2012年12月27日木曜日

進むべき道

「小説家さんかな、と思ってました」

平日の昼間に行われる、父の介護に係るアレコレに、
殆ど皆勤で出席している私という人物は、一体全体、何の職業に就いているのか?
ケアマネージャーさんにとっては、かねてより不思議だったようだ。
ケアマネさんからの質問に対し、私が自分の仕事を包み隠さず答えると、
驚いた様子で目を真ん丸に見開いた彼の口にした台詞が、コレである。

後刻の家族会議でそれを報告した私は、軽い気持ちで小さな疑問を付け加えた。
「平日の昼間に都合をつけられる身分と言えば、まずは専業主婦でしょ?」
「専業主婦には見えなかったんでしょう、風貌が怪しくて」

「夜営業の小料理屋経営ってのもあるよね?」
「昼間から仕込みで忙しいでしょう?」
「料理を面倒がる小料理屋は、まず有り得ない」
「それ以前に、小料理屋の女将には見えないでしょう、風貌が怪しくて」

「在宅で、コンピューター関連の技術者なんてどう?」
「技術者には見えなかったんでしょうね、風貌が怪しくて」

家族にとって、私の風貌はよほど怪しいらしく、
「もう観念して、小説家ってことにでもしておけ!」というのが総意のようだ。
ことの起こりは、ただ軽い気持ちで投げかけただけの小さな疑問だったけれど、
それに対する家族の態度に、どこか納得の行かない私は、どうにも観念しきれない。
もう一例だけ引き合いに出してみることにした。

「ニートは?」
「ニートにしては年を取り過ぎているわ」

けんもほろろ、である。

すると家族の一人が言った。
「いいじゃないの、『売れない小説家です』って言っておけば」
「それなら、風貌的にも合ってるし、世の中は丸く収まる」
「『ああ、私が書きたい作品は、こんなものじゃない!』なんて頭を掻きむしったり、原稿用紙を丸めて放り投げたり・・・」
「丸めた原稿用紙の散乱した部屋で、『もうダメだ!』って突然ひっくり返ってみたりして」
「善は急げ。今すぐ原稿用紙を買ってきて、丸めて部屋に撒いておきなさい」

我らの家族会議において、「末娘の進むべき道は、売れない小説家であるべし」とのテーゼが固まりつつあった。

不思議なもので、進むべき道というものは、他人から決め付けられてみると、
「どんなことがあっても、そちらにだけは行くもんか!」と反抗心が湧いてくる。
何とかして、方向性を変えられないものだろうか?

待てよ。
売れない小説家であるためには、まず小説を売り出していなければならない。
ところが私の小説など、少なくとも今のところ、この世のどこにも売り出されていない。

「そもそも売ってないでしょう?小説を」、私は罠を仕掛けた。
「それを言うなら、そもそも書いてないでしょう?小説を」、家族はまんまと引っ掛かった。

小説を書いていなければ、小説家とは言えない。
私の進むべき道を、売れない小説家にするのは無理だ。風向きは一気に変わった。

しばしの沈黙の後、兄弟の一人が膝を打った。
「自称『書けない小説家』、目標『売れない小説家』で行こう!」
私の進むべき道が、満場一致で可決された。

2012年12月22日土曜日

心の友

ラジオをつけると、音楽が流れてきた。

んっ?聞き覚えがあるようだ。
いやいや、聞き覚えどころではない。とても耳慣れている。
何だっけ、えーっと・・・

そう思うが早いか、パブロフの犬よろしく、口中では食事の準備が整ってきた。
同時に、私の心は、けんちん汁で満たされた。
お腹ではなく、飽くまでも心だけだけど。

そうそう、これは、あの定食屋さんでいつもかかっている曲だ!

滅多に外食をしない私が、年間で20回ほど通う定食屋さんが一軒だけある。
そこで出されるけんちん汁が、大のお気に入りだ。
そして、そこでいつもかかっている曲こそが、今まさにラジオから流れている、この曲だ。

わーい、けんちん汁のテーマソングだ!

この曲を聴いたからと言って、目の前にいつものけんちん汁が出てくるわけではないけれど、
なんだか嬉しくなってきた。

きっと、この曲を作った人は、けんちん汁を思って作ったのだろう。
きっと、歌い手さんも、けんちん汁を思って歌っているに違いない。
そして、きっと、今、ラジオから流れるこの曲を聴いて、けんちん汁を思っている人が、
日本のどこかにいるかもしれない。
そんなみんなは誰だって、たとえ顔も名前も知らなくたって、みんなみんな、心の友達さ!
そう思うと、わくわくした。

歌が終わると、ラジオは言った。
「ただいまの曲は、レディー・ガガの、・・・」

なんと、
けんちん汁のテーマソングは、レディー・ガガの持ち歌だった。

レディー・ガガも、けんちん汁が好きなのかな?

うん、きっと好きだ!
きっと、レディー・ガガも、あの定食屋さんが、あのけんちん汁が、好きなんだ!
だからこそ、あの定食屋さんのために、あのけんちん汁のために、
この曲、つまり、けんちん汁のテーマソングを書いて、そして歌ったんだ!

どういうわけか、勝手に確信してしまった。
それからというもの、レディー・ガガを、秘かに「心の友」と呼んでいる。

2012年12月18日火曜日

サンタさんからの返事

大切な君へ

君から手紙をもらうのは初めてだね。
ありがとう。
とても嬉しく読んだよ。

わたしは、君が十分良い子であることを知っている。
もちろん、一生、成長の余地を持ち続けることも、知っている。
わたしは君が生まれてから毎年、必ずプレゼントを贈ってきた。
このところ、君がそれに気づき始めたことも、
だからこそ、わたしに手紙を書いてくれたことも、わたしは知っている。

君は手紙の最後に書いているね。

> お金で買えるもの、値段のつけられるものをおねだりしたのでは、失礼に当たるのではないか

失礼に当たるかどうか、そんな心配は要らない。
ただ、君はどんなつもりでこう書いたのだろう。

わたしがこれまで君に贈ってきたプレゼントは、何だったろうか。
君の同級生達が受取ってきたようなものだったろうか。
流行のオモチャもラジカセも、オシャレなふでばこも、何十色も入ったクレヨンも、
わたしは君の靴下に入れてこなかった。
少なくとも子ども時代の君は、靴下の中に何も見つけることができず、
残念な思いをしたかもしれない。

しかし、何十年も経った今、君はそのプレゼントを少しずつ見つけ始めた。
それらはどれも、お金では買えない、値段のつけられない、
更には、目で見ることのできないものばかりだった。
君は今、これらのプレゼントひとつひとつを喜び、大切にしてくれている。

今年も、そんなプレゼントを見つけたくて、手紙を書いてくれたのではないだろうか。

安心しなさい。
君にはトッテオキのプレゼントを、幾つも用意している。
どんなに大判の風呂敷を用意したって、入りきらないほどだ。

だから、『パンダおにぎり ベビー』は、自分のお小遣いで買いなさい。
ついでに言うと、君は『パンダおにぎり ベビー』か、『針なしホチキス』か、で迷っていたね。
この際だから、後者も自分のお小遣いで買いなさい。
そして、いらない紙を用意して、端から端まで、気が済むまで留めまくりなさい。

ではまた、プレゼントを介して会おう。
サンタより


追伸
君が、手紙の最後に挙げてくれた、
『お正月の神社仏閣で、人様の絵馬を読み上げているような候補』が6つあったね。
これらについても、今までと同様、毎年のプレゼントの中に、エッセンスを入れていくつもりだ。
ゆっくり楽しみなさい。

2012年12月15日土曜日

サンタさんへの手紙

サンタさんへ

初めてお便りいたします。
幼少期より、ひどくこまっしゃくれており、
あなた様の存在をさんざん疑ってかかりましたこと、深くお詫び申し上げます。
大変失礼いたしました。
ここ数年、更正の道を歩んでおります。
最近はだいぶ改心し、今年はついに、あなた様宛に手紙を書くことにしました。

まず、この一年間を振り返り、私がどれほど良い子だったかをアピールすべきかと存じます。
しかしながら、その一方で、自分を強く売り込まないことこそが、日本人の美徳とも言えます。
これら相対立する考えの間で、現在私の心は揺れています。

更に申しますならば、
私には良い子の要素が目白押しであると同時に、
今後の成長課題、即ち未熟な部分も山積しています。
今回、どの部分を強調すべきか、その点でもかなり悩んでいます。

前置きの段階であまり長く悩んでいては、
手紙を書き上げないうちにクリスマスという期限が来てしまうので、
本件については、一旦保留します。
後日、良く考えてから結論を出し、追ってご連絡差し上げるつもりです。

大雑把に申しまして、私はかなり良い子の可能性がある、
ということのみ、予めお伝えしておきます。

さて、本題に入ります。
上述の通り、かなり良い子の可能性を持った私でありますので、
この季節、サンタさんには、プレゼントをおねだりして宜しい、と自負しております。

では、思い切って、私の欲しいものを単刀直入に、おねだりいたします。

『パンダおにぎり ベビー 980円(税込)』
これは、
ぬいぐるみみたいなかわいいパンダベビー型おにぎりが、誰でも3ステップで簡単に作れる、
という謳い文句の、恐らく非常に優れたオモチャです。

どうか、どうか、何卒、よろしくお願いいたします。

正直を申しますと、一つだけ、気になっています。
何と申しましても、相手が天下のサンタさんですから、
お金で買えるもの、値段のつけられるもの(*)をおねだりしたのでは、失礼に当たるのではないか、
ということです。

そんな訳で、実のところ、次のような候補も考えてみました。

(1) リリー・コリンズのような愛らしい容姿
(2) 信頼関係
(3) 健康
(4) 家庭円満
(5) 学業成就
(6) 世界平和
・・・

しかし、挙げ連ねていくうちに、
お正月の神社仏閣で、人様の絵馬を読み上げているような気分になってまいりました。

初めてのおねだりですし、やはりここ一番、世俗的な物欲丸出しで行くことにします。
どうぞよろしくお願いします。

2012年12月6日木曜日

ノーベル賞級の発見

この季節、必ずと言っていいほど、我が実家で話題にのぼることがある。
それは、「ノーベル賞級の発見」である。
「少なくとも今のところ、ノーベル賞は受けていないけれど、
これは、どう考えてもノーベル賞を受けるに値する発見だ」といった案件が、列挙される。

「『赤飯&ごま塩』、この組み合わせは、ノーベル賞級の発見だ」
「実に素晴らしく有用な発見だ」
「しかし、ノーベル何賞だろうか」
「味の化学変化だから、化学賞でしょう」
「平和賞という考え方もある。
美味しいものを食べれば、満足して気持ちに余裕が出来る。
そうすれば他人を思い遣れるから、世界平和に繋がる」

こんな調子で、化学賞または平和賞に匹敵する先人達の発見が次々と挙げられていく。

 『米を炊いて、塩を付けた手で三角に握り、海苔を巻き、食べる』という手順
 『あの、強烈な臭いのギンナンの中身が、実は美味しい』という事実
 西京漬という最強に美味しい食べ物の作り方
 『もち米を蒸してから臼と杵でつく』という手順、および関連する道具
 『ヌカ床』というシステム
 ウニや栗の中身が食べられるという事実
 納豆菌
 ・・・

それにしても、こんなにも素晴らしく有用な大発見たちが、
何故、これまでノーベル賞を受けてこなかったのだろうか?

長年解き明かされることのなかったこの謎に、今年、とうとう家族の一人が切り込んだ。
「ところで、これらの偉大なる発見、受賞者は誰?」

新たに提示された疑問のお蔭で、どうやら長年の謎が解き明かされそうだ。

2012年12月2日日曜日

美肌の秘訣

我が兄弟たちは、不思議と美肌である。
まず、小ジワがない。
そして、毛穴がない。
この美肌、どう見ても、年上とは思えない。

「美肌のために、何かしてるの?」私が尋ねると、
「裸眼で鏡に向かうこと」兄弟の一人が答えた。
それを聞いた私は、首を傾げることしかできなかった。

「三段論法というのを知っているかな?」
頷きながら同意見であることを示していた、もう一人の兄弟が、言葉を続けた。

「眼鏡をかけなければ、小ジワも毛穴も、細かいものは何も見えない。
見えないものは存在しないに等しい。
即ち、裸眼で鏡に向かえば、小ジワも毛穴も、存在しないに等しい。
従って、小ジワなし、毛穴なしの美肌を得る」

この美肌の秘訣、
もとより視力が良くて、眼鏡を必要としない私にも、通用してくれるのだろうか。

2012年11月23日金曜日

思案と苦労

ある日、仕事場で同僚がポツリと言った。
「思案が足りません」
「えっ?」
「思案が足りないそうです、ほら。我々には、思案がありますか?」
「思案・・・ですか。確かにありません。苦労・・・だけはタップリあるんですけど」
「苦労はあれど、思案は足りず、ですか」

おや?
実際の会話と、何かが異なるようだ。

気を取り直して、もう一度。

ある日、仕事場で同僚がポツリと言った。
「シアンが足りません」
「えっ?」
私が聞き返すと、彼はプリンターの液晶画面を指し示した。
「シアンが足りないそうです、ほら。我々には、シアンがありますか?」
予備のインクカートリッジを置く棚を見ながら、私は答えた。
「シアン・・・ですか。確かにありません。黒・・・だけはタップリあるんですけど」
「黒はあれど、シアンは足りず、ですか」

2012年11月18日日曜日

当たるも八卦、当たらぬも八卦

実家から運び込まれた荷物を開けると、一枚の真っ白な紙片が出てきた。

あれから、20年も経つだろうか。
当時、私のお兄さん的存在だった方が通い始めた高校の文化祭に出掛けた。

面白いくらいに人気者のお兄さんは、どの出し物を訪ねても、そこには友達がいて、
声を掛けたり掛けられたり、飛びつかれたりしながら、片っ端から案内してくれた。

その中に、「コンピューター部」の出し物、『占いの館』があった。
占い師なのか漫才師なのか、悩ましい格好をしたコンピューター部員が、
「あなたは本当の自分を知りたいですか?」と尋ねた。
「はい」と答えて申込書に生年月日を記入すると、
俄か占い師の部員さんがコンピューターにそれを入力し、印刷した星占い結果を手渡してくれた。

その場で、一緒にいた仲間と読んでみた。
その場の全員が、揃って同じことを言った。
「すごく当たっていそうな気がする」

はて、当たっているのか、いないのか。
本当の自分というのが何者なのかを知り得ずにいた、当時の私としては、
これを、当たっているともハズレているとも、判断することができなかった。

「何十年か経ったら、これが本当に当たっているかどうか、もう一度見てみよう」
私はコッソリ心に決め、その紙を大切に取っておくことにした。
それが、このたび発掘された、一枚の真っ白な紙片だ。

なぜ、真っ白なのか?

本当の自分なんて、何か実体がありそうに思えるけれど、
実は、この紙みたいに真っ白で、何にも定まっていない、ということだろうか。
そう考えると、自分自身をむしろ無限の可能性をはらんだ存在、と見ることもできる。

おや?
しかしながら、この紙、20年前には確かに印字されていた。

すると、なぜ今、真っ白なのか?

なぜなら、その出力用紙は、感熱紙だったからだ。
20年の歳月を経て、感熱紙の印字はすっかり消えてしまった。

何とかして、読めないものだろうか。
透かして見たり、光の当たる方向を変えてみたり・・・
必死になって、アレコレ試していると、
ある光の当たり具合で、ある方向から眺めた時だけ、やっとのことで判読できることが分かった。

*****  コンピューター 占星術  *****
VITALITY(行動力)
困難や苦しみに負けない強さを持ち、たくましい行動力と鋭い直観力で人をひきつける。
(+)感情が豊かで気前が良く、社交性があり、人に好かれる。情熱家。
(-)我がままで強情で無責任で快楽に溺れる。つまらぬことに拘りすぎる。

SPECIALITY(適正)
外科・産婦人科・歯科系統の医師。芸能界でもユニークな存在。旅行会社・スチュワーデス・作家・画家・企画部門・料理家などの水商売。旅館・アパートの経営。元来は体制に迎合しないタイプ。
さわやかな弁舌と明敏な頭脳を必要とする仕事。税務家・弁護士・銀行家・牧師・セールスマン・貿易商。

ORIGINALITY(独創性)
高尚な理想的感情の持ち主。やや現実性に欠ける。ツキが損なわれていると尊大。身勝手な派閥的な考えが強い。

PERSONALITY(個性)
義理人情に厚く、サービス精神に富む。愛情が細やかで異性には親切。お金が蓄まると健康を損ないやすく、精神的に安定を欠くようになる。
正直で素直な性格。神経が繊細すぎて不安と心配の種が絶えない。ロマンチックでセンチメンタル。

LOVE(恋愛)
理想家のため異性の範囲が限られやすいが、精神的に深く結び合うことができる。
非常に理知的な性格で、主義主張に一生をささげる。

HEALTH(健康)
過労になりやすく、事故にもあいやすい。神経痛・神経衰弱・リューマチに注意。
*****

さて、当たっているのか、いないのか。
20年経った今でも、本当の自分というのが何者なのかを知り得ずにいる私としては、
これを、当たっているともハズレているとも、判断することができない、
ということが分かった。

今はこのまま、そっとしておくこととして、また20年後にでも読み返してみよう。

子どもの頃は、大人になったら何でも分かるようになる、と信じて疑わなかった。
現在、子どもの頃の私から見たら、十分すぎるほど大人になった私は、
分からないことだらけの毎日を楽しんでいる。
そして、この真っ白な紙片を介して、20年前の私と顔を合わせたことを、面白く感じている。

今から20年後、これを読み返した私は、どんな心持ちだろう。
「当たっているか」を判定するでもなく、
「そんな検討をするだけの価値があるか」を判定するでもなく、
現在過去未来の自分達が顔を合わせたことを、やっぱり、一緒に面白がってくれると良いな。

2012年11月10日土曜日

当座の問題

家族会議の末、入院中の父を実家で受け容れることにした。
それに伴い、実家には介護用ベッドを設置する必要が生じた。
これまで、家族全員が布団の生活をしてきた我が実家に、ベッドを設置するのは一大事である。

まず、
父の介護用ベッドを設置するだけの場所が、どう見ても、ない。
そこで、
父の介護用ベッドを設置するだけの場所を確保するため、家具やらモノやらを動かした。
めでたく、
父の介護用ベッド設置予定地が確保された。

すると、
母の布団を敷く場所がなくなった。
今度は、
母の布団を敷く場所を確保するため、家具やらモノやらを動かした。
めでたく、
母の布団を敷く場所が確保された。

すると、
子ども(と言っても十分大人)の布団を敷く場所がなくなった。
今度は、
子ども(と言っても十分大人)の布団を敷く場所を確保するため、家具やらモノやらを動かした。
めでたく、
子ども(と言っても十分大人)の布団を敷く場所が確保された。

すると、
玄関から父の介護用ベッド設置予定地までの通り道がなくなった。

さて、ここで振り返ってみると、
一つの問題を解決すれば次の問題が、次の問題を解決すれば更に次の問題が・・・と、
我が実家には、当座の問題が次々と襲い掛かっている。

これは一つ、問題そのものを根絶やしにするような、何か画期的な方策を講じる必要がある。

玄関から父の介護用ベッド設置予定地までの通り道を確保するためには、
もとい、我が実家に次々と襲い掛かる当座の問題たちを根絶するためには、
一体全体、どこへ家具やらモノやらを動かしたものだろう?

改めて開催された家族会議では、
我が実家に次々と襲い掛かる当座の問題を解決するための、画期的な方策が提案された。
満場一致の賛成を得て可決され、早速実行に移された。

めでたく、
玄関から父の介護用ベッド設置予定地までの通り道が確保された。
更にめでたく、
我が実家に次々と襲い掛かった当座の問題たちは、完全に消滅した。

そしてめでたく、父の介護用ベッドが設置された。

すると、不思議なことに、
全く時を同じくして、我が城において、私の布団を敷く場所がなくなった。

我が城に、新たに襲い掛かったこの当座の問題、
一体どこから来て、そしてどこへ行くのだろう。

2012年10月27日土曜日

なっちゃん

われらが町内において、なっちゃんを知らない者は、まず居ない、と思う。
この界隈で、なっちゃんは、それほど有名な存在だ、と思う。

まだ私が、ここに住み始めて日の浅い頃、
そう、まだ私が、なっちゃんを知らなかった頃のこと。

ある晩、すっかり暗くなった通りから、悲痛な叫びが聞こえてきた。
その声は、「なっちゃん!なっちゃん!なっちゃーん!」と繰り返しながら移動している。
どうやら、なっちゃんを探しているらしい。

声の感じからすると、還暦前後のご婦人だろうか。
就学前の孫娘を息子夫婦から預かって、日中を共に過ごし、夕飯も風呂も済ませて、
やれやれ、あとは寝かしつけるだけだわ、と祖母は一息ついた。
そんな隙を突き、両親に会いたくて仕方なかった孫娘は、祖母の目を盗んで逃亡した。
・・・なんてストーリーを想像した。

その晩は、私が眠りに落ちるまでの間、遠く近く、「なっちゃん!」コールが続いていた。

翌朝目覚めると、昨晩の声の主と、お向かいの奥さんとの会話が聞こえてきた。

「昨夜はずいぶん遅くまで頑張ってたじゃない」
「そう。なっちゃんが家出しちゃって。
昨日の昼間は、だいぶ元気に走り回っていたから、今夜は良く寝るだろう、と思ってたの。
そしたら、この子ったら、夜、暗くなった頃に突然プイッと姿を消すもんだから。
車にハネられやしないか、誘拐されやしないかって、もう心配して心配して、
血まなこになって探したわ」

ご婦人の話し振りから推し量るに、
どうやら、なっちゃんは既に発見され、今は彼女と一緒に歩いているようだ。
私は胸をなでおろした。

そしてもう一つ、少なくとも現在のところ、彼女の話において、
私の想像したストーリーに関し、『あたり!』とは言えないまでも、
決定的なハズレ要因は提示されていない。

彼女の話は続いた。

「この子、ほら、小さいでしょ?どこに入っちゃうか分からないのよ。
もう、手当たり次第見て回って、大変だったの。
花壇の中とか、落ちている紙袋の中とか」

えっ?
手当たり次第って、花壇とか、ましてや紙袋には、いくら小さな子でも入れないでしょう?

「この子、ほら、黒いじゃない?暗いと見えないのよ」

ええっ?
いくら色の黒い子でも、暗いと見えないほど黒くはないでしょう?

私は居ても立ってもいられなくなり、ゴミ出しを装って表に出た。
すると、そこにいたのは、
お向かいの奥さんと、還暦前後のご婦人と、・・・チワワだった。

確かに、小さくて、黒かった。
花壇はもとより、紙袋にも入れそうなくらい、小さかった。
暗い中では、さぞ見えにくかろう、と頷きたくなるくらい、黒かった。


結局、なっちゃんの家出の原因は不明のままだが、
その後も、不定期ながら、なっちゃんは時々家出を繰り返している。
それが証拠に、かのご婦人の「なっちゃん!」コールが時々聞かれる。
そして翌朝、彼女と散歩するなっちゃんの姿を見ては、私は胸をなでおろしている。

2012年10月14日日曜日

楽しむことを教えるポイント

「奥秩父地質ツアー」という、早口言葉のような集いに参加した。
地球科学を専門とするビッグな大学教授をはじめ研究者が3名、素人が数名、
『地質学』という切り口で、地球や自然に関するプチ講義を受けながら、
奥秩父の自然を観察し、散歩する、という、何とも贅沢な企画だった。

好奇心旺盛な紳士淑女に混じって、ハイキング目当てで参加した私も、
プチ講義の虜となるのに時間は掛からなかった。
「にわか地質学博士」気分で、目の前の地層や地形や岩の様子に目を凝らしては、
参加者同士で岩の種類や年代を言い当ててみたり、ハズレてみたりしては、
そのたびに、はしゃいだり悔しがったり、まるで子どもの一団ように無邪気に散歩を楽しんだ。

何度目かのプチ講義を終えた時だった。
「何か質問はありますか?」との先生の促しに、一人の女史がすかさず手をあげた。
「例えば、小中学生をここに連れてきた時、
地質学を楽しむことを教えるためには、何をポイントとして見せるべきでしょうか?」

文科系の高い教養を持ち、現在は「科学の楽しさを伝える」活動を続ける彼女の、
一途なまでの真面目さを、そのままに表したような質問だった。

先生は少し考えてから、ゆっくりと話し始めた。

「僕達人間は皆、生まれながらにして自然科学への興味を持っていると思います。
ところが、残念なことに、
周りの大人から、見る対象や見方を規制されることにより、生まれ持った興味が潰されてしまう。
すると、面白いものだらけだったはずの自然や学問の世界に対して、心を閉ざしてしまう。
そこに残るのは、ただ指定されたHow Toに追従するだけの覚えこみの『お勉強』だけで、
自然も科学も学問も、発展も何もなくなってしまう。
だから、自然発生的な興味を大切にすること、せめて潰さないことがポイントでしょう。

もし、ある子が、石の形に興味を示したなら、形の似ているものや異なるものを探すのも良い。
石の色や模様に興味を示したなら、それを基準に石を分類してみれば良い。
そんな時、無理に岩石としての種類や組成や年代を教えなくても良いんです。

そのときの、その子の興味と、一緒にいる自分の興味と、両方を尊重してはどうでしょう。
私自身、自分の興味に基づいて今回のコース選定をし、資料を準備し、話をしている。
これがもし、皆さんの興味と響き合うことができたらとても嬉しい。

ご質問に対して、直接の答えにはならないかもしれませんが、
自然や学問、周囲の全てに触れるときに大切なのは、生まれたての子どものような目線です」


参加者の殆どがミドル・エイジ(またはそれ以上)のこのツアーにおいて、
知らぬ間に、子どもの一団のようにはしゃぎながら散歩を楽しんでいたのは、
奥秩父の自然のなせる業とばかり思い込んでいた。
しかし、「あなたの興味と私の興味を互いに尊重し、響き合わせましょう」という、
この先生の、「楽しむことを教えるポイント」によるところも大きいのだろう。

どっしりとした体つきの先生が、なお一層どっしりと、頼もしく見えた。

2012年10月6日土曜日

銀メダルな気持ち

ロンドンオリンピック開催期間中、
実家に立ち寄ると、世間並みにオリンピックの話題で持ちきりだった。

トーナメント式で試合に勝ち進み、順位の決まる種目がある。
予選で勝ち残り、準々決勝で勝ち、準決勝で勝ち、決勝戦で勝ったら、金メダルだ。

ここで、順位が確定する最後の試合だけに注目してみると、
 決勝戦に勝って決まるのが、金メダル、
 決勝戦に負けて決まるのが、銀メダル、
 三位決定戦に勝って決まるのが、銅メダル、
である。

すると、だいぶ乱暴な話だが、
仮に上記の切り口で、順位が確定した瞬間の気持ちを極めて簡略化して表すと、
 「勝ったー!金メダルだ!」
 「負けたー!銀メダルだ!」
 「勝ったー!銅メダルだ!」
となる。

こうなると、銀メダルだけ、確定した時の気分が異なるのではないか。
・・・なんてことを、家族と話していた。

その日は、実家で晩御飯だけ食べたら、すぐに失礼する予定だった。
食事中、何者かの気配を感じた。
足元で、フワリとした感触があった。

「奴が、いる」

私の一言で、その場の全員は凍りついたように動きを止めた。
私はテーブルの下を覗き込み、もぐり込み、そこで一つ殺生をした。
テーブルの下から這い上がり、皆の前で、血のついた手のひらを見せた。
「うぉー!」という歓声と共に、拍手が沸き起こった。

私には、特技(*)がある。
それは、「飛んでいる蚊を取る」ことだ。
今回の家族からの賞賛は、まさにこの特技に対するものだった。

食後の歓談タイムは、私の特技披露会と化した。
私は順調にターゲットを仕留め続けた。
その度に家族に手のひらを見せ、拍手を受けては、血のついた手を洗い流した。

15匹を仕留め、16匹目を追いかけているときだった。
ターゲットは、高度を下げることなく、天井付近を飛び続けた。
このままでは、惜しいところで手が届かない。
こうなったら勝負に出るしかない。
膝を深く曲げ、一気に飛び上がり、空中で手を伸ばし、両手をパチンと合わせた。
着地した瞬間、立ち上がれないほどの脱力感に襲われた。
ターゲットは、私の頭上を悠々と飛んでいた。

「後半残り5分、選手には疲れが出てきたようです。完全に足が止まっています」
家族の中継が入った。
時計に目をやると、今夜私がここを出る予定時刻まで、残り5分だった。

結局、16匹目は仕留められないまま時間切れとなり、この場を離れることにした。

首をうなだれる私に、家族は必死で賞賛の言葉を掛けた。

「15匹も取っちゃうなんて、すごいよ!」
「でも、16匹目は逃がした」

「しかも、こんな短い時間で!」
「でも、最後の5分で負けた」

「それにさ、15匹仕留める間、一度も空振り無しだったじゃん!」
「でも、最後の16匹目は空振りだった」

「きっと、もう家の蚊は皆いなくなったよ!」
「少なくとも、さっき逃がした16匹目はいる」

家族の気遣いの甲斐なく、私の落胆は、どうすることもできなかった。
玄関で皆の見送りを受けながら、私は言った。

「私はずっと勝ち続けた。予選で勝ち残り、準々決勝で勝ち、準決勝でも勝った。
人々は私を賞賛してくれる。
でも、最後の決勝戦で負けてしまった。
あぁ、銀メダルな気持ち」

2012年9月24日月曜日

ガッツポーズ

丸めた紙くずを、部屋の隅のクズカゴに向けて放ったら、スポンッと命中したとき、
ガッツポーズ!!

乗換駅に着いたら、30分に一本の快速電車が、ちょうど良く来てくれたとき、
ガッツポーズ!

作った麦茶を、一滴もこぼさず、ペットボトルに注ぎきれたとき、
ガッツポーズ!!

ヌカ床をかき混ぜていたら、
数日前に入れたきり、すっかり忘れていたミョウガが出てきたとき、
ガッツポーズ!

朝寝坊して、
可燃ごみ収集車の気配で目が覚めて、
慌てて飛び起きて、
部屋中のゴミをかき集めて、
転げるように集積所へ行き、
収集車のお兄さんに、我が城の数日分の可燃ごみを手渡せたとき、

ガッツポーーーーーーーーーーーーーーーーーズ!!!!!

2012年9月17日月曜日

雨上がり

雨上がり いつも私が すべる場所   今朝はニャンコも すべったようだ


2012年9月10日月曜日

徳永先生

ずーっと、ずっと、すっかり忘れ去っていたことが、
突然、目の前の現実のようにありありと思い起こされたのは、
教育とは縁遠い世界で暮らしてきた私が、大学の授業を受け持つようになって
1、2年経った頃のことだ。

まるでタイムスリップした心地の、その行き先は、
まだ私があどけない大学生だった頃、むかーし、むかし、のことだった。


もう目と鼻の先まで迫り来ている直近の将来において、
「自らが何屋さんとして働くか?」という大問題から、私は完全に逃避していた。
当時在学していた大学の付属中学校に教育実習を申し込んだのは、
ひとえに、親切な友人達の根気強い働きかけのお蔭だった。

そのくせ、生まれ持った性質とは恐ろしいもので、
お調子者の私は、その場に行ってしまえばおもしろがって、
将来の身の振りようなどお構いなしに、実習の3週間を夢中になって過ごした。

最終日の夕方、全てを終え、指導教官にお礼の挨拶をしようとしたときだった。
「一つ聞きたいんだけど」先生の方から切り出された。「あなたは、教員になるつもりがありますか?」

将来何屋さんとして働くか、さえも考えていない私にとって、最も痛い質問だった。
教員になるつもりもないのに、教育実習に来ることは、
指導教官に対しても、実習で担当した3クラス100人あまりの中学三年生たちに対しても、
あまりにも失敬千万なことだ。
一方、ここで体裁だけを取り繕って、嘘の答えをすることも私にはできなかった。

「いいえ、教員になるつもりはありません」私が正直に答えると、先生は穏やかに続けた。
「それは残念だ。あなたは教員に向いていると思いますよ。人の心を捉える何かがあるから。
多少喋り過ぎの感はありますけどね、それも個性のうちでしょう。
経験を積んで、色んな配慮ができるようになったら、良い教員になると思います」

一人ひとりの『教員に向いているところ』に注意を向け、それを伝えることで、
教員を目指す者にはエールを送り、ボンヤリ者には目的意識を持つよう背中を押してくださる。
指導教官としての助言を、有難いと思った
それでも私は、ボンヤリ者から抜け出すことも、責任ある仕事に就く覚悟を決めることも、
まだまだできなかった。

「ありがとうございます。でも、やはり教員にはならないと思います」
なおも厚かましく私が答えると、先生は先生で、なおも穏やかに続けた。
「無理強いをするつもりはありません。
ただ、あなたのような魅力は、生まれ持ったものであって、誰もが持っているものではない。
それに、恐らく訓練によって得られるものでもない。

例えば、一人の生徒が、何か克服すべきものを胸の内に抱えたとする。
でも、モヤモヤするばかりでどうしていいかも分からない。
それで、悪ぶってタバコをふかしたとする。

その時、大抵は大人たち、特に教員には見つからないような場所に吸殻を捨てる。
しかし、何故か、あなただけはその場所を通り、見つける。
これは、恐らく彼が無意識のうちに、その『何か克服すべきもの』に気付いてくれる相手として、
あなたを選んだ結果だ。

『取っ掛かりがある』、これは重要なことです。
吸殻、即ち『何か克服すべきもの』の存在を見せてくれさえすれば、こちらはいくらでも力になってあげたい。
しかし、その取っ掛かりがなければ、つまり、吸殻を見せてくれなければ、何も始められない。

私自身、教員として、あなたのような性質をどれほど望んだか分からない。
けれど生憎、私はそれを持って生まれて来なかった。

ただ、これを持っていたら、それはそれで大変なことだ。

吸殻、即ち、『何か克服すべきもの』の存在を見せてくれるのは中学生ばかりとは限らない。
相手の年齢も性別も職業も関係なく、
たとえあなたが会社勤めをしても、何の仕事に就いても、どこにいても、
生まれ持ってしまったからには、あなたは一生選ばれ続けるように思う。
それは、入れ替わり立ち代り誰かと取っ組み合いのケンカを続けるようなもので、
本当に大変なことだろう。

どのみち大変なものなら、次の世代の教育に活かすことができたら、報われもしよう。
そして、あなたの底に流れる楽観性があれば、その大変さをも楽しむことさえ、可能に思える」


確か、こんなお話をしてくださったように記憶している。
だいぶ昔のことで、記憶はかなり変容したことだろう。
その時の指導教官のお話は、実は全く異なる内容だったかもしれない。

ただ、一つだけ確かなことがある。
たとえ、これが記憶の変容の結果であったとしても、
あの時の指導教官の言葉は、今の私に、大きな影響を与えている。


相も変わらずボンヤリ者でお調子者の私が、
思いもかけない巡り合わせで、思いもかけなかった教育という責任重大な活動に、
非常勤とはいえ、関わるようになった。
お蔭でボンヤリ者でお調子者のガラにもなく、
時に、立ち上がれないほど酷く悩み、落ち込むことがある。

そんなとき、強い支えとなっているのが、あの時の言葉だ。

『何か克服すべきもの』を抱えたならば、その人は、いつかきっと吸殻を私に見せてくれる。
取っ掛かりさえあれば、周りに助けを求めたなら、きっと力になってくれる誰かがいる。
どのみち大変な思いをするのなら、ほんの僅かでも、誰かの未来のためにその大変さを活かそう。
そして、どのみちお調子者なら、その大変さをも、丸ごと楽しんでやろう。


あらためて、あの時の御礼を言いたい、と思った。
そんな今、残念ながら先生の連絡先も何も知らない。

もしかして、どこかで偶然にも先生に伝わるかもしれない。そんな一縷の望みを託して、
今回だけ、敢えてお名前を出すことにしよう。


徳永先生
昔々、教育実習生として、大変お世話になりました。
ワンピース姿のまま体育のバレーボールに飛び入り参加して叱られた大学生が、
紆余曲折を経て、今、ささやかながら、教員として学生たちと関わろうと、もがいています。
小さなことにも一喜一憂しながら、何とか逃げ出さずに、必死に悩み、試行錯誤を続けられるのは、
あの時、先生にご指導いただいたお蔭です。
きっと、これからも、先生の言葉は、私の大切な支えであり続けることと確信しています。
本当にどうもありがとうございました!

2012年9月3日月曜日

理想と現実

この夏、新たに理想の女性像(*)を思い描いた。

どんなに暑くても、アイスばかり食べない、
そんな大人の女性になりたい。

現実の私を、この理想に一歩でも近づけるべく、具体的な目標を立てることにした。

【2012年夏の目標】
アイスは一日一つまで。
但し、
アイスクリームも、アイスキャンデーも、ソフトクリーム(*)も、カキ氷も、シャーベットも、
冷たいもの全てをアイスと見做し、合わせて一日一つまでとする。

目標を掲げると同時に始まった7月、滑り出しは好調だった。
「アイスは一日一つまで」、目標を守り抜いて7月を終えた。
現実の自分が、理想に一歩近付いた気がした。

8月に入り、暑さは本格的になってきた。
私の決心は揺らいだ。
一歩だけ、現実に歩み寄ることにした。

【2012年夏の目標 改訂1】
アイスは一日二つまで

こうして、何とか目標を守り抜き、8月前半を過ごした。
現実の自分が、理想に向かって、更に一歩近付いた気がした。

お盆の頃、まだまだ暑さは手を緩めない。
私の決心は再び揺らいだ。
もう一歩だけ、現実に歩み寄ることにした。

【2012年夏の目標 改訂2】
アイスは一日三つまで

こうして、やっとのことで目標を守り抜き、8月後半をも過ごし切れるかと思えた。
現実の自分が、理想と一致する日も近い、とまで期待した。

ところが、間もなく8月も終わろうというある日のこと。

汗びっしょりで目覚めた。
枕元の温度計は早朝だと言うのに30度を越している。
気象情報に目をやれば、予想最高気温は見るも恐ろしい数値が発表されている。
更には、この先もしばらく似たような気温の日が続くとの予報である。

それを見た瞬間、私はすっかり理性を失った。

起き抜けにアイスキャンデーを二つ、
昼食後にアイスクリームを一つ、
オヤツにシャーベットを一つ、
仕事を終えた夕方にアイスキャンデーをもう一つ、
そして、夕食後には、白玉添えアイスクリーム大盛り、で一日の幕を閉じた。

こうして、現実を理想に近づける試みは、振り出しに戻った。
理想と現実の間には、海よりも深い溝が、見渡す限り、果てしなく広がっていた。


どんなに暑くても、アイスばかり食べない、
そんな大人の女性になれる日は、果たして来るのだろうか。

2012年8月30日木曜日

天の声

ある猛暑の週末、団扇を片手にウトウトしていた。
朦朧とした状態で、起き上がることさえできない。
もしかして私、暑さで、どこか壊れてしまったのかしらん?

「壊れていても、構いません」

えっ、何、今のは?
天の声?

言われてみれば、我々生きた人間は、どこまでも不完全な存在だ。
どんなに健康そうに見える時でも、実のところ、どこかしら壊れているものなのかもしれない。
どこか壊れていても、構わない。
それはそれとして、受け止めて生きていくこと、それこそが人生なのかな。

それにしても今の私は、暑さに負けて、朝ごはんのあと、起き上がることさえできずにいる。
本当にどこか壊れたかもしれない。
もし、本当に壊れていても、本当に構わないものだろうか?
現実的に困ることが、色々と出てくると思うんだけど・・・

「分からないことや、困ったことがありましたら、お気軽に、ご相談ください」

この天の声、ずいぶん親切なアフターサービスが付いている。
一体、どちらの天の声だろう?

「こちらは、廃品回収車です」

なぁ~んだ!
いっぺんに起き上がった。
グズグズと始められずにいた食事の片付けも部屋の掃除も、ついでに一週間分の買出しも、
天の声のお蔭で、ゴキゲンに済ますことができた。


するとやはり、あれは本物の天の声だったのだろうか。

2012年8月27日月曜日

夏の暑さをしのぐ武器

これまで、我が城における、夏の暑さをしのぐ武器は、団扇一本だった。

この夏、ついに扇風機を購入した。
箱を開けて、組み立てて、コンセントを入れて、スイッチON!

くるくる回る羽根の前に顔を寄せ、「あ~~~~~~~~~~~~~~~」
風量を「弱」にして、「じゃく~~~~~~」
風量を「中」にして、「ちゅうぅ~~~~~~」
風量を「強」にして、「きょおぉぉぉお~~~~~~」
扇風機の首振りに合わせて、右へ左へ小刻みに横歩きをし、
シャツの裾を広げて、中に風を通す。

私はすっかり扇風機の虜になり、寝ても醒めても扇風機LOVE!だ。
現在の節電の流れに反し、扇風機を回して電力を消費することに後ろめたさを感じながらも、
やはり、扇風機LOVE!は止められない。

我が城における、夏の暑さをしのぐ武器が、扇風機一本になった。

扇風機との愛の生活に一週間ほど溺れたある朝、
ふと目に入った団扇は、寂しそうに、力なく横たわっていた。

いかん、いかん。
新しい犬を飼い始めたときは、古株の犬を大切にしなければいけないんだっけ。
新しい方ばかり構っていると、古株は自分の存在価値が下がったと思い、しょげてしまう。

冷たくしてしまって、ゴメンね、団扇。
これまで大活躍してくれて、ありがとう。
これからは、今までよりも、少しラクをしてちょうだいね。
そして、これからも一緒に楽しく暮らそうね。

そう言って、扇風機を止め、団扇を愛撫し、一週間ぶりに団扇の風を受けた。

スイッチ一つで動いてはくれないけれど、
「あ~~~~~~」と言っても、声は揺れて聞こえないけれど、
風量「強」なんて、ありえないけれど、
部屋中の空気をかき回すことも、シャツの裾から風を通すこともできないけれど、
手を動かしてあおぐ団扇の風は、扇風機にはない柔らかな優しさがあった。

時々は、こうして扇風機を止め、自分の手を動かして団扇の風に当たろう。
昔も今も、これからも、大好きだよ、団扇。

そんなこんなで、
我が城における、夏の暑さをしのぐ武器は、団扇と扇風機、二本立てになった。

2012年8月23日木曜日

ごますりくん

実家に帰ると、食卓には新顔がいた。

「はじめまして!僕、ごますりくんです!」
「・・・はじめまして」とりあえず、私は彼に握手を求めた。
「末のお嬢さんですね?いやぁ、お噂はかねがね伺っていましたが、想像以上に美しい方だ。
あなたのように素敵な方と手を取り合えるなんて、光栄です!」

初対面にしてこの勢いでごまをすれるとは、さすが『ごますりくん』だ。思わず唸った。

「ええ、何しろ僕、ごまをするために生まれてきたもんで。褒められたいことがあったら、何でも仰ってください」
「今、私、落ち込み気味なの。適当に見繕って、ご機嫌とってくれない?」
「生憎ですがね、その『適当に見繕って』っていうの、それだけはできないんです」
「なんで?ごますりくんのくせに」
「僕、全自動じゃないんです。だから、『お任せコース』がないんです。
こうして人と手を取り合って、ゴリゴリと地道にゴマをするタイプなんです。
それにね、考えてもみてください。
たとえ全自動洗濯機だって、『今、どの洗濯物を洗濯機に放り込むか』という問題だけは、必ず各自が判断するでしょう?
『今、何について褒められたいか』という問題くらいは、各自で判断してもらわないといけません」

納得したのか、煙に巻かれたのか、気付いたら私は、「なるほどね」と言っていた。

「そもそも、『何について褒められたいか?』という問題は、本人にしか分からないことです。
例えば、学校で成績の良い子がいる。
だから『頭が良いね』とか『良く勉強して偉いね』とか、軽い気持ちで褒めてみる。
しかし、どう見ても本人にはその褒め言葉が響いた様子はない、なんてことがあります。

実は、褒められた子は、現実の生活の中で、
自分の知識や思考では解決しきれない悩みを抱え、
『僕の頭はテストでしか役に立たない飾り物だ』と心の中で嘆いているのかもしれない。
あるいは、勉強なんかしたこともないのに、偶然にもテストの点数だけが高く、
『良く勉強している』などと声を掛けられても、お門違いに感じるのかもしれない」

「逆に、本人が自らの目指すところに向かって、
何らかの形で現状を打破すべく、行動や不行動の決断を積み重ねているのであれば、
たとえそれが傍から見たら些細なことであったとしても、
誰かがそれに気付いて褒めてくれたら、そこには共感と喜びが生まれる」

「さすが!『一を聞いて十を知る』あなたはそういう方だと思ってました」

「だからこそ、『何について褒められたいか?』は、基本的に本人にしか分からない・・・か」


「そのくらいで良いわ」母の声が、私たちの会話を遮った。
ごますりくんと私の共同作業ですり上がったゴマを、母の手元のボールに入れた。
その日、ごますりくんと一緒にすったゴマは、青菜のゴマ和えになって、晩の食卓に上った。

『ごますりくん』の使い方 : 本体にゴマを入れ、ハンドルを回すと、ゴマをすります。

私は今、何を目指し、どんな状況を打破すべく、どんな行動や不行動の決断をしているだろう?
そしてそれらは、たとえ微細な一歩にしろ、何か前に進んでいるのだろうか?

今度ごますりくんに会うときまでに、『何について褒められたいか?』を考えてみよう。

2012年8月20日月曜日

真夏の休日

「暑い」と言いながら、
麦茶を沸かすべくやかんを火にかけ、その番兵をしながら、

「暑い」と言いながら、
前回沸かした麦茶を冷ますべく、団扇で扇ぎながら、

「暑い」と言いながら、
そのまた前回沸かして、やっと冷めてきた麦茶を飲みながら、

「暑い」と言いながら、
そのまた前に飲んだ麦茶の成れの果てである汗を拭きながら、

「暑い」と言いながら、
・・・

2012年8月16日木曜日

一進一退

心の中で大親友と呼んでいる、ある大先輩とランチをご一緒した。

「で、どう?最近は」
いつもなら、こちらに相槌を打つ暇さえ与えないほどに、息をもつかず話し続ける彼女が、
ふっと全てのスピードを緩め、私をじっと見つめた。
彼女が尋ねたのは、この春、脳出血で倒れ、現在リハビリ入院中の父の様子について、である。

何十年も、悲観的一筋に生きてきた父が、入院直後の一ヶ月ほど、
人が変わったように前向きになって、リハビリテーションに取組んだ・・・少なくとも、そう見えた。
お蔭で、画期的な回復を遂げる・・・ことを期待した。
しかしその後、目的意識の欠如のためか、気力は急降下した。
残念なことに、長年慣れ親しんだ、悲観的で後ろ向きな父に戻ると同時に、
せっかくできるようになった「立つ」も「寝返り」も「着替える」も、あっという間にできなくなった。
再び前向きに生きて欲しいと願いつつ、試行錯誤の働きかけを続けてはいるものの、
なかなか思わしい変化が見られず、このところ徐々に無力感が私を蝕み始めていた。

彼女の質問にどう答えたものか、やっとのことで私は声を搾り出した。
「一進一退、かな」
「そう。あなたのお父さんって、前向きな方だっけ?」
「いえ、120%後ろ向き」
「確か、そうだったわね。ゴメン、言いにくいこと言わせて」

彼女は小さくため息をつくと、覚悟を決めたように言葉を続けた。

「どんなに大きな進歩も後退も、全ては『一進一退』の積み重ねなの。
『一進一退』って、詳細に見ると、『進』と『退』に微妙な差があってね、
たとえ1ミクロンでも、『進』が『退』に勝っていたら、その人は確実に回復する。
でも反対に、たとえ1ミクロンでも『退』が『進』に勝っていたら・・・
これは、今まさに、あなたが気を揉んでいること。

殊にリハビリって、精神力がモノを言うでしょ?
その人の現在の前向きさ加減は、『進』と『退』のバランスを決める大きな要因になる。
そして、その人の現在の前向きさ加減は、これまでの人生の歴史を背負っている。

もちろん、生きた人間だもの。いつ、どう変わるか、誰にも分からない。
これまでずっと後ろ向きだった人が、今日から前向きになるかもしれない。

ただ、それは本人が決めることなの。
あなたは、お父さんを支えることはできても、変えることはできない。

あなたの人生は、あなたにしか決められないのと同じように、
お父さんの人生も、たとえそれが、どんなに後ろ向きなものであったとしても、お父さんにしか決められない。

お父さんの回復を、あるいは前向きになってくれることを願って、希望(*)を持ち続けること、
これはとても大切なこと。
でも、過度な期待を持たないことも、とっても大切。

あなたは、自分にできる範囲のことをしっかりやれるし、やっている。
だから、そこに希望を持つの。
過度な期待を持って、自分にできる範囲の外にまで手を出してはいけない。
それは、あなた自身の人生を蝕みかねないから」

私がゆっくり頷くと、彼女はいつもの楽しいオシャベリ・モードに切替えた。
機関銃のような彼女の冗談に笑い転げながら、私は自分の中で何かが少し軽くなったことを感じた。

それは、何もかもを打ち明けて話した後の、「手放した」軽さだった。
彼女の話したアレコレは、
このところ、私の内部にうごめきながらも、誰にも話すことも手放すこともできずにいたこと、
そして、自分の内部にありながらも、受け容れられずにいたこと、そのものだった。
自分の口からは、話すことも手放すこともできなかったアレコレを、彼女はサラリと話してのけた。
そんな彼女の話を聞くことで、私は自分が話し尽くした後のような、「手放した」感覚を得た。
そして気付くと、自らの内なる声を受け容れ始めていた。
「これからも希望を持ち続けよう。ただし、過度な期待は持たない」

これまで、こんな風に彼女に助けてもらったことが、何度あっただろう。

一人になってから、あの時の会話を思い返した。
いつも感心することだが、
彼女は、どうやって私の心の中を、ああも手に取るように推し量るのだろう?
あの日、あのランチで、私は二言しか発していないのに。

2012年8月13日月曜日

うちのチビ

実家への帰り道、もう間もなく到着、というときのこと。

玄関の前で、と近所のご婦人とが、立ち話をしていた。
近付いていくと、母の話す声が聞こえてきた。
「今日はうちのチビが帰ってくるから、芋の煮っころがしでも作ってやろうと思って」

母にとって、末娘の私は、いくつになっても「うちのチビ」らしい。

私は、母とご婦人に、「ただいま!」と声を掛けた。
「おかえり」という母に続き、小柄なご婦人は私を見上げて言った。

「まぁ、おかえりなさい。大きなチビちゃん!」

2012年8月9日木曜日

富士山

遠くで見つけると、たとえそれが小さなカケラのような姿でも、思わず声を上げてしまう。
見つけただけで嬉しくなって、近くに居合わせた知らない人にも知らせたくなる。

近くで見ると、あんまり大きくて驚いてしまう。
あんまりにも大き過ぎて、思わず知らず、帯紐解いて笑ってしまう。

この夏、生まれて初めて、「富士山に登ろう!」とのお誘いをいただいた。
とっても行きたかったけれど、残念なことに、日程が合わず参加できなかった。

とっっっても残念だったけれど、不思議と、どこかホッとしていた。
この安堵は、どこからくるのだろう?
改めて、胸の内に問いかけてみた。

どうやら私の体内には、
「富士山は、登るものでなく、見るもの」との侵し難いテーゼがあるようだ。

2012年8月6日月曜日

おくて

古希を迎えた大先輩が、五十肩になった。
「70歳で五十肩、『おくて』ですね」私は大先輩に言った。
「あんたに『おくて』って言われるなんて!」
大先輩の瞳には、リベンジの火がついた。

しばしの後、老眼鏡が話題に上った。
未だ老眼鏡を一度もかけたことのない私が、ポカンと聞いているのを見た大先輩は、
ニヤリとして言った。

「未だ老眼鏡かけたことないなんて、あんた、相当な『おくて』ね!」

2012年8月3日金曜日

暑過ぎて・・・

このところ、「暑過ぎて 夏来にけらし しろたえの ・・・」と詠じながら、洗濯物を干している。

これは百人一首の一つだったかな。
中学だか高校だかの頃は、こんな古文調のものを「現代語訳せよ」なんて、よく言われたっけ。
この歌は、現代語に訳すとどうなるだろう?

【現代語訳】
あまりに暑すぎて、頭がボーっとしながらも、「どうやら夏が来たらしい」と、ようやく思い当たった。
こうも暑いと、やたらと洗濯物が増えるけれど、この暑さのお蔭で、干した洗濯物は良く乾く。
今日も山のような洗濯物が、どれもスッキリ乾いてくれて、本当に、これだけは有難い。

・・・こんなもんかな?
いやいや、どこか違う。

そうか!
最初が「暑」でなくて、「春」だった!

こんな間違いを半月以上続けていた私って・・・、ここで一句。

暑過ぎて ネジ緩んだか 元からか

2012年8月2日木曜日

パステルさん

新しいボーイフレンドができた、と一人勝手に思うことにした。

その人の名は、パステルさん。
「オジサン」か、「オジイサン」か、どちらに分類しようか、悩ましいお年頃の殿方だ。
前回会った時は、空色のシャツに、ライムイエローのズボン、レモン色のお帽子姿だった。
その前に会ったときは、クリーム色のシャツの襟元から淡いオレンジ色のTシャツが覗き、ピンクのズボンのお尻には、水色のポケットが張り付いていた。
何しろ、お召し物が、常に総パステル調なのである。

彼とは、いつの間にか気付いたら出会っていた。
朝、近所の池の周りを走っていると、私と逆回りにお散歩をする彼と会う、というか、すれ違う。
しばらくの間は、互いに個体識別さえしていなかった。

ある朝、すれ違いざまに彼が手を挙げた。
ちょうど、バスがすれ違う時に、運転手さん同士で挨拶を交わすみたいに。
「きっと知り合いがいたんだ」と思い、そのまま走り過ぎた。

翌朝も、彼はすれ違いざまに手を挙げた。
「また知り合いがいたんだ」
そのまま走り過ぎた。

その翌朝も、そのまた翌朝も、彼はすれ違うたび手を挙げて見せた。
誰かに挨拶していることは、明らかだった。
周囲に他の誰かの気配がある時も、ない時も、彼は挨拶を安定供給している。
「もしかして挨拶の相手は、私?」

突然、彼を意識し、個体識別した。
そして、「パステルさん」と名前をつけた。

どうしよう。
今度パステルさんとすれ違う時は、挨拶を返した方が良いだろうか?
でも、実は私の勘違いで、彼は他の誰かに挨拶をしているのかもしれない。
だとしたら、私が挨拶を返したら、なんだかカッコ悪いし、恥ずかしい。

しかし、仮に勘違いで挨拶を返したところで、失うものは何もないはず。
更に、もしも、だ。
あんな大人のパステルさんの方から、娘のような年代の私に挨拶してくれているとしたら、
それだけだって、恐れ多い話ではないか?
本来ならば、目下の私から挨拶すべきではないか?

でもでも、やっぱり、ここだけの話、
臆病者の私は、子どもの頃から「友達になりましょう」アクションを、自分から起こしたことがない。
200%濃度の「友達になりましょう」アクションを供給し続けてくれた相手としか、お近付きになれないまま、今日に至っている。

高々合図程度の挨拶にしろ、
未だ一度も言葉を交わしたことのない人に、お名前も知らない人に、
こちらからリアクションをすることが、私には怖かった。
臆病風が、私の中を嵐のように吹き荒れた。


パステルさんとの挨拶問題は、吹き荒れる臆病風に押されて堂々巡りを続け、
結論の出ないまま翌朝を迎えた。
私は、ただ一つの愚かしい言い訳にしがみついて、走り出した。

「バテバテで挨拶できない」

やっとのことで走っている私にとっては、声を出して挨拶することは愚か、
パステルさんと同じように手を挙げて見せることだって、容易ではない。
走りながら挨拶できるくらいの体力がつくまで、パステルさんの様子を静観しよう。
もしかしたら、その間に、彼の挨拶の相手だって明らかになるかもしれない。

こんな私の逃げの姿勢に、パステルさんは気付くだろうか。
何となく後ろめたく、毎朝、彼とすれ違うことが、私のハラハラドキドキの種になった。

一ヶ月以上静観し続けたろうか。
彼は、私とすれ違う時には、必ず手を挙げて見せ続けた。
間違いない。あれは私への挨拶だ。
パステルさん、さんざん知らん顔して、ごめんなさい。
何としても、臆病風を追い払って、挨拶を返そう!

でも、どうやって?
走りながらでは、声も出せないし、手も挙げて見せられないのに。

そうだ!
声を出せなくても、手を挙げて見せられなくても、「口元でニッコリ」だけならできる!
今度パステルさんとすれ違う時は、必ず「口元でニッコリ」しよう!

超長考の末、
すれ違いざまに手を挙げるパステルさんに、とうとう、「口元でニッコリ」の挨拶を返した。
すると彼は顔をほころばせ、小さな子に言い含めるかのように、「お・は・よ!」と言った。


ところで私は、
ボーイフレンドへの想いとは、特定の人物に対する個体識別の発展形、と捉えている。
その発展した個体識別には副次的効果がある。
それは、
「相手を強く個体識別し、それを特殊なレンズや鏡のようにして、世界や自分を見ることで、
自らの課題が明確になり、現状打破への一歩を踏み出すきっかけを得る」
ということだ。
そして、実のところ、この副次的効果こそが、ボーイフレンドという存在の醍醐味の一つだ、
と信じている。


後になって判明したことだが、パステルさんには、池の周りを散歩する沢山の友達がいる。
これは彼の「友達になりましょう」アクションの賜物に違いない。

どこの馬の骨かも分からない、ちっとも愛想のない、ただバテながら走り過ぎていく私にも、
会うたび、すれ違うたび、彼は小さな愛(*)、即ち挨拶を投げかけ続けてくれる。
そして私は、その小さな愛を喜ばしく享受しながら、自分と反対の姿を映して見ることで、
「口元でニッコリ」の挨拶を返すという微細な一歩を、否、一歩踏み出すための体重移動を、
今やっと、始めたところだ。


私もパステルさんのように、「友達になりましょう」アクションを自分からできるようになろう。
彼を個体識別したことで、新しい課題を一つ見つけた。

そこで、新しいボーイフレンドができた、と一人勝手に思うことにした。

2012年7月30日月曜日

女の特権

暑くて暑くて、殆ど水着のような格好で仕事をしていたら、そこに、男性同僚が現れた。
ネクタイこそ締めていないものの、半袖シャツに長ズボンという常識的な服装だ。
彼は私を見るなり言った。

「羨ましい。それは女の特権ですね。
もし僕がその格好で表に出たら、『裸の大将』と呼ばれること必至です」

・・・ちょっとだけ、女に生まれて得した気がした。

でもでも、やっぱり、
女の特権を活用したい日は、まだまだ続きそうだけれど、
明日からは節度ある服装で仕事に臨もう。

2012年7月27日金曜日

カメラ小僧とグラビアアイドル

ある朝、いつものように、近所の池へ走りに行くと、
池のほとりに、立派なカメラを構えた少年、もとい、むかし少年だった紳士がいた。

時々立ったりしゃがんだり、右へ左へずれてみたりしては、
真剣にカメラを構え、シャッターを切り続けている。
今にも、「良いねぇ、その表情。じゃ、横からも撮ってみようか?」という声が聞こえてきそうだ。
その様子は、差し詰め、グラビアアイドル撮影という光栄に浴するカメラ小僧、といったところだ。

少し進むと、やはり池のほとりに、別の人影が見えた。
やっぱり彼も、立派なカメラを構えた、そのむかし少年だった紳士である。
そしてやっぱり、時々立ったりしゃがんだり、右へ左へずれてみたりしては、
真剣にカメラを構え、シャッターを切り続けている。
今にも、「 良いねぇ 、その表情。じゃ、横からも撮ってみようか?」という声が聞こえてきそうで、
差し詰め、グラビアアイドル撮影という光栄に浴するカメラ小僧、といった様子も、やっぱり同じだ。

ぐるりと走って二周目に入り、最初のカメラ小僧の場所に戻ると、
カメラ小僧は更に二人増えていた。
皆、池のほとりに立ち、池に向かってカメラを構えている。

ところで、肝心なグラビアアイドルはどこだろう?

カメラの構えられた先、池のほうに目を向けると、今年最初の蓮の花(*)が咲いていた。
なるほど、これがグラビアアイドルだったのか!

あれから、
池のほとりのカメラ小僧と、池に咲くグラビアアイドルとは、まるで競い合うように、
日を追って増えている。

2012年7月19日木曜日

メジャーと体重計

ここ数ヶ月、不都合を感じていることがある。
それは、私の身体と衣服との寸法上の齟齬だ。

ある朝、着替えると、なんだか窮屈に感じた。
「服が縮んだかな?洗濯の仕方が荒かったかな?」と思った。

翌朝、別の服に着替えたものの、やはり窮屈だった。
「これも縮んだかな?何でも洗濯機でガラガラやるのは良くないかな?」と思った。

その翌朝も、そのまた翌朝も、毎朝それが続いた。
衣替えをしても、まだまだ同様の朝が続いた。


そんなある日、実家に帰ると、一ヶ月振りに顔を合わせた兄弟から、
「顔と体がまん丸な人、お帰りなさい」との歓迎を受けた。

別のある日、友人の母上と一年振りにお会いした。
「あらまあ、ふっくらしして可愛いこと!」

また別のある日、三ヶ月ぶりにお目にかかった恩師からは、
第一声、「太った?」と尋ねられた。

そうか!私が太ったのか!

毎朝、毎朝、どの服に着替えても窮屈に感じる日々が何ヶ月も続いている。
しかも、服の丈方向には、これといった変化は見られない。
洗濯や保管のコンディションのために、全ての服が幅方向のみ縮んだ、とは考えにくい。
衣類の側に変化はなく、私の身体が太くなった、という解釈が妥当だろう。

更に、この解釈のうえに立てば、
兄弟からの歓迎の言葉も、友人の母上の挨拶も、容易に説明がつく。

私は恩師の質問に答えた。「ええ、まあ、たぶん・・・」
「だいぶ増えたでしょう?5kgくらい?」
「ええ、まあ、たぶん・・・」
「じゃあ、寸法もだいぶ増えたのね。どれくらい?5cmくらい?」
「ええ、まあ、たぶん・・・」

私の歯切れ悪さには、訳がある。

我が城には、メジャーも体重計もある。
しかし、メジャーは家具の寸法を測るために、体重計は大きな荷物の重さを量るために、
もっぱら使用してきた。

自分の持ち物であるメジャーと体重計を用いて、自分の身体を計測したことが、ない。
自分の身体に関しては、従来の寸法も重さも不明であり、現在の寸法も重さも不明である。
従って、それぞれの増加量も不明なのだ。

箪笥の服が軒並み窮屈になってしまった今、
いよいよ、 自分の持ち物であるメジャーと体重計を用いて、自分の身体を計測する時が来た、
と判断すべきだろうか?

待てよ。
今、不都合を感じているのは、私の身体と衣服との寸法上の齟齬だ。
私の身体を何度計測してみたところで、衣服との寸法上の関係に影響を及ぼすとは考えにくい。

いっそのこと、服の寸法や重さでも計ってみるか。
それで向こうさんが気を利かして、こちらに合わせてくれると、助かるんだけどなぁ。

2012年7月5日木曜日

お家に帰れば沢山あるもの

友人が、お嬢さんと一緒に、我が城を訪問してくれた。

間もなく2歳になろうという小さなお姫様は、到着するや否や、
「あっ、何かある!」と、部屋の隅に駆け出した。
我が城唯一のぬいぐるみを目敏く見つけると、まるで体温計のように、素早く脇に挟んだ。

それを見て、ママは言った。
「あらまぁ、ぬいぐるみはお家に帰れば沢山あるでしょう?」


しばらくの後、小さなお姫様は、またも
「あっ、何かある!」と、今度はベランダの隅を指差した。
「ゴミだ!ゴミ見つけた!」

それを聞いて、ママは言った。
「あらまぁ、ゴミはお家に帰れば掃いて捨てるほど沢山あるでしょう?」

2012年7月1日日曜日

小娘の夢

オジサン、もとい、社会でご活躍中の立派な紳士二人の会話の断片が耳に入った。

「女性からさぁ、『子どもが欲しい』って言われちゃうと、男性としてはプレッシャーだよね」

えっ、「子どもが欲しい」がプレッシャー?
ちょっと待って、どういうこと?

私は一人、心の中で、そのオジサン、もとい、社会でご活躍中の立派な紳士に問いかけた。

彼は、「子どもが欲しい」という言葉を、どんなメッセージとして受取ったのだろうか?
「発芽率100%保障の種を植えてください」というメッセージとして受取った結果、
プレッシャーを感じてしまったのだろうか?
しかし、結果的に「授かるか否か」は、飽くまでも神様の責任範囲であり、
男性も女性も、高名なお医者様でも、何しろ人間様には決められないのが実情だろう。

一方、「子どもが欲しい」と言う女性の側が発するメッセージは、何だろう?

もちろん、人それぞれ異なるはずで、一概には何とも言えない。
中には、男性に対して種馬的要素を強く求める女性もいるだろう。
気の毒にも、くだんの紳士は、愛する人のそうした強い願いを叶えてあげたいばっかりに、
本来ならば神様の責任範囲である「授かるか否か」にまで、自分の責任が及ぶものと見誤り、
悩み、苦しんだ経験を持つのかもしれない。

実際、世の中には、この「授かるか否か」という問題のどちらの側にも、
悩み、苦しむ人々がいることだろう。
そんな人たちの悩みや苦しみを、ひいては、全ての人の悩みや苦しみを想像することが、
弱虫の私には、恐ろしくて、どうしてもできない。
どうにも真正面からは考えられそうにないのである。

だったら、いっそのこと、別の問題として考えてみよう。

ところで、ここで、一つだけ断言できることがある。
それは、もしも、いつの日か、私がパートナーに対して「子どもが欲しい」と言う時が来たなら、
そこに込めるメッセージは全く異なる、ということだ。

私なら、こう考える。

この人は、世界と自分の人生とを、どのくらいのスパンで結び付けているだろう?
人生、即ち、様々な行動や不行動の決断の連続において、その決断の根拠を、どの程度の深さに根付かせているだろう?

今、とりあえず、この場限り、何とかやり過ごせれば、それで良いの?
今年度を、何とか〆られれば、それで良いの?
定年までを、何とかこなせれば、それで良いの?
老後を安定して暮らせたら、それで良いの?

それとも、次の世代の誰かのために、チッポケな自分なりに、チョッピリでも貢献したいの?

もし、世界と自分の人生とを、次の世代に繋がるスパンで結びつけていたら、
もし、人生、即ち、様々な行動や不行動の決断の連続において、
その決断の根拠を、自分だけでも、今だけでもなく、世代を超える深さに根付かせていたら、
きっと、未来は素晴らしいものになる。
きっと、現在は希望に満ちたものになる。
きっと、過去からは、より多くを学ぶことができる。

たとえ、
未熟で愚かでチッポケな私たちが、幾つもの失敗を重ねていくことに変わりはなくても、
きっと、この命題は真である、と信じている。

この場合、「子どもが欲しい」という言葉において、「授かるか否か」を問うことはない。
ここでの「子ども」は、「次の世代」であり、未来に関して、希望や責任を共有することを指す。

その上で、「子どもが欲しい」と言った時、
「これからは、世界と、あなたの人生と、私の人生とを、次の世代にまでも結び付けましょう」
というメッセージを込めることになる。


その後、あの紳士達の会話は、どのように展開していったのだろうか。
それとも、その場限り、ウヤムヤになったろうか。

社会でご活躍中の立派な紳士淑女のうちの、たった一人でも、
チッポケな小娘のこんなメッセージに、いつか、どこかで、共鳴してくれることを、
ついつい、夢見てしまう。

2012年6月21日木曜日

スマホ対応

朝のランニングを続けているうちに、手首から先だけが日焼けしてきた。
腕と手とで肌の色が異なる。
半袖を着て、肘から先の肌が出たとき、まるで茶色の手袋をしているように見える。
これが猫なら、「靴下履いてる」なんて可愛がられるけど、
人間の、しかも女子としては、如何ともしがたい気分である。

そんな矢先、スポーツ用品店で、ランニング用手袋なるものを発見した。
ランニング中、手首から先が日焼けするのを防いでくれるスグレモノだ。

さて、棚いっぱいに並んだランニング用手袋、どれにしようか?

こんな時、私は迷わず店員さんに相談する。
ざっと一通りの説明を受けたところで、ある一種類が目に留まった。
人差し指と親指の腹の部分に、縫い取りのようなものがある。

「これは何ですか?」
「スマホ対応です」
迷わず、これに決めた。

とても気に入って、走るときは、必ず使っている。
ただ、残念なことに、私はスマートフォンを所有していない。


スマートフォンをお持ちの紳士淑女方、
スマホ対応の手袋をつけて、スマホを持たずに走る私を見かけたら、
どうか1ページだけ・・・めくらせてください!

2012年6月18日月曜日

贈り物

あれからもう二ヶ月ほど経つだろうか、が脳出血で倒れた。
幸いにも命を取り留め、麻痺等の後遺症も、恐らく統計的に見れば軽い方なのだろう。

現在、父は自宅に帰ることを目指し、リハビリテーションに励んでいる。
長い年月、悲観的一筋に生きてきた彼が、
今は、「立つ」「座る」「手を伸ばす」といった単純作業を、真剣に練習している。
病院へ見舞いに行くと、ほんの少しずつの進歩を積極的に見せてくれる。
そんな姿を見て、生まれて初めて「父を尊敬する」と、心の底から思った。

病気とは、本当に大変なものだ。
避けて通れるなら、それに越したことはない。

しかし同時に、何か不思議な形ではあるが、『贈り物』とも言えるのかもしれない。
前向きに生きる父の姿と、そんな彼に対する敬意の発現は、
私にとって、思いもかけない、しかも最高の贈り物となった。

贈り主は誰だろう?
ありがとう。お礼状を書きたいな。

2012年6月14日木曜日

健康の秘訣

我が城の前の路地の看板娘といえば、何と言っても、お向かいの奥さんだ。
大正生まれの彼女は、我らが路地を、毎日優雅に巡回する。

いつ見ても、どこから見ても、心身ともに健康そのものの彼女だが、
その秘訣は一体何だろう?

まず、「心」の方。

彼女は、人に会うたび、明るい言葉掛けを忘れない。
朝、ゴミ出しで顔を合わせて挨拶をすれば、「あんた、良い笑顔してるね。実に良い」
出勤時に「行って参ります」と言えば、「おぉ! カッコイイよ! 行ってらっしゃい」
なんて返してくれる。
毎日、町内の皆に、これだけ全面的にポジティブな言葉を掛けていれば、
間違いなく「心」の健康は保たれるだろう。


次に、「身」の方。

こちらはどうだろうか?
そう思っていたら、表から聞こえてきた話し声が、その疑問に応えてくれた。
我らが看板娘と、近所の紳士との会話である。

「ダンナ、元気そうね」
「いやぁ、これでも病院で色々調べてもらうと、次々悪いところが出てきてね」
「あらやだ!色々調べるからだよ。アタシなんか調べたことないから、病気一つしないよ」

2012年6月13日水曜日

くちなし

むかーし、むかし。

ある日、ある女の子が、憧れのボーイフレンドの部屋に初めて招かれた。
お料理上手の彼から、甘いチョコレート・ケーキの作り方を教えてもらう約束をしたのだった。

手土産に何か・・・、と言っても、気の利いたものが思いつかないまま、その朝を迎えた。
おもてに出ると、辺りいっぱいに甘い香りが溢れていた。
くちなしが咲いている。
一枝を手折り、手土産にした。

くちなしを後ろ手に隠して、ドアをノックした。
出迎えた彼は、いつものように、嬉しそうに微笑むと、
やっぱりいつものように、「キレイ」と言ってくれた。
朝、必死になってオシャレをした甲斐があった、と思った。

彼に目をつぶらせ、鼻の前に、くちなしの花をかざした。
匂いを嗅いだ彼が、「あ、ガーデニア」と言うのを聞いて、
西洋かぶれ、と思った。

くちなしを花瓶に挿して、一緒にチョコレート・ケーキを焼いた。
甘い香りが重なって、うんと甘いケーキが焼けた気がした。

幾日か後、「くちなしの枝から、根が出てきたよ」と言われた。
その言葉が、とっても嬉しく聞こえた。


どれくらい昔のことだろう。
まるで、他人事みたいだ。

こんな、むかーし、むかしのこと、
まるで、くちなしの香りのように、季節の移り変わりと共に、すっかり忘れていた。

それでも、こんな、むかーし、むかしの出来事を、今の私が思い出したら、
まるで、くちなしの香りのように、捉えどころがないくせに、すっかり甘い気分にさせられた。

2012年6月4日月曜日

憧れ

子どもの頃、憧れていたものがある。
それは、『絵柄入のトイレットペーパー』だ。

同級生のお宅でのクリスマス会に招かれたとき、
サンタさんやらトナカイやらの絵の印刷されたトイレットペーパーを初めて目にし、衝撃を受けた。
「こんな素敵なものを、一回使っただけで、流してしまうの?」
そんなところに、『江戸の粋』を感じた。

家族に見せたい、と思った。
手を洗った後、ミシン目から次のミシン目まで、改めて一区切り分だけを切り取った。
畳んでこっそりポケットに入れた。

家に帰ると、ポケットの中身のことなどすっかり忘れて、ポイポイと服を脱ぎ捨て、風呂に入った。
着ていた服も、ポケットの中も、きれいに洗濯してもらった。

あとから思い出し、家族に話してはみたものの、
「洗濯物を出す前には、ポケットの中を確認しなさい」と注意されたり、
「ヨソはヨソ、ウチはウチ。これからもウチは無地のトイレットペーパーでいきます」と釘を刺されたり
するだけだった。

その後も、何人かの友人宅で、素敵なトイレットペーパーを見た。
全体にキレイな色が掛けてあったり、
草花の絵柄がプリントされていたり、
可愛らしいキャラクターがなぞなぞを出していたり、
そんなトイレットペーパーに出会うたび、憧れの気持ちは、大きく、更に大きく、膨らんでいった。

しかしながら、我が家のトイレットペーパー事情が変わることはなかった。
また現実的に、毎日を無地のトイレットペーパーで過ごしたからと言って、不都合は生じない。

その後の私は、現実に合わせて生き延びるため、
憧れの気持ちを、胸の奥に仕舞いこみ、しっかりと鍵を掛けた。
まるで、「トイレットペーパーは、無地であるべし」という価値観の海に、ドップリ浸りきったように、
絵柄入りのトイレットペーパーのことを考えないようになった。


それが、である。
昨年、私の誕生日の数日前、である。
週末のスーパーマーケットをウロウロしていた時、である。

強い憧れの気持ちが、急激に湧き上がった。
それは何十年もの間、胸の奥に、しっかりと鍵を掛けて仕舞いこんでいたものだった。

目の前には、上品な花柄のプリントされたトイレットペーパーがあった。
「本日、日用品全品一割引き」だった。
胸をときめかせながら、手に取り、そして決意した。
「今年の自分への誕生日プレゼントは、これにしよう!」
私は、何十年もの間、胸の奥に掛けていた鍵を開け、憧れを開放した。


その後も、日常的に使用しているのは、やはり無地のトイレットペーパーだ。
しかし、旅先で、あるいは自分の記念日などに、
素敵なトイレットペーパーに出会ったら、迷わず買っている。

前回の旅行では、バラの花柄と何やら読めない横文字がエンボス加工されたものを購入した。
帰りの飛行機では、預け荷物にするか、機内持ち込み手荷物にするか、
さんざん悩んだ挙句、機内に持ち込んだ。
手荷物検査場では「中身を拝見」と要請された。
覚悟を決め、バッグを開けて、素敵なトイレットペーパーを検査官に見せてあげた。
チョッピリ照れくさかったけれど、憧れの気持ちをこうして開放することが、誇らしくも感じられた。


きっと、こんな風に鍵を掛けっぱなしにした『何か』が、他にもいっぱいあるのだろう。
それを人は、「とらわれ」とか「拘り」とか、「コンプレックス」とか、色々に呼ぶ。
それらを持っていることは、たぶん、生きている証みたいなもので、決して悪いことではない。
でも同時に、
それらを見つけて鍵を開け、『何か』を開放してあげること、
これを人は、「成長」とか「克服」とか、「自己実現」なんて呼ぶのではないだろうか。

これからも、胸の奥に掛けっぱなしにした鍵を見つけたら、開けて、『何か』を開放してあげよう。
そして、覚悟を決め、チョッピリの照れくささと誇りをもって、開放した『何か』と共に歩んで行こう。

2012年5月31日木曜日

COFFにまつわる歴史

子どもの頃、身近な大人たちから「コーヒーは毒だ」と聞かされていた。
ある程度発育するまでの間は、カフェインのような刺激物をあまり摂取させないために、
狂言の『附子(ぶす)』よろしく、毒呼ばわりして見せたのだろう。
お蔭で、コーヒーとは、「きっと、すごーくおいしくて、すごーく強い毒なんだ」と信じていた。

そんな幼い私が、あるとき親戚の家に泊まりに行った。
そこでは、おやつとしてコーヒー牛乳が供された。
断固として飲まない、という私に、親戚達は言った。
「おいしいよ」「すごーくおいしいよ」
そんな言葉を浴びせ掛けられた私は、なおのこと頑なに、
「だからこそ、断固として飲まない!」と言い張った。

しかし、人間とは弱いものである。
親戚一堂が揃いも揃って、口々に「おいしい、おいしい」と言いながらコーヒー牛乳を飲んでいる。
そんな人々に取り囲まれた私は、脆くも「一口だけ舐めてみたい」と思い始めた。

固かった私の決意が崩れかけたのを察知した叔父が言った。
「その牛乳の中に、このコーヒー牛乳を一滴だけ入れてあげようか?」
私は自分の飲んでいた牛乳のコップを叔父に預けた。
叔父は自らの言葉通り、牛乳の入った私のコップに、間違いなく一滴だけ、自分のコーヒー牛乳を入れてくれた。
私は両手でコップを受取り、恐る恐る舐めた。
ほんのりとコーヒーの匂いが、するのか、しないのか、したような気がした。

へえ、これがコーヒーか。

そう思うが早いか、途端にお腹がゴロゴロと音を立てた。
お手洗いに駆け込み、しばし腹痛と戦った。

そこに集まった親戚一同、私以外は誰一人として腹痛を起こさなかったところを見ると、
そのコーヒーは、特段毒でも何でもなかったのだろう。
かくも急激に私が腹痛を起こしたのは、
恐らく、身近な大人達から常々聞かされ続けてきた「コーヒーは毒だ」のために、
すっかり心理的なオマジナイにかかっていたことが原因のようだ。

この一件のお蔭で、「コーヒーは毒だ」を身近な大人たちから聞かされなくなった後も、
この言葉は、私にとって揺ぎ無い真実となった。

そして、コーヒーを口にすることなく年月を過ごした。

成人したころからは、さすがに「コーヒーは毒だ」を揺ぎ無い真実とは信じていない。
ただ惰性で、日常的にはコーヒーを飲まないのが癖であることは事実だ。


さて、今のアパートに暮らすようになってからというもの、
休日にはお隣さんからコーヒーの香りが漂ってくる。
それは、オシャレなコーヒーショップが束になってかかってきても到底敵わないほどの、
なんとも心地好い、素敵な香りで、いっぺんに最高の気分になる。

そんな素敵なコーヒーの香りを週末ごとに聞いていたら、
とうとう私も、コーヒーを飲んでみたくなってきた。

一口にコーヒーと言っても、入れ方一つ知らない。
モノは試し。まずはインスタントコーヒーを調達した。
ビンに書かれた説明通り、インスタントコーヒーを入れてみた。
それは、お隣さんから漂う香りとは似ても似つかない、全くの別物だった。

はて、この全くの別物を、美味しくいただく方法はないだろうか?
休日、お隣さんから漂うコーヒーの香りをおかずに、インスタントコーヒーを飲んでみた。
鰻屋さんの店先で、煙をおかずに白いご飯を食べるならまだしも、
鰻の煙を吸いながらサンマの蒲焼き缶詰を開けるような、何ともむなしい気分だった。
いっそのこと、これまで通り香りだけを聞いているほうが、よほど幸せに思えた。

しかし、ひたすら前に進むのが人生である。
「コーヒーを飲んでみたい」と思い始める以前の私に戻ることは、もはやできない。

結局、近所の専門店で、豆を炒って挽いてもらった。
買ってきた小さな袋を置いているだけで、コーヒーらしい香りが部屋一杯に広がった。
今ここに広がる香りが、お隣さんから漂い来る夢の香りに匹敵するのか、否か、
そんな疑問は、不思議と湧いてこなかった。

週末の「ちょっと一息」の友として、時折コーヒーが登場するようになり、
気付くと最初の一袋が終わった。
お蔭さまで毒にやられることもなく、むしろその味を占めてしまった私は、
「次はどの豆にしようか」、「いっそ、ミルも調達して自分で挽こうか」、
そんなことにワクワクし始めた。
同時になぜか、「こんなもの、いつまでも飲み続けていいのかな?」「毒じゃないの?」という声が、耳の後ろをかすめた気がした。

そう言えば、私が小さい頃、
大人たちは、子どもらが寝静まったことを確認すると、
「たまにはCOFF(シー・オー・エフ・エフ)にする?」なんて暗号を使って、一息いれていたらしい。
子どもたちには毒と教え込んでいるものを、隠れてコッソリ飲むひととき、
大人たちは、ちょっとばかり後ろめたくもワクワクした気分で過ごしたのではないだろうか。

コーヒーが毒でないことを、身をもって知った今でも、
最初の一口には、どこか、うしろめたさとワクワクを感じる。
ワクワクとは、時に、後ろめたさによって大きく増幅されるものだ。
私にとってのコーヒーには、COFFが生き続けているのだろう。

2012年5月28日月曜日

塩漬けキャベツを作るコツ

第二の家族として親しくしているお宅がある。
そこのママは、世のお母さん達の例に漏れず、飛び切りの料理上手である。
中でも、彼女の作る塩漬けキャベツは最高だ。

夏休みだ正月休みだと滞在しては、「美味しい!」と、せっせと食べてばかりの私に、
彼女は飽くことなく、料理を仕込もうと試みる。
お蔭で、料理に対する苦手意識の強い私も、さすがに漬物くらいは時々するようになった。

私が遊びに行くと、ママは必ず尋ねる。
「私のレシピで何か作った?」
「うん、塩漬けキャベツをね」
「どうだった?うまくいった?」
「・・・」

大好きな塩漬けキャベツを、東京に帰って、自分でも作ってみた。
ママのお手伝いをしながら一緒に作った時と同じように、自分でも何度か作ってみた。
しかし、ママと同じようにしているつもりだけれど、何かが違う。
何が違うのだろう?

「酸っぱくなった?」ママの質問は続く。
そうだ、酸っぱくないのだ。
同じようにしているはずなのに、なぜ酸っぱくならないのだろう?

① まず、キャベツを刻む。
② 刻んだキャベツを塩で揉む。
  この時私は、ポイポイと口にも放り込む。
③ 揉んだキャベツを容器に押し込む。
  この時私は、容器に入りきらない分を、やはり口の中に押し込む。
④ 冷暗所に置く。
⑤ キャベツに呼吸をさせるため、毎朝、箸でプスプスと穴を開ける。
  この時私は、プスプスしながら箸でつまんで、口にもチョイチョイ入れてやる。
⑥ およそ3日後から、キャベツが酸っぱくなり始める。

そう、3日後あたりから、酸っぱくなり始めるはずだ。
しかし考えてみれば、実際のところ、3日以内、酸味が出る前に平らげてしまっていたのだ。

「酸っぱくなる前に、全部食べてた」私は答えた。

そこに、ちょうど帰宅した弟くんが言った。
「つまりね、僕達はお腹が空いて、料理どころじゃないんだよ」

「塩漬けキャベツを作るコツが分かったわ!」
あっという間にご馳走をテーブルに並べると、ママは言った。
「東京に帰っても3日間お腹が空かないように、ここでタップリ食べておきなさい!」


あれから、早数ヶ月が経つ。

筆不精な私に痺れを切らしたママからは、
「5分間だけ余計にPCの前に座って、メールで近況をよこしなさい!」と電話があった。

さて、しばらく振りに、塩漬けキャベツに挑戦してみるか。
「コツのお蔭で、酸っぱくて美味しいのができたよ!」と、ママにメールを書けるように、
まずは、腹ごしらえと行こう。

2012年5月14日月曜日

布団が吹っ飛んだ!

ひどく風の強い日だった。
空はとんでもなく良く晴れて、空気は乾燥していた。

朝、ベランダの手摺に布団を干した。
そしてその上から、強力な布団ばさみでしっかりと押さえた。

部屋で諸々の作業をしていると、視野の片隅で、何か白っぽいものがふわりと浮いた。
胸騒ぎがして、ベランダに出た。

ついさっき、強力布団ばさみで手摺にしっかり押さえたはずの布団が、
ベランダの鉢植えの上に、ぐったりと横たわっていた。

「布団が吹っ飛んだ!」私は叫んだ。

子どもの頃、風の強い日の学校からの帰り道、布団を干しているお宅の前で、
「イエーイ!布団が吹っ飛んだ!」と、イタズラに叫んだものだ。
何と人騒がせなデマを振りまいていたことか、今更ながら反省した。

しかしながら当時は、まさかこんなことが現実に起きるなんて、思ってもみなかった。
「布団が吹っ飛んだ」が現実となった今、もう、いつ何が起きてもおかしくない。

「犬が居ぬ」日が、
「猿が去る」日が、
「虫を無視する」日が、
「牛がウッシッシと笑う」日が、
「『イルカはいるか?』と探す」日が、
「『イカはいかがですか?』とオススメする」日が、
「ミカンが見っかんない」日が、
・・・
いつか、本当に来るかもしれない。

2012年5月10日木曜日

護身術

何年前になるだろう。初めて海外出張に飛ばされたときのこと。

小さな荷物と、そして大きな不安と共に、空港に降り立った私はホテルに向かった。
タクシーの運転手さんは、胸板の厚い、白髪まじりの坊主頭をした、コワモテのオジサンだった。
映画の中なら、きっとマフィアの親分の用心棒役でも演じそうな彼に、私は恐る恐る話しかけた。

「あのー、私、日本の、東京から来たんです」
「……」
「この街は、初めてなんです」
「……」

聞こえないことはなさそうだが、オジサンは相槌も打たなければ表情も変えない。
こんな単純な文でさえ聞き取ってもらえないほど、私の言葉には日本語訛りが強いのだろうか。

「ここは、大きな町ですね」
「東京は小さな村なのか」

バックミラーを介して初めて目を合わせた。
5秒前までは怖かったオジサンが、親戚のように感じられた。

「私、こうして窓の外を眺めていても、右も左も東西南北も、全然分からない」
「心配するな。俺には分かる」

この時彼は、道路事情のことを言ったのだろう。
しかし私には、「俺にはお前の気持ちが分かるから、心配しなくていいよ」と言われた気がした。

彼の姪っ子にでもなった気分で、
小さな旅行カバンには到底収まりきらない大きな不安を、片っ端から打ち明けた。

本来なら超有能な上司がするはずの出張を、今回に限り「忙しい」の一言で私に振られたこと。
海外出張も、国際会議も、フォーラムでの発表も、何もかも生まれて初めてであること。
ド偉い面々が勢揃いする会議に、私のような小娘が出ては場違いな気がすること。
ド偉く難しい話を英語で議論されても、そもそも英語の苦手な私には、何も分かりそうにないこと。
人前に出るのが大の苦手だから、フォーラムで発表するのも怖いし、よもや質問などされようものなら、間違いなく卒倒しそうなこと……

「知った振りをしないことだ」

ずっと黙って聞き役に徹していた彼が、突然言葉を発した。
ポカンとしている私を見て、彼は続けた。

「自分に分かることがあれば、それだけを話しなさい。
分からないときは、黙っていればいい。
そうすれば、たとえド偉い奴ら100万人の前に出ても、お前は尊厳ある一個の人間だ。
分からないのに知った振りをして話すと、自らの尊厳を傷つけるうえに、場違いにもなる」

とてつもなく重く感じられていた肩の荷が、いっぺんに軽くなった。
それまでの緊張と不安で、身体の周りに硬く張られた殻が、ボロリと落ちた気がした。

すると、落ちた殻の下にうごめいていた、漠然とした別の不安が顔を出した。

「それにね、それに、知り合いもいない、全く知らない大都会に一人で放り出されて……」
「誰かに取って食われるのが怖いってか?」
そう、その通り。私は黙ったまま、ミラー越しに頷いて見せた。

「身を守るためにすべきことはただ一つ。
『自分はかけがえのない存在である』という認識を、片時も忘れないことだ。
自分を安く見積もることがなければ、悪い奴はまず寄ってこない」

それからしばらく、私たちは口を利かなかった。
その沈黙は、なんとも心地好い安心感、そのものだった。

ホテルに着くと、オジサンはトランクから荷物を降ろした。
「発表が上手くいくように祈ってるよ!」
手を振って運転席に戻ると、あっという間に見えなくなった。

タクシーを降りた私は、一人っきりで大都会に立っていた。

私の手には、東京から持ってきた小さな荷物があった。
東京から担いできた大きな不安は、もうそこにはなかった。
引き換えに、オジサンから教えられた二つの護身術が、私の胸に刻まれていた。

2012年5月7日月曜日

べっぴんさん

お向かいのお嬢さんは、べっぴんさんである。
世のべっぴんさん達の少なからずがそうであるように、彼女はワイルドだ。
そんな彼女の趣味は『狩り』である。
いつもは穏やな物腰で、チョット色っぽくさえ見える彼女だが、実は常に獲物を狙っている。
身近なところに思いがけない獲物を見つけては、いつの間にやら『狩り』を成功させてしまう。

『狩り』を成功させた彼女は、
なぜか私のアパートの入り口に、しとめた獲物、即ち、彼女の宝物を、一旦置く。
どうやら彼女はこの場所を、宝物第一次置場と設定しているようだ。
敢えて自分の家を避けるあたりが、何とも謎めいていて、べっぴんさんらしい。

更に彼女は、宝物が新鮮な間のみ、第一次置場に保管し、愛でて楽しむ。
その判定基準は未だ明らかでないが、新鮮さがなくなったと判断すると、
人知れず、そして、いずこへとも知れず、彼女は宝物を第一次置場から持ち去る。
これもまた、何とも謎めいていて、べっぴんさんらしい。

これまでに第一次置場に置かれた彼女の宝物を、改めて思い返すと、
必ず、前回よりも『大物』が、次の獲物になっていることがわかる。
この事実から、彼女の『狩り』に対する強い向上心が窺える。
そんな気の強さも、やはり、べっぴんさんらしい。

 ①バッタ
 ②コオロギ
 ③ゴキブリ
 ④ねずみ
そしてこのゴールデンウィークは、
 ⑤お魚
だった。

お向かいの、べっぴん猫のお嬢さん、お願いだから、どうか②までで勘弁してください!

2012年5月3日木曜日

片想い

入院中のを見舞いに行った。
エレベーターを降りると、ロビーには、車椅子に座り、ぼんやりとテレビを眺める父がいた。
「おぉ、良く来たな。忙しいんだろう?」
父は私に気付くと、珍しくねぎらいの声を掛けた。

外は夏みたいに暑いことや、共通の知人からの見舞いの伝言や、私の近況を報告した。
父は携帯ラジオの使い方が分からないと何度も言い、私はそれを何度もノンビリと教えた。
そのたびに父は、帳面のページを改め、同じことを何度も丁寧にメモした。
ここでの生活について父に尋ねると、
病院の食事はお粥ばかりでツマラナイとか、街中にある大きな眼鏡屋さんに行きたいとか、
愚痴とも希望とも取れることをいくつか並べた。
残念なことに、どれも今すぐ私の力でどうにかしてあげられそうにはなかった。

何か欲しいモノは無いか、と尋ねると、
家に帰れば何でもあるから、ここにいる間は要らない、と言った。
これから『ここにいる間』がどれくらい続くのか、私には見当がつかなかった。

「本でも読む?」と尋ねると、
あの作家のあの作品だったら、一冊ここに置いても良い、と言った。
週末にはその本を買って来ることを約束し、仕事に向かうことにした。
「忙しいのに、ありがとうな」
「じゃあ、またね」
短い、何てことのない、でも何となく少しは心の通った、父との時間を過ごした気がした。


翌日、母から電話があった。
「あなた、昨日・・・お父さんのところに行った?」不思議そうな声で尋ねられた。
「うん、行ったよ」
「そう、やっぱり!」
母は合点が行ったらしく、状況を説明した。

母が父を見舞いに行くと、「昨日はアイツが来た」と、父の妹、私から見ると叔母の名を言った。
「あの子じゃないの?」母が私の名を言うと、
「いやぁ?」と、父は心当たりのない様子だったそうだ。
その後、ちょうど叔母から電話があったので確認すると、やはり叔母は病院に行っていない。
「やっぱりあなたよね?」と私に電話を掛けてきた、ということだった。

「そうそう、私。よく『若い頃のアイツに良く似てる』って言われるものね。
やたらな人と間違えてもらっては困るけど、
飛び切り美人の叔母さんとなら、間違えられても、まあ、悪い気はしないやね。
次は週末お見舞いに行くつもり。お母さんも無理しないで」
そう言って、電話を切った。

短い、何てことのない、でも何となく少しは心の通った気がした、父との時間は、
父にとっては、妹との時間だった。

こういうの、『片思い』って言うのかなぁ。

2012年5月2日水曜日

愛してます!

「愛し合ってるかい?」というフレーズで知られる歌手がいた。

子どもの頃、今となっては懐かしいカセットテープで兄弟が聞いている歌を、私も傍で聞いた。
年上の兄弟も、テープレコーダーから流れる歌も、
どことなく不良っぽく、そして大人っぽく感じられ、
「チビの私が聞いても構わないのだろうか?」とヒヤヒヤしたのを覚えている。

私の乏しい視聴経験から言えば、
「愛し合ってるかい?」というフレーズで知られる彼が、
「愛し合ってるかい?」と言うのを聞いたことは、殆どない。
その一方で、
「愛してます!」と叫ぶ彼の声を、これまで何度聞いたことだろう。

この、一見矛盾とも取れる事実を、私はこう解釈する。

きっと彼は、世界中のみんなが愛し合うことを、
その、机上の空論でも上っ面だけでもない、縦横無尽に張り巡らされた愛によって支えられた、
根強く平和な世界を、望んだのではないだろうか。
だからこそ、
「最終目標は、みんなで愛し合うことだよ。みんな、愛し合ってるかい?」という思いが、
そのまま聞く者に伝わった結果として、
「愛し合ってるかい?」のイメージが落ち着いたのだ。

一方、
その最終目標に向かうために、実際彼の口から発された言葉は、
何万回もの「愛してます!」だった。

みんなが愛し合うために、僕にできること、
それは、まず、僕からみんなに愛を発信することだ。

「『みんな』がやってくれないから、僕は始められない」なんてコトを言っているヒマはない。
誰だか分からないような『みんな』に、責任を押し付けているヒマもない。
「お前が最初に動けよ」なんて誰かをけしかけているヒマもない。
だって、僕らの人生の時間には、限りがあるのだから。

彼の「愛してます!」には、
そんな自分の有限性を知るがゆえの、無限の可能性が現れていたのかもしれない。

・・・そんなことをボンヤリと思っていたら、一つ気付いた。
今日は、彼の命日だ。

2012年4月30日月曜日

恋の季節

突然、息苦しさを覚え、居ても立ってもいられなくなる。
喉の奥、否、もっと奥、胸の奥から、ムンムンと何かが突き上げてくる。
いつもは理性に支えられているつもりでも、
所詮、誰も皆、ケモノであることを、
そして所詮、ケモノは皆、オスかメスか、であることを、
否応無しに思い知らされる。

この感覚、この臭い、
これは、・・・恋の臭い、
恋の季節。

我が城の前の路地には、私には数え切れないほどの猫が暮らしている。
オス達によって振りまかれた恋の臭いに、思わず鼻を押さえ、息苦しさを覚える。
自分の暮らす路地だというのに、居ても立ってもいられない。

この感覚、この臭い、
これは、・・・恋の臭い。
恋の季節の到来だ。

2012年4月26日木曜日

幸せの花びら

何年前になるだろうか。
四月上旬のことだった。

当時の勤め先の部長が言った。
「はらはらと舞う桜の花びらを空中で捕まえると、幸せも捕まえられるって聞いてね、
『オレは今、朝に晩に桜吹雪の中を通勤してるんだから、そんなこと簡単さ!』と思って、
ちょっと試したのよ。
しかし、これが案外難しくて、ちっとも捕まえられないんだ。
花見客の前で、奇妙な踊りを踊るばっかりで、恥ずかしくなって諦めたよ」

それを聞いて、ひとつ私も幸せの花びらを捕まえてみようと、
昼休み、近くの桜名所へ散歩に出た。
ちょっと風が吹けば、数え切れないほどの桜の花びらが一斉に舞い、猛烈な桜吹雪になる。
こんなに沢山舞っている。
それに、一枚一枚は、あくまでも舞っているのであって、
決して、猛スピードでスッ飛んで行くわけではない。
簡単にドンブリ一杯分くらい捕まえられそうな気がする。
これが捕まえられないなんて、
部長はスポーツマン風に見えるけど、実は運動神経がメチャメチャ鈍いのかもしれない。

宙を舞う花びら達の中から、ひとひらに狙いを定め、舞い進む行く手に片手を伸ばした。
手を伸ばすと、その花びらは方向転換した。
転換された方向に、また手を伸ばす。
すると、花びらはまた方向転換する。
手を伸ばしては逃げられ、逃げられてはまたそちらに手を伸ばし、また逃げられる。

意外にも、舞う花びらを捕まえるのは難しいことが分かった。
やはり部長は見た目どおりのスポーツマンで、運動神経も良いのだろう。
そんな彼が諦めたのだ。

私は弱気になってきた。
「このまま肩に桜吹雪がくっついて、遠山の金さんに変身するのと、
幸せの花びらをひとひら捕まえるのと、どっちが早く実現するだろう?」
そんな疑問まで湧いてきた。

いや、ここまで来た目的を思えば、遠山の金さんになんか変身していられない。
よし、私は幸せの花びらを捕まえる方が早いことに賭ける!

周りには昼休みを満開の桜の下で過ごす人たちが少なからずいた。
しかし、人目など気にしてはいられない。

私は覚悟を決め、宙を舞う花びら達の中から、改めてひとひらに狙いを定めた。
その舞い進む行く手に、今度は両手を伸ばした。
花びらは方向を変え、逃げた。
逃げた方向に、また両手を伸ばした。
今度は捕まりそうだ。
花びらを挟むように両手を合わせた。
しかし花びらは方向を変え、逃げた。
部長が花見客にご披露した奇妙な踊りを、今度は私が踊っていた。

しばらくの間、美しく舞う花びら達と共に奇妙な踊りを踊ったところで、我に返った。
行き交う人たちの様子から、昼休みも終わりに近いことが伺えた。

時間切れだ。
賭けもオシマイ。
遠山の金さんにも変身しなければ、幸せの花びらも捕まえられなかった。
チョッピリ残念。
だけど人目も気にせず、こんなカッコ悪いことに夢中になっちゃうのって、結構気分好いかも。

そう思って、桜名所を去ろうとした時だった。
一陣の風が吹き、再び桜吹雪が起きた。
それでも私は、手を伸ばさなかった。
あちこちで、花びらがくるくると渦を巻いた。

「ありがとう。あなた達と一緒にヘンテコな踊りを踊って、楽しかった」
花びら達を見上げ、挨拶をした。
職場に向かって歩き出す前に、
頑張ったけど、花びらをひとつも捕まえられなかった両手のひらに目をやった。
はらはらと一枚の花びらが舞い下り、左手の上に静かに乗った。

2012年4月21日土曜日

NR

昔々、私が初めての就職をしたころのこと。
職場の壁には、恐らく他の多くの職場と同様、大きなホワイトボードが掛けられ、
『行動予定表』と題されたメンバー一覧として使用されていた。

外出や、会議などによる離籍、出張、休暇、などの際、
行動予定と帰社時間とを、自分の名の書かれた行の各欄に記入する。
そして職場に戻ったら、自分の行をきれいに消す。

行動予定の欄には、
主に行き先、『第○会議室』、『××出張』や、『休暇』などが書かれる。
帰社時間の欄には、
『13:00』などの時刻や、『4/21』などの日付が書かれる。

職場にいる者の行は、名前の欄以外が真っ白だし、
不在の者の行には、行き先と、戻ってくる時刻または日付が書かれている。
これでメンバーの行動が一目瞭然、という、なんとも便利なアナログ・システムである。


ある日、とある先輩が外出した際、帰社時間の欄に『すじ』とあった。
確認すると、『すぐ』を走り書きしたものであることが分かった。
それからというもの、その職場では、「すぐ戻る」ことを、「すじ戻る」と言うようになった。

また別のある日、別のとある先輩が外出した時には、帰社時間の欄に『NR』とあった。
それが何を意味するかを知らなかった私は、在席中の先輩に尋ねた。
「『NR』って、何ですか?」
「直帰、つまり、会社に戻らずそのまま帰宅するってこと。『ノー・リターン』の略だよ」
なるほど、と納得すると同時に、なぜか先輩と私の口をついて、同じ言葉が出た。
「ノー・リターン、ノー・タリーン」
それからというもの、その職場では『NR』を「ノー・タリーン」と読むようになった。

2012年4月14日土曜日

モテ期

ふと、自分のこれまでの人生を振り返ってみたら、
思いもかけない事実に気付いた。

20歳台前半、正確には、20歳から23歳といったあたり、私はモテていた。
思い出せるだけでも、5人の男性からプロポーズをされた。
今思えば、なんとも勿体ないことに、片っ端から断ってしまった。
それでもなお諦めきれなかったある男性からは、父親を紹介されたことまであった。

そんなモテモテ期、
当時、相手の男性達の年齢は、みな10歳以下だった。

きっと今頃、みんな立派に成長していることだろう。
そしてこれから、それぞれ、どんな素敵なパートナーと共に人生を歩んで行くのだろう。

2012年4月7日土曜日

出来心

その晩は早めに床に就く予定だった。
翌朝は少し早めに起きて、
それからしばらく続く、私にとっては目一杯のスケジュールに、
元気一杯稼動して取り組む決意をしていたためだ。

全ては順調だった。
午後10時前、あとは寝るばかりに仕度を整え、明かりを消そうとした。
その時だった。
まだ明かりの消えていない部屋の中を、ぐるっと見回してしまったのである。
それは、ほんの出来心で、何となくチョット見回してみただけのことだった。

改めて、ぐるっと見回してみると、
「この部屋には、もっと望ましい家具の配置があるはずだ」
と直感した。

あの棚をこっちに動かし、
この棚の中身は、分野別にあっちとこっちに振り分けて、
ここに空いたスペースには、あの辺りのものを入れてやって、
あれをああ動かして、これをこう動かして、
こうして、ああすれば・・・
この部屋は間違いなく、今よりもずっと素敵に快適に、暮らしやすくなる!


私の信条の一つに、『思い立ったが吉時』というのがある。
最後が「吉日」でなく、「吉時」なので、「その日」なんて悠長なことは言っていられない。
「その時、その瞬間」に実行すべし。

翌朝からのスケジュールも忘れ、我も忘れて、
寝巻姿のまま、あの棚をこっちに動かすべく、まずは中身を出し始めた。

強い空腹と喉の渇きを感じて、我に返った。
時計に目をやると、午前二時を回っている。
部屋の模様替えは、未だ五合目にも達していない。
しかし、翌日は早朝からの稼動が予定されている。
兎にも角にも時間切れとして、取るものも取り敢えず、散らかった部屋の中で床に就いた。


あれから一ヶ月、私にとっては目一杯のスケジュールの中で、
一つ一つの課題に、精一杯取り組み続けている。
そして今なお、我が城は、素敵で快適で暮らしやすい部屋への変革途上であり続けている。

変革途上であるとは、
それなりに構築され、既にそれなりに回っているシステムを一旦バラし、
一つ一つの構成要素を改めて確認しながら、
それまでとは異なる形に再構築する作業の真っ最中、と言い換えることができる。
このとき、すっかりバラバラにされた世界は、まさに混沌である。
たとえ、最終的に目指すべき再構築後の絵図が掲げられていても、なお、
混沌の中においては、右も左も分からずに、迷い、戸惑い、もがく。

そんな変革途上の部屋の中での生活を、
すなわち、混沌の中で迷い、戸惑い、もがく生活を、もう一ヶ月続けている。
そして今なお、出口は見えていない。

このバラバラが、
ほんの少し前までは、それなりのシステムとして回っていたことや
いずれまた、新しいシステムに生まれ変わって、素敵に回り始めるはず、ということが、
今や、信じ難くなっている。
そんな混沌とした生活に、チョッピリ疲れを感じると同時に、ふと疑問が湧いた。

そもそも、いつ、どんな訳で、私はこんな混沌の中に放り出されてしまったのだろう?
こんな一大事というのは、一体全体、どんなきっかけで始まるものなのだろう?

記憶の中で、時間を遡ってみると、ある瞬間に行き当たった。
そうだ。
予定通り、順調に、あとは寝るばかりに仕度を整え、部屋の明かりを消すはずだった、その時だ。
予定に反し、まだ明かりの消えていない部屋の中を、ぐるっと見回してしまった、あの時だ。

あの時は、まさか、こんな一大事に至るとは思いもしなかった。
きっかけは、ほんの出来心だったのだ。

2012年4月2日月曜日

ぢんちょうげ

「あ、この匂い」

仕事場へ向かう途中、思わず足を止めた。
「なんだっけ、なんだっけ、この匂い」
空を見上げて、記憶を辿って、辺りを見回しながら、目線を下げていくと、
「そうだ!」と思い当たるのとほぼ時を同じくして、
少し先に咲いているぢんちょうげが目に入った。

毎年、最初にぢんちょうげの匂いを感じた時、
どういう訳か、すぐにはそれと分からずに、
「なんだっけ、この匂い」と思う。

あまり派手さのない花に鼻を近づけ、思い切り息を吸うと、
身体の中いっぱいに、甘い匂いがしみこむようだ。

再び歩き出すと、再び甘い匂いがしてくる。
辺りを見渡すと、もう少し先にもぢんちょうげが咲いている。
そちらの花にも鼻を近づけ、おいしい匂いを思い切り吸い込む。

またまた歩き出すと、またまた甘い匂いがしてくる。
おいしい匂いに誘われるまま、あっちにフラフラ、こっちにフラフラ、
くんくん嗅いで回った。

いつもなら、徒歩7分の仕事場への道のりに、15分以上かかった。

毎年、ぢんちょうげの咲くこの季節、
どういう訳か、どこへ行くにも時間がかかる。

2012年4月1日日曜日

美容院

美容院に行った。
久方振りにパーマをかけた。
私の頭の外側が、中身と足並みを揃えた。
髪の毛がくるくるして、くるくるパーマだ。

なんだか、ゴキゲンな春になりそうだ。

2012年3月22日木曜日

水も滴る晴れ女

何を隠そう、私も、母譲りの晴れ女である。
これまで、天候のお蔭で困ったりガッカリしたり、という経験がない。

そんな私に、この春最初の遠足のお誘いがあった。
そして、悪天候のため遠足は延期された。

遠足がフイになったその日、「珍しいこともあるものだ」と、台所で食器を洗っていると、
靴下が湿っているように感じられた。
「すすぎの水が跳ねたかな?」と、足元を見ると、
シンク下の収納扉から、ポタリポタリと水が滴り落ちている。
このため、私の靴下は実際に湿って・・・、否、見る見るうちにびしょ濡れになった。

「水が滴り落ちる原因は何だろう?」と、収納扉を開けた。
その瞬間、
シンク下の収納スペースから、大量の水が一気に流れ出た。

シンクの排水口から下に続く管が、何かの拍子にスッポリと外れたらしい。
すすぎの水は、排水口から進むべき管へ導かれることなく、全て収納スペースに流出した。
そしてそれが、収納スペースに溜まりながら、扉の隙間からポタリポタリと滴り落ち、
私の靴下を徐々に濡らしていったのである。

扉を開けたことで、いっぺんに状況が把握できた。
同時に、いっぺんに我が城の台所は水浸しとなった。

これまで、晴れ女の私に降りかかることを避けてきた雨粒たちが、
この日は皆で束になり、台所に押し寄せて来たようだ。

ありがとう。
これまでの幸運を、つくづく噛み締めた一日だった。

2012年3月19日月曜日

晴れ女

は晴れ女である。

独身時代の母は、時折、職場の仲間と一緒に登山を楽しんだらしい。
彼女がいれば天気の心配は要らない、というのが、
登山仲間の間では、神話のように語り継がれていたそうだ。

若い頃から、母は晴れ女だったらしい。

結婚後の母は登山をしないので、山での晴れ女ぶりを確認することが難しい。
とはいえ、母と二人で旅行やらピクニックやらに行って、降られたことは一度もない。
しかも、私が親孝行休暇を取るのは、梅雨時と決まっている。
更に、私は母を誘う場所として、雨降りの多い地域を、つい選んでしまう。
それでも、東京に帰って親子で口を揃えて発する言葉は、
「我々に必要なものは、傘でなく日焼け止めクリームだ」である。

やはり今でも、母はかなりの晴れ女らしい。

ところで、真面目一筋の彼女は、
たとえ台風接近により暴風雨に対する注意報が出ていても、ミゾレや雪が降っていても、
行き着けのスーパーマーケットの『全品○割引!』への参戦だけは欠かさない。
家族の反対を押し切って、彼女が玄関を出ると、不思議と雨風は弱まる。
そして気を揉んで過ごした何十分かの後、帰宅した彼女を玄関で出迎えると、
不思議なことに、彼女の傘も、合羽も、長靴も、買い物袋も、特に濡れた様子はない。
せいぜい、ちょっとした小雨の中を歩いて来た、という程度なのである。
「思いのほか、小降りだったわ」という彼女の言葉は、まんざら嘘でも強がりでもないようだ。
すると彼女の帰宅を待ってましたとばかりに、再び雨風が強まる、というのが、
不思議ながら通例である。
どういうわけか、彼女の真上だけは、雨雲が避けて通るらしい。

そんな時、つくづく思う。
今や母は、最強の晴れ女である。

2012年3月6日火曜日

正直者

半年に一回、歯の定期健診を兼ねて、クリーニングを受ける。
まず、先生が私の口中を一通り眺め、何の武器も手に取らず、
「キレイにしてますね」と言ってくれると、この上なくホッとする。

今回は、この決め台詞のあとに、念押しのような質問が続いた。

「デンタルフロスは、毎日してますよね?」
「えぇ、昨夜から毎日、いえ、毎食後にしてます!」
「昨夜から、ですか?」
「はい。昨日の晩ご飯の後と、今日の朝ご飯の後と、昼ご飯の後、歯磨きもフロスも『親の仇!』ってくらいにゴシゴシやりました」
「昨夜より前は?」
「昨夜以降の歯磨きは気合を入れたので良く覚えているんですが、それ以前の歯磨きはどうも印象が薄くて」
「正直なんですね」
「はい。それだけが取柄なんです!」
「まあ、口の中を見れば分かるんですけどね。……正直なのは良いことですよ」
「!」

なんと歯医者さんは、口の中を見れば、その人が正直かどうかまでも分かってしまうらしい。
しかも、その歯医者さんが太鼓判を押してくれた。
正直なのは良いことだ、と。

よし、これからも正直に生きていこう。
そして半年後には、「殆ど毎日フロスをしました!」と言えることを目標にしよう。

2012年2月23日木曜日

後片付けには福がある

子どもの頃から、後片付けが、あまり得意ではなかった。
周りの大人たちからは、「全く、だらしない・・・」と言われることが少なからずあった、
と記憶している。

しかし、後片付けに対して、決して悪い印象は持っていない。
むしろ、好意的にさえ思っているほどだ。

中学生の頃のこと。
地元の花火大会の翌朝、ランニング目的で近くの河原に行ってみると、
そこはゴミ野原と化していた。

驚きのあまり、しばらく呆然と立ち尽くした。

そして我に返り、「今朝は走らずに、花火大会の後片付けをしよう!」と思い立った。
夜間の外出を禁じられていた当時、花火大会を見に行ったことはなかったが、
お腹に響いてくる音を感じるだけでもワクワクして、何となく楽しかった。
音だけとはいえ、私も楽しんだ花火大会だ。
後片付けとして、楽しんだ音の分だけゴミ拾いをしよう。

ポツリポツリと、何人かの大人たちがゴミ拾いをしている姿が目に入るものの、
とてもじゃないが、この広大なゴミ野原に太刀打ちできる人数ではない。
そこに私一人が加わったところで、変わりはない。
更には、夏休みも始まったこの季節、暑くて昼日中に作業はできないだろう。
日が高くならないうちに、この人数で何をどう頑張っても、
ゴミ野原は相変わらずゴミ野原のままに違いない。

しかし、そんなことはどうでも良かった。

近くに落ちているレジ袋を拾い上げ、作業を開始した。
まるで、見えない誰かに先導されながら、
「ハイ、次はこれ!それから、これ!その次はこっち!」
と指差されては拾い、拾っては袋に入れて、一歩進んでいるような心持ちだった。
すぐに袋はいっぱいになったが、次の袋も、その次の袋も、誂えたように目の前に現れた。

しばらく作業に夢中になっていたら、ちょっと腰を伸ばしたくなった。
立ち上がって後ろを振り返った。
ゴミ野原の中に、ほんの短い距離だったが、緑の芝生の道ができていた。

水前寺清子の気分だった。
「あなたのつけた足跡にゃ、綺麗な花が咲くでしょう」
花こそ咲いてはいないものの、猫の額ほどの面積とはいえ、
そこだけは、ゴミ野原でなく、いつもの河原だった。

少しくたびれてきたし、暑くもなってきた。
気も済んだことだし、この辺で帰ろうか、と思ったその瞬間、
「待って、ここ!あと一つだけ!」
見えない誰かの声が聞こえた・・・わけではないが、そんな気がした。
足元に目をやると、千円札が二枚、落ちていた。
それはまるで、風で飛ばされないように、草の間に挟み込まれているようにも見えた。

「これって、天からのお駄賃なのかしら?」千円札を拾い上げて、日の光に透かし、眺めた。
日常的にお金に触れる機会が少なく、
せいぜい100円玉や10円玉をいくつか机の引出に忍ばせている程度だった当時の私にとって、
二枚の千円札は、天からのお駄賃としてそのままポケットに入れるには、あまりにも高額だった。
眺めているうちに、見つけたのが一億円くらいに思えてきた。

慌てて、交番まで走った。
夏休み中、早朝ランニングをすると決めたこと、
今朝も早起きして、ランニングをしようと家を出たこと、
今朝だけは走るのを諦めて、花火大会の後片付けに切り替えたこと、
そして、この大金を見つけてしまったこと、
何もかも、一部始終を、興奮しながらお巡りさんに説明した。

お巡りさんは、そんな大金を見せつけられても、落ち着いた様子を崩さなかった。
ランニングも、後片付けも、交番に来たことも、一つずつ褒めてくれた。
そして、拾得物届出の手続きを説明してくれた。

翌朝、「今度は3億円くらい見つけてやる!」と勢い込んで、
軍手やゴミ袋の準備まで整え、うんと早くに河原へ急いだ。
するとそこは、もうすっかり片付いて、いつもの河原だった。
誰が?どうやって?魔法みたい。
ランニングのことなど綺麗サッパリ忘れていた私の浅ましい根性を、見透かされた気分だった。

半年ほど後、警察署に赴き、河原で見つけた大金二千円を再び手にした育ち盛りの私は、
仲良しの友人と二人で街に出て、ステーキランチを食べた。


こんなことがあったためだろうか、後片付けに対して、決して悪い印象は持っていない。
むしろ、好意的にさえ思っているほどだ。
そして、不思議なことに、その後も私が後片付けをすると、
何かしら「天からのお駄賃?」と思えることが、毎回ではないが、時に、ある。

ただ、やたらにこんな話をすると、子どもの頃から耳に馴染んだ
「だったら日頃から身の回りを綺麗に片付けておきなさい!」
という家族の声が、今にも聞こえてきそうだ。

2012年2月16日木曜日

トラちゃん

友人の二歳になるお嬢さんが自分の名を呼ぶと、たまに「トラちゃん」と聞こえることがある。
未だ不安定な発音のため、本名と少しばかりズレた結果、こうなる。

時折、彼女は私のことを『ママ』とか『おばあちゃん』とか呼ぶ。
頻繁に呼ぶ名前がつい口を衝いて出るのか、女性の呼び名がこんぐらかるのか、
あるいは、私の名をド忘れするのか、その辺のところは解明できていない。
しかし、小さな子どもの澄み切った良く通る声で、
「ママ、こっち来て一緒に踊ろう!」「おばあちゃん、バナナの絵描いて」なんて言われると、
呼び名が違ったことなどお構いなしで、妙に心弾んでしまう。

そんな彼女と二人で、時の経つのも忘れ、夢中になって遊んでいたときのことだ。

彼女は突然顔を上げて私を見ると、驚いたように「おっ、おっ、おっ」と、小さく声を詰まらせた。
そして私を指差し、「これ、何?」と尋ねた。
「○○さんよ」私は自分の名を答えた。
すると彼女は、安心したとばかりに重ねた両手を胸に当ててニッコリと笑い、
膝を深く曲げながらこう言った。
「トラちゃんね、○○さんと一緒に遊べて、とぉ~っても嬉しい!」
言い終えると同時に、小さく一つ、ピョンッと跳ねた。

たとえ私の名を忘れたとしても、もし他の用件だったなら、
呼び名を省略できたろうし、『ママ』や『おばあちゃん』で済んでしまったかもしれない。
しかし、このセリフばかりは、
どんなに好きな 『ママ』や『おばあちゃん』の呼び名を使っても、代用が効かない。
相手の名前を言わなければ意味が違ってしまうのである。
だからこそ彼女は、それを間違いなく確かめてから、私に気持ちを伝えてくれた。

大好きなトラちゃん、ありがとう。
私も、あなたと共に過ごせたことが、
嬉しくて嬉しくて、嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて、とぉ~っても嬉しい!
また一緒に遊ぼうね。

2012年2月11日土曜日

カメの味噌汁

友人宅に滞在し、休暇を過ごした。
そこでは毎朝、友人の母上が心を込めておいしい朝食を用意してくださる。
それを、友人の二歳になるお嬢さんと一緒にいただく。

「今朝もお味噌汁がおいしいね」と私が言うと、お嬢さんは応えた。
「うん、カメが入ってるね」
「え、カメ?」
「そう、カメ。カメさんが入って、おいしいね。ほら!」
彼女は箸で味噌汁の具をすくった。
それを見て、私は思わず叫んだ。
「わぁ、カメ!」

その朝の味噌汁には、タマネギと、キノコと、ワカメが入っていた。
彼女の言葉通り、確かに、味噌汁の中には、『カメ』が入っていた。

2012年2月1日水曜日

僕、嫌われたくないですから

ここ数ヶ月というもの、の気力も体力も、急激に落ちた。
原因は不明である。
外に出ることも殆どなく、余程の必要が生じない限り、狭い家の中でさえも立って歩こうとしない。
そんな父の元に、毎週、リハビリ体操の先生が往診される。

仕事を休んで実家に帰る機会があり、父のリハビリ体操に立ち会った。
体操のカウントを取ったり父を激励したりしながら、先生は私に促した。
「気になることとか、知りたいこととか、ありますか?」
「やはり、先生がお見えにならない日も、自主練習をしたほうが宜しいでしょうか?」
日頃、散歩やら何やら誘ってみても上の空で、表情さえ変えようとしない父に
痺れを切らしていた私は、半ば当て擦るような気持ちで言った。

「ご本人がしたいようにされたらいいと思いますよ。まあ、普通はしないと思います」
意外な返答に面食らっていると、先生はノンビリと続けた。
「こんな筋トレみたいな地道なこと、大抵の方は生まれて始めてされるんです。
生まれてから何十年もの間、一度も経験のないことを、
しかも、華やかでもなければ、別段楽しくもないことを、
突然『やれ』って言われたって、できるわけないですよ。
僕なら、できないです。
だから、僕が来たときだけでも一緒にやってくれるのは、本当に立派なことだし、
それで十分だと思うんです」

体操メニューの一つでも二つでも、覚えておくことができれば、
週に一度の往診の時間だけでなく少しずつ体操ができて、回復の効率も良かろう。
目の前の一部始終を頭のノートに書き込んで、そして何とかして父に自主練習させよう、
と、躍起になっていた自分に気づかされ、ハッとした。
そんな私をなだめるように、先生は更に続けた。

「もちろん、週に一度でも、ご自身で体操をされたら、効果は2倍どころか、3、4倍になりますよ。
ご家族としては、早く良くなって欲しい、少しでも良くなって欲しい、って思いますからね。
むしろ、家族のほうが、やる気あるんですよ。
体操を手伝っているうちに、応援する気持ちが強くなって、『もっとやれ』ってケンカになっちゃう。
でも、そこで、家族がケンカをしたり、本人が体操をイヤになったりしたら、
元も子もなくなってしまうんです。
だから、無理をしないで、ケンカもしないで、嫌いにもならないで欲しいんです」

思い起こせば、私には「起き上がれない」という経験は片手で数えられる程度しかない。
しかも、そんな時であっても、せいぜい2、3日も眠り続けたら、ケロリと治ってしまう。
自分の体が思うように動かない、立ち上がる気力さえ湧かない、といった経験など、一度もない。

そんな私が痺れを切らすよりも、ずっと前から、
当の父親こそ、自分の体に痺れを切らしていたことだろう。
私が父の機能回復を願うよりも、ずっとずっと強く、
当の父親こそ、自分の体の機能回復を願ってきたことだろう。

そんな当然のことに目を向ける余裕もなく、
「私がこれだけ頑張るのだから、あなたも同じだけ頑張りなさい」という、
身勝手な押し売りをしていた。


「僕、嫌われたくないですから」
先生はポツリと付け加えた。

『嫌われたくない』という言葉は、往々にして、日和見的な臆病さを連想させる。
しかし、そんな言葉を発する彼の柔らかな態度は、極めて強い意志に支えられていた。

誰かに無理をさせることなく、嫌な思いをさせることもなく、
どの関係も損なうことなく、どこにも皺寄せを食わせることなく、
皆で一緒に、一歩ずつ、ほんのチョッピリずつでも、良くなる道を模索していきましょう。
と、言われた気がした。

無理のない範囲で、できるだけのことをする。
それがどんなに小さな小さな一歩でも、その一歩を確かに踏んでいることを、認めよう。

自分自身のためにも、また、他者に無理を強いないためにも、
まずは私自身が無理のない一歩ずつを踏み、そのチッポケな一歩ずつを認めよう。

そして、
「私、嫌われたくないですから」と宣言できる勇敢さを育もう。

2012年1月21日土曜日

初めての誕生日

我が家には、誕生日を祝う習慣がなかった。
小学生の頃、同級生のお誕生会に招かれて、そこでの楽しかった様子を報告しても、
両親からの返答は決まって、「ヨソはヨソ、ウチはウチ」であった。
我が家の誕生日にはプレゼントもケーキもなく、
その代り、朝食前には決まって父からこんな訓示が垂れられた。
「誕生日だからと言って他人から祝ってもらおうだの、ましてやプレゼントをもらおうだのという浅ましい気持ちは捨て去らねばならない。
誕生日というのは、日々世話になっている周りの人たちに、改めて感謝すべき日だ。
『お蔭さまで、また一つ無事に年を取れました』と、お礼をして回ってしかるべきだ。
こうした意味では、毎日が誕生日と心得よ。」

こうして十数年後、「誕生日なんて興味ナシ」という、冷めて、ひねくれた高校生が出来上がった。

そんな私が、初めて自分の誕生日を祝ったのは、大学一年生の時だった。
経済的な自立も不確かなままとは言え、
親元を離れ、小さな小さな私だけのお城で迎える初めての誕生日は、
何だかとても特別なものに思えた。

これまで、誕生日をどんな風に祝ってもらいたかったんだろう?
初めての一人きりの誕生日を、どんな風に祝いたいだろう?
自分の意のままにできる誕生日を、どんな風に過ごしたいだろう?

それまで考えてもみなかったような疑問を、自らの胸の奥に投げかけてみた。

そうだ、ケーキだ!誕生日といえば、ケーキにロウソクだ!
そして、お祝いの言葉だ!
お友達と一緒に「おめでとう!」と言って、ロウソクの火を吹き消そう!

小学生の頃、同級生達が極々普通に執り行ってきたお誕生会のプログラム中で、
最も平凡、かつ、最も大切な部分を、自分の城でやってみたい。
それが、胸の奥からの答えだった。

一ヶ月も前から計画を立て始め、一週間前からケーキを作り始めた。
授業を終えて帰宅すると、日持ちするケーキから順に、毎日一つずつ焼いた。
前日ともなると、部屋の外にまで、甘いにおいが漂った。
身近な友人達には、ケーキを一緒に食べて、一緒にお祝いして欲しいことと、
その日は24時間welcome体制であることを、折に触れて伝えた。

待ちに待った誕生日の最初の瞬間のために、大好きな緑茶を入れるべく、
ヤカンを火に掛けた時、ドアがノックされた。
戸を開けると、仲良しの友人が立っていた。
「10分前、おめでとう!」という言葉と共に入ってきた彼女の手には、
ついさっき実家に車を飛ばして収穫して来たばかりという、
立派な立派な椎茸が、私の大好物の椎茸が、
それはそれは、いっぱい載せられた籠があった。

「5分前、おめでとう!」まずは緑茶で乾杯した。
12時の時報がラジオから流れると、
お決まりの「ハッピ バースデー、トゥユー」を歌いながら、ケーキに立てたロウソクに火をつけた。
そして、「おめでとう!」と叫んでから、吹き消した。
ロウソクの炎を吹き消すのは、思いの外、肺活量を要した。
解けたロウが、ケーキの上に飛び散った。
消した後は、ちょっと臭かった。
「ロウソクを立てるのは、他人が食べるケーキに限る」我々は一つの教訓を得た。

その後は、何が何だか覚えていないが、ケーキと緑茶と白菜漬をお供に、
一晩中夢中になってオシャベリを続け、夜が明けた。
「実はまだ誕生日始まったばかりだよね。おめでとう」
彼女は、かすれ気味の声で何十回目かの祝辞を述べ、帰っていった。

その日のうちに、何人かの友人達が、入れ替わっては、
「おめでとう!」を言いに、私の小さなお城を訪ねてくれた。
親切な客人たちに、私はお手製のケーキを振舞った。


この日のために、「何を望むか?」を自らに問いかけ、
その答えを実現すべく、自らの手を動かし、また、友人達には協力を仰いだ。
自らの手を動かした分だけの成果(製菓)が現れ、また、友人達は皆、快く協力してくれた。
結果として得られたものは、そもそも望んでいた「ケーキ」と「ロウソク」と「おめでとう!」に加え、
それ以上の、得体の知れない『何か』が、確かに感じられた。

ケーキとロウソクと「おめでとう!」で祝った、初めての誕生日は、
たったそれだけの、安上がりな誕生日だったけれど、
本当に『何か』が誕生したのかもしれない。

「誕生日、祝ってみるのも悪くない」
ちょっと前までは、冷めて、ひねくれた高校生だった私の耳の奥を、
そんな言葉が、風のように通り抜けて行った。

2012年1月11日水曜日

少しだけ いつもと違う お正月

例年、正月二日に書初めをするのを習わしとしてきた。
気持ちも新たに、新しい年の抱負をしたためる。
漠然と思いつくままに、幾つもの抱負や目標を、何枚もの紙に何度も繰り返し書き続けていると、
徐々に収斂されてくる。
「これだ!」と思える形に纏まると、心は希望に満ちながらも穏やかになり、筆を置く。
書初めによって抱負を練り上げることは、私にとって新年の大切な恒例行事であり、醍醐味でもある。

・・・と言うと聞こえはいいが、実のところ、(大きな声では言えないけれど、ここだけの話、)
殆ど毎年、年賀状を書き始めることさえできないまま、お正月を迎えてきた。
そして、この「書初め」とは、年賀状のことである。
元旦に受取った年賀状一枚一枚に対し、感謝を述べ、
年が明けてから書くことをお詫びし、「来年こそは年末に書きます」と頭を下げてから、
心を込めて新年の挨拶と抱負を書く。

ここで、だいぶ身勝手ではあるが、
「年賀状を書く時期」という、感心できない側面を棚に上げてみる。
すると、これは「新年の抱負を書く試行を、年賀状の枚数だけ繰り返すこと」とも捉えられる。
一枚目では海のものとも山のものとも分からなかったようなメッセージが、
最後の一枚を書き上げる頃には、何となく抱負らしくなっている。
こうして練り上げた抱負を胸に、新しい年をスタートするのは、爽やかで気持ちの良いものだ。


ところが、この年末年始は様子が異なった。
昨年12月上旬、仕事を数日間休む機会があり、そこで年賀状を書いたのである。
しかし、私にとって12月上旬は、飽く迄も漠然と抱負の卵を温め始める時期であって、
練り上げるには尚早であった。
悩んだ挙句、抱負を書かずに、挨拶のみとすることにした。
いつもとちょっとばかり趣の異なる年賀状を全て書き上げたのは、
12月9日、雅子妃殿下の誕生日、夏目漱石の命日だった。
郵便ポストに、「年賀郵便」と「一般郵便」の表示が貼られる15日を待って、投函した。

こうして、懸案事項も後ろめたさもなく迎えた元旦は、
不思議なことに、ほんのチョッピリ物足りなく感じられた。

小さな一歩とはいえ、普通の立派な大人としての偉業を成し遂げながらも、
その裏側で、抱負を練り上げる機を逸した私は、あたりを見渡しては相談相手を探した。
昼間は雲や山並みに、夜は月や星に向かって、
今年の私にどんな成長を望むべきか、尋ねてみた。

いつもとちょっとばかり違うお正月を迎え、
いつもとちょっとばかり違う方法で新年の抱負を立てている。
慣れたやり方を離れて抱負を立てるのは、思うようには捗らないが、
新しい方法は、いずれ確立することだろう。

何はともあれ、これからも12月のうちに年賀状を書こう。
そして今年は、1月一杯掛けて抱負を練り上げること、
ひとまず、このプロセスを楽しむこととしよう。