2013年8月2日金曜日

ルーズボール

兄弟の一人は、父に対して非常に厳しい。

「立てるよね?じゃあ立って!」という言葉が、
有無を言わせぬ勢いで、
座っていることさえままならぬ老人に向けられるのを初めて聞いたときは、
家族の私でさえ、我が耳を疑った。

若いころから気難しく、言葉より先に手が出る性質の父に、
我々子どもたちは散々叩かれ、怒鳴られた。
ウチの子もヨソの子も、分け隔てなく怒鳴り散らす父のお蔭で、
小中学校の級友たちからは「オジサンがいるなら遊びに行かない」なんて、よく振られたものだ。
大人になってからも、兄弟たちが父に対して小さからぬわだかまりを抱えて続けてきたことは、
火を見るより明らかだった。

今となっては、
叩くどころか腕をほんの少し動かすことさえ、怒鳴るどころか蚊の鳴くような声を出すことさえ、
時間を掛けてマッサージやら準備運動やらをしてからでなければできない父に、
まさか、兄弟はかつての仕返しでもするつもりなのだろうか。
それではいくらなんでも、年老いた父も気の毒ではなかろうか。

そんな悲しい疑念が浮かんだ折りも折、
実家の居間で、かの兄弟と差し向かいとなった。

「お父さんの筋力、だいぶ落ちたね」
溜息まじりの私の言葉に応えるように、兄弟は質問を返した。
「ルーズボールって練習があってさ、知ってる?」
かつて昔その兄弟は、バスケットボール部に所属し、地元の大会で最優秀選手賞までもらった
ド根性中学生だった。
そんな彼らの練習メニューの最後は、いつもルーズボールだった。

コーチと一人の選手が向かい合い、その周りを他の選手全員が大きく取り囲む。
コーチは一球ずつボールを投げ、
向かい合った選手は、それが床に落ちないうちにキャッチし、周りを取り囲んだ選手に投げる。
ぐるりと取り囲んだ選手たちは、球拾いをして、コーチに次々とボールを渡す。
単純に説明するなら、これが、ルーズボールである。

しかし、実際は、こんな説明では言い尽くせない。

まず、コーチが右手遠方にボールを投げる。
全速力で駆け出した選手がやっとのことでボールに追いつき、キャッチすると同時に脇へ放る。
それを見たコーチは、間髪入れずに左手でボールをポトリと落とす。
選手は向き直り、客観的に見たら届くはずのないボールに向かって走り出す。
走るだけでは間に合わないので、ボールの下に滑り込むべく選手はスライディングする。
その甲斐なく、ボールは選手の手に触れぬまま床に落ちる。
それを見たコーチは、また間髪入れずに次のボールを、これまたとんでもない方向に投げる。
こんなことが繰り返される、これが地獄のルーズボールである。

「あれさ、そもそも、コーチは殆ど届かないところに投げてるんだから、
だいたいボールを取れるわけないんだ。
客観的に見たら絶対にできないことだよ。
だけどさ、周りの球拾いは、全員が『できる!』て大声を掛けるわけ。
矛盾してるよね。

ただ、もしもだよ。
周りから『それは無理だろう。やめとけよ』なんて言われたら、あんな風に走れない。

ダッシュして、ボールの下に倒れ込んで、それでも届かなかった、そのすぐ後なんてさ、
普通に考えて、走るどころか、立ち上がれるわけない。
それでも周りからは、『立て!』とか『走れ!』とか『届くよ!』とか言われる。
客観的に見たら、いやぁ、どう考えても無理だけどさ、
『できる』『できる』って言われてると、どういうわけか、何とか立ち上がっちゃう。

ただ、あそこで誰か一人でも『無理かも』って言う奴がいたら、絶対立てないよ」


地獄のルーズボールは、決して選手を懲らしめるためのものではない。

たとえ客観的に見れば手が届きそうにないボールでも、
床に落ちる最後の瞬間まで、それを取ることへの執念を持ち続けることは、
たとえ客観的に見れば勝てそうにない雲行きの試合でも、
終了のホイッスルの鳴る最後の瞬間まで、勝つことへの執念を持ち続けることに通じる。
その執念を持ち続けるためには、周りが100%『できる』と言い続けることが大きな力になる。

兄弟は、そう言おうとしているようだった。

座っていることもままならぬ老人に「立て」と言うのは、
必ずしも、その老人を懲らしめるための言葉ではないのかもしれない。

たとえ客観的に見れば立てそうにない体力でも、
我々は生きている限り、自分の人生の終わる最後の瞬間まで、
立つことへの、活動することへの、生きることへの執念を持ち続けるほかないのだろう。
そして、その執念を持ち続けるためには、
周りが100%『できる』と言い続けることで、何か力になれるかもしれない。

兄弟は、そんな希望に必死でしがみついているようだった。

私たちには、父の老いを食い止めることも苦痛を取り除くこともできない。
それでも、何とかして力になろうと、しがみつくようにしてくれる家族が近くにいることは、
父にとって救いかもしれない。


ルーズボールは、地獄のような練習だ。
しかし、
もしかすると、
場合によっては、
その影に、天国への抜け道が隠れていることだって、あるのかもしれない。