2019年1月9日水曜日

ウォッカとミネラルウォーター

第二の家族として親しくしているお宅の、
そのまた親戚宅に3週間ほどご厄介になったときのこと。

到着後、3時間以内に私のしでかしたことは、
1.風呂場の戸を閉め損ねたままシャワーを浴び、廊下を水浸しにした
2.食器を洗っている最中、手を滑らせて皿を割った
3.お手洗いの中の、トイレットペーパー保管棚の扉を壊した
であった。

これまで私は、よそのお宅に着いた途端からくつろげることを特技と自負してきた。
しかし、殆ど面識のなかった方のお宅で、しかも到着後間もなく、
これだけのことをしたとなると、どうにも落ち着かない。
即日帰るか、別のどこかに泊まるか、穴があったら入るか、のいずれかを選択したいところだった。
しかし、帰りの飛行機は3週間後、格安チケットなので、日程の変更はできない。
その地域にある宿泊施設は一軒のみ、しかも1泊数万円以上のホテル。
そして、あたりを見渡したけれど、私の入れそうな穴は見当たらない。

予定通り、そのお宅に3週間滞在することにした。

肩身の狭い思いをどうにも払拭できず、常に、
「お手伝いすることはありませんか?皿洗いでも何でもします!」
という緊張感が解けることはなかった。

皿洗いは、断られた。
生後5ヶ月の男の子の子守を買って出た。
泣けば抱いてあやし、オムツを替えた。
近所のクリニックへ定期健診にも連れて行った。
客人が来れば、茶菓子を買いに走った。
ホームパーティーの前には、家中をピカピカに磨き上げた。

家政婦のように2週間ほどを過ごしたある晩、その家の主人が私に尋ねた。
「明日、何したい?」
「何でも!皆が出掛けるなら子守をするし、特になければ換気扇の掃除でもしようかな。」
「俺の質問にちゃんと答えろよ。
 お前は、『自分がどう振舞ったら、皆が丸く収まるか』ばかり考えている。
 今、俺が尋ねたのは、『お前自身が何をしたいか、どうしたいか』だ。」

客人として迎えたはずの私がくつろごうともせず、勝手に家政婦になっているのが、
この家の主に対していかに失礼なことであったろう。
「私自身が何をしたいか?どうしたいか?」改めて自分の胸に尋ねた。

「明日のことはまだ分からないけど、弾き語りが聞きたい。今!」

この家の主婦はギターが得意で、そのうえ歌も上手いと評判だ。なにしろ声が良い。
しかし、鼻歌しか耳にしたことがなかった。

「よし、弾き語りを肴に、飲み明かそう!」
彼は秘密の場所からウォッカのビンを出し、栓を抜いた。
主人のコップと私のコップに、ウォッカが注がれた。
乳飲み子を抱える主婦は、ミネラルウォーターを飲んだ。
ウォッカもミネラルウォーターも、コップに注げば見た目は同じだった。

彼女はギターと秘蔵の歌集を引っ張り出し、片っ端から弾きまくり、歌いまくった。
夫は妻の歌う詩の行間には何がこめられているか、について、情感タップリに、繰り返し私に解説した。
妻は歌の合間合間に、夫の解説の声が大き過ぎると、何度もたしなめた。
弾き語りも、詩の解説も、その声の大きさに対する小言も、全てが私を楽しませた。

気づけば、窓の外は白々と明け始めている。
ウォッカとミネラルウォーターと、ギターと歌と、漬物と残りもので、
私たちは、簡単で、安上がりで、バカバカしくも、極上の一晩を共有した。
主人が私のコップの上でウォッカのビンを逆さに振ると、やっとのことで二滴落ちた。
三人で顔を見合わせ、大笑いした。
時計を見ると、午前四時の五分前だった。


朦朧としたまま床に就き、昼過ぎに目が覚めた。
主人も主婦も、仕事に出かけた後だった。
台所はすっかり片付いて、昨夜のドンチャン騒ぎが嘘のようだ。
もしかして、夢だったの? ぼんやりとした頭を振った。

テーブルには、私の朝食が並んでいる。
その隣には、見覚えのある歌集が置かれ、
その端っこには、主婦の手でこう書き込まれていた。

「また、一緒にバカになろうね!」

(2014/12/9 20:50)