2013年1月28日月曜日

CDラジカセ風

現在の我が城に暮らし始めて、最初に購入した家電品は、冷蔵庫でも洗濯機でもなく、
どういうわけか、CDラジカセだった。

それは、私に、
友人から贈られたおススメの音楽CDを聴かせてくれた。
毎日のニュースや天気予報を、ラジオ放送で聞かせてくれた。
子供のころ兄弟や友人たちがダビングしてくれたカセットテープを回して、懐かしの昭和歌謡も聴かせてくれた。

それが、私のCDラジカセだった。

ある日のこと、CDラジカセのCDが利かなくなった。
どうにもこうにも、CDの円盤に反応してくれない。
私はCDラジカセでCDを聴くことを諦めた。

それでも、それは私に、
毎日のニュースや天気予報を、ラジオ放送で聞かせてくれた。
子供のころ兄弟や友人たちがダビングしてくれたカセットテープを回して、懐かしの昭和歌謡も聴かせてくれた。

その日から、それは私の、CDラジカセ風ラジカセになった。

月日が経ち、またある日のこと、CDラジカセ風ラジカセのラジオが利かなくなった。
どうにもこうにも、切り替えのつまみがラジオに合ってくれない。
私はCDラジカセ風ラジカセでラジオを聴くことを諦めた。

それでも、それは私に、
子供のころ兄弟や友人たちがダビングしてくれたカセットテープを回して、懐かしの昭和歌謡を聴かせてくれた。

その日から、それは私の、CDラジカセ風カセになった。


さて、ここで振り返ってみると、
それを購入したときは、CDラジカセだった。
CDラジカセだったものが、ある時、CDラジカセ風ラジカセに生まれ変わった。
そして、CDラジカセ風ラジカセだったものが、またある時、CDラジカセ風カセに生まれ変わった。

すると、この先、どうなるか。

いつか、CDラジカセ風カセのカセットが利かなくなり、CDラジカセ風に生まれ変わる日が来るのだろう。
コイツとは、この城に暮らし始めてからのお付き合いだ。
これまで、コイツの二度の生まれ変わりの時に立ち会ってきた。
できることなら、最後の生まれ変わりの時も見届けてあげたい。

「よし、CDラジカセ風カセよ、
お前がCDラジカセ風に生まれ変わる、その時まで付き合おうじゃあないか」

そう言って、CDラジカセ風カセの肩をポンッと叩こうとしたとき、私の気持ちは揺らいだ。
なぜなら、毎日のニュースや天気予報といったラジオ放送を聞けないのは、不便だ。

CDラジカセ風カセが、CDラジカセ風に生まれ変わるその時に、私は立ち会うべきだろうか。
それとも、それを待たずして買い替えるべきだろうか。
しかし、長い付き合いのコイツに対して、そんな薄情なことをして良いものだろうか。


今のところ、CDラジカセ風カセは、私に、
子供のころ兄弟や友人たちがダビングしてくれたカセットテープを回して、懐かしの昭和歌謡を聴かせてくれている。

2013年1月21日月曜日

日陰の雪

入院中のを見舞いに行くと、ロビーではお楽しみ会が開かれていた。
懐かしのメロディーを口ずさむ紳士淑女たちの中に、父の姿は見られなかった。
部屋を覗くと、父はベッドで横になっていた。
体調が悪いわけでも何でもない。
気難しい父にとって、「皆さんと一緒にその場を楽しむ」のは、何よりも苦手なことなのだ。

私は懇願に懇願を重ね、やっとのことで、父は自分の体を車いすに移動することを許可した。
もちろん、お楽しみ会には出席しない、との条件付きだ。

車いすに腰掛けた父は、窓外の景色を眺めた。
数日前には雪が降ったことを話すと、
父は目を凝らして、景色の中に雪の名残を探しながら言った。

「雪は、降ったばかりの時は良い。柔らかくて、白くて、きれいだ。
でも、しばらくすると、凍って固くなる。
光の具合で見えなくもなるし、汚れた色にもなる。
日の当たるところは良いんだ。いずれ融けてしまうから。
日陰の雪は、すっかり固くなってしまって、融かすことも、どかすことも、どうにもできなくなる。
だから、日陰の雪には気を付けないといけない」
「そうだね。まだまだ凍っているところがあるし、氷は見えにくいから、歩くときは気を付けるよ」
「転ばないようにな」
そんな受け答えをした。

そして私は、最近の出来事を、あれこれと報告した。

金曜の晩には、ごちそうを作って、友人たちを招き、賑やかに過ごしたこと。
歓迎の準備が間に合わず、お客さんに料理を手伝ってもらったこと。
翌日は、残ったごちそうを実家に運んで、今度は家族で宴会をしたこと。

どれもこれも父の苦手な話題だった。
私の話を一通り聞き終えると、父は言った。

「それは良いことをしたな。楽しかったろう」

さっきまで、お楽しみ会を頑なに拒んでいた父は、穏やかに微笑みながら、言葉を続けた。

「雪は、降ったばかりの時は良い。柔らかくて、白くて、きれいだ。
でも、しばらくすると、凍って固くなる。
光の具合で見えなくもなるし、汚れた色にもなる。

日の当たるところは良いんだ。いずれ融けてしまうから。

日陰の雪は、すっかり固くなってしまって、融かすことも、どかすことも、どうにもできなくなる。
だから、日陰の雪には気を付けないといけない」

父は、窓の外を指さした。
その先には、ブロック塀の陰に、黒っぽく固まった雪があった。
きっと、あの日陰の雪は、いつまでも融けることなく、徐々に固さを増していくのだろう。
しばらく黙ったまま、二人で日陰の雪を眺めた。

「じゃ、暗くならないうちに帰る。また来るわ」
「日陰の雪には気を付けてな」

一人になって歩きながら、父の言葉を思い返した。

二度目に「日陰の雪」の話が出たとき、
話題が窓外の景色に移った、とは、私には思えなかった。
いったい、父は何を「日陰の雪」に喩えていたのだろう。
気難しく、人と一緒にその場を楽しむことを大の苦手とする父は、そんな自分の頑固さを、
「すっかり固くなってしまって、融かすことも、どかすことも、どうにもできなくなった日陰の雪」
に喩えたのだろうか。

「まだ柔らかくて、白くて、きれいなうちに、
お前は、日の当たるところに出て、融かしてしまいなさい。
決して、固くなってはいけない」
そんなメッセージが聞こえた気がした。

私の人生において、「日陰の雪」になり得るものは、何だろう。
今のうちに、日の当たるところに出して、融かしてしまうべきものは、何だろう。

そもそも実のところ、父が「日陰の雪」に喩えたかったのは、何だろう。

2013年1月17日木曜日

ある1時間

私の名が書かれた、古い古い段ボール箱を、実家から我が城に運び込んだ。
目的は、中身を確認して整理すること、早い話が、捨てることだ。

箱を開けると、まず古い古い茶封筒が出てきた。
その中には、古い古い手紙が入っていた。

小学校入学からの2年間、担任としてお世話になった先生からの手紙だった。
小学2年生最後の日に、恐らく、先生はクラス全員に手紙をくださったのだろう。

その先生は、詩作とハモニカ演奏に、特に力を注がれていた。
国語の授業では、頻繁に詩を読まされ、書かされた。
「朝の会」と「帰りの会」では、毎日必ずクラス全員でハモニカ演奏を数曲ずつした。

そのクラスでの二年間、私は「ハモニカ係」なる役割を担っていた。
「朝の会」と「帰りの会」のハモニカ演奏時になると、教壇に立ち、
「こんどは『××の歌』を吹きましょう!いち・にの・さ~ん!」と掛け声を掛ける、という係である。
今思い返してみると、果たして、役に立つのか立たないのか、悩ましい役割である。
しかし、幼い頃からお調子者だった私には、ちょうど良い役割だったのだろう。
それが楽しくて仕方がなかった、という記憶だけは、うっすらと甦ってくる。

こんな不思議な「ハモニカ係」、
先生はよくぞ発案し、また、私に就任させてくれたものだ、と今更ながら感心した。
先生はいつも、私のファーストネームを少しだけ変形させて「○○」と呼んでくれたっけ。
そんなことを思い出しながら、手紙を開いた。

「ハモニカ係さん、おつかれさん。
大きな口で、大きな声で、『いち・にの・さ~ん!』
先生、いつまでもわすれません。
ああいう宝物を、どうして録音しておかなかったのかと、こうかいしています。
かわいい かわいい おマセな○○、
サヨナラ、○○」


読んだ手紙をきれいに畳んで封筒に入れ直し、段ボール箱に戻した。

そもそもは、古い古い段ボール箱を、捨てるつもりで開けたはずだったけれど、
私のしたことと言えば、手紙を一通読んだだけだった。
古い古い段ボール箱の中身は、何一つ捨てられることなく、運び込んだままの状態に戻った。


気付いたら、ちょうど1時間が経っていた。

2013年1月13日日曜日

欲深さにつける薬

自らの欲深さに悩む患者が、診察室を訪ねた。

患者: 先生、欲深さにつける薬なんてものは、ありますか?
医師: ええ、ありますよ。とりあえず一週間分出しておきましょう。
患者: どうか先生、そんなことおっしゃらずに。沢山ほしいんです。ありったけください!

2013年1月9日水曜日

世界の終わり

むかーし、むかし、まだ私が小学生だった頃のこと。

「1999年7月、世界の終わりが来る」と、まことしやかに噂されていた。
少なくとも当時の私の世界、つまり、通っていた小学校や、近所の友達の多くが、
ことあるごとに、そんな噂を囁いた。

こんな噂に対し、文字通り『半信半疑』だった私は、
『信』の方の半分のお蔭で、世界の終わりを想像し始めた。

1999年に世界の終わりが来るならば、その時には、地球が粉々になってしまうのかな。
粉々の地球から、人々は、みんなテンデンバラバラに放り出されてしまうのかな。
家族も、友達も、喧嘩した相手も、知らない人も、みんなみんな、バラバラになるのかな。
一人ぼっちで宇宙に放り出されたら、どうなるだろう。
私は宇宙服も着ていないし、酸素ボンベも持っていない。
きっとその時、私の人生も終わるんだ。
そうすると、私は何歳で人生の幕を閉じるのだろう?

計算用紙に、1999から自分の生まれ年を引き算してみた。
1999年に世界が終ると仮定した場合における、私の人生の年数が算出された。

42歳か・・・。
本当に私、いつか、42歳のオバサンになるのだろうか。
まるっきり想像つかないや。
もしかすると、そのころには案外、オジサンになってるかもしれない。
42歳のオバサンまたはオジサンになった私は、一人ぼっちで宇宙に放り出されても怖くないのかな。

しばらくの間は、そんな不安に苛まれていたものの、
『疑』の方の半分のお蔭だろうか、いつの間にか、忘れていた。

さて、気づいたら、1999年が来ていた。
えーっと、世界の終わりは今年の何月に来るんだっけ?
そういえば、世界が終るとき、たしか、私は42歳になっているはず・・・

あれ?
まだ私、42歳になってない。
改めて計算用紙に、1999から自分の生まれ年を引き算してみた。
2、3度検算した結果は全て等しく、それは、42とは異なる値だった。
小学生時代の私の計算は、一の位も、十の位も、どちらも誤っていたことが判明した。
しかも、この計算、1999から19XXの引き算なので、繰り下がりは一切ない。
にも拘らず、全くのお門違いな計算結果を出していたのだ。

もし、こんなに酷い計算間違いをした私が数学を専攻したという不条理が原因で、
世界がご機嫌を損ね、それで世界の終わりが来てしまったら、どうしよう。
世界中の皆さんに申し訳ない気がした。

けれど、1999年が終っても、世界は終わらなかった。
酷い計算間違いをしても、そんな計算間違いをする私が数学を専攻しても、
世界はご機嫌を損ねなかった。
世界は、こんな私も許してくれた。
世界って、寛容なところあるんだな。