母は、いつになく真剣な眼差しを私に向け、そして言った。
「あなた、モテるの?」
「うん、モテそうな気がする。・・・やっぱり、モテる!」
「まさか!」
「見くびらないでよ。結構実績もあるし、自信あるの」
「強がってモテる振りなんかすると、後で痛い目に合うわよ」
あれれ?
実際の会話とどこかが異なる。
さて、気を取り直して、もう一度。
実家に届いた30kgの米袋を前に、母と私は腕組みをしていた。
どうにか引きずってでも動かせないものかと、試しに手を伸ばした私を遮り、
母は、いつになく真剣な眼差しを私に向け、そして言った。
「あなた、持てるの?」
「うん、持てそうな気がする。・・・やっぱり、持てる!」
「まさか!」
「見くびらないでよ。結構実績もあるし、自信あるの」
「強がって持てる振りなんかすると、後で痛い目に合うわよ」
あれから一週間、米の袋は、今も実家の玄関に鎮座している。
2014年12月7日日曜日
2014年10月31日金曜日
2014年9月28日日曜日
先祖への感謝
先週末は、地元の神社のお祭りであった。
一週間も前になると、町中に提灯が掛かり、のぼりが立てられる。
そうなると、近所の、いつもはフツーのオジサンやオバサンたちが、
不思議と揃って若返り、どことなく粋でカッコイイ若衆と、カワイイ娘たちに見えてくる。
そんな若衆と娘たちが、ワクワク、ソワソワしている町内の空気が、大好きだ。
そして当然、このクライマックスたるお祭り当日は、私にとって外すことのできない日となる。
つまり先週末、なんとしても私は、この町内に身を置いておく必要があった。
ところで、
先週末は、お彼岸の入りでもあった。
毎年彼岸の入りには、実家の母がおはぎを作る。これが我が家の慣わしである。
母の煮るあんこは絶品で、有名な和菓子屋さんさえ足元にも及ばない。
少なくとも、私にとってはそうである。
世界中のどこを探しても、いくら札束を積み上げても、
このおはぎを食べさせてくれるところは、実家の他にないのである。
更に言うならば、おはぎはそうそう日持ちするものではない。
少なくとも、我が家ではそうである。
出来上がった3色のおはぎは、テーブルの上に乗るが早いか、見る見るうちに消えていく。
少なくとも、我が家のおはぎはそうである。
今の時代、さまざまな変化が加速する、早い者勝ちの世の中だ。
タイミングを逃したら最後、おはぎにありつくことはできない。
というわけで、当然のことながら、
母がおはぎを作る彼岸の入りは、私にとって絶対に外すことのできない日となる。
つまり先週末、なんとしても私は、実家に身を置いておく必要があった。
さて、ここで一つ問題が生じる。
私は今、生きている。
生きているということは、肉体という物理的な制約を受ける。
そして物理的に存在する私の肉体は、一つしかない。
この一つしかない肉体を、同時に二箇所に分けて置くことは、絶対的に不可能なのである。
ところが、である。
この日、私は祭りを堪能するために、我が城の町内に身を置く必要があった。
同時にこの日、私はおはぎを堪能するために、我が実家に身を置く必要もあった。
これら二つの場所は、世界地図上で示すならば、ほぼ同じ地点と言えるものの、
実際に片方からもう片方に、この肉体を移動しようとすると、
交通機関を乗り継いで、小一時間ほどかかってしまう。
これらは、間違いなく別々の二つの場所と言わざるを得ない。
To be in 町内 or in 実家, that is the question.
ハムレットのごとく、私は苦悶した。
そこに神輿が近づいてきた。
単純な私は、我知らず表に走り出て、神輿の後ろの人混みに仲間入りした。
しばし町内を練り歩き、神酒所に着いた瞬間、我に返った。
気付けば、夕暮れ時である。
祭りは未だ続いている。
しかし今頃実家では、一旦現れたおはぎが全て消えてなくなってしまった、かもしれない。
単純な私は、我知らず地下鉄に乗り、実家へ急いだ。
「お帰りなさい!」玄関を開ける母の顔は達成感に溢れていた。
3色おはぎは一度テーブルの上に並んだことが、明らかに見て取れた。
今や、それらが消えてしまったのか、残っているのか、それこそが最大の問題だ。
テーブルの上には、それらしい皿は見られない。
やはり遅すぎたのだろうか。
あまりに強い不安に駆られた私は、この最大の問題を口に出すことさえできなかった。
「お彼岸だから」母に促されるまま、ご先祖様に挨拶をすべく仏壇の前に行くと、
そこには3色のおはぎが1セット、供えられていた。
隣に目をやると、父の写真の前にも1セットが供えられている。
そしてそのまた隣の祖母の写真の前には、私がこよなく愛するゴマおはぎがひとつ。
「あなたの分は、ご先祖様とお父さんとおばあちゃんが死守してくれたのよ」
まさに母の言葉通り、私のおはぎは、ご先祖様と父と祖母が、死してなお守り通してくれた。
母の絶品のおはぎを存分に堪能したら、
幼い頃、一緒に暮らしていた祖母の言葉が思い出された。
「お彼岸は、亡くなった人と気持ちが通じやすい時なんだ。
そんな時こそ、ご先祖様に良く良く感謝するんだよ」
まさに祖母の言葉通り、私の気持ちは、亡くなった人達にしっかり通じていたようだ。
お父さん、おばあちゃん、ご先祖様、今日は私のおはぎを守ってくれて、ありがとう。
それから、いつも見守ってくれて、ありがとう。
一週間も前になると、町中に提灯が掛かり、のぼりが立てられる。
そうなると、近所の、いつもはフツーのオジサンやオバサンたちが、
不思議と揃って若返り、どことなく粋でカッコイイ若衆と、カワイイ娘たちに見えてくる。
そんな若衆と娘たちが、ワクワク、ソワソワしている町内の空気が、大好きだ。
そして当然、このクライマックスたるお祭り当日は、私にとって外すことのできない日となる。
つまり先週末、なんとしても私は、この町内に身を置いておく必要があった。
ところで、
先週末は、お彼岸の入りでもあった。
毎年彼岸の入りには、実家の母がおはぎを作る。これが我が家の慣わしである。
母の煮るあんこは絶品で、有名な和菓子屋さんさえ足元にも及ばない。
少なくとも、私にとってはそうである。
世界中のどこを探しても、いくら札束を積み上げても、
このおはぎを食べさせてくれるところは、実家の他にないのである。
更に言うならば、おはぎはそうそう日持ちするものではない。
少なくとも、我が家ではそうである。
出来上がった3色のおはぎは、テーブルの上に乗るが早いか、見る見るうちに消えていく。
少なくとも、我が家のおはぎはそうである。
今の時代、さまざまな変化が加速する、早い者勝ちの世の中だ。
タイミングを逃したら最後、おはぎにありつくことはできない。
というわけで、当然のことながら、
母がおはぎを作る彼岸の入りは、私にとって絶対に外すことのできない日となる。
つまり先週末、なんとしても私は、実家に身を置いておく必要があった。
さて、ここで一つ問題が生じる。
私は今、生きている。
生きているということは、肉体という物理的な制約を受ける。
そして物理的に存在する私の肉体は、一つしかない。
この一つしかない肉体を、同時に二箇所に分けて置くことは、絶対的に不可能なのである。
ところが、である。
この日、私は祭りを堪能するために、我が城の町内に身を置く必要があった。
同時にこの日、私はおはぎを堪能するために、我が実家に身を置く必要もあった。
これら二つの場所は、世界地図上で示すならば、ほぼ同じ地点と言えるものの、
実際に片方からもう片方に、この肉体を移動しようとすると、
交通機関を乗り継いで、小一時間ほどかかってしまう。
これらは、間違いなく別々の二つの場所と言わざるを得ない。
To be in 町内 or in 実家, that is the question.
ハムレットのごとく、私は苦悶した。
そこに神輿が近づいてきた。
単純な私は、我知らず表に走り出て、神輿の後ろの人混みに仲間入りした。
しばし町内を練り歩き、神酒所に着いた瞬間、我に返った。
気付けば、夕暮れ時である。
祭りは未だ続いている。
しかし今頃実家では、一旦現れたおはぎが全て消えてなくなってしまった、かもしれない。
単純な私は、我知らず地下鉄に乗り、実家へ急いだ。
「お帰りなさい!」玄関を開ける母の顔は達成感に溢れていた。
3色おはぎは一度テーブルの上に並んだことが、明らかに見て取れた。
今や、それらが消えてしまったのか、残っているのか、それこそが最大の問題だ。
テーブルの上には、それらしい皿は見られない。
やはり遅すぎたのだろうか。
あまりに強い不安に駆られた私は、この最大の問題を口に出すことさえできなかった。
「お彼岸だから」母に促されるまま、ご先祖様に挨拶をすべく仏壇の前に行くと、
そこには3色のおはぎが1セット、供えられていた。
隣に目をやると、父の写真の前にも1セットが供えられている。
そしてそのまた隣の祖母の写真の前には、私がこよなく愛するゴマおはぎがひとつ。
「あなたの分は、ご先祖様とお父さんとおばあちゃんが死守してくれたのよ」
まさに母の言葉通り、私のおはぎは、ご先祖様と父と祖母が、死してなお守り通してくれた。
母の絶品のおはぎを存分に堪能したら、
幼い頃、一緒に暮らしていた祖母の言葉が思い出された。
「お彼岸は、亡くなった人と気持ちが通じやすい時なんだ。
そんな時こそ、ご先祖様に良く良く感謝するんだよ」
まさに祖母の言葉通り、私の気持ちは、亡くなった人達にしっかり通じていたようだ。
お父さん、おばあちゃん、ご先祖様、今日は私のおはぎを守ってくれて、ありがとう。
それから、いつも見守ってくれて、ありがとう。
2014年7月14日月曜日
2014 七夕のねがい
7月はじめ、自宅近くの公民館前には、3本の大きな竹の七夕飾りが立てられた。
色とりどりの短冊は、それぞれに地元小学生のねがいごとを乗せ、揺れている。
プロ野球の選手になりたい <5年生>
サッカーが上手くなりますように <6年生>
ピアノの先生になりたいです <4年生>
平およぎの手と足がどうじにうごく <3年生>
おかし屋さんか じょゆうになりたい <5年生>
おこずかいがふえますように <3年生>
読んでいるこちらの顔が、ついほころんでしまう。
みんなのねがいごとが叶うといいね、そう思いながら読み進めると、
こんなねがいごとも、一緒に揺れていた。
この世から 戦争と自殺がなくなりますように <6年生>
消費税を上げるなら、弱い人のためにつかってください <5年生>
けんぽうの せんそうなしは やめるなよ (ねがい) <4年生>
ケンカがすくなくなるせかい <2年生>
どうか、小学生たちのねがいごとが、きっと叶いますように。
どうか、小学生たちがこんなことで心を痛める必要がなくなりますように。
そしてもし、そのために私にできることがあるのなら、どうか、教えてください。
色とりどりの短冊は、それぞれに地元小学生のねがいごとを乗せ、揺れている。
プロ野球の選手になりたい <5年生>
サッカーが上手くなりますように <6年生>
ピアノの先生になりたいです <4年生>
平およぎの手と足がどうじにうごく <3年生>
おかし屋さんか じょゆうになりたい <5年生>
おこずかいがふえますように <3年生>
読んでいるこちらの顔が、ついほころんでしまう。
みんなのねがいごとが叶うといいね、そう思いながら読み進めると、
こんなねがいごとも、一緒に揺れていた。
この世から 戦争と自殺がなくなりますように <6年生>
消費税を上げるなら、弱い人のためにつかってください <5年生>
けんぽうの せんそうなしは やめるなよ (ねがい) <4年生>
ケンカがすくなくなるせかい <2年生>
どうか、小学生たちのねがいごとが、きっと叶いますように。
どうか、小学生たちがこんなことで心を痛める必要がなくなりますように。
そしてもし、そのために私にできることがあるのなら、どうか、教えてください。
2014年5月21日水曜日
イマドキ流行らないもの
実家の押入れをほじくり返していたら、古ぼけた本が出てきた。
昔々、アルバイト先の経理部長から、いただいたものだ。
「良い本なんだけどね、イマドキ流行らないのよ、こういうの。すっかり日焼けしちゃってるけど、持って帰りなさい」
手渡された時の彼女の口調まで思い出された。
当時は読みもしなかったくせに、今になって手に取ったら、
何となく懐かしくなって、何となくページを繰っていると、何となくやめられなくなって、何となく読み進めた。
この中で筆者は、「愛」という単語を手元の小さな国語辞典で引く。そこに
愛 : いつくしみ、かわいがること
と説明されているのを見て、
「特定の相手だけを『かわいがる』、そんな中途半端で生易しい『愛』なんて偽物だ!」とばかりに、こう続ける。
”愛”が他人を傷つけることを顧みないならば、雌犬も又、仔犬を守るために近よるものにかみつきます。”国を愛すること”が、他国民を虐殺することを許す野獣的な次元の”愛”には、文明の名にかけて別れを告げたいと、ほんとうにそう思うようになりました。しかも科学は、この野獣たちに、地球を破壊するほどの大きな力を与えています。”愛”の価値を変えない限り、高度科学技術社会に名をかりた人間の歴史は、はかりしれない恐怖の悲劇をくりかえすことでしょう。”愛”は、いのちあるものの、いのちあるものへの同感です。
・・・・・・ (四八年七月 文集)
宮下操 『へそのないノート』 新読書社、1988、pp.98-99.
「四八年」とあるのは、恐らく昭和四八年、西暦でいえば1973年のことだろう。
経理部長は、「イマドキ流行らない」と言っていたけれど、
この文章が書かれた1973年当時も、この本が出版された1988年当時も、
経理部長からこの本を受け取った当時も、そして今も、
これが「イマドキの流行り」になったことは、一度もなさそうだ。
しかし同時に、40年も前に書かれたこの文章が、
まるで、つい最近、新聞か何かに投稿されたもののように、私には見えた。
「イマドキ流行らない」ものは、
何十年経っても流行らない代わりに、
何百年経っても、何かを言い得ているのかもしれない。
ところで、ここで筆者は「愛」という言葉に独自の定義づけをしている。
”愛”は、いのちあるものの、いのちあるものへの同感です。
全てのいのちあるものへ同感できる、そんな感性を、私も磨いていきたい。
「生命の星 地球」なんて呼び方をよく耳にするのは、
いのちあるものたちの暮らす星であることが、地球の特徴の一つと言えるためだろう。
この星の上、全てのいのちあるものにとって、
自らの感性を育む自由が妨げられることのない社会であることを、
感じたことを表現する自由が妨げられることのない社会であることを、
そうして、一人ひとりの感じたこと・表現されたものが多数決の名のもとに消し去られることなく、
互いに尊重される社会であることを、
願ってやまない。
昔々、アルバイト先の経理部長から、いただいたものだ。
「良い本なんだけどね、イマドキ流行らないのよ、こういうの。すっかり日焼けしちゃってるけど、持って帰りなさい」
手渡された時の彼女の口調まで思い出された。
当時は読みもしなかったくせに、今になって手に取ったら、
何となく懐かしくなって、何となくページを繰っていると、何となくやめられなくなって、何となく読み進めた。
この中で筆者は、「愛」という単語を手元の小さな国語辞典で引く。そこに
愛 : いつくしみ、かわいがること
と説明されているのを見て、
「特定の相手だけを『かわいがる』、そんな中途半端で生易しい『愛』なんて偽物だ!」とばかりに、こう続ける。
”愛”が他人を傷つけることを顧みないならば、雌犬も又、仔犬を守るために近よるものにかみつきます。”国を愛すること”が、他国民を虐殺することを許す野獣的な次元の”愛”には、文明の名にかけて別れを告げたいと、ほんとうにそう思うようになりました。しかも科学は、この野獣たちに、地球を破壊するほどの大きな力を与えています。”愛”の価値を変えない限り、高度科学技術社会に名をかりた人間の歴史は、はかりしれない恐怖の悲劇をくりかえすことでしょう。”愛”は、いのちあるものの、いのちあるものへの同感です。
・・・・・・ (四八年七月 文集)
宮下操 『へそのないノート』 新読書社、1988、pp.98-99.
「四八年」とあるのは、恐らく昭和四八年、西暦でいえば1973年のことだろう。
経理部長は、「イマドキ流行らない」と言っていたけれど、
この文章が書かれた1973年当時も、この本が出版された1988年当時も、
経理部長からこの本を受け取った当時も、そして今も、
これが「イマドキの流行り」になったことは、一度もなさそうだ。
しかし同時に、40年も前に書かれたこの文章が、
まるで、つい最近、新聞か何かに投稿されたもののように、私には見えた。
「イマドキ流行らない」ものは、
何十年経っても流行らない代わりに、
何百年経っても、何かを言い得ているのかもしれない。
ところで、ここで筆者は「愛」という言葉に独自の定義づけをしている。
”愛”は、いのちあるものの、いのちあるものへの同感です。
全てのいのちあるものへ同感できる、そんな感性を、私も磨いていきたい。
「生命の星 地球」なんて呼び方をよく耳にするのは、
いのちあるものたちの暮らす星であることが、地球の特徴の一つと言えるためだろう。
この星の上、全てのいのちあるものにとって、
自らの感性を育む自由が妨げられることのない社会であることを、
感じたことを表現する自由が妨げられることのない社会であることを、
そうして、一人ひとりの感じたこと・表現されたものが多数決の名のもとに消し去られることなく、
互いに尊重される社会であることを、
願ってやまない。
2014年5月11日日曜日
いのち
ゴールデンウィーク中、実家で新聞の折り込みチラシを端から端まで読んでいたら、
駅前のスーパーの売り出しから目が離せなくなった。
5月11日(日)は母の日です!
お菓子です!
板チョコレート 55g 79円
○×スナック(韓国のり風味70g・プレーン90g) 各79円
果汁グミ(ライチ・ざくろ) 各81g 各138円
リンゴバイ 1個 667円
いのち4種ミックス 4個 399円
どら焼き 5個 267円
冒頭の「お菓子です!」との宣言通り、お菓子が並んでいる・・・、ように見える。
おや?
果たして、並んでいるのは本当に全てお菓子だろうか。
板チョコレートも、
○×スナックも、
果汁グミも、
リンゴバイも、
どら焼きも、
確かに、間違いなく、お菓子だ。
しかし、「いのち」はお菓子だろうか?
「この『いのち4種ミックス』って、何だろうか?」私の呈した疑問に、母は答えた。
「火の玉がグルグル回ってるのかしら。『4種ミックス』ってことは、4色あるのね」
すると、朝とは言い難い時刻まで寝ていた兄弟たちまで起き出して、我が家は「いのち」で持ち切りになった。
「火の玉は袋詰めにできないし、そもそも火の玉はお菓子ではない」
「だったら、そもそも『いのち』って何?」
「袋詰めにしたり、1個2個って数えたりできるものなの?」
「空気だけで膨れたような袋が並んでてさ、『むやみに開けるといのちが逃げます』なんて注意書きがあったりして」
「『4種ミックス』って言うように、種類分けしたり、それらをミックスしたりできるわけ?」
「『4回生まれ変われます』って意味かもよ。4種類の人生を試せる……」
「 (1)金満・生臭坊主のいのち、
(2)出世に目がくらんだ坊さんのいのち、
(3)社会的弱者と共に立ち上がる坊さんのいのち、
(4)ひたすらに仏の道を歩む坊さんのいのち」
「お前さんはそんなに坊さんになりたいのかい?」
「坊さんでも何でも、一つの枠の中の方が、種類分けが際立つかと思って。」
「『一人に一つずつ~、大切な いのち』って歌があったから、4個入りなら4人で分けないとね。」
「一人で2個とか、二人で半分ことかは、宜しくないの?」
「『いのち』をちぎったり、ましてや包丁を入れたりしちゃぁマズいでしょう。」
その後、駅前のスーパーから戻った母が玄関を開けるなり言った。
「『いのち』はね、母の日に売り出すんですって!」
気掛かりで居てもたってもいられなくなった母は、店の売り場をくまなく探し、それでも見つからず、店員さんに尋ねたらしい。
「日曜の朝一番に行って、必ず買ってくるわ!」
「いのち」は、いつの間にやら母の心に火をつけていた。
さて、ついに今日は母の日、当日だ。
プレゼントを持って、実家に帰ろう。
今頃は、駅前のスーパーで「いのち」を入手した母が帰宅していることだろう。
「いのち」にお目に掛かれると思うと、私までどうもそわそわしてしまう。
どうやら「いのち」は、いつの間にやら私の心にも火をつけていたようだ。
このたびの「いのち」がどんなもので、どんな4種がどうミックスされて、どう袋詰めされているのかは、実家に帰ってのお楽しみとしよう。
とはいえ、
もしかすると、
「いのち」は、いつの間にやら人の心に火をつけているもの、なのかもしれない。
駅前のスーパーの売り出しから目が離せなくなった。
5月11日(日)は母の日です!
お菓子です!
板チョコレート 55g 79円
○×スナック(韓国のり風味70g・プレーン90g) 各79円
果汁グミ(ライチ・ざくろ) 各81g 各138円
リンゴバイ 1個 667円
いのち4種ミックス 4個 399円
どら焼き 5個 267円
冒頭の「お菓子です!」との宣言通り、お菓子が並んでいる・・・、ように見える。
おや?
果たして、並んでいるのは本当に全てお菓子だろうか。
板チョコレートも、
○×スナックも、
果汁グミも、
リンゴバイも、
どら焼きも、
確かに、間違いなく、お菓子だ。
しかし、「いのち」はお菓子だろうか?
「この『いのち4種ミックス』って、何だろうか?」私の呈した疑問に、母は答えた。
「火の玉がグルグル回ってるのかしら。『4種ミックス』ってことは、4色あるのね」
すると、朝とは言い難い時刻まで寝ていた兄弟たちまで起き出して、我が家は「いのち」で持ち切りになった。
「火の玉は袋詰めにできないし、そもそも火の玉はお菓子ではない」
「だったら、そもそも『いのち』って何?」
「袋詰めにしたり、1個2個って数えたりできるものなの?」
「空気だけで膨れたような袋が並んでてさ、『むやみに開けるといのちが逃げます』なんて注意書きがあったりして」
「『4種ミックス』って言うように、種類分けしたり、それらをミックスしたりできるわけ?」
「『4回生まれ変われます』って意味かもよ。4種類の人生を試せる……」
「 (1)金満・生臭坊主のいのち、
(2)出世に目がくらんだ坊さんのいのち、
(3)社会的弱者と共に立ち上がる坊さんのいのち、
(4)ひたすらに仏の道を歩む坊さんのいのち」
「お前さんはそんなに坊さんになりたいのかい?」
「坊さんでも何でも、一つの枠の中の方が、種類分けが際立つかと思って。」
「『一人に一つずつ~、大切な いのち』って歌があったから、4個入りなら4人で分けないとね。」
「一人で2個とか、二人で半分ことかは、宜しくないの?」
「『いのち』をちぎったり、ましてや包丁を入れたりしちゃぁマズいでしょう。」
その後、駅前のスーパーから戻った母が玄関を開けるなり言った。
「『いのち』はね、母の日に売り出すんですって!」
気掛かりで居てもたってもいられなくなった母は、店の売り場をくまなく探し、それでも見つからず、店員さんに尋ねたらしい。
「日曜の朝一番に行って、必ず買ってくるわ!」
「いのち」は、いつの間にやら母の心に火をつけていた。
さて、ついに今日は母の日、当日だ。
プレゼントを持って、実家に帰ろう。
今頃は、駅前のスーパーで「いのち」を入手した母が帰宅していることだろう。
「いのち」にお目に掛かれると思うと、私までどうもそわそわしてしまう。
どうやら「いのち」は、いつの間にやら私の心にも火をつけていたようだ。
このたびの「いのち」がどんなもので、どんな4種がどうミックスされて、どう袋詰めされているのかは、実家に帰ってのお楽しみとしよう。
とはいえ、
もしかすると、
「いのち」は、いつの間にやら人の心に火をつけているもの、なのかもしれない。
2014年2月9日日曜日
7億円が当たったら
「7億円ですよ。どうします?当たったら」
若手の先輩の質問に、大先輩が答えた。
「私ね、いつもスーパーに行くと、『半額』って赤いシールの貼られたものばかり買ってくるの。
そうすると、どれもこれも賞味期限が眼前に迫っていてね。
だから、家に帰ったらすぐに急いで料理しないといけないわけ。
もし、7億円が当たったら、
赤いシールの貼ってないものばかり買ってやるわ。
賞味期限が遥か彼方ずーっと先まで続いているものを冷蔵庫いっぱいに詰め込んで、
いつまでーも放っておくの。
優雅ねぇ、そんな生活。
あ、
でも、そうしたら、いつまでも料理しないから、いつまで経っても食事が始まらないか。
あぁ、
だったら賞味期限は眼前で良いわ。
赤いシールが貼ってあれば、おしりに火がついて、すぐに料理も食事も始められるし。
やっぱり私、7億円、要らないわ。
ああぁ、
どうりで私、宝くじ買ったことない訳だわ」
若手の先輩の質問に、大先輩が答えた。
「私ね、いつもスーパーに行くと、『半額』って赤いシールの貼られたものばかり買ってくるの。
そうすると、どれもこれも賞味期限が眼前に迫っていてね。
だから、家に帰ったらすぐに急いで料理しないといけないわけ。
もし、7億円が当たったら、
赤いシールの貼ってないものばかり買ってやるわ。
賞味期限が遥か彼方ずーっと先まで続いているものを冷蔵庫いっぱいに詰め込んで、
いつまでーも放っておくの。
優雅ねぇ、そんな生活。
あ、
でも、そうしたら、いつまでも料理しないから、いつまで経っても食事が始まらないか。
あぁ、
だったら賞味期限は眼前で良いわ。
赤いシールが貼ってあれば、おしりに火がついて、すぐに料理も食事も始められるし。
やっぱり私、7億円、要らないわ。
ああぁ、
どうりで私、宝くじ買ったことない訳だわ」
登録:
投稿 (Atom)