2018年12月23日日曜日

イモの恩返し

昨夏のある日、台所でジャガイモが芽を出していた。
芽の出たところを大きめに切り取り、残りを食材として使った。
大きめに切り取ったジャガイモの芽を捨てようと手に取った。

ちぇ、食べるところがこんなに減っちゃった。

すると、
「いえいえ、これから増やしますよ。」
そんな声が、聞こえたような、聞こえないような……。

しからば、増やしてもらおうじゃないか。
ジャガイモの芽を植木鉢に入れ、土を被せた。

日当たりの良い我が城のベランダで、彼は見る見る伸びていった。
元気いっぱい葉を茂らせ、私の胸くらいの高さにまで丈が伸びた。

こんなに育つなんて、思ってもみなかった。
これだけたくさん葉が茂ったら、光合成もたくさんすることだろう。
光合成をたくさんしたら、たくさんの澱粉ができることだろう。
たくさんの澱粉ができたら、ジャガイモとして蓄えられることだろう。
すると、この植木鉢の中には、どれほどたくさんのジャガイモができることだろう?

たぶん、今、植木鉢の中には、ジャガイモが10個くらいできているはずだ!

私は暫定的な結論を出した。
そして実家に帰り、家族に話した。

「その植木鉢は、ジャガイモが10個も入るほど大きいの?」
「ギュウギュウ詰めにすれば、入る、かもしれない。」
「それじゃあ、土が溢れちゃうでしょ?」
「いや、溢れていない。だって……土が減ったからね、たぶん。」
「減った分の土はどこに行ったの?」
「ジャガイモが食べた。」

この会話の行く先は、推して知るべし。
家族からは徹底的にやっつけられ、
「植木鉢の中には小指の先ほどのジャガイモが1つあれば御の字」と結論付けられた。

それからというもの、私はベランダに出るたび、
「これは、観賞用ジャガイモだ」と自分に言い聞かせた。
それでも、元気に生い茂る観賞用ジャガイモの葉を見ると、
植木鉢の中でひしめき合っているはずの10個のジャガイモに
思いを馳せずにはいられない。

夏が過ぎ、秋も過ぎ、すっかり寒くなった。
観賞用ジャガイモの茎も葉も、すっかり枯れ果てた。
明日は可燃ごみの日だ。
枯れた茎と葉にサヨナラのご挨拶をしよう。

この夏、あなたを思っては、期待に胸を躍らせた。
そして、その期待が裏切られて傷つくことを私は恐れた。
だから、そんな恐れからの逃げ道を作るために、自分の期待に蓋をした。
それでもやっぱり、姿を見るたびあなたを思い、期待せずにはいられなかった。
こんなことばかりを繰り返し、私の心はあなたのお蔭で振り回されっぱなしだった。
まるで恋でもしているように。
楽しかった。ありがとう。

すると、
「いえいえ、ご挨拶は植木鉢の中を見てからにしてくださいな。」
そんな声が、聞こえたような、聞こえないような……。

しからば、見せてもらおうじゃないか。
私は、枯れ果てた観賞用ジャガイモの茎を掴んだ。

意外に強い手ごたえを感じ、手を止めた。
胸の奥で、期待がみるみる育つのを感じた。まるであの頃のジャガイモの葉のように。

ダメ、期待しちゃ。
忘れないで、家族会議で出した結論を。
「小指の先ほどのジャガイモが1つあれば御の字」心の中で唱えた。
でも、やっぱり我慢できない。
裏切られてもいい。あなたの本当の姿が見たい。

思い切って引き抜いた。

小振りではあったが、ジャガイモが5つ連なっていた。

おぉ、観賞用ジャガイモよ!
お前は、ただの観賞用なんかじゃない。
本当の本当に本物のジャガイモだ!!

私の期待は裏切られてなんかいなかった。
あなたは私に素知らぬ顔を見せることもなく、精一杯、命懸けで尽くしてくれた。
今度こそ、本当の本当に、どうもありがとう。

(2013/2/17 10:29)

何となく大掃除

今年こそは大掃除をしよう。

そう思い立って、最初に手を付けたのが、どういう訳かPCの中身だった。
そうしたら、数年前に書き留めていたアレコレが出てきた。

そう言えば、このところ書くことから遠ざかっていたかもな。
たまには何か書いてみるか。
キーボードに手を置いてみても、なんだか勢いがない。
勢いが出るまでの間は、とりあえずこのストックをポツポツ載せてみようか。

そんな訳で、数年前の私をひとつ。

2018年8月22日水曜日

あきらめの夏

ある晴れた朝、
いつもの通り、私はベランダに洗濯物を干していた。
いつもの通り、ベランダは小さく、洗濯物は多かった。
そしていつもの通り、更に布団を干そうと、ジャングルのような洗濯物に分け入った。

その時だった。

背後でハンカチが落ちた気がした。
否、落ちていない。
上がった。舞い上がった。確かに舞い上がった。
否、そもそも舞い上がったのは、ハンカチじゃない。

誰?
もしかして、彼?

一年前、彼は私のもとに来た。そして去った。
また夏が来て、私は期待すまいと自らを戒めつつも、
胸のうちに湧きおこる期待をどうすることもできない。
いるはずのない彼の影を求めて、洗濯物のジャングルの中をさまよった。

いる。きっといる。
また私のもとに来てくれたんだ。

瞬間、まばゆい存在感が目の前を横切った。
まさか……。
期待が現実になった。

シーツとタオルの間から、彼は現れた。
そしていつもの通り、無口な彼は、何も言わずに去って行った。


昨夏、我がベランダの鉢植えで、数匹の芋虫が生まれ、暮らした。
私はその一匹目に「彼」と名付けた。
その後、二匹目も、三匹目も、結局みんな「彼」と呼んだ。
それぞれが立派なアゲハチョウになるのを、眠い目をこすりながら見届けた。
「また来年、きっと会おう!」そう言って見送った。

ところがこの夏、アゲハチョウを見ない。
この、異常なまでの暑さのせいだろうか。
それとも私は捨てられたのか。
理由はともかく、既に立秋も過ぎた。
今年はもう会えないかもしれない。

自分の期待が裏切られることを恐れた私は、
傷つきたくない一心で、期待そのものから必死で目を背けようとしていた。

「もういい。今年はあきらめた」自分に言い聞かせながらも、
「もしかしたら、彼が戻ってくるかもしれない」そんな期待が捨てきれない。
ジャングルのような洗濯物に枝先が引っ掛かって、服が傷んでも、
この小さなベランダには大きく育ち過ぎた鉢植えの枝を、切ることができずにいた。
だって、もし彼が戻って来たときにこの鉢植えがなかったら、どれほどがっかりするだろう。

そして今、彼は来てくれた。
危険に満ちたこのジャングルにまで来てくれた。
これはまぎれもない、命懸けで子どもを授けに来てくれたんだ。

やっぱり、もう今年はあきらめることにしよう。
ジャングルのような洗濯物に枝先が引っ掛かって、たとえ一張羅に穴があいても、
この小さなベランダには大きく育ち過ぎた鉢植えの枝は、やっぱり切らないでおこう。

2018年8月17日金曜日

ビビンゲ一揆

鏡の前に立つと、頭頂部に何かを発見した。

ビビンゲ。

特段、天然パーマでもない私の髪の中に、縮れ毛が見られる時がある。
この縮れ毛のことを、物心ついた頃からこう呼んでいる。

何だか最近ビビンゲが増えた気がする。
そう思ったら、居ても立ってもいられなくなった。
ビビンゲを一本だけつまみ、ハサミで根元からチョキンと切った。
切ったビビンゲは、振幅3mm、周期20mmほどでサインカーブを描いている。

鏡に目を戻すと、おや、もう一本ビビンゲが。
一本だけつまみ、ハサミで根元からチョキン。
おや、また一本。
……
そうこうするうちに、気付けば30分が経過していた。
手元には、切ったビビンゲがこんもりと山になっている。
私は罪のないビビンゲをこんなにも迫害してしまった。
ごめん、ビビンゲ。

あれから何か月経つだろうか。
鏡の前に立つと、頭頂部に何かを発見した。

ビビンゲ、否、ビビンゲたち。

根元で切ったビビンゲたちは、一斉に勢いよく伸びていた。
もちろん、他の頭髪だって同じくらい伸びているのだろうが、
3センチほどに伸びたビビンゲたちは、総じて、実に勢いよく立っている。
さながら、頭頂部に温泉マークを密生させたようだ。

そうか。
私から迫害を受けたビビンゲたちが、一斉に立ち上がったのだ。
もう我慢できないと、鬨の声を揚げて、束になって掛かってきた。

これからしばらくの間、私は
頭頂部に温泉マークを密生させた状態で社会生活を営むことを余儀なくされた。
あの時は本当にごめん、ビビンゲたち。

2018年8月11日土曜日

パブロフの犬

訳もなく、過去の出来事を思い出すときがある。

春の彼岸に、母は言った。
「いつものおはぎは、サクラの満開まで待て。」

桜の満開はおろか、つつじの満開だって、東京のお盆だって過ぎたというのに、
未だ「いつものおはぎ」にお目に掛かっていなかった。

あれ、どうしたことだろう。
思い出した、ただそれだけのことなのに、急に上の奥歯のあたりが……。

2018年6月9日土曜日

命懸けの朝食

盆だ正月だと言っては『帰省』している、赤の他人の家族のもとに、
しばらくぶりに滞在した。

ある朝、ママから朝食用に卵を茹でるよう、命を受けた。
それを見たパパは、
「オマエ、失敗したら、こうだぞ。」
そう言って、鶏を絞める真似をした。
「そんな大袈裟な」と言いたいところだけれど、
こればっかりは冗談では済まされない。
何しろママときたら、卵の茹で加減だけは、妥協を許さないのだ。絶対に。

私は、ママの教えを反芻した。

いい?よーく聞きなさい。
茹で卵っていうのはね、スプーンで食べるものなの。
こうして殻を上から叩いて、取っ掛かりの穴を開けて、
そこからこうしてすくって食べるの。
白身はかろうじて透明でなくなるくらい。
そして黄身は、黄身はね、ここが大切よ。
とろっとろなの。とろっとろ。とろっとろでなきゃダメ。わかる?
僅かでも固まりかけてしまっては、もう、台無し。
そんなものは茹で卵として認められないわ。

やることは単純よ。
まず、鍋に卵を入れる。
そこに常温の水道水をひたひたに入れて、塩を大さじ1杯。
火にかけて、沸騰したら火を弱めて、1~2分。

……って、1分なの?2分なの?どっち?
そんな質問さえも許されない。
ママにとって、茹で卵とは絶対のものであり、
「わからない」などと言うこと自体がタブーなのだ。

私は中を取って、1分半で火を止めた。
素早く流水で卵を冷やす。

パパの前にひとつ、ママの前にひとつ、私にひとつ。

ママがサラダを用意している間に、パパは早速スプーンで卵の殻を叩いた。
私は、固唾を呑んでそれを見守った。
パパが、ひと口すくって食べた。
「おめでとう。お前は長生きできることを予言する。」

サラダの準備を終えたママも、卵の殻をスプーンで叩いた。
何も言わずに、ひと口、次のひと口、また次のひと口……、
そして卵の殻だけが残った。
「あんたも食べなさい。ちょうど良く茹だって美味しいわよ。」

かくして私は、今も生き延びている。
パパの予言通り長生きできるかどうかは、もう少し様子を見るとしよう。

2018年3月18日日曜日

イミテーション

墓参りの帰り道、母がおはぎを買ってくれた。
「今月末まではどうにも忙しくて、作っている暇がない。
いつものおはぎは、サクラの満開まで待て」とのこと。

和菓子屋さんの陳列棚に並ぶおはぎを眺めながら、母は言った。
「やっぱり商売人が作ると、大きさも形も揃っているわね。」
確かに。
これなら、お店の人がどのおはぎを私のパックに詰めようとも、
「あ、待って。それじゃなくて、この、手前の列の左から二番目にしてください」
なんて言われることは、まずないだろう。

でもなぁ。
なんというか、こう、個性が感じられない。
似たような背恰好の人ばかり集めて、お仕着せの制服をあてがったようだ。
同じ方を向いて、同じ動きをして、否、おはぎは皆じっとしているのだけれど、
これじゃあ、どこかの軍隊みたいじゃないか。

それに比べると、
いつものおはぎは、大皿に並んでいても、一つとして同じ顔をしていない。
次はどれを食べようか、選ぶことにさえ味わいがある。
そもそも大皿に並ぶおはぎたちには、躍動感がある。
おはぎ同士が同じ皿に並ぶ御縁を喜び、楽しそうにオシャベリをしている。
ワクワクしながら、自分が選ばれるのを、誰かを喜ばせるのを待っている。
そんな表情が感じられるのだ。

いかん、いかん。
いま母が私にプレゼントしようと言っているのは、
いつものおはぎではなく、この店に並ぶおはぎではないか。
この期に及んで、いたずらに比べるべきものではない。


部屋に戻っておやつの時間、母の買ってくれたおはぎを食べた。
さすがは商売人、文句のつけようのないおはぎだった。
そう、文句のつけようがない。
おいしかった。ごちそうさま。

でもなぁ。
なんというか、こう、満足した気がしない。

いつものおはぎなら、箸で取る時でさえ心躍るものだ。
どこからどの向きに、どのくらいの力加減で取るのか、
心身の全てが一極に集中し、その作業に注がれる。
それに、いつものおはぎは、
もうちょっと甘みが弱いんじゃないか。
もうちょっと塩気が強いんじゃないか。
もうちょっと小豆の味が濃いんじゃないか。
もうちょっとあんこ比が高いんじゃないか。
もうちょっともち米が硬めに炊かれているんじゃないか。
それから、もち米の半殺し具合が、もう少し手前でやめているんじゃないか。

ゴメンね。
いつものおはぎと、また比べている。

2018年3月14日水曜日

偶然の一致

ある日のこと、
ふと仕事の手を休め、PCから目を逸らしたら、
代わりにこんなものが飛び込んできた。

2 22 22
2 22 22 2 22

思わず目をこすり、改めて目を凝らした。
私の目に飛び込んできたものは、デジタル時計の画面だった。

午後2時22分22秒
2月22日 22.2℃ 湿度22%

冒頭に「ある日のこと」と書いたけど、
日時どころか、秒まで特定されていた。

2018年2月11日日曜日

泣きたい気持ち

我が城、つまり現在の住まいに越して来て、かれこれ何年になるだろう。
その際、兄弟の一人が「引っ越し祝いに」と、急須を贈ってくれた。
愛用し続けたその急須の蓋を割ってしまったのが1年前。

蓋の代わりに皿を載せた急須でお茶を入れるのは、思いのほか難しい。
悲しみと不便さに暮れる私に、件の兄弟は二代目を贈ってくれた。
二代目の柄を割ってしまったのが、1箇月前のこと。

柄のない急須でお茶を入れようとすると、熱くて手の皮が剥けそうだ。
三代目を買ってくれるという兄弟の親切を振り切って、自分で購入したのが2週間前。
そして今日、部屋の模様替えの最中、三代目を真っ二つに割ってしまった。

もう、やけくそだ。
模様替えが終わるまで、お茶は飲まない!

2018年1月14日日曜日

長いものには巻かれろ

我が城で困ったことが一つある。
このところ、時計がくるっているようだ。

夜遅く家に帰ると5時だった。
手を洗い、歯を磨いたら10時半。
とりあえず、床に入るとまた5時だ。

しばし眺めて合点が行った。
短針が、長針と同じペースで回っている。

おお、我が短針よ。
「長いものには巻かれろ」と言うけれど、
周りと協調しながらも、どうか単身で歩んでおくれ。