2018年8月22日水曜日

あきらめの夏

ある晴れた朝、
いつもの通り、私はベランダに洗濯物を干していた。
いつもの通り、ベランダは小さく、洗濯物は多かった。
そしていつもの通り、更に布団を干そうと、ジャングルのような洗濯物に分け入った。

その時だった。

背後でハンカチが落ちた気がした。
否、落ちていない。
上がった。舞い上がった。確かに舞い上がった。
否、そもそも舞い上がったのは、ハンカチじゃない。

誰?
もしかして、彼?

一年前、彼は私のもとに来た。そして去った。
また夏が来て、私は期待すまいと自らを戒めつつも、
胸のうちに湧きおこる期待をどうすることもできない。
いるはずのない彼の影を求めて、洗濯物のジャングルの中をさまよった。

いる。きっといる。
また私のもとに来てくれたんだ。

瞬間、まばゆい存在感が目の前を横切った。
まさか……。
期待が現実になった。

シーツとタオルの間から、彼は現れた。
そしていつもの通り、無口な彼は、何も言わずに去って行った。


昨夏、我がベランダの鉢植えで、数匹の芋虫が生まれ、暮らした。
私はその一匹目に「彼」と名付けた。
その後、二匹目も、三匹目も、結局みんな「彼」と呼んだ。
それぞれが立派なアゲハチョウになるのを、眠い目をこすりながら見届けた。
「また来年、きっと会おう!」そう言って見送った。

ところがこの夏、アゲハチョウを見ない。
この、異常なまでの暑さのせいだろうか。
それとも私は捨てられたのか。
理由はともかく、既に立秋も過ぎた。
今年はもう会えないかもしれない。

自分の期待が裏切られることを恐れた私は、
傷つきたくない一心で、期待そのものから必死で目を背けようとしていた。

「もういい。今年はあきらめた」自分に言い聞かせながらも、
「もしかしたら、彼が戻ってくるかもしれない」そんな期待が捨てきれない。
ジャングルのような洗濯物に枝先が引っ掛かって、服が傷んでも、
この小さなベランダには大きく育ち過ぎた鉢植えの枝を、切ることができずにいた。
だって、もし彼が戻って来たときにこの鉢植えがなかったら、どれほどがっかりするだろう。

そして今、彼は来てくれた。
危険に満ちたこのジャングルにまで来てくれた。
これはまぎれもない、命懸けで子どもを授けに来てくれたんだ。

やっぱり、もう今年はあきらめることにしよう。
ジャングルのような洗濯物に枝先が引っ掛かって、たとえ一張羅に穴があいても、
この小さなベランダには大きく育ち過ぎた鉢植えの枝は、やっぱり切らないでおこう。