2012年2月1日水曜日

僕、嫌われたくないですから

ここ数ヶ月というもの、の気力も体力も、急激に落ちた。
原因は不明である。
外に出ることも殆どなく、余程の必要が生じない限り、狭い家の中でさえも立って歩こうとしない。
そんな父の元に、毎週、リハビリ体操の先生が往診される。

仕事を休んで実家に帰る機会があり、父のリハビリ体操に立ち会った。
体操のカウントを取ったり父を激励したりしながら、先生は私に促した。
「気になることとか、知りたいこととか、ありますか?」
「やはり、先生がお見えにならない日も、自主練習をしたほうが宜しいでしょうか?」
日頃、散歩やら何やら誘ってみても上の空で、表情さえ変えようとしない父に
痺れを切らしていた私は、半ば当て擦るような気持ちで言った。

「ご本人がしたいようにされたらいいと思いますよ。まあ、普通はしないと思います」
意外な返答に面食らっていると、先生はノンビリと続けた。
「こんな筋トレみたいな地道なこと、大抵の方は生まれて始めてされるんです。
生まれてから何十年もの間、一度も経験のないことを、
しかも、華やかでもなければ、別段楽しくもないことを、
突然『やれ』って言われたって、できるわけないですよ。
僕なら、できないです。
だから、僕が来たときだけでも一緒にやってくれるのは、本当に立派なことだし、
それで十分だと思うんです」

体操メニューの一つでも二つでも、覚えておくことができれば、
週に一度の往診の時間だけでなく少しずつ体操ができて、回復の効率も良かろう。
目の前の一部始終を頭のノートに書き込んで、そして何とかして父に自主練習させよう、
と、躍起になっていた自分に気づかされ、ハッとした。
そんな私をなだめるように、先生は更に続けた。

「もちろん、週に一度でも、ご自身で体操をされたら、効果は2倍どころか、3、4倍になりますよ。
ご家族としては、早く良くなって欲しい、少しでも良くなって欲しい、って思いますからね。
むしろ、家族のほうが、やる気あるんですよ。
体操を手伝っているうちに、応援する気持ちが強くなって、『もっとやれ』ってケンカになっちゃう。
でも、そこで、家族がケンカをしたり、本人が体操をイヤになったりしたら、
元も子もなくなってしまうんです。
だから、無理をしないで、ケンカもしないで、嫌いにもならないで欲しいんです」

思い起こせば、私には「起き上がれない」という経験は片手で数えられる程度しかない。
しかも、そんな時であっても、せいぜい2、3日も眠り続けたら、ケロリと治ってしまう。
自分の体が思うように動かない、立ち上がる気力さえ湧かない、といった経験など、一度もない。

そんな私が痺れを切らすよりも、ずっと前から、
当の父親こそ、自分の体に痺れを切らしていたことだろう。
私が父の機能回復を願うよりも、ずっとずっと強く、
当の父親こそ、自分の体の機能回復を願ってきたことだろう。

そんな当然のことに目を向ける余裕もなく、
「私がこれだけ頑張るのだから、あなたも同じだけ頑張りなさい」という、
身勝手な押し売りをしていた。


「僕、嫌われたくないですから」
先生はポツリと付け加えた。

『嫌われたくない』という言葉は、往々にして、日和見的な臆病さを連想させる。
しかし、そんな言葉を発する彼の柔らかな態度は、極めて強い意志に支えられていた。

誰かに無理をさせることなく、嫌な思いをさせることもなく、
どの関係も損なうことなく、どこにも皺寄せを食わせることなく、
皆で一緒に、一歩ずつ、ほんのチョッピリずつでも、良くなる道を模索していきましょう。
と、言われた気がした。

無理のない範囲で、できるだけのことをする。
それがどんなに小さな小さな一歩でも、その一歩を確かに踏んでいることを、認めよう。

自分自身のためにも、また、他者に無理を強いないためにも、
まずは私自身が無理のない一歩ずつを踏み、そのチッポケな一歩ずつを認めよう。

そして、
「私、嫌われたくないですから」と宣言できる勇敢さを育もう。