2012年5月31日木曜日

COFFにまつわる歴史

子どもの頃、身近な大人たちから「コーヒーは毒だ」と聞かされていた。
ある程度発育するまでの間は、カフェインのような刺激物をあまり摂取させないために、
狂言の『附子(ぶす)』よろしく、毒呼ばわりして見せたのだろう。
お蔭で、コーヒーとは、「きっと、すごーくおいしくて、すごーく強い毒なんだ」と信じていた。

そんな幼い私が、あるとき親戚の家に泊まりに行った。
そこでは、おやつとしてコーヒー牛乳が供された。
断固として飲まない、という私に、親戚達は言った。
「おいしいよ」「すごーくおいしいよ」
そんな言葉を浴びせ掛けられた私は、なおのこと頑なに、
「だからこそ、断固として飲まない!」と言い張った。

しかし、人間とは弱いものである。
親戚一堂が揃いも揃って、口々に「おいしい、おいしい」と言いながらコーヒー牛乳を飲んでいる。
そんな人々に取り囲まれた私は、脆くも「一口だけ舐めてみたい」と思い始めた。

固かった私の決意が崩れかけたのを察知した叔父が言った。
「その牛乳の中に、このコーヒー牛乳を一滴だけ入れてあげようか?」
私は自分の飲んでいた牛乳のコップを叔父に預けた。
叔父は自らの言葉通り、牛乳の入った私のコップに、間違いなく一滴だけ、自分のコーヒー牛乳を入れてくれた。
私は両手でコップを受取り、恐る恐る舐めた。
ほんのりとコーヒーの匂いが、するのか、しないのか、したような気がした。

へえ、これがコーヒーか。

そう思うが早いか、途端にお腹がゴロゴロと音を立てた。
お手洗いに駆け込み、しばし腹痛と戦った。

そこに集まった親戚一同、私以外は誰一人として腹痛を起こさなかったところを見ると、
そのコーヒーは、特段毒でも何でもなかったのだろう。
かくも急激に私が腹痛を起こしたのは、
恐らく、身近な大人達から常々聞かされ続けてきた「コーヒーは毒だ」のために、
すっかり心理的なオマジナイにかかっていたことが原因のようだ。

この一件のお蔭で、「コーヒーは毒だ」を身近な大人たちから聞かされなくなった後も、
この言葉は、私にとって揺ぎ無い真実となった。

そして、コーヒーを口にすることなく年月を過ごした。

成人したころからは、さすがに「コーヒーは毒だ」を揺ぎ無い真実とは信じていない。
ただ惰性で、日常的にはコーヒーを飲まないのが癖であることは事実だ。


さて、今のアパートに暮らすようになってからというもの、
休日にはお隣さんからコーヒーの香りが漂ってくる。
それは、オシャレなコーヒーショップが束になってかかってきても到底敵わないほどの、
なんとも心地好い、素敵な香りで、いっぺんに最高の気分になる。

そんな素敵なコーヒーの香りを週末ごとに聞いていたら、
とうとう私も、コーヒーを飲んでみたくなってきた。

一口にコーヒーと言っても、入れ方一つ知らない。
モノは試し。まずはインスタントコーヒーを調達した。
ビンに書かれた説明通り、インスタントコーヒーを入れてみた。
それは、お隣さんから漂う香りとは似ても似つかない、全くの別物だった。

はて、この全くの別物を、美味しくいただく方法はないだろうか?
休日、お隣さんから漂うコーヒーの香りをおかずに、インスタントコーヒーを飲んでみた。
鰻屋さんの店先で、煙をおかずに白いご飯を食べるならまだしも、
鰻の煙を吸いながらサンマの蒲焼き缶詰を開けるような、何ともむなしい気分だった。
いっそのこと、これまで通り香りだけを聞いているほうが、よほど幸せに思えた。

しかし、ひたすら前に進むのが人生である。
「コーヒーを飲んでみたい」と思い始める以前の私に戻ることは、もはやできない。

結局、近所の専門店で、豆を炒って挽いてもらった。
買ってきた小さな袋を置いているだけで、コーヒーらしい香りが部屋一杯に広がった。
今ここに広がる香りが、お隣さんから漂い来る夢の香りに匹敵するのか、否か、
そんな疑問は、不思議と湧いてこなかった。

週末の「ちょっと一息」の友として、時折コーヒーが登場するようになり、
気付くと最初の一袋が終わった。
お蔭さまで毒にやられることもなく、むしろその味を占めてしまった私は、
「次はどの豆にしようか」、「いっそ、ミルも調達して自分で挽こうか」、
そんなことにワクワクし始めた。
同時になぜか、「こんなもの、いつまでも飲み続けていいのかな?」「毒じゃないの?」という声が、耳の後ろをかすめた気がした。

そう言えば、私が小さい頃、
大人たちは、子どもらが寝静まったことを確認すると、
「たまにはCOFF(シー・オー・エフ・エフ)にする?」なんて暗号を使って、一息いれていたらしい。
子どもたちには毒と教え込んでいるものを、隠れてコッソリ飲むひととき、
大人たちは、ちょっとばかり後ろめたくもワクワクした気分で過ごしたのではないだろうか。

コーヒーが毒でないことを、身をもって知った今でも、
最初の一口には、どこか、うしろめたさとワクワクを感じる。
ワクワクとは、時に、後ろめたさによって大きく増幅されるものだ。
私にとってのコーヒーには、COFFが生き続けているのだろう。

2012年5月28日月曜日

塩漬けキャベツを作るコツ

第二の家族として親しくしているお宅がある。
そこのママは、世のお母さん達の例に漏れず、飛び切りの料理上手である。
中でも、彼女の作る塩漬けキャベツは最高だ。

夏休みだ正月休みだと滞在しては、「美味しい!」と、せっせと食べてばかりの私に、
彼女は飽くことなく、料理を仕込もうと試みる。
お蔭で、料理に対する苦手意識の強い私も、さすがに漬物くらいは時々するようになった。

私が遊びに行くと、ママは必ず尋ねる。
「私のレシピで何か作った?」
「うん、塩漬けキャベツをね」
「どうだった?うまくいった?」
「・・・」

大好きな塩漬けキャベツを、東京に帰って、自分でも作ってみた。
ママのお手伝いをしながら一緒に作った時と同じように、自分でも何度か作ってみた。
しかし、ママと同じようにしているつもりだけれど、何かが違う。
何が違うのだろう?

「酸っぱくなった?」ママの質問は続く。
そうだ、酸っぱくないのだ。
同じようにしているはずなのに、なぜ酸っぱくならないのだろう?

① まず、キャベツを刻む。
② 刻んだキャベツを塩で揉む。
  この時私は、ポイポイと口にも放り込む。
③ 揉んだキャベツを容器に押し込む。
  この時私は、容器に入りきらない分を、やはり口の中に押し込む。
④ 冷暗所に置く。
⑤ キャベツに呼吸をさせるため、毎朝、箸でプスプスと穴を開ける。
  この時私は、プスプスしながら箸でつまんで、口にもチョイチョイ入れてやる。
⑥ およそ3日後から、キャベツが酸っぱくなり始める。

そう、3日後あたりから、酸っぱくなり始めるはずだ。
しかし考えてみれば、実際のところ、3日以内、酸味が出る前に平らげてしまっていたのだ。

「酸っぱくなる前に、全部食べてた」私は答えた。

そこに、ちょうど帰宅した弟くんが言った。
「つまりね、僕達はお腹が空いて、料理どころじゃないんだよ」

「塩漬けキャベツを作るコツが分かったわ!」
あっという間にご馳走をテーブルに並べると、ママは言った。
「東京に帰っても3日間お腹が空かないように、ここでタップリ食べておきなさい!」


あれから、早数ヶ月が経つ。

筆不精な私に痺れを切らしたママからは、
「5分間だけ余計にPCの前に座って、メールで近況をよこしなさい!」と電話があった。

さて、しばらく振りに、塩漬けキャベツに挑戦してみるか。
「コツのお蔭で、酸っぱくて美味しいのができたよ!」と、ママにメールを書けるように、
まずは、腹ごしらえと行こう。

2012年5月14日月曜日

布団が吹っ飛んだ!

ひどく風の強い日だった。
空はとんでもなく良く晴れて、空気は乾燥していた。

朝、ベランダの手摺に布団を干した。
そしてその上から、強力な布団ばさみでしっかりと押さえた。

部屋で諸々の作業をしていると、視野の片隅で、何か白っぽいものがふわりと浮いた。
胸騒ぎがして、ベランダに出た。

ついさっき、強力布団ばさみで手摺にしっかり押さえたはずの布団が、
ベランダの鉢植えの上に、ぐったりと横たわっていた。

「布団が吹っ飛んだ!」私は叫んだ。

子どもの頃、風の強い日の学校からの帰り道、布団を干しているお宅の前で、
「イエーイ!布団が吹っ飛んだ!」と、イタズラに叫んだものだ。
何と人騒がせなデマを振りまいていたことか、今更ながら反省した。

しかしながら当時は、まさかこんなことが現実に起きるなんて、思ってもみなかった。
「布団が吹っ飛んだ」が現実となった今、もう、いつ何が起きてもおかしくない。

「犬が居ぬ」日が、
「猿が去る」日が、
「虫を無視する」日が、
「牛がウッシッシと笑う」日が、
「『イルカはいるか?』と探す」日が、
「『イカはいかがですか?』とオススメする」日が、
「ミカンが見っかんない」日が、
・・・
いつか、本当に来るかもしれない。

2012年5月10日木曜日

護身術

何年前になるだろう。初めて海外出張に飛ばされたときのこと。

小さな荷物と、そして大きな不安と共に、空港に降り立った私はホテルに向かった。
タクシーの運転手さんは、胸板の厚い、白髪まじりの坊主頭をした、コワモテのオジサンだった。
映画の中なら、きっとマフィアの親分の用心棒役でも演じそうな彼に、私は恐る恐る話しかけた。

「あのー、私、日本の、東京から来たんです」
「……」
「この街は、初めてなんです」
「……」

聞こえないことはなさそうだが、オジサンは相槌も打たなければ表情も変えない。
こんな単純な文でさえ聞き取ってもらえないほど、私の言葉には日本語訛りが強いのだろうか。

「ここは、大きな町ですね」
「東京は小さな村なのか」

バックミラーを介して初めて目を合わせた。
5秒前までは怖かったオジサンが、親戚のように感じられた。

「私、こうして窓の外を眺めていても、右も左も東西南北も、全然分からない」
「心配するな。俺には分かる」

この時彼は、道路事情のことを言ったのだろう。
しかし私には、「俺にはお前の気持ちが分かるから、心配しなくていいよ」と言われた気がした。

彼の姪っ子にでもなった気分で、
小さな旅行カバンには到底収まりきらない大きな不安を、片っ端から打ち明けた。

本来なら超有能な上司がするはずの出張を、今回に限り「忙しい」の一言で私に振られたこと。
海外出張も、国際会議も、フォーラムでの発表も、何もかも生まれて初めてであること。
ド偉い面々が勢揃いする会議に、私のような小娘が出ては場違いな気がすること。
ド偉く難しい話を英語で議論されても、そもそも英語の苦手な私には、何も分かりそうにないこと。
人前に出るのが大の苦手だから、フォーラムで発表するのも怖いし、よもや質問などされようものなら、間違いなく卒倒しそうなこと……

「知った振りをしないことだ」

ずっと黙って聞き役に徹していた彼が、突然言葉を発した。
ポカンとしている私を見て、彼は続けた。

「自分に分かることがあれば、それだけを話しなさい。
分からないときは、黙っていればいい。
そうすれば、たとえド偉い奴ら100万人の前に出ても、お前は尊厳ある一個の人間だ。
分からないのに知った振りをして話すと、自らの尊厳を傷つけるうえに、場違いにもなる」

とてつもなく重く感じられていた肩の荷が、いっぺんに軽くなった。
それまでの緊張と不安で、身体の周りに硬く張られた殻が、ボロリと落ちた気がした。

すると、落ちた殻の下にうごめいていた、漠然とした別の不安が顔を出した。

「それにね、それに、知り合いもいない、全く知らない大都会に一人で放り出されて……」
「誰かに取って食われるのが怖いってか?」
そう、その通り。私は黙ったまま、ミラー越しに頷いて見せた。

「身を守るためにすべきことはただ一つ。
『自分はかけがえのない存在である』という認識を、片時も忘れないことだ。
自分を安く見積もることがなければ、悪い奴はまず寄ってこない」

それからしばらく、私たちは口を利かなかった。
その沈黙は、なんとも心地好い安心感、そのものだった。

ホテルに着くと、オジサンはトランクから荷物を降ろした。
「発表が上手くいくように祈ってるよ!」
手を振って運転席に戻ると、あっという間に見えなくなった。

タクシーを降りた私は、一人っきりで大都会に立っていた。

私の手には、東京から持ってきた小さな荷物があった。
東京から担いできた大きな不安は、もうそこにはなかった。
引き換えに、オジサンから教えられた二つの護身術が、私の胸に刻まれていた。

2012年5月7日月曜日

べっぴんさん

お向かいのお嬢さんは、べっぴんさんである。
世のべっぴんさん達の少なからずがそうであるように、彼女はワイルドだ。
そんな彼女の趣味は『狩り』である。
いつもは穏やな物腰で、チョット色っぽくさえ見える彼女だが、実は常に獲物を狙っている。
身近なところに思いがけない獲物を見つけては、いつの間にやら『狩り』を成功させてしまう。

『狩り』を成功させた彼女は、
なぜか私のアパートの入り口に、しとめた獲物、即ち、彼女の宝物を、一旦置く。
どうやら彼女はこの場所を、宝物第一次置場と設定しているようだ。
敢えて自分の家を避けるあたりが、何とも謎めいていて、べっぴんさんらしい。

更に彼女は、宝物が新鮮な間のみ、第一次置場に保管し、愛でて楽しむ。
その判定基準は未だ明らかでないが、新鮮さがなくなったと判断すると、
人知れず、そして、いずこへとも知れず、彼女は宝物を第一次置場から持ち去る。
これもまた、何とも謎めいていて、べっぴんさんらしい。

これまでに第一次置場に置かれた彼女の宝物を、改めて思い返すと、
必ず、前回よりも『大物』が、次の獲物になっていることがわかる。
この事実から、彼女の『狩り』に対する強い向上心が窺える。
そんな気の強さも、やはり、べっぴんさんらしい。

 ①バッタ
 ②コオロギ
 ③ゴキブリ
 ④ねずみ
そしてこのゴールデンウィークは、
 ⑤お魚
だった。

お向かいの、べっぴん猫のお嬢さん、お願いだから、どうか②までで勘弁してください!

2012年5月3日木曜日

片想い

入院中のを見舞いに行った。
エレベーターを降りると、ロビーには、車椅子に座り、ぼんやりとテレビを眺める父がいた。
「おぉ、良く来たな。忙しいんだろう?」
父は私に気付くと、珍しくねぎらいの声を掛けた。

外は夏みたいに暑いことや、共通の知人からの見舞いの伝言や、私の近況を報告した。
父は携帯ラジオの使い方が分からないと何度も言い、私はそれを何度もノンビリと教えた。
そのたびに父は、帳面のページを改め、同じことを何度も丁寧にメモした。
ここでの生活について父に尋ねると、
病院の食事はお粥ばかりでツマラナイとか、街中にある大きな眼鏡屋さんに行きたいとか、
愚痴とも希望とも取れることをいくつか並べた。
残念なことに、どれも今すぐ私の力でどうにかしてあげられそうにはなかった。

何か欲しいモノは無いか、と尋ねると、
家に帰れば何でもあるから、ここにいる間は要らない、と言った。
これから『ここにいる間』がどれくらい続くのか、私には見当がつかなかった。

「本でも読む?」と尋ねると、
あの作家のあの作品だったら、一冊ここに置いても良い、と言った。
週末にはその本を買って来ることを約束し、仕事に向かうことにした。
「忙しいのに、ありがとうな」
「じゃあ、またね」
短い、何てことのない、でも何となく少しは心の通った、父との時間を過ごした気がした。


翌日、母から電話があった。
「あなた、昨日・・・お父さんのところに行った?」不思議そうな声で尋ねられた。
「うん、行ったよ」
「そう、やっぱり!」
母は合点が行ったらしく、状況を説明した。

母が父を見舞いに行くと、「昨日はアイツが来た」と、父の妹、私から見ると叔母の名を言った。
「あの子じゃないの?」母が私の名を言うと、
「いやぁ?」と、父は心当たりのない様子だったそうだ。
その後、ちょうど叔母から電話があったので確認すると、やはり叔母は病院に行っていない。
「やっぱりあなたよね?」と私に電話を掛けてきた、ということだった。

「そうそう、私。よく『若い頃のアイツに良く似てる』って言われるものね。
やたらな人と間違えてもらっては困るけど、
飛び切り美人の叔母さんとなら、間違えられても、まあ、悪い気はしないやね。
次は週末お見舞いに行くつもり。お母さんも無理しないで」
そう言って、電話を切った。

短い、何てことのない、でも何となく少しは心の通った気がした、父との時間は、
父にとっては、妹との時間だった。

こういうの、『片思い』って言うのかなぁ。

2012年5月2日水曜日

愛してます!

「愛し合ってるかい?」というフレーズで知られる歌手がいた。

子どもの頃、今となっては懐かしいカセットテープで兄弟が聞いている歌を、私も傍で聞いた。
年上の兄弟も、テープレコーダーから流れる歌も、
どことなく不良っぽく、そして大人っぽく感じられ、
「チビの私が聞いても構わないのだろうか?」とヒヤヒヤしたのを覚えている。

私の乏しい視聴経験から言えば、
「愛し合ってるかい?」というフレーズで知られる彼が、
「愛し合ってるかい?」と言うのを聞いたことは、殆どない。
その一方で、
「愛してます!」と叫ぶ彼の声を、これまで何度聞いたことだろう。

この、一見矛盾とも取れる事実を、私はこう解釈する。

きっと彼は、世界中のみんなが愛し合うことを、
その、机上の空論でも上っ面だけでもない、縦横無尽に張り巡らされた愛によって支えられた、
根強く平和な世界を、望んだのではないだろうか。
だからこそ、
「最終目標は、みんなで愛し合うことだよ。みんな、愛し合ってるかい?」という思いが、
そのまま聞く者に伝わった結果として、
「愛し合ってるかい?」のイメージが落ち着いたのだ。

一方、
その最終目標に向かうために、実際彼の口から発された言葉は、
何万回もの「愛してます!」だった。

みんなが愛し合うために、僕にできること、
それは、まず、僕からみんなに愛を発信することだ。

「『みんな』がやってくれないから、僕は始められない」なんてコトを言っているヒマはない。
誰だか分からないような『みんな』に、責任を押し付けているヒマもない。
「お前が最初に動けよ」なんて誰かをけしかけているヒマもない。
だって、僕らの人生の時間には、限りがあるのだから。

彼の「愛してます!」には、
そんな自分の有限性を知るがゆえの、無限の可能性が現れていたのかもしれない。

・・・そんなことをボンヤリと思っていたら、一つ気付いた。
今日は、彼の命日だ。