2014年5月21日水曜日

イマドキ流行らないもの

実家の押入れをほじくり返していたら、古ぼけた本が出てきた。
昔々、アルバイト先の経理部長から、いただいたものだ。
「良い本なんだけどね、イマドキ流行らないのよ、こういうの。すっかり日焼けしちゃってるけど、持って帰りなさい」
手渡された時の彼女の口調まで思い出された。

当時は読みもしなかったくせに、今になって手に取ったら、
何となく懐かしくなって、何となくページを繰っていると、何となくやめられなくなって、何となく読み進めた。

この中で筆者は、「愛」という単語を手元の小さな国語辞典で引く。そこに
  愛 : いつくしみ、かわいがること
と説明されているのを見て、
「特定の相手だけを『かわいがる』、そんな中途半端で生易しい『愛』なんて偽物だ!」とばかりに、こう続ける。

 ”愛”が他人を傷つけることを顧みないならば、雌犬も又、仔犬を守るために近よるものにかみつきます。”国を愛すること”が、他国民を虐殺することを許す野獣的な次元の”愛”には、文明の名にかけて別れを告げたいと、ほんとうにそう思うようになりました。しかも科学は、この野獣たちに、地球を破壊するほどの大きな力を与えています。”愛”の価値を変えない限り、高度科学技術社会に名をかりた人間の歴史は、はかりしれない恐怖の悲劇をくりかえすことでしょう。”愛”は、いのちあるものの、いのちあるものへの同感です。
 ・・・・・・  (四八年七月 文集)

 宮下操 『へそのないノート』 新読書社、1988、pp.98-99.



「四八年」とあるのは、恐らく昭和四八年、西暦でいえば1973年のことだろう。

経理部長は、「イマドキ流行らない」と言っていたけれど、
この文章が書かれた1973年当時も、この本が出版された1988年当時も、
経理部長からこの本を受け取った当時も、そして今も、
これが「イマドキの流行り」になったことは、一度もなさそうだ。

しかし同時に、40年も前に書かれたこの文章が、
まるで、つい最近、新聞か何かに投稿されたもののように、私には見えた。

「イマドキ流行らない」ものは、
何十年経っても流行らない代わりに、
何百年経っても、何かを言い得ているのかもしれない。


ところで、ここで筆者は「愛」という言葉に独自の定義づけをしている。

 ”愛”は、いのちあるものの、いのちあるものへの同感です。

全てのいのちあるものへ同感できる、そんな感性を、私も磨いていきたい。

「生命の星 地球」なんて呼び方をよく耳にするのは、
いのちあるものたちの暮らす星であることが、地球の特徴の一つと言えるためだろう。

この星の上、全てのいのちあるものにとって、
自らの感性を育む自由が妨げられることのない社会であることを、
感じたことを表現する自由が妨げられることのない社会であることを、
そうして、一人ひとりの感じたこと・表現されたものが多数決の名のもとに消し去られることなく、
互いに尊重される社会であることを、
願ってやまない。

2014年5月11日日曜日

いのち

ゴールデンウィーク中、実家で新聞の折り込みチラシを端から端まで読んでいたら、
駅前のスーパーの売り出しから目が離せなくなった。

5月11日(日)は母の日です!
お菓子です!

板チョコレート 55g 79円

○×スナック(韓国のり風味70g・プレーン90g) 各79円
果汁グミ(ライチ・ざくろ) 各81g 各138円
リンゴバイ 1個 667円
いのち4種ミックス 4個 399円
どら焼き 5個 267円

冒頭の「お菓子です!」との宣言通り、お菓子が並んでいる・・・、ように見える。
おや?
果たして、並んでいるのは本当に全てお菓子だろうか。

板チョコレートも、
○×スナックも、
果汁グミも、
リンゴバイも、
どら焼きも、
確かに、間違いなく、お菓子だ。

しかし、「いのち」はお菓子だろうか?

「この『いのち4種ミックス』って、何だろうか?」私の呈した疑問に、母は答えた。
「火の玉がグルグル回ってるのかしら。『4種ミックス』ってことは、4色あるのね」
すると、朝とは言い難い時刻まで寝ていた兄弟たちまで起き出して、我が家は「いのち」で持ち切りになった。

「火の玉は袋詰めにできないし、そもそも火の玉はお菓子ではない」
「だったら、そもそも『いのち』って何?」
「袋詰めにしたり、1個2個って数えたりできるものなの?」
「空気だけで膨れたような袋が並んでてさ、『むやみに開けるといのちが逃げます』なんて注意書きがあったりして」
「『4種ミックス』って言うように、種類分けしたり、それらをミックスしたりできるわけ?」
「『4回生まれ変われます』って意味かもよ。4種類の人生を試せる……」
「 (1)金満・生臭坊主のいのち、
 (2)出世に目がくらんだ坊さんのいのち、
 (3)社会的弱者と共に立ち上がる坊さんのいのち、
 (4)ひたすらに仏の道を歩む坊さんのいのち」
「お前さんはそんなに坊さんになりたいのかい?」
「坊さんでも何でも、一つの枠の中の方が、種類分けが際立つかと思って。」
「『一人に一つずつ~、大切な いのち』って歌があったから、4個入りなら4人で分けないとね。」
「一人で2個とか、二人で半分ことかは、宜しくないの?」
「『いのち』をちぎったり、ましてや包丁を入れたりしちゃぁマズいでしょう。」

その後、駅前のスーパーから戻った母が玄関を開けるなり言った。
「『いのち』はね、母の日に売り出すんですって!」
気掛かりで居てもたってもいられなくなった母は、店の売り場をくまなく探し、それでも見つからず、店員さんに尋ねたらしい。
「日曜の朝一番に行って、必ず買ってくるわ!」

「いのち」は、いつの間にやら母の心に火をつけていた。


さて、ついに今日は母の日、当日だ。
プレゼントを持って、実家に帰ろう。

今頃は、駅前のスーパーで「いのち」を入手した母が帰宅していることだろう。
「いのち」にお目に掛かれると思うと、私までどうもそわそわしてしまう。

どうやら「いのち」は、いつの間にやら私の心にも火をつけていたようだ。

このたびの「いのち」がどんなもので、どんな4種がどうミックスされて、どう袋詰めされているのかは、実家に帰ってのお楽しみとしよう。

とはいえ、
もしかすると、
「いのち」は、いつの間にやら人の心に火をつけているもの、なのかもしれない。