2011年7月30日土曜日

蓮の花

朝、走っている公園の池には、今、蓮の花が沢山咲いている。

蓮の花の真ん中には、黄色い部分がある。
ちょうど、レンコンを半分に切ったような形をしている。
花の真ん中の黄色半レンコンの穴は、ずーっと茎を通って、
そのまま、本当のレンコンの穴につながっているのだろうか?

これは、子どもの頃からの謎として、何十年も温めてきた。
しかし特に積極的に調べることもせず、
折に触れて、身近な人に
「蓮の花の黄色いところに開いた穴は池の底のレンコンまでつながっているのかな?」と尋ねては、
「かもね」との返事を、これまた何十年も受け続けてきた。

仮に、この説が正しかったとすると、
花の上に広がる空と、池の底の泥とは、文字通りの筒抜けである。
花の上の青空からは、蓮を通して、濁った池の底の泥が見えるし、
暗い池の底からは、蓮を通して、花の上に広がる青空が見える。

純粋培養の澄んだ綺麗な青空なんてないし、純粋培養の濁った暗い泥水もない。
丸ごとの世界には、なにしろ、どちらも存在している。
あっちとこっちの存在をそれぞれに認め、それぞれとの行き来を可能にしながらも、
そのどちらでもない自分の場所で、自らを開花させるだけの自由で逞しい精神を
蓮は持っているのかも知れない。
泥臭さに根ざしてこそ花開いた美しさ、なのだろう。

だからこそ、蓮は極楽浄土の花と言われるのかな。

2011年7月27日水曜日

過去の栄光、現在の徐行

毎朝、近くの池の周りを走っている。
前にここを走ったのは、高校生のときだ。
校内の駅伝大会に、選手として出場した。
その駅伝では、第一走者も第二走者も第何走者も、出場者全員が同じ池を一周ずつ走る。
だから、区間賞は第何走者かを問わずにタイムだけを並べて決められる。
その年、私は区間第二位の成績だった。

高校の行事とはいえ、それなりに歴史のある大会だった。
歴代の区間賞に関し、タイム順に並べて第二十位までは記録と名前が残される。
その歴代二十位にも入った。
翌年以降の大会で、より早く走った者がいれば、
順繰りに記録も名前も押し出され、消えてなくなってしまうので、
今でもその時の私の記録が残っているかどうかは、定かでない。

いずれにせよ、高校生のときは、涼しい顔をして他人を追い越すために走っていた。
追い越されるのも、弾んだ息遣いに気付かれるのも、耐えられなかった。
当時の区間第二位という成績も、一位でない事が不満足だった。
その時受取った賞状も、ぞんざいにしているうちに、なくしてしまった。

一方、今は、
ややもすると歩いている人にまで追い越されかねない勢いで走っている。
私を追い越さないのは、反対向きに走っている人か、池に咲く花の写真を撮っている人だけだ。
そんなペースでも、すぐにへばってしまう。
息は、初めから隠しようもなく弾みっぱなしだ。

誰のことを追い越すこともなく、走っているのか歩いているのか、
はたまた、もがいているのかも分からないような姿で徐行している。
こんな今の私を、もし、高校生の私が見たら、どんなにがっかりするだろう。

一方、こんな今の私は、もがきながらの徐行を結構楽しんでいる。
同時に、いきがっていた高校生の私のことも可愛く思えて、なんとなく憎めない。

2011年7月26日火曜日

走れるお守り

数年間携わってきたプロジェクトが終了し、そのための事務所に通わなくなった。
だから事務所付近で入会していたジムを退会した。
とうとう腹筋を割ることができなかった。

筋トレをしていると、その筋肉に意識を集中する。
自分の中に湧いてくる雑念も、その筋肉に集まってくる。
そして、汗や吐息と一緒に搾り出されて消えてなくなってしまう。
さて、ジムをやめた今、筋肉が緩んで、溢れかえる雑念に押し潰されはしないだろうか。

・・・と思った頃に、このブログを始めた。
湧いては来たけれど、筋トレで汗と共に流すことのできなかった雑念を、ここに書いていると、
実際に書かれたものも書かれなかったものも、キーボードの上に落っこちて、
不思議と少しばかり気分が軽くなった。

ところが、ある日、ふとした拍子に、ついランニングシューズを購入してしまった。
あくる日には、気付いたらスポーツ用品店に出向いていた。
ランニング用の吸汗速乾のシャツを選ぶ旨を店員さんに伝えると、
「続けられなかったときのために、最も安価で、くつろぎ着としても使用できるデザインのものを」
と勧められ、助言どおりの品物に決めた。
「でも本当に明朝から走ります」と宣言する私に、
店員さんは小さな『走れるお守り』を手渡した。
そして、「走り続けていることを、いずれ報告しに来てください」と付け加えた。

そのまたあくる日の朝から、走り始めた。
自分でも文字通り三日坊主になるだろうと高を括っていたが、
今のところ、雨降りの朝以外は『走れるお守り』と一緒に走っている。

走っていると、体が振動する。
その振動に刺激されて、雑念が余計に湧いてくる。
そして、同じその振動で、湧いてきた雑念が次々と振り落とされる。

走っている最中、あんなにも浮かんで来た様々な雑念が、
シャワーを浴びる頃には、跡形もなく消えてなくなってしまう。
お蔭で、このところブログから遠のいていた。
もう少し体力が付くと、いくらかの雑念は持ち帰るようになるのかもしれない。

走り始めて、もうすぐひと月。
とりあえず、一ヶ月続いたら、あのスポーツ用品店に行ってみよう。
そして、改めて『走れるお守り』のお礼を言おう。

2011年7月2日土曜日

特技

前回の『趣味』に続き、『特技』を検討してみる。
履歴書には、「なし」と答えてきた。
口頭で「特技は?」と尋ねられたことはない・・・と思う。少なくとも記憶はない。

実のところ、私の特技は何か?と考えたことさえないことに気付いた。

まずは『特技』とは何か?から、
再び手近なところでgoo辞書から引っ張ってくると、

  特別の技能。「―を生かす」

さて、私にとっての特別の技能、誰にでもできるとは限らない特別の技能、
果たして何かあるだろうか?

(その1)
飛んでいる蚊を取る。
日頃より高い命中率を誇っており、長年、家族からも厚い信頼を寄せられ続けてきた。
私が実家を出た今、家族はかゆみと、夜中に耳元で囁かれる「ブ~ン」に悩んでいる。

我ながら有用な技能だ。
しかし、この技能を生かせる職場は、滅多にない。

(その2)
かつての職場で、誰も読めない○○課長の手書き文字を判読する。
彼の字は、全てが続けて一筆で書かれていた。
しかし、草書や行書とは、明らかに異なるものだった。
実際、書道有段者で、草書も行書も怖くない先輩社員でさえも、彼の字はお手上げだった。
そして、草書も行書もお手上げの私は、どういうわけか、彼の文字だけは読めてしまった。
結局、その職場で彼の文字を読めるのは、私一人だった。

本当に特別な技能だ。
特別すぎて、他の職場では一切使えない。

(その3)
家族が鼻歌で何を歌っているか、当てる。
これは、難易度が極めて高い。
我が家では鼻歌に関し、家族メンバー間での相互理解はほぼ不可能だ。
そんな中で、私一人がそれを理解し、再生する。
そして私の再生した鼻歌は、他のメンバーも理解する。

これまた本当の本当に特別な技能だ。
あまりにも特別すぎて、実家から一歩出たら、一切使えない。


やはり当面、特技は「なし」ということになりそうだ。