墓参りの帰り道、母がおはぎを買ってくれた。
「今月末まではどうにも忙しくて、作っている暇がない。
いつものおはぎは、サクラの満開まで待て」とのこと。
和菓子屋さんの陳列棚に並ぶおはぎを眺めながら、母は言った。
「やっぱり商売人が作ると、大きさも形も揃っているわね。」
確かに。
これなら、お店の人がどのおはぎを私のパックに詰めようとも、
「あ、待って。それじゃなくて、この、手前の列の左から二番目にしてください」
なんて言われることは、まずないだろう。
でもなぁ。
なんというか、こう、個性が感じられない。
似たような背恰好の人ばかり集めて、お仕着せの制服をあてがったようだ。
同じ方を向いて、同じ動きをして、否、おはぎは皆じっとしているのだけれど、
これじゃあ、どこかの軍隊みたいじゃないか。
それに比べると、
いつものおはぎは、大皿に並んでいても、一つとして同じ顔をしていない。
次はどれを食べようか、選ぶことにさえ味わいがある。
そもそも大皿に並ぶおはぎたちには、躍動感がある。
おはぎ同士が同じ皿に並ぶ御縁を喜び、楽しそうにオシャベリをしている。
ワクワクしながら、自分が選ばれるのを、誰かを喜ばせるのを待っている。
そんな表情が感じられるのだ。
いかん、いかん。
いま母が私にプレゼントしようと言っているのは、
いつものおはぎではなく、この店に並ぶおはぎではないか。
この期に及んで、いたずらに比べるべきものではない。
部屋に戻っておやつの時間、母の買ってくれたおはぎを食べた。
さすがは商売人、文句のつけようのないおはぎだった。
そう、文句のつけようがない。
おいしかった。ごちそうさま。
でもなぁ。
なんというか、こう、満足した気がしない。
いつものおはぎなら、箸で取る時でさえ心躍るものだ。
どこからどの向きに、どのくらいの力加減で取るのか、
心身の全てが一極に集中し、その作業に注がれる。
それに、いつものおはぎは、
もうちょっと甘みが弱いんじゃないか。
もうちょっと塩気が強いんじゃないか。
もうちょっと小豆の味が濃いんじゃないか。
もうちょっとあんこ比が高いんじゃないか。
もうちょっともち米が硬めに炊かれているんじゃないか。
それから、もち米の半殺し具合が、もう少し手前でやめているんじゃないか。
ゴメンね。
いつものおはぎと、また比べている。