2011年5月4日水曜日

あなた美しいわね!

散歩していたら、通りすがりのご婦人と目が合った。
互いに軽く微笑みを交わすと、
「あなた美しいわね!」と声を掛けてくれた。
「嬉しい!!(もっと褒めて!あと3回)」
心の中でおねだりしてみた。

・・・ん?
そういえば、このところ、時折こんな風に声を掛けられる。

しかし、(1)私は自分の容姿を十人並みと評価している。
更に、(2)往々にして私の自己評価は他人からの評価よりも高いらしい。
これら(1)(2)をあわせると、他人から見たら十人並み以下らしい、ということになる。
そんな私に、時折「あなた美しいわね!」と声が掛かる。
しかも、キャッチセールスでもなければ、新興宗教のお誘いでもない。
私を褒めちぎったところで、これといった利益が生じるわけでもない、
そんな、謂わば純朴な普通の大人のご婦人が、下心なく声を掛けてくださるのだ。

美しい人、というと思い出すことがある。

彼女はパジャマの上にガウンを羽織ったままの姿で、
愛する夫と息子(と半ば居候の私)に美味しい朝食をたっぷり摂らせ、
肉食獣(彼女は、夫と息子が食事をする時だけそう呼んでいる)を職場に送り出した。
ほっと一息ついてお茶を飲みながら、
「今日は天気が良くなりそうね」と窓の外に眼をやった。
そのとき、
あまりの美しさに圧倒された。
彼女の瞳の中には、愛と希望が確かに感じられた。

美しさとは、
生活に根ざした愛と希望が握手をするときに発生するエネルギーのようなものなのだろうか。

仮にそうとしたとき、
これまで「美しい」と声を掛けてくれたご婦人方は、
私の中に、愛と希望を感じ取ってくれた、ということになる。


今日声を掛けてくれたご婦人には、私の心の声が聞こえたのだろうか、
しばしの立ち話の合間合間に、
「やっぱり美しいわ」
「見ていて気分がいいわ」
「素敵よ」
と、本当にあと3回、爽やかに褒めてくれた。
その潔いまでのの褒めっぷりは、彼女の生き方そのものを映しているのだろう、
実に美しく感じられた。

私も人の美しさを感じ取れる感性を持っていたい。
そしてそのときには臆することなく、
「あなた美しいわね!」
と声を掛けられる大人になりたい。