前出の「彼」が瑞々しい羽を広げ、新たな門出をした。
そして私は、再びひとり暮らしに戻った。
否、「戻った」という言葉はしっくりこない。
かつて、ひとり暮らししか知らなかった頃のひとり暮らしと、
一旦「彼」との暮らしを味わってしまった後のひとり暮らしとでは、
土台としての期待値が大きく異なるのだ。
かつての私にとっての帰宅とは、
何もかもを自分の思い通りにできる自分の城に入り、存分に休むことであった。
一方、「彼」と暮らした私にとっての帰宅とは、
何もかもが私と異なる「彼」の、想定外の行動や変化に翻弄されることとなった。
「最近食欲が旺盛だから、食べる物が足りないんじゃないか?」
「今日は暑かったから、熱中症で倒れているんじゃないか?」
「私を捨てて家出していないか?」
そんな私の心配をよそに、彼は飢えることも倒れることも家出することもなく、
私の予想とは別の順序で葉っぱを食べ、徐々に大きくなり、
私の予想とは異なるタイミングで色を変え、形を変え、
私の予想をはるかに超えるたくさんのウンチを残して、そして羽ばたいていった。
私は帰宅するたび、想定外の彼の行動や変化に驚いた。
「想定外のことに翻弄される喜び」を知ってしまったのだ。
想定外のことに翻弄されるつもりで、喜びを味わうつもりで、帰宅して眺めてみると、
何もかもが自分の思い通りの自分の城というのは、
どうにもこうにも味気ない。
誰もいない鉢植えを眺めていると、自ずと「彼」のことが思い出される。
あれだけたくさんウンチをしたくせに、
黒から緑に色を変えたくせに、
芋虫から蛹に形を変えたくせに、
蛹から蝶になったくせに、
どれもその決定的瞬間だけは見せてくれなかった。
なにさ、ケチ。
誰もいない鉢植えを眺める私は、すっかり捨て鉢になった。
あれ?
何か小さな黒っぽいものが葉っぱの上にあるぞ。
ウンチが下に落ちずに、こんなところに留まっているなんてこと、あるのかしら。
よく見ると、小さな小さな芋虫だ。
よくよく見ると、こっちにもう一匹。
あれれ?
ここにも、そこにも、あそこにも……。
ひとつ、ふたつ、と数えてみると、8匹の芋虫がいるではないか。
私に「彼」という喜びをもたらしたのは、そもそもこの鉢植えだ。
その同じ鉢植えを眺めて、私は捨て鉢になっていた。
そして、捨て鉢だった私に、この鉢植えがまた、喜びをもたらしてくれそうだ。