いつもの通り、私はベランダに洗濯物を干していた。
いつもの通り、ベランダは小さく、洗濯物は多かった。
そしていつもの通り、更に布団を干そうと、ジャングルのような洗濯物に分け入った。
その時だった。
背後でハンカチが落ちた気がした。
否、落ちていない。
上がった。舞い上がった。確かに舞い上がった。
否、そもそも舞い上がったのは、ハンカチじゃない。
誰?
もしかして、彼?
一年前、彼は私のもとに来た。そして去った。
また夏が来て、私は期待すまいと自らを戒めつつも、
胸のうちに湧きおこる期待をどうすることもできない。
いるはずのない彼の影を求めて、洗濯物のジャングルの中をさまよった。
いる。きっといる。
また私のもとに来てくれたんだ。
瞬間、まばゆい存在感が目の前を横切った。
まさか……。
期待が現実になった。
シーツとタオルの間から、彼は現れた。
そしていつもの通り、無口な彼は、何も言わずに去って行った。
昨夏、我がベランダの鉢植えで、数匹の芋虫が生まれ、暮らした。
私はその一匹目に「彼」と名付けた。
その後、二匹目も、三匹目も、結局みんな「彼」と呼んだ。
それぞれが立派なアゲハチョウになるのを、眠い目をこすりながら見届けた。
「また来年、きっと会おう!」そう言って見送った。
ところがこの夏、アゲハチョウを見ない。
この、異常なまでの暑さのせいだろうか。
それとも私は捨てられたのか。
理由はともかく、既に立秋も過ぎた。
今年はもう会えないかもしれない。
自分の期待が裏切られることを恐れた私は、
傷つきたくない一心で、期待そのものから必死で目を背けようとしていた。
「もういい。今年はあきらめた」自分に言い聞かせながらも、
「もしかしたら、彼が戻ってくるかもしれない」そんな期待が捨てきれない。
ジャングルのような洗濯物に枝先が引っ掛かって、服が傷んでも、
この小さなベランダには大きく育ち過ぎた鉢植えの枝を、切ることができずにいた。
だって、もし彼が戻って来たときにこの鉢植えがなかったら、どれほどがっかりするだろう。
そして今、彼は来てくれた。
危険に満ちたこのジャングルにまで来てくれた。
これはまぎれもない、命懸けで子どもを授けに来てくれたんだ。
やっぱり、もう今年はあきらめることにしよう。
ジャングルのような洗濯物に枝先が引っ掛かって、たとえ一張羅に穴があいても、
この小さなベランダには大きく育ち過ぎた鉢植えの枝は、やっぱり切らないでおこう。