2011年5月23日月曜日

小指の爪の形

何年前になるだろうか、こんなことがあった。

一緒に食事をしていた上司が一言、
「僕の小指の爪の形、良いでしょ?」

正直、おったまげた。
何におったまげたか、というと、
見た目には特別華やかでもない、日本人の、ちょっとお腹の出っ張った、
極々フツーのオジサマが、
自分のチャームポイントを明確に認識していること、
そして、それをアッケラカンと口に出せることに、である。

注目してみると、上司の示す小指の爪の形は、確かになかなかのものだった。
手全体を見れば、お世辞にも「手タレのよう」とは言えないし、他の指の爪は横長だし、
小指の爪全体を見れば、加齢による縦ジワもあるけれど、
『小指の爪の形』を見ると、これがなかなか良い。
ネイルサロンで整えてもらったばかりの私の爪の形と比較しても、引けをとらない。

彼は、自分自身を愛しみ、観察し、認めている。
良いところも、そうでないところも、目を逸らすことなく、受け容れているのだろう。

当時の私には、それが出来なかった。
自分のダメなところから目を逸らしたいばっかりに、
良いところも、あるいは、どうでもいいところも、何もかも、
何しろ私というものから、必死になって目を逸らそうとしていた。
「自分自身を受け容れるなんて、限られた、特別な人にだけ許されたことだ」と言い訳して、
どこかへ逃げてしまいたかった。

しかし、上司は、
見た目には特別華やかでもない、日本人の、ちょっとお腹の出っ張った、
極々フツーのオジサマである上司は、
限られた、特別な人という感じの全くない、その上司は、
気負った様子もなく、当たり前のこととして、
自身の良いところも、恐らくそうでないところも、全体として、受け容れているようだ。

自分自身という存在を丸ごと受け容れること、
それは決して「限られた、特別な人にだけ許されたこと」なんかではなく、
特別華やかでなくても、胴長短足の日本人でも、ちょっとお腹が出っ張っていても、
老若男女、誰しもが、
極々フツーに、当たり前のこととして、やって構わないことなんだ。
いや、むしろ、すべきことなんだ!

と、おったまげた日のことを、ふと思い出した。

かの上司にとっての小指の爪の形は、私にとっての何だろう。
次の休暇では、のんびり温泉にでも入りながら、自分のチャームポイントを探してみよう。