野良猫のターシ君は、パパが大好きだ。
ターシ君が来訪すると、パパは宝物のように彼を抱きかかえ、居間に入ってくる。
似たようなことはよくあるけれど、とりあえず、まあ、ある晩のこと、
パパは、ママの前にひざまずいて言った。
「おお、美しい最愛の妻よ、ターシ君に何か美味しいものをあげたいのだけど……。
「ダメよ。玄関にカリカリがあるでしょ」
「せっかくこうして家に来てくれたんだから、カリカリばっかりでなくて、たまには何かお肉とか……」
「ダメ」
「冷蔵庫に、ウインナーがあったよね!」
「ダメよ!それは明日の朝の人間用!」
「一つだけ。いや、半分だけ。いやいや、1センチだけ!」
パパの大きな手には、既に明朝の人間用ウインナーが握りこまれていることを、
ママは見て見ぬ振りをした。
パパはソファーに寝そべり、ターシ君を自分のお腹の上に座らせて、
テレビを見ながら、ターシ君の喉やら耳の後ろやらをゴシゴシする。
ウインナーのお礼に、ターシ君は喉をゴロゴロ鳴らして歌う。
歌うのに飽きると、ターシ君はプイと去っていく。
そんなターシ君を見ていたら、私がこの家族と知り合った頃が思い出された。
私は理由もなくフラリと彼らのもとに立ち寄った。
彼らはいつでも私の来訪を歓待し、食事をご馳走してくれた。
私が何か食べると、それだけでこの家族は皆、喜んだ。
他にも何か食べないか、と、次から次へと色んなものが目の前に並んだ。
彼らは、人見知りで口下手な私に、気の利いた会話を求めることはなかった。
私に求められたのは、生まれながらに天から与えられた食欲を発揮することくらいだった。
彼らは冗談やら昔話やらを語りながら、食事を勧め続けた。
それに応えて、というより、単に当時は若くてお腹が空いていたことと、
出された食事がどれもおいしかったこととで、私はひたすら食べ続けた。
満腹のあまり立ち上がることも出来ず、まどろみ始めたら、さすがに潮時だ。
「お腹いっぱい。もう入らない。美味しかった。ごちそうさま。」と言うと、
「美味しかったか。それは嬉しい。ありがとう。」と礼が返ってくる。
重いお腹を抱えながら、何とか立ち上がって失礼した。
彼らは「またいつでも遠慮なく食べにいらっしゃい!」と手を振った。
律儀な私はその言葉に従い、またいつでも遠慮なく食べに行った。
あの頃の私が、美味しいエサをくれるこの家に通う野良猫と重なって見えた。
彼らはそんな野良猫を、猫っ可愛がりする。
そして、飼いならした者の責任として、大切に育て続ける。
これから私は、自分で自分をどう育てていくのだろう。
そして彼らが私にしてくれたように、他者を受け入れ育てていけるのだろうか。
(2012/6/21 9:32)
2019年1月18日金曜日
2019年1月9日水曜日
ウォッカとミネラルウォーター
第二の家族として親しくしているお宅の、
そのまた親戚宅に3週間ほどご厄介になったときのこと。
到着後、3時間以内に私のしでかしたことは、
1.風呂場の戸を閉め損ねたままシャワーを浴び、廊下を水浸しにした
2.食器を洗っている最中、手を滑らせて皿を割った
3.お手洗いの中の、トイレットペーパー保管棚の扉を壊した
であった。
これまで私は、よそのお宅に着いた途端からくつろげることを特技と自負してきた。
しかし、殆ど面識のなかった方のお宅で、しかも到着後間もなく、
これだけのことをしたとなると、どうにも落ち着かない。
即日帰るか、別のどこかに泊まるか、穴があったら入るか、のいずれかを選択したいところだった。
しかし、帰りの飛行機は3週間後、格安チケットなので、日程の変更はできない。
その地域にある宿泊施設は一軒のみ、しかも1泊数万円以上のホテル。
そして、あたりを見渡したけれど、私の入れそうな穴は見当たらない。
予定通り、そのお宅に3週間滞在することにした。
肩身の狭い思いをどうにも払拭できず、常に、
「お手伝いすることはありませんか?皿洗いでも何でもします!」
という緊張感が解けることはなかった。
皿洗いは、断られた。
生後5ヶ月の男の子の子守を買って出た。
泣けば抱いてあやし、オムツを替えた。
近所のクリニックへ定期健診にも連れて行った。
客人が来れば、茶菓子を買いに走った。
ホームパーティーの前には、家中をピカピカに磨き上げた。
家政婦のように2週間ほどを過ごしたある晩、その家の主人が私に尋ねた。
「明日、何したい?」
「何でも!皆が出掛けるなら子守をするし、特になければ換気扇の掃除でもしようかな。」
「俺の質問にちゃんと答えろよ。
お前は、『自分がどう振舞ったら、皆が丸く収まるか』ばかり考えている。
今、俺が尋ねたのは、『お前自身が何をしたいか、どうしたいか』だ。」
客人として迎えたはずの私がくつろごうともせず、勝手に家政婦になっているのが、
この家の主に対していかに失礼なことであったろう。
「私自身が何をしたいか?どうしたいか?」改めて自分の胸に尋ねた。
「明日のことはまだ分からないけど、弾き語りが聞きたい。今!」
この家の主婦はギターが得意で、そのうえ歌も上手いと評判だ。なにしろ声が良い。
しかし、鼻歌しか耳にしたことがなかった。
「よし、弾き語りを肴に、飲み明かそう!」
彼は秘密の場所からウォッカのビンを出し、栓を抜いた。
主人のコップと私のコップに、ウォッカが注がれた。
乳飲み子を抱える主婦は、ミネラルウォーターを飲んだ。
ウォッカもミネラルウォーターも、コップに注げば見た目は同じだった。
彼女はギターと秘蔵の歌集を引っ張り出し、片っ端から弾きまくり、歌いまくった。
夫は妻の歌う詩の行間には何がこめられているか、について、情感タップリに、繰り返し私に解説した。
妻は歌の合間合間に、夫の解説の声が大き過ぎると、何度もたしなめた。
弾き語りも、詩の解説も、その声の大きさに対する小言も、全てが私を楽しませた。
気づけば、窓の外は白々と明け始めている。
ウォッカとミネラルウォーターと、ギターと歌と、漬物と残りもので、
私たちは、簡単で、安上がりで、バカバカしくも、極上の一晩を共有した。
主人が私のコップの上でウォッカのビンを逆さに振ると、やっとのことで二滴落ちた。
三人で顔を見合わせ、大笑いした。
時計を見ると、午前四時の五分前だった。
朦朧としたまま床に就き、昼過ぎに目が覚めた。
主人も主婦も、仕事に出かけた後だった。
台所はすっかり片付いて、昨夜のドンチャン騒ぎが嘘のようだ。
もしかして、夢だったの? ぼんやりとした頭を振った。
テーブルには、私の朝食が並んでいる。
その隣には、見覚えのある歌集が置かれ、
その端っこには、主婦の手でこう書き込まれていた。
「また、一緒にバカになろうね!」
(2014/12/9 20:50)
そのまた親戚宅に3週間ほどご厄介になったときのこと。
到着後、3時間以内に私のしでかしたことは、
1.風呂場の戸を閉め損ねたままシャワーを浴び、廊下を水浸しにした
2.食器を洗っている最中、手を滑らせて皿を割った
3.お手洗いの中の、トイレットペーパー保管棚の扉を壊した
であった。
これまで私は、よそのお宅に着いた途端からくつろげることを特技と自負してきた。
しかし、殆ど面識のなかった方のお宅で、しかも到着後間もなく、
これだけのことをしたとなると、どうにも落ち着かない。
即日帰るか、別のどこかに泊まるか、穴があったら入るか、のいずれかを選択したいところだった。
しかし、帰りの飛行機は3週間後、格安チケットなので、日程の変更はできない。
その地域にある宿泊施設は一軒のみ、しかも1泊数万円以上のホテル。
そして、あたりを見渡したけれど、私の入れそうな穴は見当たらない。
予定通り、そのお宅に3週間滞在することにした。
肩身の狭い思いをどうにも払拭できず、常に、
「お手伝いすることはありませんか?皿洗いでも何でもします!」
という緊張感が解けることはなかった。
皿洗いは、断られた。
生後5ヶ月の男の子の子守を買って出た。
泣けば抱いてあやし、オムツを替えた。
近所のクリニックへ定期健診にも連れて行った。
客人が来れば、茶菓子を買いに走った。
ホームパーティーの前には、家中をピカピカに磨き上げた。
家政婦のように2週間ほどを過ごしたある晩、その家の主人が私に尋ねた。
「明日、何したい?」
「何でも!皆が出掛けるなら子守をするし、特になければ換気扇の掃除でもしようかな。」
「俺の質問にちゃんと答えろよ。
お前は、『自分がどう振舞ったら、皆が丸く収まるか』ばかり考えている。
今、俺が尋ねたのは、『お前自身が何をしたいか、どうしたいか』だ。」
客人として迎えたはずの私がくつろごうともせず、勝手に家政婦になっているのが、
この家の主に対していかに失礼なことであったろう。
「私自身が何をしたいか?どうしたいか?」改めて自分の胸に尋ねた。
「明日のことはまだ分からないけど、弾き語りが聞きたい。今!」
この家の主婦はギターが得意で、そのうえ歌も上手いと評判だ。なにしろ声が良い。
しかし、鼻歌しか耳にしたことがなかった。
「よし、弾き語りを肴に、飲み明かそう!」
彼は秘密の場所からウォッカのビンを出し、栓を抜いた。
主人のコップと私のコップに、ウォッカが注がれた。
乳飲み子を抱える主婦は、ミネラルウォーターを飲んだ。
ウォッカもミネラルウォーターも、コップに注げば見た目は同じだった。
彼女はギターと秘蔵の歌集を引っ張り出し、片っ端から弾きまくり、歌いまくった。
夫は妻の歌う詩の行間には何がこめられているか、について、情感タップリに、繰り返し私に解説した。
妻は歌の合間合間に、夫の解説の声が大き過ぎると、何度もたしなめた。
弾き語りも、詩の解説も、その声の大きさに対する小言も、全てが私を楽しませた。
気づけば、窓の外は白々と明け始めている。
ウォッカとミネラルウォーターと、ギターと歌と、漬物と残りもので、
私たちは、簡単で、安上がりで、バカバカしくも、極上の一晩を共有した。
主人が私のコップの上でウォッカのビンを逆さに振ると、やっとのことで二滴落ちた。
三人で顔を見合わせ、大笑いした。
時計を見ると、午前四時の五分前だった。
朦朧としたまま床に就き、昼過ぎに目が覚めた。
主人も主婦も、仕事に出かけた後だった。
台所はすっかり片付いて、昨夜のドンチャン騒ぎが嘘のようだ。
もしかして、夢だったの? ぼんやりとした頭を振った。
テーブルには、私の朝食が並んでいる。
その隣には、見覚えのある歌集が置かれ、
その端っこには、主婦の手でこう書き込まれていた。
「また、一緒にバカになろうね!」
(2014/12/9 20:50)
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