2016年12月30日金曜日

診察室にて

患者: 先生、私は100歳まで生きられるでしょうか?

医師: どれ、見てみましょう。
   まず、あなたは、お酒やタバコを呑みますか?

患者: いいえ、酒もタバコも呑みません。触ったことさえありません。

医師: では、甘いものや辛いもの、塩気の強いものや脂っこいものは?

患者: いいえ、間食は一切なし。食事は全て薄味、しかも腹八分目です。

医師: そうですか。
   競馬やスポーツくじなどの、興奮するような賭け事はどうですか?

患者: いいえ、とんでもない。

医師: では、バイクを飛ばしたり、女性を食事に誘ったりは?

患者: 先生、いい加減にしてください!
   これまで60年間、真面目一筋で生きてきたんです。
   これからだって、当然この生活を続けるつもりです!

医師: だったら、何のために100歳まで生きたいのですか?

2016年12月9日金曜日

もう一丁 誕生日によせて

おっかさん

生んでくれて、ありがとう。
育ててくれて、ありがとう。
お赤飯を炊いてくれて、ありがとう。
シモヤケを揉んでくれて、ありがとう。
見栄っ張りでいてくれて、ありがとう。
矛盾した発言をしてくれて、ありがとう。
不機嫌になってくれて、ありがとう。
機嫌を直してくれて、ありがとう。
笑ってくれて、ありがとう。
笑顔じゃないところも見せてくれて、ありがとう。
無理難題を出してくれて、ありがとう。
「大きくなったわね」と見上げながら、「チビ」呼ばわりしてくれて、ありがとう。
元気でいてくれて、ありがとう。
生きていてくれて、ありがとう。

こんど帰ったら、高野豆腐が食べたいな。

これからもよろしく。

誕生日によせて

子どものころ、誕生日の朝食前は決まって父に戒められたものだ。
「誕生日とは、周りの人たちに改めて感謝すべき日だ。云々……」

せっかく母が前日から仕込んでくれた赤飯が、目の前で冷めていく。
さっきまで音を立てていた焼き魚も、湯気を立てていたお汁も、みんな冷めていく。
一通りの訓示を終えた父の「いただきます」という言葉が、どれほど待ち遠しかったことか。

そんなことを思いだしながら、自分で炊いた赤飯が冷めないうちに朝食をとった。

当時は有難迷惑と聞き流していた父の訓示を、
年に一度くらいは有難く聞き入れてみるか。

おとっつぁん、誕生日の思い出を、ありがとう。

2016年12月3日土曜日

生涯青春、生涯・・・

実家でおふくろの味を堪能したある晩、兄弟の一人が言った。

「さっきまで腹ペコだったのに、今はお腹がはち切れそう。
『腹八分目』は、いつの間に通り過ぎたんだろう?」

「真っただ中は無我夢中、駆け抜けて、あとから気付く。
『ああ、あの頃が一番良かった……』なんてね。」

「腹八分目と掛けて、青春と解く。
その心は、
振り返り、過ぎし己を惜しむもの。」

私の拙い謎掛けに、人生経験豊富な母が、下の句を付けた。

「それを生涯 繰り返すもの。」

2016年11月29日火曜日

紅葉の理由

生徒: 先生、どうして秋になると葉が赤く染まるんですか?

教師: 野暮なこと言わずに察してあげようよ。恥じらっているのだから。

2016年11月19日土曜日

懐かしのハワイ

「たからもの入れ」と書かれた古い箱を整理していたら、連絡帳が出てきた。
そこには、小学校に上がったばかりの私をめぐり、
担任の先生と我が母との間で交わされたメッセージが綴られている。

 旅行のお写真、拝見いたしました。どうもありがとうございます。
 日頃のお疲れが少しは癒されましたでしょうか。

 始業式から帰ると、先生にいただいたハワイ旅行の写真を二枚並べて、
 ヨットハーバーやマウイ島のハイビスカスの花の様子を、詳しく話していました。
 この一週間というもの、何かにつけて
 「お母さん、こんな時ハワイではね・・・」
 まるで自分がハワイに暮らしていたような口ぶりです。
 「ああ、いつかお母さんのことも、こんな常夏の楽園に連れて行ってあげたいな」
 とのこと。
 いつになるんでしょうね。

 もうしばらくは、懐かしのハワイ熱が続きそうです。

  ***

 いつでもニコニコして、何をするのも楽しい様子です。
 休み時間には、「ハワイではどうなの?」と目を輝かせて聞いてきます。
 今ではすっかりハワイ博士になりました。
 かわいいかわいい○○です。

懐かしいなぁ、ハワイ。
一度も行ったことないけど、やっぱり懐かしいなぁ、ハワイ。

2016年10月2日日曜日

母と私の願いごと

母の幸せって何だろう。

「自己主張」なんて言葉とは無縁に生きて、
何もかもを家族のために捧げ尽くし続ける彼女に、私欲なんてあるのだろうか。
自分自身に関する願いごとなんて、あるのだろうか。

本人に尋ねると、こんな答えが返ってきた。

「人生の長さはともかく、最後まで、
 自分の足で歩いていたい。
 自分の世話は自分でしたい。
 特にトイレは一人でしたい。

 もう一つ贅沢言うなら、
 最後まで、痛いところがなければ最高」

かみさま、ほとけさま、ごせんぞさま、
母の願いごと、どうか叶えてあげてください。

それと、私からもう一つ。

本人は言っていないけど、
母の人生が、一日でも長くありますように。

2016年9月11日日曜日

オヤジさん

「これ、オヤジさんからプレゼント」
出張先に着くなり、小さな箱を手渡された。
箱の中には、厚手で、ちょっと大振りで、重みのある、真新しい湯呑茶碗が入っていた。
以前、やはり出張でここへ来た時、業務後に入ったおすし屋さんの名前が、
ぐるりと一周かけて大きく書いてある。
そうそう、ネタと味が良いうえに、とにかく盛りが良かったっけ。
文字通りすし詰めになったお腹を抱えて、帰りの特急列車に乗った、あの超満足感が甦った。(*)

「『これ、作ったから、あの人に』だって。ぶっきらぼうなオヤジさんだよね」

常連さんに連れられていたとはいえ、私自身は一度しか行ったことがない。
その上、東京に住んでいては、これから上客になることもないだろう。
そんな私のことも思い出してくれたんだな、と嬉しくなった。


あの街での仕事が終わり、訪れなくなって数年が経つけれど、
今でも食後のお茶を飲んでいるのは、この湯呑茶碗だ。

いつか休みを取って、また行ってみよう。
その時は、うんとお腹を空かせておくからね。オヤジさん。

2016年9月4日日曜日

叔母からの電話

寝床の支度をしていると、電話が鳴った。
出ると、叔母が声を潜めて言った。

「あんた、今、どこ?」
「部屋だよ」
「もう帰ってるのね。まあ、それならいいわ」

叔母の謎めいた話し振りが引っ掛かった。
帰っているならとりあえず良し、ということは、表に出ていたら危険でもあるのだろうか。

「何かあったの?」
「ちょっとね。知ってる?殺人事件」

やはり、ただ事ではない。
事件は近隣で起きたのだろうか。

「どこで?」
「それが良く分からないのよ。ナントカ街ってとこらしいんだけど」

ナントカ街、それではあまりにも漠然とし過ぎている。
仮に○○商店街だったら、目と鼻の先だ。もう一歩も外に出られない。
物騒なものはどこで起きても物騒だが、せめておよその地域だけでも知っておきたい。

「ナントカ街とだけ言われても……、例えば横浜中華街とか?渋谷センター街とか?」
「いいえ、『も・る・ぐ・が・い』って言うらしいの。知ってる?」

あまり繁華街に出ることがないためだろうか、聞いたことのない名前だった。
一体、どこにあるのだろう。

「知らない……」
「全く困った子ね。『モルグ街の殺人』ってのがあったらしいのよ。読んでないの?」

読んであって当然のような言い方だ。
新聞の号外でも配られたのだろうか。
そんな騒ぎになっていたとは、露ぞ知らなかった。
我ながら、あまりの世間知らずさに背筋が寒くなった。

「読んで、ない」
「そう、仕方ないわね。
 小説の作者の名前なんだけどね。
 アルファベット三文字、『P』で始まって、『E』で終わるのよ。
 真ん中の文字、調べてくれる?」

どうやら、『モルグ街の殺人』はフィクションで、そんな題名の小説があるらしい。
そしてどうやら、叔母は現在英語クロスワードパズルと格闘中で、
一つだけ答えを埋められずに残ってしまったらしい。

パソコンの電源を入れ、ネット検索して、答えを知らせるメールを送ると、途端に返信が来た。

「ありがとう!完璧なのができました。夜更かししてないで早くおやすみ」

「え、夜更かしさせたのは誰?」と思うと同時に、
いつもなら、気にも留めないことに気が付いた。

英語クロスワードパズルに翻弄され、夜更かしを戒められる。
なんと平和なことだろう。
たとえ、「とりあえず、当座だけかもしれないけれど」という条件付きにせよ、
今宵は有難くそれを享受しよう。

叔母さん、こちらこそありがとう。

2016年7月27日水曜日

友の父へ

 一周忌にあたり、お便り申し上げます。

 今でも、残されたご家族は寂しく思われる時もあるでしょう。一方、お父様ご自身はいかがですか。そちらから眺めながら、我ながらなかなか良い家族を築き上げ、子どもたちも立派に育ったものだと、満足されているのではないでしょうか。

 聞き上手なOさんが、ご自身やご家族について語られることは決して多くないように思います。そんな中、話題に登られる頻度において、お父様は断トツでした。明るく茶目っ気があり、ご家族を大切にされているご様子が目に浮かぶような話し振りからは、Oさんが、きっと小さいころから、お父様を素直に敬愛されていたことが伝わってきます。そんなお話は聞いているだけでも心温まり、面識はないけれど、いつの間にかお慕いするようになっていました。

 「家族を大切にする父親」というと、まず思い出すことがあります。
 私は学生時代に一件だけ家庭教師のアルバイトをしたのですが、そのお宅のお父様から、こんなふうに依頼されました。
 「うちのK子は本当に素直な子でね、これは学歴なんかとは比べ物にならない、一生の宝物だ。だから僕は、あの子の素直さだけは絶対に潰したくないんだ。
 そんな素直なあの子も、これからいわゆる『難しい年ごろ』に入る。これまでの価値観に疑問を持って世界を広げようというのが、『反抗期』であり、『難しい年ごろ』なのだろう。そんな時期、親・兄弟でも学校の先生でも同級生でもない、彼女の生活圏の外との関わり、中でもお姉さんのような存在との関わりを持つことができたら、良い糧になるように思う。
 だから『勉強しろ!』なんて焚き付ける必要なんかない。適当に宿題か何か見てやりながら、むしろオシャベリにつき合ってやる、そんなつもりで来てくれないかな。」
 それを聞いて、「こんな、アメリカのホームドラマに出てくるような、理想的な父親が、この日本に実在して、しかもこれから毎週そのお宅に伺うなんて!」と衝撃を受けたことを覚えています。
 私の空想の中では、このお父様とOさんのお父様のイメージが不思議と重なり、「きっとOさんのお宅でも、アメリカのホームドラマや家庭教師先と同様、犬を飼っていて、犬の散歩という名のもとに、親子の語らいのひとときが日常的に保たれてきたに違いない!」などと、勝手に決め込んでいました。

 ところで、私の父は一年半ほどお先にそちらの世界に参りました。ひどく偏屈な変わり者で、いつも苦虫を噛み潰したような顔をして、世界中の物事を悪いように捉えては、手あたり次第に苦言ばかり吐いていたものです。
 父が元気な時分は、その卑屈さが鬱陶しくたまりませんでした。友人や知人の中に、自分の父親を素直に慕う人を見つけると、羨ましさのあまり、嫉妬を押さえきれないことさえありました。そんな時は決まって、「こんな素敵なお父さんの子どもに生まれていれば、私だってきっと、今頃はもっとまともな人間になっていたんだから」などと心の中で負け惜しみを言っては、そんな自分を憂いたのです。つまるところ、父の姿を通して、自分の卑屈さが鏡のように映し出されることこそが、鬱陶しさのもとだったのでしょう。
 ところが、あるとき気付きました。Oさんが楽しそうにお父様のお話をされる様子を前に、微笑ましくはあるものの、嫉妬も負け惜しみも感じません。むしろ、父を亡くして恋しく思うのは、あの、しかめっ面と憎まれ口だったのです。
 お蔭さまで今は、あのどうしようもなく後ろ向きなダメ親父の子に生まれた御縁に感謝しています。


 さて、こうして他所のお父様にとりとめもなくお便りを綴っていたら、自分の父親から近況報告が届いた気がします。どうやらそちらに行ってからは、生前滅多に見せなかった笑顔で穏やかに過ごしているようです。

 Oさんのお父様が大切にされてきたご家族それぞれの悲しみが少しでも癒え、皆さんが笑顔で元気に過ごされますように。きっと、それが何よりの供養ですよね。
 ではまた。

2016年6月23日木曜日

愛しき男たち

友人宅から東京に戻り、1、2週間経ったころ、
彼のお嫁さんからメールが届いた。

「あなたがここを発った晩、息子たちを寝かしつけていたら、長男から質問攻めにされたの。

 『どうして彼女は、あんなに急いで帰っちゃったの?
  だって、ここには2週間いるはずだったでしょう?
  火曜日の夜、僕が眠った後で彼女はここに来たんだ。
  今日だって僕が眠るまで一緒にいてくれなかったら、本物の2週間にならないよ。
  それに、どうして2週間で帰らなきゃならないの?もっと長くいたらいいのに』

 いつもは聞き分けの良いあの子が、しばらく駄々をこねていた。
 やっと長男が落ち着いたと思ったら、今度は次男坊。

 『僕の好きなものは、パパと、ママと、お兄ちゃんと、僕。僕の家族……
  それから、○○さん。
  でももう彼女はいない……』

 いつもは賑やかなあの子が、こう言うとクルリと背を向けて黙り込んでしまった。

 子どもたちも、あなたの滞在を楽しんだみたい。
 いつでも、また遊びに来てちょうだい」

ありがとう。
そして、また会おう。我が愛しき男たちよ。

2016年6月16日木曜日

供養という土産

「○月に来てください」という、シンプルな招待状メールを受け、友人宅へ向かった。

生まれて初めて訪れたその街で最初に見たものは、二十年来の友人の笑顔だった。
彼は仕事を休んで、自分の生まれ育った街を、隅から隅まで案内してくれた。

この街で過ごした最後の午後のこと。
観光の合間、カフェに入ると、彼から二十年前の思い出が溢れ出した。


「僕の街にはお風呂屋さんがなかったから、
初めてあなたの家に行ったとき、『お風呂屋さんに行ってみたい』と言った。
そうしたら、あなたのお父さんはニコニコして、『案内してやる』って答えたんだ。
彼はいつも、言葉数が少ないし、表情も乏しいでしょう?
でも、お風呂屋さんでは、ずーっと、ニコニコしていてね、
下駄箱の鍵も、番台も、僕が興味を持ったものを、ひとつずつ、丁寧に説明してくれたんだ。
頼もしい『師匠』に見えたよ。

身体を洗い始めると、『背中を流してやる』って言われた。
目上の人にそんなことをしてもらって失礼に当たらないか、
それとも、断ったらかえって失礼なのか、
すごく迷ったけど、『お願いします』って背中を向けてみた。
そうしたら、お父さんは僕の背中を、タオルで洗ってくれた。

1分くらいして、僕は『どうもありがとうございます』と言って振り向いた。
そうしたら、お父さんは『まだまだ』と言って、僕の背中を洗い続けた。

僕はそれまで、背中を丁寧に洗ったことがなかったから、
『もしかすると、汚れが溜まっているのかな』と思った。
2、3分して、もう一度『どうもありがとうございます』と言った。
それでも、お父さんは『まだまだ』と言って、僕の背中を洗い続けた。

5分後も、10分後も、同じことが繰り返された。
僕の背中は、もう『因幡の白兎』さながらだったけど、
お父さんから見ると、まだまだ汚れが取れていなかったらしいよ。
15分くらい経ったころ、やっと『よし』と言ってもらえたんだ。
あと10秒でも長かったら、きっと血がにじんでいただろうな。

『今度は僕が流します』
そう言って、タオルでお父さんの背中をクルクルっと2、3回撫でた。
そうしたら、お父さんは『ありがとう』と言って、湯船に入ってしまった。

『え?
僕の背中は15分洗い続けなきゃならないほど汚くて、
あなたの背中は、2、3回撫でたら済むほどキレイなの?』
僕がそう言うと、お父さんは黙ってニコニコしていたよ。

二人並んで湯船につかっていると、僕はすぐに苦しくなった。
ところがお父さんは涼しい顔をしている。
良く良く比べると、背の高さが違う。
僕は背が低くて、顎を上げておかないと、顔が水面から出ないんだ。
お父さんは背が高くて、普通にしていても顔は水面から出ている。
だけどね、立ち上がった時には、僕の方がお父さんより10cmくらい背が高いでしょう?
『これはどうも納得いかない、不公平だ』
僕がそう言うと、お父さんはやっぱり黙ってニコニコしていたよ」

二人してカフェにいることをすっかり忘れ、二十年前の銭湯にタイムスリップしていると、
気付けば、4時間も経っていた。

帰宅するなり、彼は部屋中の引出しをひっくり返し始めた。
お嫁さんにも手伝ってもらって、何やらお目当ての品を探し当てたようだ。
「これが僕の宝物入れ」と見せられたのは、クリアファイルだった。
そこには、
 父が彼に書いた手紙が二通、
 母が彼に書いた手紙が一通、
 そして、彼のお嫁さんが、かつて恋人同士だった時代に書いたラブレターが一通、
入っていた。

「僕はね、あなたのお父さんのお葬式に、とっても出たかったんだ。
知らせを聞いたときは驚いたし、悲しかったけど、最後にお別れの挨拶をしたかった。
そして、あなたのお母さんを抱きしめてあげたいと思った。
お母さんに『また会いたい』って、伝えてね」


料理上手のお嫁さんが、この土地の料理の作り方を教えてくれたのも、
真面目な長男が、学校で習った歌やら数字やら綴り字を教えてくれたのも、
人懐こい次男坊が、スキップしながらトイレの中まで付いて来てくれたのも、
他には代えがたい、今回の滞在の大切なお土産だ。

床に就くと、お風呂屋さんで嬉しそうに『師匠』を気取る父の姿が目に浮かんだ。

最後の最後に受け取ったお土産は、
いつも苦虫をかみつぶしたような様子ばかりしていた父の満面の笑みと、
その父を、この友人がこよなく敬愛している、という事実だった。

「東京に帰ったら、彼の代わりに母を抱きしめよう。
そして、父の三回忌の準備をしよう」
荷物をまとめながらそう思った。

2016年4月25日月曜日

ひとり○○

ある休日、目覚めたら早朝だった。
「そうだ、ハイキングしよう!」

電車に1時間ほど揺られ、沢沿いに歩き出しだ。
陽気の良い休日のためか、それとも、近頃流行りのスポットに成り上がったのか、
そのハイキングコースには人が列をなしていた。
私のすぐ後ろからは、若い女性二人の弾むような声が聞こえてくる。

彼女たちのオシャベリがふと途切れたと思うと、一人が声を潜めて言った。
「ほら、前の人、『ひとりハイキング』だよ」

「そう、私は今『ひとりハイキング』の最中です」と心の中で答えると、
もう一人が声に出して応じた。

「ほんとだ。う~ん、でも、もしかして、頑張ったら私もできるかな?『ひとりハイキング』」
「勇気あるぅ。じゃあ、『ひとり旅』は?したことある?」
「ない。でもいつかはしてみたいな。なんとなくカッコイイじゃない?憧れる」

ひとり旅、私はしたことある。というより、これまでにした旅行の殆どは一人だった。

「じゃあ、『ひとりランチ』は?」
「ランチはファーストフードとかファミレスなら一人で入ったことあるけど・・・」
「『ひとりディナー』は?」
「さすがにそれはない。
 でもね、去年の私の誕生日、みんなでフレンチに行ったじゃない?
 あの時、斜め前の席で、女の人が『ひとりフレンチ』してたよ」
「えーっ!いくつくらいの人?水商売っぽい人?」
「んー、・・・30代半ばくらいかなぁ。ふつうの、OLっぽい感じ」
「待ち合わせの相手がなかなか来ないとか?」
「たぶん・・・初めから一人で予約してたんじゃないかな。
 テーブルに一人分しかセットされてなかったし。
 赤ワインかなんか飲んじゃってさ、気分良さそうにやってた」

そう言えば、自分の誕生祝いに休暇を取り、
『ひとりハイキング』に『ひとり日帰り温泉』、最後に『ひとりフレンチ』と、
『ひとり○○』の梯子をしたこともあった。
そうそう、あの時はたしか、赤ワインを頼んだっけ。
今、すぐ後ろで話題になっている『ひとりフレンチ』の女は、まさか、この私なのだろうか・・・

『ひとり者』の『ひとり暮らし』が長くなると、
『ひとり朝食』『ひとりランチ』『ひとりディナー』はごくありふれた日常の一コマだ。
むしろ当たり前すぎて、彼女たちの話題提供がなければ、自分が『ひとり○○』をしていることに気付きさえしなかっただろう。

仕事が一区切りすれば、『ひとり反省会』をするのも常である。
チョット良いことでもあれば、『ひとり晩酌』。
自分で自分にお祝いするなら、『ひとり割烹』や『ひとりフレンチ』に『ひとりプレゼント』、
それから、『ひとり甘味屋さん』は自分へのご褒美の隠し玉だ。
休日には『ひとり散歩』やら『ひとり観劇』に『ひとり展覧会』、
遠出するときは大概『ひとり旅行』になる。

稀ではあるが、『ひとりあやとり』だってする。
子どものころに『ひとりゴム跳び』をしたことがあったけど、こればっかりは酷くやりにくかった。
お蔭で、ゴム跳びというのは複数人で遊ぶべきもの、との教訓を得た。

ゴム跳びのような特例を除けば、まず一人は気楽なものだ。
「○○しよう!」と思い立ったら、誰と待ち合わせるでもなく、その場で行動に移せる。
しかも、全ての決定権は独占とくる。

いつだったか『ひとり昼寝』をしていたら、
いつの間にやら部屋に上がって来たお向かいの仔猫に、
「おひとりですか?」と覗き込まれて目を覚ましたこともあった。
ひとり○○は、他人や他動物から話しかけられる機会も増すのかもしれない。
これまで、『ひとり旅行』で『ひとり温泉』の最中に偶然出会ったご婦人から、
思いもかけず、波乱万丈の半生を聞かせていただいたことやら、
蕎麦屋で『ひとりざる蕎麦』をしていたら、偶然相席になった紳士から、
彼の天ぷらそばに乗っていた天ぷらを全部ご馳走していただいたことやら、
味わい深いご縁に恵まれてきた。
こんな経験も、『ひとり○○』のお蔭だろう。

結構贅沢なものよ、『ひとり○○』。


さて、久し振りに、仲間とのハイキング計画が持ち上がった。
山道を歩きながら、『ひとり○○』の話でも聞かせてやろう。
そう思うと、週末が待ちどおしい。

ひとりはひとりで楽しいけれど、
誰かと一緒も、良いものだ。

2016年1月14日木曜日

新年の願い 2016

除夜の鐘が鳴り響くと、
思わず知らず、私は手を合わせ、目を閉じていた。

「こういう時って新年のお願いごとをした方がいいのかな」
そう思うと同時に、冗談を言い合う家族の声が聞こえてきた。
「まったく、バカなこと言ってえ~。」
こんな言葉を耳にしたら、手を合わせ、目を閉じたままの私は、思わず知らず、こう願っていた。

「どうか、バカも少しは治りますように」

いやいや、せっかくの新年の願いなんだから、
もっと、こう、なんていうか、去年の反省に基づいて・・・

そう思うと同時に、両のつま先がムズムズしてきた。
しもやけである。

子ども時代は、冬になるたび悩まされ続けたしもやけだが、
どういう訳だか、20歳を過ぎてからこっち、ピタリと私のもとを訪れなくなった。
そのしもやけが、暖冬が叫ばれるのをよそに、
どういう訳だか、今年は足の指10本のうち8本にまで降り立ってくれた。
我が肉体がティーンエイジまで若返ったのか、はたまた単に冷えから来た血行不良なのか、真相は未だ解明されていない。

兎にも角にも、一旦かゆくなり出したしもやけほど始末の悪いものはない。
手を合わせ、目を閉じたままの私は、思わず知らず、こう願っていた。

「どうか、しもやけが早く治りますように」

いやいや、せっかくの新年の願いがこれじゃあ、いくら何でも・・・
とは思ったものの、時既に遅し。
思わず知らず、私は合わせていた手を下ろし、目を開けていた。
兎にも角にも、新年の願いはここで一旦区切りとした。

翌朝、喉が痛くて目が覚めた。
ここ10年以上風邪らしい風邪を引いたことのない私が、
寒い思いもしていないのに、どういう訳だか風邪を引いた。
よく、「ナントカは風邪を引かない」なんて言うけれど、
2016年、ついに私はそのナントカから抜け出して、風邪をひいたのである。
新年の願いのうち、一つ目が叶えられた。

丸一日布団をかぶって寝続けたら、そのまた翌朝はスッキリと目が覚めた。
しかも、つま先がかゆくない。
春になってもいないのに、どういう訳だか、しもやけがすっかり消え去っていた。
新年の願いのうち、二つ目も叶えられた。

そんなこんなで、私の新年の願いは、二つ揃って、しかも三が日にして、あっけないくらい簡単に叶っていた。
神様、仏様、どうもありがとう!

すっかり気を良くして、実家近くのお大師様へ初詣に出かけた。
両の手を合わせて、目を閉じた私は、
欲張りにも三つ目のお願いごとは何にしようか、と考え始めた。

と同時に、隣に人の気配を感じた。
「どうか足の痛いのが治りますように。
 足の痛いのが治りますように。
 足の痛いのが治りますように……」
初老の紳士の懇願が続いている。

手を合わせ、目を閉じたままの私は、思わず知らず、こう願った。
「新年の願いを早速に二つも叶えていただき、ありがとうございます。
つきましては今回もできるだけ早めにお願いいたします。
お隣のオジサマの足の痛いのが治りますように!」

あれから幾日経つだろう。
三つ目の願いも早々に叶っているといいな。