2011年6月30日木曜日

趣味

履歴書に趣味を書く欄が設けられていることがある。
そんな時、決まって「読書、スポーツ」と書いてきた。
しかし、家族から『平成の文盲』と呼ばれる私は、実のところ、まず滅多に本を読まない。
スポーツらしいスポーツも、学生でなくなって以来、つまり体育の授業がなくなって以来、していない。
だから、チョット後ろめたい気持ちで、
お決まりの答えを書いてきた。

さて、頻度は低いが、面と向かって「ご趣味は?」と尋ねられることがある。
今度は困る。
なまじ、「読書、スポーツ」などと答えたら、
「例えばどんな本?何のスポーツ?」と、さらに尋ねられてしまうからだ。

そもそも、趣味って何だろう。
手近なところでgoo辞書から持ってくると、

     仕事・職業としてでなく、個人が楽しみとしてしている事柄。「―は読書です」「―と実益を兼ねる」「多―」
     どういうものに美しさやおもしろさを感じるかという、その人の感覚のあり方。好みの傾向。「―の悪い飾り付け」「少女―」
     物事のもっている味わい。おもむき。情趣。 「さびた眺望(ながめ)で、また一種の―が有る」〈二葉亭浮雲

とある。ここでの意味は1番だ。
「仕事・職業としてでなく、個人が楽しみとしている事柄」、私にとっては何だろう。

(その1)
ご飯を炊いた後、蓋に付いてパリパリになった『オネバ』をそうっと指でつまんで吊り上げること。
(オネバとは、東京方言で、ご飯を炊くときのふきこぼれのこと)
長いまま崩さずに吊り上げられると、最高に気持ちが良い。
しかしそんなことは滅多にない。
パリパリになったオネバは、とても薄くて脆いのだ。
不用意に手を出せば、触れただけでも割れたり崩れたりしてしまう。

この作業には大変な集中力を要する。
同時に何の生産性もない、全く無駄な作業だ。
この作業をするために、私は炊飯器を持たず、鍋でごはんを炊いている。

(その2)
洗濯機のくず取りネットをひっくり返して、収穫物を取り出す。
収穫量が多いと、「やったぜ!」という気持ちになる。
ただ、日常的には毎回の洗濯終了直後にひっくり返すので、大漁は期待できない。
その代わり、収穫物をじっくり眺める。そして、その由来を確認する。
「全体的に黄色っぽいのは、このタオルから来ているな」とか、
「あ、この黒っぽいヒョロヒョロした糸くずは、昨日の靴下のほつれ糸だ!」とか、
解明できると嬉しい。

「なぜ米粒が一つだけ入っているんだ?」といった難問にぶち当たることもある。
そんな時は、良く観察し、その米粒がナマなのか、一旦炊いた後で乾いたものかを見極める。
そして、
「きっと職場でお弁当を食べこぼして、
午後はずっと胸の辺りにこのご飯粒をブローチみたいにつけて仕事していたんだ。
あー恥ずかしい」などと、洗濯機の前で頭を抱えてしまう。

ところで、
いつ伺っても、私を半ば居候として受け容れてくれるお宅がある。
その家族は誰も糸くずネットをひっくり返さない。
ネットの中では、収穫物が日々ゆっくりと、しかし着実に増えながら、
私が来るのを静かに待っている。
半年振りに遊びに行けば、半年分の収穫物が確実に溜まっている。
由来の確認こそできないものの、小躍りしたくなるほどの大漁だ。
そして、それを洗濯機が乾いている時を見計らって「ペリッ」と取る。
ん~、これぞ快感!

よそ様のお宅で何しているんだろう、私。

(その3)
一人ファッションショー。
箪笥の中の服を、試着しては姿見の前に立つ。
上着を変えてみたり帽子を被ったり、スカーフを付けたり外したりして、組み合わせを変えてみる。
時々、姿見の前までモデル歩きをしてみる。
そして、「ビバ!宝塚」とか「今日は潮干狩り」とか「若作りのオバサン」とか、題名をつけてみる。
これが始まると、いつになく高揚し、どうにも止まらなくなる。
箪笥の中身を片っ端からやっつけた後は、もうヘトヘトで、「二度としない!」と思う。
しかし何故か、数ヵ月後には再び始めてしまう。


どれをとっても、人様には申し上げにくいものだ。
ましてや履歴書には絶対に書けない。

「ご趣味は?」との質問に胸を張って答えられる日は、いつか来るのだろうか?