「愛し合ってるかい?」というフレーズで知られる歌手がいた。
子どもの頃、今となっては懐かしいカセットテープで兄弟が聞いている歌を、私も傍で聞いた。
年上の兄弟も、テープレコーダーから流れる歌も、
どことなく不良っぽく、そして大人っぽく感じられ、
「チビの私が聞いても構わないのだろうか?」とヒヤヒヤしたのを覚えている。
私の乏しい視聴経験から言えば、
「愛し合ってるかい?」というフレーズで知られる彼が、
「愛し合ってるかい?」と言うのを聞いたことは、殆どない。
その一方で、
「愛してます!」と叫ぶ彼の声を、これまで何度聞いたことだろう。
この、一見矛盾とも取れる事実を、私はこう解釈する。
きっと彼は、世界中のみんなが愛し合うことを、
その、机上の空論でも上っ面だけでもない、縦横無尽に張り巡らされた愛によって支えられた、
根強く平和な世界を、望んだのではないだろうか。
だからこそ、
「最終目標は、みんなで愛し合うことだよ。みんな、愛し合ってるかい?」という思いが、
そのまま聞く者に伝わった結果として、
「愛し合ってるかい?」のイメージが落ち着いたのだ。
一方、
その最終目標に向かうために、実際彼の口から発された言葉は、
何万回もの「愛してます!」だった。
みんなが愛し合うために、僕にできること、
それは、まず、僕からみんなに愛を発信することだ。
「『みんな』がやってくれないから、僕は始められない」なんてコトを言っているヒマはない。
誰だか分からないような『みんな』に、責任を押し付けているヒマもない。
「お前が最初に動けよ」なんて誰かをけしかけているヒマもない。
だって、僕らの人生の時間には、限りがあるのだから。
彼の「愛してます!」には、
そんな自分の有限性を知るがゆえの、無限の可能性が現れていたのかもしれない。
・・・そんなことをボンヤリと思っていたら、一つ気付いた。
今日は、彼の命日だ。