散歩していたら、通りすがりのご婦人と目が合った。
互いに軽く微笑みを交わすと、
「あなた美しいわね!」と声を掛けてくれた。
「嬉しい!!(もっと褒めて!あと3回)」
心の中でおねだりしてみた。
・・・ん?
そういえば、このところ、時折こんな風に声を掛けられる。
しかし、(1)私は自分の容姿を十人並みと評価している。
更に、(2)往々にして私の自己評価は他人からの評価よりも高いらしい。
これら(1)(2)をあわせると、他人から見たら十人並み以下らしい、ということになる。
そんな私に、時折「あなた美しいわね!」と声が掛かる。
しかも、キャッチセールスでもなければ、新興宗教のお誘いでもない。
私を褒めちぎったところで、これといった利益が生じるわけでもない、
そんな、謂わば純朴な普通の大人のご婦人が、下心なく声を掛けてくださるのだ。
美しい人、というと思い出すことがある。
彼女はパジャマの上にガウンを羽織ったままの姿で、
愛する夫と息子(と半ば居候の私)に美味しい朝食をたっぷり摂らせ、
肉食獣(彼女は、夫と息子が食事をする時だけそう呼んでいる)を職場に送り出した。
ほっと一息ついてお茶を飲みながら、
「今日は天気が良くなりそうね」と窓の外に眼をやった。
そのとき、
あまりの美しさに圧倒された。
彼女の瞳の中には、愛と希望が確かに感じられた。
美しさとは、
生活に根ざした愛と希望が握手をするときに発生するエネルギーのようなものなのだろうか。
仮にそうとしたとき、
これまで「美しい」と声を掛けてくれたご婦人方は、
私の中に、愛と希望を感じ取ってくれた、ということになる。
今日声を掛けてくれたご婦人には、私の心の声が聞こえたのだろうか、
しばしの立ち話の合間合間に、
「やっぱり美しいわ」
「見ていて気分がいいわ」
「素敵よ」
と、本当にあと3回、爽やかに褒めてくれた。
その潔いまでのの褒めっぷりは、彼女の生き方そのものを映しているのだろう、
実に美しく感じられた。
私も人の美しさを感じ取れる感性を持っていたい。
そしてそのときには臆することなく、
「あなた美しいわね!」
と声を掛けられる大人になりたい。