと、
植え込みの陰にすぐ逃げ込んで、時間を掛けて食べた。
そんな食の細い、やせっぽちで、ひどく臆病な仔猫だった。

今年の夏休み、ターシ君に再会した。
開け放した玄関から猫の鳴き声が聞こえると、パパは、
「あ、ターシ君が来た!」と出迎えに行った。
そして、とてつもなく大きなトラ猫を抱えて居間に戻ってきた。

これが食の細い、やせっぽちで、ひどく臆病な、あのターシ君?
この貫禄満点のネコさんが?

我が両の目を疑った。
しかしよく見れば、目の辺りには子ども時代のターシ君の面影が確かに残っている。
歩く姿は のっしのっし と横綱さながらだが、
子ども時代からの臆病な性格は変わらないらしく、
見慣れぬ私に対し警戒心を露わにした。
「あんた、何者ニャー」

ターシ君は、毎日少なくとも朝と晩の二回、来訪する。
夕食後の一時間ほど、決まって私が留守番をしていると、
これまた決まって玄関でターシ君の声がする。
この家の流儀に従い、戸を少しだけ開けて招き入れる。
玄関には、口を開けたままのカリカリ(乾燥タイプの猫の餌)の大きな袋が立ててある。
ターシ君が来たら、これを倒す。
ターシ君は、袋に頭から入って行く。
尻尾だけを袋から出して、中でカリカリ、カリカリ、と食べる。
満足すると、ターシ君は袋から出てくる。
そして見慣れぬ私の顔を見て、警戒心を露わにする。
「ところであんた、何者ニャー」
「東京から参りました○○です。
こちらのお宅とは長い付き合いでして、今回一週間ほどの滞在を予定しております」
などと自己紹介してみるものの、ターシ君の警戒心が解けることはない。

次の晩も、その次の晩も、留守番をしていると同じことが繰り返される。
ターシ君の警戒心も変わらない。
「図々しいあんた、一体何者ニャー」

結局、1週間の滞在中、ターシ君の私に対する警戒心が緩むことはなかった。

さて夏休みもこれでおしまい。東京に発とうと玄関を出ると、ターシ君が待っていた。
ついに私を第二の家族と認めて、別れの挨拶をしに来てくれたの?
ガラス細工のような淡い期待が胸の中に生じるのを感じた。
「怪しい人物、まったく何者ニャー」
ガラス細工は瞬時にして砕け散った。

さんざん怪しませてしまって、ゴメン。
でもねターシ君、公式には、あなたの方が野良なのよ。

2011年10月31日月曜日

ラブレター用のペン

「これは、ラブレター用のペンだよ」
二十歳の誕生日に、当時私のお兄さん的存在だった方が、万年筆をプレゼントしてくれた。
素直な私は、ほんのチョッピリの試し書きさえも、ラブレターらしくした。

 親愛なる私へ
 I LOVE 私。
   愛を込めて
      私より

そして、いつか誰かにラブレターを書くその日まで、と、大切に大切に、引き出しにしまい込んだ。

何年か経ったある日、引出しの整理をしていると、ラブレター用のペンが出てきた。
活躍する機会を見つけられぬまま、引出しの奥深くで、ヒッソリと長い間眠っていたそのペンで、
試しに、ぐるぐると書いてみた。
インクが内部で固まって出てこなかった。

ペン先を水に浸したり、洗い流したり、アレコレ試しているうちに、インクの通り道が出来た。
ぐるぐる書いてみたら、書けた。
自分の名前も、書けた。
住所も、電話番号も、「あいうえお」も、「賀正」も、「暑中見舞い」も、何でも書けた。

せっかく再開したインクの通り道が、再び塞がることのないように、
毎日少しずつでも、ラブレター用のペンを使って何か書こう。

とりあえず、ラブレター用のペンで、頻繁に書くものの代表格・お小遣い帳をつけ始めた。
ほどなく、新しい仕事のオファーが来た。
給与をはじめ諸々の条件が、それまでより良いものだった。

意図してはいなかったものの、ラブレター用のペンでお小遣い帳をつけることにより、
結果的に、私はお金にラブレターを書いていたのだろうか。
そして、その想いが通じたのだろうか。

当時、疎遠になっていた恩人に、ラブレター用のペンで手紙を書いた。
「休暇でも取って、泊まりに来なさい」とご自宅に招待され、今でも交流は続いている。

チラシの裏に、ラブレター用のペンでらくがきをした。
「一人暮らしでも、してみようかなー。ぐるぐるパー」
何の当てもなく、ただ何となく思いつきで書いただけだった。
間もなく、思いがけず色々と状況に変化が生じ、あれよあれよと言う間に実家を出た。

もしかして、もしかすると、
これは、本当にラブレター用のペンなのだろうか。

いつか、このペンで本当にラブレターを書く日が来るとしたら、
どんな時、どんな相手に、どんなことを書くのだろう。
そして、その先、どんなことがあるのだろう。

2011年10月27日木曜日

希望

私はこの言葉を、次のように定義している。

困難な状況において、解決策が見出せずにいる時も、
肩肘張らずにフツーの生活を送りながら、
「いつかどこかで出口を見つけられる」と信じ続けること。

たとえ、ハンカチを忘れても、お財布を忘れても、宿題を忘れることがあったとしても、
これだけは、いつでも忘れずに携えていよう。

2011年10月24日月曜日

尊敬する人

とても尊敬する人がいる。
人柄の素晴らしさもさることながら、
エネルギッシュな彼からは、常に物凄いパワーが発生している。
しばらく近くにいるだけでも、私の内部に何かがチャージされた感じがする。

一体、何を食べたら、こんなパワーが発生するのだろう?

仕事の後、関係者皆でおすし屋さんに入った。
ネタと味の良さに加え、盛りが良くて有名な店らしい。
確かに、とってもおいしかった。
また、確かに、盛りが良かった。否、良すぎた。

文字通り「すし詰め」になったお腹を抱え、列車に乗った。
2時間半ほどの帰り道、目からご飯粒があふれ出そうだった。

尊敬する人は、私と同じメニューだった。
「これくらい、普通ですよ」と言っていた。

あの強烈なパワーは、
「何を」ではなく、「どれだけ」食べるか、によって発生するようだ。

2011年10月20日木曜日

誰か・・・

良く熟れた果物が、「見切り品」という名札をつけて、安価に、かつ大量に手に入ったとき、
あるいは、
曲がったキュウリなど、見てくれの宜しくない野菜が、格安で入手できたとき、
料理の苦手な私が、嬉々として台所に立つ。

前者ではジャムを、後者ではピクルスを作る。
いずれも、手間の掛かる話ではない。
大量の材料を水洗いさえすれば、殆ど出来上がったようなものだ。

詰めるものをビンに詰めたら、アツアツのうちに蓋を閉める。
温度が下がるに従って、中身の圧力も低下し、蓋は独りでにギュッと閉まる。
ギュッと閉まった蓋の上面が、僅かに凹んでいるのを、指で触って確認するのが好きだ。

しかし、ここで問題が生じる。

ギュッと閉まった蓋は、開かない。
頑張っても、開かない。
翌日、再トライしても、開かない。

そんな時、
ビンの蓋開け器、という秘密兵器を登場させると、大抵の場合、こちらが勝利を収める。

ところが、ここ一ヶ月ほど、格闘し続けても負かすことができずにいるビンが2つある。
毎日毎日、朝に晩に、見るたび、秘密兵器にご登場願っては開封を試みるものの、
ギュッと閉まったビンの蓋の決意は固く、開く気配は、ない。
一方、それに挑む私は、脆くも諦めムードになってきた。

誰か握力の強い方が、我が城に立ち寄ってくれないものだろうか。

2011年10月17日月曜日

ぎんなん

ついに今年もこの季節が来た。

これまでに私の住んだ地域、
引っ越した先、
学校の近く、
職場の近く、
どういうわけか、必ず立派なイチョウの木が沢山ある。

自称「犬の10分の1の嗅覚を持つ人間」である私にとって、
暑くなく寒くなく、カラリとした爽やかな日の多い、気候の上では最高のこの季節、
おもてに出るのが、ちょっと辛い。

その一方で、
あとは食べるばっかりに処理されたギンナンは、大好きだ。
ちょっと炒って、熱くなった殻を歯で割って、磨き上げた宝石のような中身にお目にかかると、
「ああ、今年もこの季節を迎えることができた」と、つくづく幸福を感じる。

そもそも、
イチョウの木からボトリと落ちてきた、あのギンナンを「口に入れてみよう!」と、
世界で最初にチャレンジした人を、尊敬し、感謝する。
その人の勇敢な挑戦なしには、今の私の幸福はありえない。

あの臭い部分を取り去る技を確立すべく、試行錯誤を重ねた歴代のチャレンジャーたちも、
深く尊敬し、感謝する。
彼らの、血のにじむような、否、鼻の曲がるような努力なしには、今の私の幸福はありえない。

そして、大きくて立派なギンナンを、あとは食べるばっかりに処理してから、
「確か、あんた好きだったわよね」と、毎年プレゼントしてくださる、あの方も、
深く尊敬し、心から感謝している。
彼女という偉大なる存在なしには、今の私の幸福はありえない。

2011年10月13日木曜日

「先生」と呼ばれる職業

「『先生』と呼ばれる職業なんぞに就くもんじゃない。
そんな風に持ち上げられて、いい気になっていたら、
お前みたいなお調子者は、ふんぞり返っているうちに、
人間として落ちぶれていくだけだ」

昔々、いつのことだか、誰からだったか、忘れてしまったが、
何しろ、そう言われたことがある。
その時、「これはビンゴに違いない!」と直感的に確信を持った。

「先生」と呼ばれて持ち上げられても、ビクともしないような器の大きな人だけが、
「先生」と呼ばれる職業に就く資格を持つ。
そして、小さい頃からお調子者の私には、間違いなく、その資格は無い。

だからこそ、ずっと、その手の職業には、一切近付かないように心掛けてきた。
教員、医師、弁護士、美容師、代議士、芸術家・・・
これらは、私にとって「絶対に就いてはいけない職業」として、
深く深く、胸に刻み付けられている。

ところが数年前から、非常勤(*)とはいえ、大学で授業を担当するようになった。
授業中は、学生さんたちから「先生」と呼ばれる。
事務室に行っても、「先生」と呼ばれる。
会議に出れば、偉い偉い大学の先生方からも、「先生」と呼ばれる。

ああ、もうダメだ!
私はこのまま、人間として落ちぶれてしまう!!

非常勤一年生のころ、大学に行くたび、ドキドキして、不安でたまらなかった。

さて、現在、
「先生」と呼ばれて持ち上げられても、ビクともしないような、器の大きな人に成長したか?
・・・正直、そんな大きな器への道のりは、遥か彼方、途方も無く遠い。
お調子者でなくなったか?
これまた子どもの頃に輪を掛けて、お調子者度120%だ。

しかし同時に、ふんぞり返っている余裕も無い。
実は、落ちる心配も無いくらいに低いところで、もがいているのが現実のようだ。

思い起こせば、これまで、
学生さん達のお蔭で学ばせてもらうことが、どれほど沢山あったろう。
授業を手伝ってくれるTAの大学院生にも、教えてもらうことばかりだ。
先生方には、いつも暖かく見守られ、折に触れて心に沁みる助言をいただいている。
そして、事務室の皆さんには、お世話になりっぱなしだ。
(手の掛かる講師でスミマセン!)

結局、誰にも頭が上がらない。
「先生」なんて、ただの便宜的な呼びかけだけだったんだ、
ということに、最近やっと気付いた。

さて、明日は授業だ。

受講生の皆さん、TAの院生さん、
私は、あなた方の手本になれるほどの器でもなければ、
あなた方に何か教えを授けるほどの器でもありません。
ただ、
あなた方から、そしてあなた方との関わりから、
私自身が多くを学ばせてもらっていることだけは本当です。

こうして自分が必死で学び続けること、それだけが、
今の私にとって、「先生」と呼ばれることに対して報いることのできる最大限なのです。

2011年10月10日月曜日

ささくれ

昔々、中学校に入学した翌日のこと。

休み時間中、あちこち飛んで回っていると、始業のチャイムが鳴った。
入学式で、「チャイムが鳴ったときには着席しているように」との注意があったことを思い出した。
先生が教室に向かって歩いて来るのが見えた。
廊下を全力疾走し、先生より先に教室に入った。
しかし、車と同様、全力疾走する私も急には止まれなかった。
机に激突し、足を骨折した。
「廊下を走ってはいけません」と言われるわけを、このとき痛感した。


その何週間か後、右足からギプスを外してもらった翌日のこと。

軽くなった足を試しに使ってみようと、学校中を跳ねて回った。
階段があったので、四階から駆け下りてみた。
一段抜かしをした。
   ちょろい、ちょろい。
次は、二段抜かし。
   余裕。
三段、四段、・・・と抜かしていくうちに、すっかり気分は高揚した。
「えーい、いっそのこと、踊り場から一気に飛んでやる!」
と思いついたのは、二階と一階の間の、最後の踊り場で、足を踏み切る瞬間だった。
ふわりと宙に浮いたその時、
校舎は天井が高いこと、特に二階と一階の間の最後の階段は長いことに、初めて気付いた。
コンクリートの床にたたきつけられ、同じ場所をもう一度骨折した。
「調子に乗ってはいけません」と言われるわけを、このとき痛感した。


二度目の骨折をした晩、父が言った。
「一番の親不孝は、親に葬式を出させることだ。
二番目の親不孝は、病気や怪我をすることだ」
私は二番目の親不孝を、一ヶ月足らずのうちに、二度もしてしまった。


つい最近、手にささくれが出来た。
爪切りを取りに立つのが面倒で、食事のあと、お茶を飲みながら、ささくれをいじっていた。
「痛い!」
いじっているうちに、剥いてしまった。
1mm2にも満たない小さな小さな部分が、私という全存在を脅かすほどの勢いで主張した。
「ささくれは親不孝の印」と言われるわけを、このとき痛感した。

これからは、もっともっと自分の体を愛しみ、大切に使ってあげよう。
健やかであることこそが、最大の親孝行であり、同時に自分孝行でもあるのだから。

2011年10月7日金曜日

理想の男性像

シャツの裾を、ズボンの中にしっかり入れている人

2011年10月6日木曜日

写真、よろしいですか?

昨日のブログを読み返して、思い出した。
ネイルサロンでのモデル初体験のほかにも、「写真、よろしいですか?」と聞かれたことがある。

かつて携わっていたプロジェクトは、とてもオカタイ内容であった。
しかしある年、何故か、その活動を、何と、あの東京モーターショーで小間展示した。
片隅で、ヒッソリと、目立たず、ではあったが、確かにあの華やかな会場内にブースが設けられた。

当然ながら、無人ブースというわけには行かない。
留守番が要る。
私も会期中の二、三日、説明員の名札をつけて、ブースの留守番に借り出された。
会場の華やいだ雰囲気を全く無視したかのような、四角四面のスーツに身を包んだ私は、
会場の片隅のブースの、そのまた片隅で、ヒッソリと、目立たないように、立っていた。

展示されたモノは、
私よりも背の高い、白くて大きな四角い箱や、
黒くて円筒形の重たい塊、
それに、黒っぽくて大きくて重たい箱などだった。
会場の雰囲気を全く無視したかのような、四角四面のブースだった。

「難しい質問をされませんように」と祈っていると、一人のビジネスマンらしき紳士が近付いてきた。
「すみません、写真、よろしいですか?」と手に持ったカメラを少し持ち上げ、
爽やかな笑顔で、白くて大きな四角い箱を指し示した。
「どうぞ、どうぞ、360度どこからでも、遠慮なく撮ってください!」
彼は嬉しそうに箱を眺め回し、数枚の写真を撮り、去って行った。

爽やかな笑顔を見られるかどうかは別として、
こんなことは、ブースの留守番をしていると、よくある。

今度は、大学院生らしき青年三人組が来た。
そのうちの一人が歩み出て、私に声を掛けた。
「あの、写真、よろしいですか?」
「もちろんです!どうぞ好きなだけ」
すると彼は、持っていたカメラを友人の一人に手渡し、私の隣に立った。
「写真って、私の・・・ですか?」
「すみません。お嫌なら、無理に、とは申しません」
むげに断ってしまうには、あまりにも誠意が感じられた。
若い男の子と地味な私の二人は、地味な展示物を背景に、一枚の写真に納まった。
「本当に、どうもありがとうございました」
彼は写りを確認すると、丁寧に、少し照れくさそうに挨拶をして、仲間と一緒に去って行った。

三人の背中を見送りながら、つくづく不思議に思った。

ほんの少し向こうに進めば、プロフェッショナルのモデルさんや、コンパニオンさんが、
華やかで見栄えのする、素敵な衣装に身を包み、
綺麗な顔立ちの上から、更に綺麗にお化粧をして、ポーズをとっている。
人口密度ならぬ、美人口密度がとてつもなく高い場所だ。
背景だって、カッコ良くしつらえてあるのが、ここからでも良く見える。

それなのに、なぜ、よりによって、こんな地味なブースで、こんな地味な私と、並んで写真を撮りたかったのだろうか。
実は、幼い頃に亡くして顔も覚えていない母親の写真の面影と、私の様子に重なるものでもあったのだろうか。
それとも、母親でなく、姉だろうか。
いやいや、もっと別のいきさつが・・・。
名前も知らない青年の人生ドラマを勝手に作りあげたり、打ち消したりした。

あれは、なぜだったのだろう。
今でも、思い出すと不思議になる。

2011年10月5日水曜日

モデル初体験

「写真、よろしいですか?」
ネイルサロンで指先美人にしてもらったら、声を掛けられた。
サロンのブログに載せるために、私の手の写真を撮りたい、とのことだ。

日頃から、ちゃんとハンドクリームを塗っておけば良かった、それに日焼け止めも・・・
今更ながら悔やみつつも、
こんなチャンスは滅多にないので、二つ返事でOKした。

かくして、モデル初体験をした。

「こんな風に、両手を少しずらして重ねてみてください」
「ちょっと丸みを帯びた感じに、指を柔らかくおいてみて」
「そうそう、素敵。可愛らしいですよ」
なんて言われて、すっかりいい気になりながら、
手しか撮られていないのに、笑顔を作ってみたり、髪を整えたりしながら、
15分ほどの撮影会が終わった。

意気揚々と帰宅し、早速パソコンの電源を入れた。

さて・・・?
URLを聞き忘れていたことに気が付いた。

サロンの名前で検索をかけたら、別のサロンばかりがヒットした。
条件に駅名を加えてみたが、それでも何故か、別のサロンばかりがヒットする。
ブログの種類を聞いていたので、それも入れてはみたものの、やはり同じことだった。
一時間ほど、考えられる限りの条件を入れたり変えたりしては検索してみたが、
結局、かかりつけのサロンのブログには行き当たらず、あきらめて寝た。

かくして、自らのモデル初体験の成果物に、いまだお目にかかれていない。

2011年9月29日木曜日

伸びたい

小学生のころ、クラスで背の順に並ぶと、いつも前から3番目だった。
体の小さいことに、何となく劣等感を持ち、いつも「伸びたい」と思っていた。
背が伸びることは、将来の夢だった。

中学生の間に身長が伸び、クラスで背の順に並ぶと、後ろから3番目になった。
それでも、「伸びたい」は、口癖として残っていた。
背が伸びることは、夢であり続けた。

高校生になると、身長の伸びの止まる同級生が現れた。
そうなると、「やっぱり、伸びたい」と思った。
背が伸びることは、やっぱり、夢であり続けた。

大学生になると、誤差も含め、身長の縮む同級生が現れた。
しかし私は、毎年の健康診断で、僅かずつとはいえ、かろうじて身長が伸び続けていた。
そうなると、「やっぱり、もっと、伸びたい」という気持ちは強まった。
背が伸びることは、益々やっぱり、夢であり続けた。

更に年を重ねても、健康診断で、身長が、少なくとも縮むことはなかった。
「まだまだ伸びる、かも知れない」、私はそれを誇りに思った。
背が伸びることは、いくつになっても、夢であり続けた。

3年ほど前の健康診断でのこと。

例年どおり、「背が伸びていますように」と祈りをささげてから、
靴下を脱いで、身長計測台に乗り、深呼吸をして肩の力を抜き、背筋を伸ばし、あごを引き、
万全を期して測定の瞬間を待った。
小柄な看護師さんが現れ、私の頭上にある、背を測るための小さな板を見上げた。
一瞬考えるようなそぶりをした後、彼女はジャンプして板に飛びつき、空中でアタックした。
痛かった。
頭に、板がめり込んだ感じがした。
彼女は計測結果を読み上げた。
前年度より、3mm縮んでいる。
「すみません。どうしても納得いかないので、もう一度お願いします」
「体重を量りなおされる方は結構いらっしゃるんですけどね」
「体重を量りなおさない分、身長にチャンスをください!」
兎にも角にも、再チャレンジが実現した。
最終結果は前年度より2mm縮んだ数値だった。

「もう二度と背なんか測るもんか!」とふてくされ、
それからというもの、健康診断のご案内に応じていない。

いずれの日か、健康診断の受診を再開する必要が生ずるだろう。
そして、その頃には、きっと毎回縮み続けることだろう。

それでも私は、自分という人間に、いつまでも『伸びしろ』があることだけは信じている。
きっと私は、一生涯、「伸びたい」と願い続けることだろう。

2011年9月28日水曜日

居候

毎年、夏休みやお正月休みを取っては滞在しているお宅がある。
いつ伺っても、パパとママと弟くんが温かく迎えてくれる。
私にとっては、第二の家族だ。

時々は叱られたりケンカしたりしながら、彼等と体当たりのような交流をしていると、
ふしぎと、「私は今ここにいる」という実感が湧いてくる。
「私はここに居り候。そうだ、居候なんだ!」
かくして私は自らを『居候』と称するようになった。

当時12歳のあどけない少年だった弟くんが、東京へ発とうとする私に尋ねた。
「イソウロウって、何?」
「他所のお家にお世話になっている人。お客さんと言うよりは、勝手に居座っている感じかな?」
一瞬、表情を悲しそうに曇らせた彼は、食い付くほどの真剣さで言った。
「絶対に居候じゃない!大切なお客さんだよ。来てくれるととても嬉しいんだ」

当時の私には、辞書とは別の、自分だけの解釈を他人に披露する勇気がなかった。
何の弁明も出来ないまま、「また来るね」とだけ言って、列車に乗った。

東京に帰ったあとも、悲しそうに曇った彼の顔が、記憶から消えることはなかった。
次にいつ会えるともし知れない別れ際に、なんと酷いことを言い捨ててしまったのだろうか。
ゴメンね、素直で優しい、大切な弟くん。

その時から、別れ際の挨拶では、必ずストレートな愛情や感謝のみを表明することとした。
また、自らの話す言葉について意味を尋ねられたら、
(1)まず、自分自身の解釈を説明すること、
(2)一般的な意味の確認が必要であれば、むしろその場で一緒に辞書をひくこと、
にした。
弟くんの前では、居候という言葉を以後一切口に出さないことを決意したものの、
「私は今ここにいる」という実感にピッタリ来る言葉が他に見つからず、
これについては、心の中でのみ、『半ば居候』と称することにした。


今年も遅めの夏休みを取り、半ば居候としての一週間を過ごした。

第二の家族のもとに帰省したのは、深夜だった。
パパは、相変わらず、小噺や動物モノマネを24時間体制で用意してくれた。
ママは、相変わらず、美味しいご馳走を24時間体制で用意してくれた。
弟くんは、気付けば、もう大学院生、美しく立派な青年になっていた。
彼は、相変わらず、自分の部屋を私のために快く明渡し、居間にしつらえた簡易ベッドに寝ていた。
弟くんの部屋には、相変わらず、私からの歴代誕生日プレゼントやカードが全て飾られていた。
弟くんは、相変わらず、こんな私を「大切なお客さん」として迎えてくれる。
それを見て、私は相変わらず、少年時代の彼を傷つけてしまったことに、チョッピリ胸が痛んだ。
きっといつまでも消えることのないこの痛みを、一生大切にしよう。
そして、パパやママや弟くんのように、目の前の相手に、真直ぐに愛を発信し続けよう。
そうするほかに、他人を傷つけてしまった経験につける薬はない。

いまや簡易ベッドには到底入りきらなくなった大きな足が、
ニョッキリと布団からハミ出しているのを見て、
私は、相変わらず、心の中だけでコッソリ言った。

「私はここに居り候。そう、半ば居候だ」

2011年9月27日火曜日

蓮の実

ほんの少し前には、公園の池に蓮の花(*)がいっぱい咲いていた。
それが今は、みんな実をつけている。

この光景を見ていたら、子どもの頃に聞かされた話を思い出した。


昔々、あるところに、可愛い女の子がいた。

ある日、おやつにピーナツが出された。
女の子は一粒口に入れ、ポリポリ、もぐもぐ、味わっていた。
もう一粒を手に取った。
色んな角度から、ようく見た。

「おや、この向きから見ると、ちょうど私の鼻の穴と、形も大きさも似ているぞ」
大発見をした。

科学の世界では、仮説を実験で確かめる必要がある。
片方の鼻の穴に、手に持っていたピーナツを、最も適切と思われる角度で当てた。
思いのほか、ピーナツの方が大きめに思われた。
でも、やってできない大きさではない。
思い切って、少し押してみた。
これまた思いのほか、押せば入るものだった。
鼻の穴の出入り口と、ピーナツの最後尾が揃うようにして、鏡を見た。
こうすると、正面から見たらピーナツの姿は見えない。
上を向いて、鼻の穴を鏡に向けると、ピーナツのお尻が覗いている。

実験は終了した。
結論として、鼻の穴とピーナツの相性はバッチリだった。

さて今度は、実験の片づけをする段階だ。
鼻の穴に入れたピーナツを、どうやって取り出そうか。
当然のことながら、取りたいものは手で掴むべし。
ピーナツを掴み取るべく、鼻の穴に指を入れた。
指を入れると、ピーナツはもっと奥へ逃げていった。
掴もうと指を入れれば入れるほど、ピーナツは奥に入っていく。
思いのほか、鼻の穴には奥行きがあることを知った。

どうしようもなくなり、母親を呼んだ。

母親は、ピンセットで取ろうとした。
しかし、既に鼻の中の湿気を吸ったピーナツは、ふやけていた。
鼻の穴よりも断然大きく膨らんだピーナツは、始末に負えなかった。
どうにもこうにも、ピンセットを入れることさえできなかった。
ピンセット作戦は失敗に終わった。

母親が慌てふためいているのを見ているうちに、
女の子は、胸の内でこみ上げてくるものを感じた。
思わず、もう一方の鼻の穴にもピーナツを入れた。
鼻呼吸が出来なくなった。
金魚のように口をパクパクさせて、いよいよ本人にもこれが一大事であることが分かった。

結局は、近所の耳鼻科へ駆け込み、事なきを得た。


・・・という、それはそれは恐ろしい話だった。
実話なのか、フィクションなのか、今となっては定かでないし、
細部については、きっと長い年月の間に、記憶の内容に変更が生じていることだろう。
何しろ、臨場感たっぷり過ぎた。
まるで自分の鼻の穴にも何か詰まっているようで、ひどく息苦しく感じられた。
話を聞き終えて、心に固く誓った。

これから、一生涯、どんな誘惑があろうとも、鼻の穴にはピーナツを入れるまい!


蓮が実をつけているところは、
まず穴のあるところに、実を押し込んだように見えてしまう。
そして、あの話を聞いたときの恐怖と、その直後の固い誓いが蘇ってくる。

池いっぱいに蓮が実をつけたさまを見て、改めて決意した。

これからの人生、どんな誘惑があろうとも、
鼻の穴には、
ピーナツも、節分のお豆も、ビー玉も、電気のコンセントも、何も入れるまい!

2011年9月19日月曜日

大きくなったら

「大きくなったら、代議士になるといいよ。
連呼に耐えうるフルネームだから」

子どもの頃、同級生が言った。
彼女はその後も、思い出したように、私の将来の職業選択に関する提案をした。

「大きくなったら、コメディアンになるといいよ。
一緒にいると楽しいから」

「大きくなったら、新興宗教の教祖様になるといいよ。
発する言葉、全てを信じたくなるから」

「大きくなったら、物書きになるといいよ。
話を聞いていると、時間の経つのを忘れてしまうから」

そして、卒業を目前に控えて言った。

「いずれにしても、大きくなったら、きっとビッグになると思うよ。
学校を卒業して、お互いすっかり忘れた頃、この名前をどこで見ることになるか、楽しみだな」


子どもの頃は、自分が同級生のことをすっかり忘れるなんて、想像もできなかった。
でも、今となっては、これが小学校時代のことか、中学時代のことか、
それさえも思い出すことができない。
可愛らしい笑顔だけをうっすらと覚えてはいるけれど、彼女の名前も忘れてしまった。

いつまでも色あせない記憶も幾つかはあるけれど、多くのことは忘れてしまう。
かつて私は、忘却することを、ひどく寂しいことと、恐れていた。
しかし彼女の言葉によれば、忘却して初めて、それまでにない全く新しい楽しみが生まれる。

記憶が薄れ行き忘却すること、あるいは、記憶力を始め様々な衰えが生じること、
これらは、必ずしも恐れるべきことではないのかもしれない。
新しい楽しみの始まりと捉えてみようではないか!と、
うっすらとした記憶の中から、小さな彼女は語りかける。


今のところ、私は特別大きくもなければビッグでもないけれど、
彼女の言葉を思い出すたび、未来がとことん明るく感じられて、
いつの日か、大きくなるのが、楽しみになる。

2011年9月18日日曜日

来訪者

暑くて暑くて、玄関と、ベランダの戸と、窓と、三方を開け放して昼寝をしていた。

「誰かいませんか?」と声を掛けられたような気がして、目が覚めた。
台所の真ん中で、お向かいさんの仔猫がこちらを見ている。
玄関から入ったらしい。
起き上がって近付くと、「ミヤーウ」と言った。
ラブリー。
しかし、我が城は動物の飼育を禁止されている。ご退室願おう。
玄関から前足と頭だけ外に出して、
お尻をこちらに残したまま、しばらく名残惜しそうに振り向いていたが、
もう一声鳴いて去っていった。

已む無く、玄関を閉めた。

「ジジッ」と音がした。
蝉がベランダの戸から飛び込んできて、畳の上でひっくり返っている。
自力では寝返りも打てないらしい。
そっと新聞紙ですくい上げて、表に放り投げたら、思いの外、元気に飛び去っていった。

已む無く、ベランダの戸を閉めた。

天井に気配を感じた。
大きな蜂が部屋の中を飛んでいる。
窓以外、入口も出口もない。
団扇で必死の誘導をし、10分ほどのち、やっとのことでお引取りいただいた。

已む無く、窓も閉めた。

結局、空気の出入り口を全て締め切った我が城は、あっという間に蒸し風呂のようになった。
事実上、自らの城をしめ出された私は、
已む無く、近くのスーパーマーケットやら図書館やらで日中の暑さをしのいだ。

人間以外の来訪者の多い一日だった。

お祭り

なぜだろう。
近所のオジサンたちが、普段より格好良く見える。

2011年9月17日土曜日

あんこ

甘いものが食べたくなった。
ちょうど良く、小豆と白玉粉がある。
あんこでも煮て、白玉にしよう!

いつもは母のレシピであんこを煮る。
今回は、インターネットでレシピを入手してみた。
この通りに作ると、本格的な和菓子屋さんの味が、簡単に出来上がるらしい。

まず、小豆を水に浸す。
母のレシピと同じだ。

二、三度、ゆでこぼす。
いつもは一度だけだが、ここは奮発して三度ゆでこぼそう。

砂糖を三回に分けて入れる。
母は二回に分けると言っていたが、私はいつも、隠れて一度にドバッと入れてしまう。
このたびは、もちろん三回に分けて入れてみよう。
砂糖の量も、しっかり計ってみると、いつもより心持ち多目のようだ。

塩を一つまみ入れる。
我が家も同じ。

最後に、みりんを入れる。
これは初めての経験だ。
ぐるぐる混ぜていると、滑らかで、上品な様子になってきた。
これは期待できる!

白玉と一緒に食べてみた。
美味しい!
味も見た目も、本当に和菓子屋さんのあんこみたい!
色もほんのりピンクがかって綺麗だし、何より光沢がある!!

感動のおやつ体験をひとしきり楽しんだ後、お茶を飲みながら思った。

やっぱり母のあんこが食べたい。
お彼岸には実家に帰ることにしよう。
おっかさん、いつものオハギをたらふく食べさせておくれ!

2011年9月13日火曜日

夏休み

「わーい!」と言っている間に過ぎ去り、
あとには宿題だけが残る。

あ・・・、こんなことを言っていては、いかん。
こちらが課す側なのだから。

2011年9月3日土曜日

天は自ら助くるものを助く

にわか雨、という言葉では表しきれないほどの、急な豪雨が時折ある。
そんな日、洗濯物をベランダに干しっぱなしにして、出先で泣いた経験は十指に余る。

こういった経験が豊富だからこそ、
朝、お日様がカンカンと照っているのに、
天気予報では、「突然の雷雨にご注意ください」などと言われると、
果たして、今、回っている洗濯機の中身を、どこに干して出掛けるか、
室内か?ベランダか?
という大問題に直面し、悩む。

そんな時、私はこう唱えることにしている。
『天は自ら助くるものを助く』
すると、室内に干すという決断を下す勇気が湧いてくる。
そうだ、この後、いつ降り出すかわからないもの。

「ああ、英断だった」と悦に入っているのも束の間、お昼になっても、晴れている日がある。
午前中の日差しを勿体無く感じながらも、もう一度唱える。
『天は自ら助くるものを助く』
すると、自らの決断を改めて認める勇気が湧いてくる。
にわか雨は、午後、特に夕方に多いものだから。

その後、夕方になっても、降らない日がある。
丸一日分の日差しを受けることのできなかった洗濯物に思いを馳せながら、また唱える。
『天は自ら助くるものを助く』
そして、今朝の決断は、やはり英断だったと、自分に言い聞かせる。
帰宅するまで、この天気が持つかどうか分からないもの。

結局、帰宅まで雨が一粒も落ちてこない日がある。
今朝の決断は、一体全体、何だったのか、と疑念に取り付かれながら、
カラリとした屋外から、何となく湿っぽい部屋に入り、何となく湿っぽい洗濯物を端から順繰りに触る。
そして、覚悟を決めて、唱え直す。
『天は自ら助くるものを助く』
すると不思議と、まぁいいか、という気になる。

やっぱり私は天に助けられているんだ。
こんな風に、洗濯物の多少の湿っぽさを気にしていられるのは、
今日一日、無事に過ごせたからこそ、なのだから。

2011年8月28日日曜日

世界一の贅沢者

物心ついた頃から、食べ物の好き嫌いがない。
いわゆる健啖である。
おかげで時々、いたずらっぽく尋ねられることがある。

「嫌いな食べ物は、ないの?」
「ない」
「好きなものは?」
「全部!」
「じゃあ、特に『これ!』って好きなものは?」
「家で食べる普通のご飯!」

自分の母親の作ったものが好きなのは言うまでもないが、
実のところ、どこのお宅でいただくご飯も、好きだ。
誰が作っても、どこの家庭でも、家族と一緒にいただく手料理ほどおいしいものはない。
例えば、友達のお宅へ遊びに行って、ついつい長居してしまったときに、
「あんたの分もよそっちゃったから、食べていきなさい。手抜きだけど文句なしよ」
という言葉とともに供される、
極々普通のお母さんの作った、
極々普通の家族と一緒にいただく、
極々普通のご飯、
これは、私にとって最高のごちそうだ。

そもそも、人間の手のひらからは、天然の味の素のような『何か』が分泌されている、と信じている。
だからこそ手料理はおいしいのだ。

この『何か』によって味付けされたご飯をいただくにあたり、料金が発生することはない。
常に無料である。
逆に、支払おうなどとしたら、その後その家に出入りできなくなるだろう。

ここで、大切なことが、「タダほど高いものはない」という格言によって表わされている。
家で食べる無料のご飯こそ、世界中で最も高価な食事なのだ。
値段がつけられないほど価値が高いからこそ、無料にする他に手がないのである。


さて、気取らない普通のご飯を供してもらえるのは、
当然ながら、日常的な信頼関係があってこそのことである。
「旅行に出ているあいだ、泊り込みで猫に餌をやれ」とか、
「来るついでに、みかんを買って来い」とか、
「来たついでに肩を揉め」とか、
「帰るついでに、ゴミを出しておけ」とか、
「両親にこれを届けろ」とか、「兄弟にこれを頼んでおけ」とか、
こまごまとした、色々なことの積み重ねによって、信頼関係は築き上げられていく。
これらの、こまごまとした、色々なこともまた、常に無料であり、
値段がつけられないほど価値の高いことである。

値段がつけられないほど価値の高いご飯は、
値段がつけられないほど価値の高い日常的な雑事に支えられた信頼関係の一部であり、
その最もおいしい部分と言える。
私達の毎日は、こんなにも価値の高いものの遣り取りで満たされている。

こんな高価なものを好物と言って憚らない私は、世界一の贅沢者だ。

2011年8月27日土曜日

雷雨のお蔭

昨日はひどい雷雨だった。

住まいの前の路地が、あっという間に川のようになった。
お蔭で、一歩も外に出られなかった。

雷が目の前に落ちるように感じられた。
お蔭で、怖くてPCの電源を入れられなかった。

雨と雷の大合唱で、他の音は何も聞こえなかった。
お蔭で、大きな声で歌を歌ったり、これまた大きな声で本を読んだりすることができた。
たぶん誰にも聞こえていない・・・と思う。

2011年8月24日水曜日

歯磨き

歯医者さんに行く直前、いつもより丁寧に歯磨きをする。

口を大きく開けて見せたとき、
歯医者さんが、何の武器も手に取らず、
「きれいにしてますね」と言ってくれると、ホッとする。

そもそも、
毎日これくらい丁寧に歯磨きをしていれば、
歯医者さんのご厄介になる必要は生じないのだろう。

2011年8月21日日曜日

ちいさな詩人

昔々、初めての就職をして間もない頃のこと。

仕事から帰ると、留守番電話にメッセージが入っていた。
再生すると、詩を朗読する母の声が聞こえた。

は る

はるは
とても いいにおい
きれいなお花も たくさん
ぢんちょうげのにおいは
だいすき
はちみつのにおいみたい
ちゅうりっぷのめが
ちょこんと かわいく出ている
なんだか そとで
おもいきり あばれたいな


へえ、なかなかいいじゃない。
特に最後の「なんだか そとで おもいきり あばれたいな」が気に入った。
実家に電話し、母にそう話すと、種が明かされた。

これは小学校一年生のときに私が書いたものだった。
当時の担任の先生が、子どもたちの詩を地道に集め、退職後に詩集を出版された。
その知らせを受けた母は早速一冊購入し、そこに掲載された私の作品を発見したそうだ。
先生は、手の掛かる私たち教え子一人ひとりの中に、ちいさな詩人を見ていたのかもしれない。

一方、作者であるはずの私は、詩の好きな先生だったことをかろうじて記憶しているものの、
自分で何を書いたのか、あるいは書かなかったのか、全く身に覚えがない。
今でもこんな詩が書けるのだろうか。
私の中のちいさな詩人は、だいぶ長いこと活躍の場を与えられずに、
錆び付いたり腐ったりしてはいないだろうか。
これから時々は、ちいさな詩人くんの目で周りを見て、鼻を利かせ、耳を澄ましてみよう。


さて、何年か後のある時、この詩の原稿が押入れの奥から発掘された。
一見しただけでは、よもや原稿とは思いもよらない代物だった。
ひらがなを習いたての私の文字は、全体として一まとまりの文章という印象はなく、
ところどころに鏡文字を入れながら、
一文字一文字をやっとこさっとこ、書き上げていったものであった。
その一行一行は、縦に太く引かれた罫線からはみ出してみたり、極端に小さくなってみたり、
右に左に大きくうねり、時々書き取り練習のように同じ行が二、三度繰り返されたりしていた。
あまりにも自由すぎる日本語に、書いた当の本人は、
活字になった『はる』を引っ張り出して見比べながら、必死の判読作業を進めた。

あの原稿を読み取るなんて、先生、本当に尊敬します。

2011年8月14日日曜日

逆まわり

朝、池の周りを走るときに、いつもと逆まわりしてみた。

同じ場所のはずなのに、景色が違って見えた。
茶屋の影で休む人や、トイレの出入口や、レトロな郵便ポスト、いつもは見えないものが見えた。
反対に、いつもは良く見える公園の時計が、見づらかった。

走りながら振り返ると、見えるのはいつもの景色のはずなのに、これまた違って感じられた。
体を真直ぐに向けて見る景色と、後ろを振り向いて見る景色は、
同じもののはずでも、受ける印象が異なる。

「もう一度いつもの向きで走ったら、今度はどう見えるだろう」
そう思ったときは、既にかなりへたばっていた。
体力に余裕のないとき、惰性で走り切ることは出来ても、
試しに方向を変えたり、速度を変えたり止まったりすることは極めて難しい。


ところで、
異なる意見と、あるいは状況と、なかなか折り合いがつかない場合がある。
そんな時、試しに相手の向いている方に体ごと向けて、少し一緒に進んでみたらどうだろうか。
自分の体の向きを変えずに、頭だけで振り返っても、相手と同じ景色は見えない。
実際に体ごと向きを変えて、同じ景色を見てみたら、
それによって、相手の見ている景色を実感できたら、
案外と簡単に折り合いをつけるきっかけがつかめた、なんてこと、中にはありそうな気がする。

最終的に落ち着くのがどこであっても、
いつでも、どんな風にでも方向や速度を変えられるくらい、体力に余裕があれば、
より多彩な景色を見ながら、より多彩に折り合いをつけていけるのかもしれない。

眠たい朝もあるけれど、やっぱり、体力づくりを続けよう。

2011年8月12日金曜日

跳ねる魚

毎年、夏休みに滞在している知人宅がある。
そこでは毎朝、1時間ほどの海水浴をする。
朝は未だ海水浴客で混雑していないし、日差しも強くない。
水も冷たくて、気持ちが良い。
ママと私が海水浴をしている間、パパは「釣り人たちの様子を見ている」らしい。
少なくとも、本人はそう言っている。
しかし実際は、釣竿もエサも持って行くので、釣り糸を垂れているはずである。
大抵は、そこらに打ち捨てられたバケツやビニール袋に獲物を入れて戻ってくる。

ある朝、小さな魚を一匹だけ収穫したものの、入れ物が見つからなかったらしい。
見つかったのは、トマト用の空ダンボール箱だけ。
帰りの車には、いつもの通り、運転席にパパ、助手席にママが座った。
水気も蓋もない段ボール箱に寝かされた魚が運転席の後ろに席を取り、その隣に私が座った。

「さあ、お魚と一緒にドライブだ!」
パパとママは元気に言った。

しかし、当の魚はドライブなんてするつもりはない。
そもそも、水のないところに大人しく寝かされているはずがない。
当然のことながら、跳ねる。
跳ねても水がない。
すると更に、跳ねる。
水を求めて、何度でも、跳ねる。

隣に座っている私は怖くて仕方がない。
「せめて何か蓋になるものはないか?怖い」という私に、
「体の大きさを考えろ。怖がるのは向こうの方だ。そんなものは手で押さえろ」
前に座った二人の言葉はごもっともだが、そうは言っても、やはり怖い。
魚が跳ねては悲鳴を上げ、
魚がじっとしている間は、「今、跳ねるか、今に跳ねるぞ」とビクビクしていた。

帰宅するまでの15分間のドライブで、魚は力の限り跳ね続けた。
うち3回は、天井に届くほど高くジャンプし、トマトの箱には収まらず、私の足元に落ちた。
そのたび、なおさら高くなる私の悲鳴に音をあげたパパは、車を止め、トマトの箱に魚を戻した。

「悲鳴を上げるほど熱愛する相手を、あなたに食べさせてあげるわ」と、
ママは、晩ごはんには私だけ一品多く、魚フライをつけてくれた。
美味しかった。
「ほら、あんなに大騒ぎしたって、結局は食べちゃうんだから」ママは呆れて言った。


フライにしてもらえば食べてしまうのに、跳ねる魚は何故あんなにも怖いのだろう。
パパやママの言葉通り、体の大きさから見ても、怖いはずがないのに。

この場合の「怖い」は、「恐怖」ではなく、「畏怖」に近いように思う。
跳ねる魚は、『今』自分に必要な水を求めて、とにかく『今』できる限りのことを実行している。
あとさきなんて、お構いなしだ。
成功も失敗も、その確率も、お構いなしだ。
周りからどう見られようと、将来どうなろうと、しがらみも、損得も、何にもお構いなしだ。
何しろ『今』自分に必要なものは水で、そのために『今』できることが跳ねることだけなら、
兎にも角にも力の限り跳ねて跳ねて、跳ね続けるのみだ。

「今を生きる」なんて表現を、現実味もなく聞き流していたけれど、
跳ねる魚は、まさにこの言葉を体現していた。
重さにしたら500倍もある私を、完全に圧倒するだけの迫力が、彼にはあった。
そんな彼に対し、私は畏怖の念を抱いたのだ。
こうして捨て身で『今』を生きる彼の人生、いや魚生に、悔いはないはずだ。
翻って、こんな風に捨て身で『今』を生きることを、私はしてきただろうか。


あの家に、今年は未だ遊びに行っていなかった。
このところ、3日にいっぺん電話が掛かってきては、
「いつ来るか?」と尋ねられていたのは、そのためだったことに気付いた。

さて、少し遅めの夏休みを取って、またあの家で1、2週間を過ごそう。
自分の生きている『今』を実感するために。
そして、その大切な『今』を、大好きなパパやママと共有するために。

2011年7月30日土曜日

蓮の花

朝、走っている公園の池には、今、蓮の花が沢山咲いている。

蓮の花の真ん中には、黄色い部分がある。
ちょうど、レンコンを半分に切ったような形をしている。
花の真ん中の黄色半レンコンの穴は、ずーっと茎を通って、
そのまま、本当のレンコンの穴につながっているのだろうか?

これは、子どもの頃からの謎として、何十年も温めてきた。
しかし特に積極的に調べることもせず、
折に触れて、身近な人に
「蓮の花の黄色いところに開いた穴は池の底のレンコンまでつながっているのかな?」と尋ねては、
「かもね」との返事を、これまた何十年も受け続けてきた。

仮に、この説が正しかったとすると、
花の上に広がる空と、池の底の泥とは、文字通りの筒抜けである。
花の上の青空からは、蓮を通して、濁った池の底の泥が見えるし、
暗い池の底からは、蓮を通して、花の上に広がる青空が見える。

純粋培養の澄んだ綺麗な青空なんてないし、純粋培養の濁った暗い泥水もない。
丸ごとの世界には、なにしろ、どちらも存在している。
あっちとこっちの存在をそれぞれに認め、それぞれとの行き来を可能にしながらも、
そのどちらでもない自分の場所で、自らを開花させるだけの自由で逞しい精神を
蓮は持っているのかも知れない。
泥臭さに根ざしてこそ花開いた美しさ、なのだろう。

だからこそ、蓮は極楽浄土の花と言われるのかな。

2011年7月27日水曜日

過去の栄光、現在の徐行

毎朝、近くの池の周りを走っている。
前にここを走ったのは、高校生のときだ。
校内の駅伝大会に、選手として出場した。
その駅伝では、第一走者も第二走者も第何走者も、出場者全員が同じ池を一周ずつ走る。
だから、区間賞は第何走者かを問わずにタイムだけを並べて決められる。
その年、私は区間第二位の成績だった。

高校の行事とはいえ、それなりに歴史のある大会だった。
歴代の区間賞に関し、タイム順に並べて第二十位までは記録と名前が残される。
その歴代二十位にも入った。
翌年以降の大会で、より早く走った者がいれば、
順繰りに記録も名前も押し出され、消えてなくなってしまうので、
今でもその時の私の記録が残っているかどうかは、定かでない。

いずれにせよ、高校生のときは、涼しい顔をして他人を追い越すために走っていた。
追い越されるのも、弾んだ息遣いに気付かれるのも、耐えられなかった。
当時の区間第二位という成績も、一位でない事が不満足だった。
その時受取った賞状も、ぞんざいにしているうちに、なくしてしまった。

一方、今は、
ややもすると歩いている人にまで追い越されかねない勢いで走っている。
私を追い越さないのは、反対向きに走っている人か、池に咲く花の写真を撮っている人だけだ。
そんなペースでも、すぐにへばってしまう。
息は、初めから隠しようもなく弾みっぱなしだ。

誰のことを追い越すこともなく、走っているのか歩いているのか、
はたまた、もがいているのかも分からないような姿で徐行している。
こんな今の私を、もし、高校生の私が見たら、どんなにがっかりするだろう。

一方、こんな今の私は、もがきながらの徐行を結構楽しんでいる。
同時に、いきがっていた高校生の私のことも可愛く思えて、なんとなく憎めない。

2011年7月26日火曜日

走れるお守り

数年間携わってきたプロジェクトが終了し、そのための事務所に通わなくなった。
だから事務所付近で入会していたジムを退会した。
とうとう腹筋を割ることができなかった。

筋トレをしていると、その筋肉に意識を集中する。
自分の中に湧いてくる雑念も、その筋肉に集まってくる。
そして、汗や吐息と一緒に搾り出されて消えてなくなってしまう。
さて、ジムをやめた今、筋肉が緩んで、溢れかえる雑念に押し潰されはしないだろうか。

・・・と思った頃に、このブログを始めた。
湧いては来たけれど、筋トレで汗と共に流すことのできなかった雑念を、ここに書いていると、
実際に書かれたものも書かれなかったものも、キーボードの上に落っこちて、
不思議と少しばかり気分が軽くなった。

ところが、ある日、ふとした拍子に、ついランニングシューズを購入してしまった。
あくる日には、気付いたらスポーツ用品店に出向いていた。
ランニング用の吸汗速乾のシャツを選ぶ旨を店員さんに伝えると、
「続けられなかったときのために、最も安価で、くつろぎ着としても使用できるデザインのものを」
と勧められ、助言どおりの品物に決めた。
「でも本当に明朝から走ります」と宣言する私に、
店員さんは小さな『走れるお守り』を手渡した。
そして、「走り続けていることを、いずれ報告しに来てください」と付け加えた。

そのまたあくる日の朝から、走り始めた。
自分でも文字通り三日坊主になるだろうと高を括っていたが、
今のところ、雨降りの朝以外は『走れるお守り』と一緒に走っている。

走っていると、体が振動する。
その振動に刺激されて、雑念が余計に湧いてくる。
そして、同じその振動で、湧いてきた雑念が次々と振り落とされる。

走っている最中、あんなにも浮かんで来た様々な雑念が、
シャワーを浴びる頃には、跡形もなく消えてなくなってしまう。
お蔭で、このところブログから遠のいていた。
もう少し体力が付くと、いくらかの雑念は持ち帰るようになるのかもしれない。

走り始めて、もうすぐひと月。
とりあえず、一ヶ月続いたら、あのスポーツ用品店に行ってみよう。
そして、改めて『走れるお守り』のお礼を言おう。

2011年7月2日土曜日

特技

前回の『趣味』に続き、『特技』を検討してみる。
履歴書には、「なし」と答えてきた。
口頭で「特技は?」と尋ねられたことはない・・・と思う。少なくとも記憶はない。

実のところ、私の特技は何か?と考えたことさえないことに気付いた。

まずは『特技』とは何か?から、
再び手近なところでgoo辞書から引っ張ってくると、

  特別の技能。「―を生かす」

さて、私にとっての特別の技能、誰にでもできるとは限らない特別の技能、
果たして何かあるだろうか?

(その1)
飛んでいる蚊を取る。
日頃より高い命中率を誇っており、長年、家族からも厚い信頼を寄せられ続けてきた。
私が実家を出た今、家族はかゆみと、夜中に耳元で囁かれる「ブ~ン」に悩んでいる。

我ながら有用な技能だ。
しかし、この技能を生かせる職場は、滅多にない。

(その2)
かつての職場で、誰も読めない○○課長の手書き文字を判読する。
彼の字は、全てが続けて一筆で書かれていた。
しかし、草書や行書とは、明らかに異なるものだった。
実際、書道有段者で、草書も行書も怖くない先輩社員でさえも、彼の字はお手上げだった。
そして、草書も行書もお手上げの私は、どういうわけか、彼の文字だけは読めてしまった。
結局、その職場で彼の文字を読めるのは、私一人だった。

本当に特別な技能だ。
特別すぎて、他の職場では一切使えない。

(その3)
家族が鼻歌で何を歌っているか、当てる。
これは、難易度が極めて高い。
我が家では鼻歌に関し、家族メンバー間での相互理解はほぼ不可能だ。
そんな中で、私一人がそれを理解し、再生する。
そして私の再生した鼻歌は、他のメンバーも理解する。

これまた本当の本当に特別な技能だ。
あまりにも特別すぎて、実家から一歩出たら、一切使えない。


やはり当面、特技は「なし」ということになりそうだ。

2011年6月30日木曜日

趣味

履歴書に趣味を書く欄が設けられていることがある。
そんな時、決まって「読書、スポーツ」と書いてきた。
しかし、家族から『平成の文盲』と呼ばれる私は、実のところ、まず滅多に本を読まない。
スポーツらしいスポーツも、学生でなくなって以来、つまり体育の授業がなくなって以来、していない。
だから、チョット後ろめたい気持ちで、
お決まりの答えを書いてきた。

さて、頻度は低いが、面と向かって「ご趣味は?」と尋ねられることがある。
今度は困る。
なまじ、「読書、スポーツ」などと答えたら、
「例えばどんな本?何のスポーツ?」と、さらに尋ねられてしまうからだ。

そもそも、趣味って何だろう。
手近なところでgoo辞書から持ってくると、

     仕事・職業としてでなく、個人が楽しみとしてしている事柄。「―は読書です」「―と実益を兼ねる」「多―」
     どういうものに美しさやおもしろさを感じるかという、その人の感覚のあり方。好みの傾向。「―の悪い飾り付け」「少女―」
     物事のもっている味わい。おもむき。情趣。 「さびた眺望(ながめ)で、また一種の―が有る」〈二葉亭浮雲

とある。ここでの意味は1番だ。
「仕事・職業としてでなく、個人が楽しみとしている事柄」、私にとっては何だろう。

(その1)
ご飯を炊いた後、蓋に付いてパリパリになった『オネバ』をそうっと指でつまんで吊り上げること。
(オネバとは、東京方言で、ご飯を炊くときのふきこぼれのこと)
長いまま崩さずに吊り上げられると、最高に気持ちが良い。
しかしそんなことは滅多にない。
パリパリになったオネバは、とても薄くて脆いのだ。
不用意に手を出せば、触れただけでも割れたり崩れたりしてしまう。

この作業には大変な集中力を要する。
同時に何の生産性もない、全く無駄な作業だ。
この作業をするために、私は炊飯器を持たず、鍋でごはんを炊いている。

(その2)
洗濯機のくず取りネットをひっくり返して、収穫物を取り出す。
収穫量が多いと、「やったぜ!」という気持ちになる。
ただ、日常的には毎回の洗濯終了直後にひっくり返すので、大漁は期待できない。
その代わり、収穫物をじっくり眺める。そして、その由来を確認する。
「全体的に黄色っぽいのは、このタオルから来ているな」とか、
「あ、この黒っぽいヒョロヒョロした糸くずは、昨日の靴下のほつれ糸だ!」とか、
解明できると嬉しい。

「なぜ米粒が一つだけ入っているんだ?」といった難問にぶち当たることもある。
そんな時は、良く観察し、その米粒がナマなのか、一旦炊いた後で乾いたものかを見極める。
そして、
「きっと職場でお弁当を食べこぼして、
午後はずっと胸の辺りにこのご飯粒をブローチみたいにつけて仕事していたんだ。
あー恥ずかしい」などと、洗濯機の前で頭を抱えてしまう。

ところで、
いつ伺っても、私を半ば居候として受け容れてくれるお宅がある。
その家族は誰も糸くずネットをひっくり返さない。
ネットの中では、収穫物が日々ゆっくりと、しかし着実に増えながら、
私が来るのを静かに待っている。
半年振りに遊びに行けば、半年分の収穫物が確実に溜まっている。
由来の確認こそできないものの、小躍りしたくなるほどの大漁だ。
そして、それを洗濯機が乾いている時を見計らって「ペリッ」と取る。
ん~、これぞ快感!

よそ様のお宅で何しているんだろう、私。

(その3)
一人ファッションショー。
箪笥の中の服を、試着しては姿見の前に立つ。
上着を変えてみたり帽子を被ったり、スカーフを付けたり外したりして、組み合わせを変えてみる。
時々、姿見の前までモデル歩きをしてみる。
そして、「ビバ!宝塚」とか「今日は潮干狩り」とか「若作りのオバサン」とか、題名をつけてみる。
これが始まると、いつになく高揚し、どうにも止まらなくなる。
箪笥の中身を片っ端からやっつけた後は、もうヘトヘトで、「二度としない!」と思う。
しかし何故か、数ヵ月後には再び始めてしまう。


どれをとっても、人様には申し上げにくいものだ。
ましてや履歴書には絶対に書けない。

「ご趣味は?」との質問に胸を張って答えられる日は、いつか来るのだろうか?

2011年6月28日火曜日

ずっと不思議なこと

子どものころ同居していた祖母は、実に行動力のある人だった。

テレビのニュースで「○○公園でツツジが見ごろを迎えました」と
放送されるのを見て、振り返れば、
彼女はよそ行きの着物に着替えて髪を整えている。
今が見ごろなら、今こそ見に行くべき時なのだ。
何しろ、思いついたら即行動だった。


忘れ物の多い私を心配して、
自宅から徒歩10分足らずの小学校の教室まで届けものをしてくれたことがある。
しかも、私が教室に着くと、既に忘れ物は机上にあり、祖母の姿はなかった。

これから調理実習で使うはずの卵だ。
昨日、おばあちゃんと一緒に買いに行って、冷蔵庫に入れておいた卵だ。
冷蔵庫の扉を閉めた瞬間から、今の今まで、すっかり忘れていた卵だ。
1個だけ持って来ればよいはずの卵が、
私の机の上に10個置いてあるのを見て立ち尽くしていると、同級生が言った。
「『これを渡してね』って言って、すぐ帰っちゃったよ」

何しろ、思いついたら即行動だった。

否、いくら即行動ったって、速すぎる。

「いってらっしゃい」と私を見送った彼女が、
自転車にも乗れない彼女が、
私より先に学校の教室に忘れ物を届け、そして去った。

あの時は、どうやって私を追い越したのだろうか。

2011年6月9日木曜日

愛の一コマ

古い録音テープが発掘された。
父の字で、私の名前が書いてある。
再生してみると、祖母と私との会話が始まった。

「今、いくつになる?」
「よんさい」
「おせち料理の中で、何が一番好きかい?」
「くりきんとん」
「どうして?」
「甘いから」
「他にもおせちで好きなものはあるかい?」
「だてまき」
「どうして?」
「甘いから」

四歳の私は、よほど甘いものに飢えていたらしい。

会話は続く。

「おやおや、こんなに日焼けして。真っ黒だね」
「日焼けはしているけど、これは真っ黒ではなくて、真っ赤だよ。
今は焼けたばかりだから赤いけど、何日かしたら茶色くなるの。でも黒にはならないの」

四歳の私は、妙に理屈っぽい。

「こんな屁理屈をこねる四歳児、私は付き合えるだろうか」と、
何十年か後の本人には、自信が持てない。

それでも会話は続いている。
祖母は私の日焼けが痛かろうと気遣い、
私は赤みが引くまでの二、三日が勝負だと能書きをたれる。
更に、冷やしてみようか、軟膏でも塗るか、と提案する祖母に対し、
私の方は、やってみてもいいよ、と態度が大きい。

思い起こせば、祖母はこんな私に愛想を尽かすこともなく、最期まで一緒に暮らし、
常に注意を払い、話しかけ、働きかけ続けてくれた。

愛とは、注意力である。
そして、相手の健康と幸福を願うことである。
更には、相手の幸福に、ほんの僅かでも貢献したい、と望むことである。
……というのが、私の勝手な「愛の定義」である。

この定義に従うならば、この録音テープから流れる会話は、まさに愛の一コマと言える。
私は、祖母に愛されていたこと、そして彼女の血が自分の中に四分の一流れていることを、有難く、また嬉しく思う。

屁理屈をこねられようが、多少とっつきにくかろうが、なんだろうが、
彼女のように、目の前の相手を遠慮なく愛せる人に、私もなりたい。

2011年6月5日日曜日

歯医者さん

聞いただけで、最もドキドキさせられる職業名

2011年6月4日土曜日

勉強なんて馬鹿なこと

地方のローカル線に揺られながら、本を開き、読むともなく読んでいた。
すると、
近くに座っていた女性に声を掛けられた。

「あんた、勉強してんの?」
「いえ。ただの軽い読み物です」
「もとから、ここなの(地元出身か)?」
「いえ、温泉でノンビリしたくて、東京から来ました」
「あらやだ、彼氏も連れずに?」
「ええ、まあ」
「はるばる東京から温泉に来て、ノンビリしたいって言ったって、
 わざわざ勉強なんて馬鹿なことしてぇ!
 あたしはここで降りるから。元気でね」

彼女を見送り、本を閉じた。

東京にいる時は、自分を非日常の世界に連れて行くために本を開く。
そして、ゴミゴミとした慌ただしい日常とは異なる世界に行き、その中で精神を開放し休ませる。

一方、その時は、日常から離れ、長閑な場所で、長閑な電車に乗っていた。
車窓には長閑な景色が広がっているのに、それを眺めようともせず、
車両には、数人の人懐こい紳士淑女が座っているのに、オシャベリを一緒に楽しもうともせず、
東京にいる時と同じ方法で休もうとしていた。

『勉強なんて馬鹿なこと』を止め、ぼんやりと窓の外に目を遣った。
電車から降りた時には、昼寝の後のような爽快感があった。

2011年6月3日金曜日

夕焼け

今日の夕方、大学からの帰りに、電車の窓から見えた夕焼けは、見事だった。
居残り勉強をして、帰る時間を少しだけ遅らせてくれた学生さん、どうもありがとう。
いつもは長く感じる通勤時間、ありがとう。
往路では日焼けが気になる大きな車窓、ありがとう。


夕焼けと言えば、学生時代にこんなことがあった。

当時は今ほどにメールが普及しておらず、大学付近で一人暮らしをしていた私にとって、
家族との連絡は、もっぱら、手紙、郵便屋さんに届けてもらう手紙だった。

ある日、「今日の夕焼けは綺麗だ!」と感動し、それを書いた手紙を家族に送った。
何ヶ月か経って実家に帰ると、家族が言った。
「同じ晩に、お母さんも『今日の夕焼けはとっても綺麗だったわ』って言ってたよ。
離れていても同じものを見ていたんだね」
その時には既に、
どんな夕焼けだったのか、いつのことだったか、そもそもそんな手紙を書いたのか、
すっかり忘れてしまっていた。
それでも、何だか嬉しかった。

今日の夕焼けも、同じように、どこかで、誰かが眺めていたのかな。

2011年6月2日木曜日

理想の女性像

宿泊先の朝食がバイキング形式でも、腹八分で席を立つことができる、
そんな大人の女性になりたい。

2011年5月26日木曜日

時間に正確な人

『遅刻魔』と呼ばれることがある。
しかし実際には、そうしょっちゅう遅刻をしている訳ではない。
たいていの場合、約束の時刻ピッタリに、約束の場所に現れている。

特にピッタリを狙うわけではないのだが、
夜、床に就く直前に、
「明日は○○時に○○駅で待ち合わせだ」などと枕に向かって予定を確認すると、
翌朝、適当な時間に目が覚め、
何となく身支度をして出掛けると、
なぜか、ピッタリ○○時に○○駅に到着する。

OLをしていた頃、始業時刻ピッタリにタイムカードを押すことがよくあった。
とはいえ、
 9:00
 9:00
 9:00
 9:00
 9:00
とタイムカードの月曜から金曜まで綺麗に並んだ週は、さすがにちょっとミラクルを感じる。
まれに、8:50、なんて印字されると、
あと10分をどう過ごしたら良いものか、と更衣室に隠れてソワソワしたものだ。

こんな私を、家族は、「本物の『時間に正確な人』」と呼んだ。

一般的には、
約束の時刻より早めに、約束の場所に到着する人を、『時間に正確な人』と称することが多い。
しかし、その人たちは本当に時間に正確か?
という疑問が、その時、持ち上がったためである。

例えば5分前行動を宗とする人は、
本当に毎回、約束の時刻のピッタリ5分前に、約束の場所に到着しているのか、というと、
そんなことは滅多にない。
その時によって、10分前だったり8分前だったり、
場合によっては3分前のこともあれば、30分前のこともある。
これは時間に不正確と称すべきではないか。

そして、いつでも約束の時刻ピッタリに、約束の場所に現れる人こそ、
「本物の『時間に正確な人』だ!」ということになった。

・・・
と、ここまでおバカな屁理屈をこねてきて、我に返った。

これまで、待ち合わせでハラハラさせてしてしまった皆様、本当の本当にごめんなさい。
「この子、明日は本当に間に合うのかしら?」と心配しながらも、暖かく見守ってくださった皆様、
心から感謝します。

これからは、多少不正確になってでも、少し早めの5分前行動を目指します。

2011年5月23日月曜日

小指の爪の形

何年前になるだろうか、こんなことがあった。

一緒に食事をしていた上司が一言、
「僕の小指の爪の形、良いでしょ?」

正直、おったまげた。
何におったまげたか、というと、
見た目には特別華やかでもない、日本人の、ちょっとお腹の出っ張った、
極々フツーのオジサマが、
自分のチャームポイントを明確に認識していること、
そして、それをアッケラカンと口に出せることに、である。

注目してみると、上司の示す小指の爪の形は、確かになかなかのものだった。
手全体を見れば、お世辞にも「手タレのよう」とは言えないし、他の指の爪は横長だし、
小指の爪全体を見れば、加齢による縦ジワもあるけれど、
『小指の爪の形』を見ると、これがなかなか良い。
ネイルサロンで整えてもらったばかりの私の爪の形と比較しても、引けをとらない。

彼は、自分自身を愛しみ、観察し、認めている。
良いところも、そうでないところも、目を逸らすことなく、受け容れているのだろう。

当時の私には、それが出来なかった。
自分のダメなところから目を逸らしたいばっかりに、
良いところも、あるいは、どうでもいいところも、何もかも、
何しろ私というものから、必死になって目を逸らそうとしていた。
「自分自身を受け容れるなんて、限られた、特別な人にだけ許されたことだ」と言い訳して、
どこかへ逃げてしまいたかった。

しかし、上司は、
見た目には特別華やかでもない、日本人の、ちょっとお腹の出っ張った、
極々フツーのオジサマである上司は、
限られた、特別な人という感じの全くない、その上司は、
気負った様子もなく、当たり前のこととして、
自身の良いところも、恐らくそうでないところも、全体として、受け容れているようだ。

自分自身という存在を丸ごと受け容れること、
それは決して「限られた、特別な人にだけ許されたこと」なんかではなく、
特別華やかでなくても、胴長短足の日本人でも、ちょっとお腹が出っ張っていても、
老若男女、誰しもが、
極々フツーに、当たり前のこととして、やって構わないことなんだ。
いや、むしろ、すべきことなんだ!

と、おったまげた日のことを、ふと思い出した。

かの上司にとっての小指の爪の形は、私にとっての何だろう。
次の休暇では、のんびり温泉にでも入りながら、自分のチャームポイントを探してみよう。

2011年5月22日日曜日

『控室』というところ

このブログを始めるときに、題名とその説明を、こう書いてみた。

- 控室 - 
業務中以外のときにいるところ

ただ何となく付けた題名と説明なので、これと言った理由はなかった。
敢えて言うなら、控室にいる時間が嫌いではなかったから。
そこが自分の居場所であるような、ないような、
しかもそこに居られるのは、ほんのいっときだけ、
業務時間中でもなく、かと言って、プライベートの時間というわけでもない、
どっちつかずの中途半端な時間を過ごすための、中途半端な場所。

ここでは、『プライベートの私』から『業務中の私』に、
あるいは、『業務中の私』から『プライベートの私』に、変身する。
これら二人の私達は、当然、連続した同一人物だ。
しかし、決定的に何かが異なる。
ある意味における別人を、統合された一人の人間として結びつける橋のような場所、
それが私にとっての控室なのだろう。

日本語として共通に認識されている辞書的な意味を全く気にせず、
一人勝手に認識していることだけれど、
私は『魂』というものを、
「心と体を結びつけるもの」、「意識と無意識を結びつけるもの」、「自分と他人を結びつけるもの」
など、
「何かと何かを結びつけるもの」として定義している。

控室は、「『プライベートの私』と『業務中の私』を結びつける橋」であり、
ほんの、ほんのちょっぴりだけ、魂を垣間見る場所なのかもしれない。

2011年5月14日土曜日

一旦自分で決めたことを守り通す

「一旦、自分で決めたことは、守り通すべきだ」
子どもの頃、何人かの大人たちからそう言われた。
社会人になって以降、守り通そうとしていることが一つだけある。
それは、
『ソフトクリームのオブジェを見たら、必ずその場で食べる』

店先で、巨大なソフトクリームのオブジェを時折見かける。
「当店ではソフトクリームを扱っています」という意味の、高さ1m弱のプラスチック製の置物だ。
あれを見たら、必ずその場でソフトクリームを買い、その場で食べる。
しかも、雨降りの日以外は店内で食べるのは禁止。
あくまでも屋外で風に吹かれながら食べてこそのソフトクリームだ。

簡単そうに見えて、実際にこれを守り通すのは、難しい。

まず、寒いとき、これは辛い。
そして、さっき食べたばっかりのとき、これはもっと辛い、と言うより、無理。
更に、体調の優れないとき、これも絶対無理。

自らの肉体のメンテナンスは欠かせない。
これに加え、気温やタイミングなど、運も重要な要素となる。

大学の学食には、ソフトクリームのオブジェがある。
つまり、ソフトクリームを扱っている。
バニラ、フレーバー①、バニラとフレーバー①のミックス、フレーバー②の四種類があり、
フレーバー①はおよそ1、2週間で、フレーバー②は気まぐれに入れ替わる。

大学に通い始めて間もないある日、授業を終えてから学食に向かった。
学食の前にはオブジェが出ている。
フレーバーは何だろう、と胸躍らせて近付いてみると、
オブジェはネックレスをつけている。
ペンダントトップ部分は小さな看板になっており、
 「今日のアイスは終了しました」
とある。
一瞬、立ち止まった。しかし、
「終了したのはアイスであって、ソフトではない」と気を取り直して店に入った。
ソフトクリームを注文すると、「今日は終わりました」との答えが返ってきた。

翌週、授業終了後に学食に行くと、オブジェは一週間前と同じネックレスをつけていた。
そして私の注文に対する返答も、「今日は終わりました」だった。

その翌週も、そのまた翌週も、同じことが繰り返された。
その間、店内に掲示されたフレーバー①も②も、次々と新しくなっていった。
週を追うごとに日差しは強くなり、気温は高くなった。
ソフトクリームへの思いも、日差しや気温と同様、強く、高くなっていった。

ある日、お決まりとなりつつあった3点セット、
ネックレス付きオブジェと注文と「終わりました」を繰り返した後、店員さんに尋ねた。
「一体全体、何時に来ればソフトクリームがいただけるのでしょうか?」
「金曜日は早めに終わるんです。木曜日までに来てください」
「非常勤なので、担当する授業のある金曜だけ、片道2時間かけて来ているんです。
他の曜日には来ることが出来ません。どうか私を哀れんでください」
「3時までに来てください」
「わかりました」

・・・とはいったものの、万が一のことを考えると、
3時より前、つまり授業開始前に冷たいものを食べるだけの自信を持てる日は少ない。

そんなわけで、社会人になって以降守り通してきた唯一のことが、このところあまり守れていない。

2011年5月7日土曜日

カイワレバジル

ちょうど去年の今頃、バジルの種を母からもらった。
区役所のお祭りでもらったけど自分で育てるつもりはない、とのこと。

私は植物の育て方を心得ていない。
そのうえ、種の入った袋には説明書など一切ついていない。

ともかく植木鉢に全部蒔いた。
毎朝水をやっては、
「早く芽を出せ、バジルの種」と声を掛けてみた。
一週間後、一斉に芽を出した。
そして背が伸びていった。
まるでカイワレ大根のようだ。
いや、どう見てもカイワレ大根だ。
そもそも、バジルではなく、カイワレの種だったのではないか?
それとも、芽を出すまでの一週間で、自主的に遺伝子を組み替えてカイワレになったのか?
それほどまでに植物界ではカイワレへの憧れが強いのか?
毎朝の声掛けが、
「あなた方は、バジルですか?それともカイワレですか?」という問いかけに変わった。

するとある朝、
 「私達はバジルです。カイワレではありません。バジルになりたいんです!」
という声が・・・聞こえてはいないが、そんな気がした。
しかし、相変わらず見た目はカイワレのまま。

その時ふと、かつて聞いた話を思い出した。
ある偉い理事と一緒に、神社の境内で日向ぼっこをしながらお弁当を食べていた時のこと。

「植物を育てるために必要なのは、思いっきりだ。
『間引き』なしには、植物は育たない。
顔を出した沢山の芽は、どれも等しく可能性を持っている。
たとえ一つだけでも、その可能性を摘み取ってしまうのは心苦しい。
しかし、最終的に実りを望むならば、一つだけを選び、他を摘み取らねばならない。
そうしないと結局は、全ての芽が、可能性が、実ることなく枯れてしまう」

そうか、間引きか!
沢山芽が出たからといって、いつまでも狭い植木鉢の中で押し合いへし合いさせていては、自分達同士で成長の邪魔をしてしまうんだ。

早速ハサミを用意して、一つだけを選び、他を摘み取ろうとした。
かの偉い理事の言葉通り、心苦しさを感じた。
「せっかく芽を出したのに、若いうちに摘んでしまってごめんね。
でも、あなた達チームとして、立派な大人のバジルに育つためなの。
今日のお昼のサラダは、カイワレバジルのトッピングだよ」
そして、思い切って、生まれてはじめて『間引き』をした。

翌朝、植木鉢にはバジルがいた。
未だ痩せっぽちだけれど、もうカイワレではなかった。
3日後には、もう、誰が見てもバジルと分かる姿になり、
去年ひと夏、折に触れて食卓を彩ってくれた。

カイワレバジルは、命懸けで教えてくれた。
可能性は、全てを永遠に温存し続けることは出来ないと。
しかるべき時機が来たら、その中から一つを選び、他を捨てるだけの思いっきりが必要であると。
そして、自ら取捨選択した決断をその後も背負ってこそ、開花し、実りがあるものだと。

あの日のサラダは、見た目にはカイワレがのっているようだった。
口に運ぶと、若々しいバジルの香りがした。

2011年5月4日水曜日

あなた美しいわね!

散歩していたら、通りすがりのご婦人と目が合った。
互いに軽く微笑みを交わすと、
「あなた美しいわね!」と声を掛けてくれた。
「嬉しい!!(もっと褒めて!あと3回)」
心の中でおねだりしてみた。

・・・ん?
そういえば、このところ、時折こんな風に声を掛けられる。

しかし、(1)私は自分の容姿を十人並みと評価している。
更に、(2)往々にして私の自己評価は他人からの評価よりも高いらしい。
これら(1)(2)をあわせると、他人から見たら十人並み以下らしい、ということになる。
そんな私に、時折「あなた美しいわね!」と声が掛かる。
しかも、キャッチセールスでもなければ、新興宗教のお誘いでもない。
私を褒めちぎったところで、これといった利益が生じるわけでもない、
そんな、謂わば純朴な普通の大人のご婦人が、下心なく声を掛けてくださるのだ。

美しい人、というと思い出すことがある。

彼女はパジャマの上にガウンを羽織ったままの姿で、
愛する夫と息子(と半ば居候の私)に美味しい朝食をたっぷり摂らせ、
肉食獣(彼女は、夫と息子が食事をする時だけそう呼んでいる)を職場に送り出した。
ほっと一息ついてお茶を飲みながら、
「今日は天気が良くなりそうね」と窓の外に眼をやった。
そのとき、
あまりの美しさに圧倒された。
彼女の瞳の中には、愛と希望が確かに感じられた。

美しさとは、
生活に根ざした愛と希望が握手をするときに発生するエネルギーのようなものなのだろうか。

仮にそうとしたとき、
これまで「美しい」と声を掛けてくれたご婦人方は、
私の中に、愛と希望を感じ取ってくれた、ということになる。


今日声を掛けてくれたご婦人には、私の心の声が聞こえたのだろうか、
しばしの立ち話の合間合間に、
「やっぱり美しいわ」
「見ていて気分がいいわ」
「素敵よ」
と、本当にあと3回、爽やかに褒めてくれた。
その潔いまでのの褒めっぷりは、彼女の生き方そのものを映しているのだろう、
実に美しく感じられた。

私も人の美しさを感じ取れる感性を持っていたい。
そしてそのときには臆することなく、
「あなた美しいわね!」
と声を掛けられる大人になりたい。

2011年5月3日火曜日

非常勤講師

大学からはじめて仕事のオファーをいただいたころのこと。

『非常勤講師』: 非常事態に対応すべく勤務する講師

きっと今、大学は非常事態の大ピンチなのだろう。
もう、こうなったら、最後の手段だ、とばかりに
スーパーマンを呼ぶべく「Help!」と叫ぶように
バットマンを呼ぶべく、バットシグナルを出すように
アンパンマンを呼ぶべく、・・・(勉強不足でアンパンマンの呼び出し方を知らないけれど、)
この私に声が掛かったのだ。
「我らの大学を救えるのは、あなたしかいません」と。

私は正義の味方のヒーローに変身する必要がある。
どうしたら変身できるのか。
彼等の共通点は、割れた腹筋だ。
スーパーマンも、バットマンも、割れている、たぶん。
アンパンマンは例外かもしれない。でも、丸顔の割りに体は締まっている。
仮面ライダーもウルトラマンも割れている。

そうだ、腹筋を割ろう。

スポーツジムに入会し、毎晩筋トレを続けていると、ジムのトレーナーから声を掛けられた。
「熱心ですね」
「ええ、何だか明日辺り、腹筋が割れそうな気がします。バリッと大きな音がしたらゴメンナサイ」
「腹筋は割れても音はしませんよ、ご心配なく」
蓮の花は咲くときにポンッと音がするらしいが、腹筋は割れても音はしないの?
ちょっと、がっかり。

いずれにせよ、健康な肉体を維持し、健全な精神をもって、教育という奉仕活動をしよう。
大学の直面する大ピンチを救うために
常勤の先生方では対応できないほどの大ピンチを救うために
非常勤の私が必要とされているのだから!

あれれ?
常勤、非常勤って
常勤の先生でないから、『非・常勤講師』だったの?
『非常(事態に対応すべく)勤(務する)講師』じゃなかったの?
私は正義の味方のヒーローとして呼ばれたんじゃなかったの?

まあ、まあ、いずれにせよ、
これからも健康な肉体を維持し、健全な精神をもって、教育という奉仕活動を続けよう。
今、大学は大ピンチに直面していないかもしれないけれど、
いざ!というときには、日頃の小さな積み重ねが物を言う。
だからやっぱり体は鍛え続けよう。

この春、きっと多くの人たちが特別に複雑な思いを抱えているであろう、
そんなこの春も、可愛い一年生たちが来てくれた。
さあ、大学生活を、数学を、人生を、一緒に楽しもう!
今、あなた方は大大大ピンチには直面していないかもしれないけれど
いざ!となる前の小さな兆候に気付くことができるように、
そしてそんな時、ほんのチョッピリでも力になれるように、
日頃から、大学生活を、数学を、人生を、私自身が楽しめるだけの心身の体力をつけておこう。

干し芋干し器

『乾物ネット』『干しかご』などの名称で市販されている便利グッズがある。
ベランダで乾物を作るための道具だ。
100円ショップで買ったメッシュかごに手を加え、その小型版を作ったのが2ヶ月ほど前のこと。

名付けて、『干し芋干し器』

当初は、その名の通り干し芋ばかり作っていた。
そして分かったことは、

芋は、干すと縮む

ナマの時も、蒸かした時も、あんなに立派だったお芋が・・・
売っている干し芋は、ナマの時、一体どれくらい大きいのだろう?
かつては、干し芋の値段が高い!と思っていた。
しかし、この縮み具合を目の当たりにして、
干し芋は安い!に鞍替えした。

そして昨日、干し芋干し器に、はじめて芋以外のものを、千切り大根を干した。
朝、ベランダに干して、
夜、取りこんだ。
切り干し大根のにおいがした。
でも、見えない。
切り干し大根は、どこ?
部屋の明かりをつけて、良く見ると・・・あった。確かに、あった。
干し芋干し器のメッシュにへばりつくように、
メッシュと区別がつかないような姿になって、確かに干した場所にあった。
そして、分かったことは、

千切り大根は、干すと、恐ろしく縮む

ナマの時は、あんなに立派だった大根が・・・
千切りにしたら、ドンブリから溢れんばかりの勢いを誇っていた、あの大根が・・・
売っている切り干し大根一袋のために、一体どれくらいの大根を千切りするのだろう?
かつては、切り干し大根の値段が高い!と思っていた。
しかし、この恐ろしい縮み具合を目の当たりにして、
切り干し大根はとっても安い!に鞍替えした。

2011年5月1日日曜日

なぜ?の記憶

昨日ここで、「なぜ?」と3回畳み掛けた。
そうしたら、また別の「なぜ?」の記憶がよみがえってきた。

上司の不在時に来客があったことを伝えた。
「先ほど、○鹿さまがお見えになりました」
「どんな漢字?」
「○×の○に、ウマとかシカとかの鹿です」
「!」

なぜ、「動物の鹿」と言わずに、
  せめて、「『鹿にもみじ』の鹿」と言うこともできたのに、
    なぜ、よりによって、
      なぜ、ウマとかシカとかの鹿・・・馬とか鹿とかの鹿・・・と例を挙げてしまったのか?

この「なぜ?」は、家族によって即時解明された。

「それは、お前がウマとかシカとかだからだよ」

2011年4月30日土曜日

はじめての投稿

果たして、これからここに何かしら書き続けることが出来るのだろうか。
ブログとは、web上に公開した日記帳のようなものと理解している。

『日記帳』

この単語を耳にすると、なんだか後ろめたい感覚がみぞおちの辺りに湧いてくる。

小学2年生のとき、母におねだりして、かわいらしい日記帳を買ってもらった。
そしてその日記帳が、ウン十年後になって押入れの奥から発掘された。
そこには「○月×日 日記をつけるのを忘れました」と、全てのページに書かれていた。

忘れたなら、忘れたまま、いっそ白紙のままにしておけばいいのに。
そうすれば、
改めて書きたくなったら、その時その時の出来事や思いを書き綴ることができるのに。

なぜ、全てのページの一行目に
なぜ、「忘れました」と
なぜ、一気に書き上げたのか

小学2年生の私、自分のようでもあり、他人のようでもある、私。

これから、ここに投稿を続けていくうちに
もしかすると、彼女とも気持ちが通じるようになるかもしれない。