2018年3月18日日曜日

イミテーション

墓参りの帰り道、母がおはぎを買ってくれた。
「今月末まではどうにも忙しくて、作っている暇がない。
いつものおはぎは、サクラの満開まで待て」とのこと。

和菓子屋さんの陳列棚に並ぶおはぎを眺めながら、母は言った。
「やっぱり商売人が作ると、大きさも形も揃っているわね。」
確かに。
これなら、お店の人がどのおはぎを私のパックに詰めようとも、
「あ、待って。それじゃなくて、この、手前の列の左から二番目にしてください」
なんて言われることは、まずないだろう。

でもなぁ。
なんというか、こう、個性が感じられない。
似たような背恰好の人ばかり集めて、お仕着せの制服をあてがったようだ。
同じ方を向いて、同じ動きをして、否、おはぎは皆じっとしているのだけれど、
これじゃあ、どこかの軍隊みたいじゃないか。

それに比べると、
いつものおはぎは、大皿に並んでいても、一つとして同じ顔をしていない。
次はどれを食べようか、選ぶことにさえ味わいがある。
そもそも大皿に並ぶおはぎたちには、躍動感がある。
おはぎ同士が同じ皿に並ぶ御縁を喜び、楽しそうにオシャベリをしている。
ワクワクしながら、自分が選ばれるのを、誰かを喜ばせるのを待っている。
そんな表情が感じられるのだ。

いかん、いかん。
いま母が私にプレゼントしようと言っているのは、
いつものおはぎではなく、この店に並ぶおはぎではないか。
この期に及んで、いたずらに比べるべきものではない。


部屋に戻っておやつの時間、母の買ってくれたおはぎを食べた。
さすがは商売人、文句のつけようのないおはぎだった。
そう、文句のつけようがない。
おいしかった。ごちそうさま。

でもなぁ。
なんというか、こう、満足した気がしない。

いつものおはぎなら、箸で取る時でさえ心躍るものだ。
どこからどの向きに、どのくらいの力加減で取るのか、
心身の全てが一極に集中し、その作業に注がれる。
それに、いつものおはぎは、
もうちょっと甘みが弱いんじゃないか。
もうちょっと塩気が強いんじゃないか。
もうちょっと小豆の味が濃いんじゃないか。
もうちょっとあんこ比が高いんじゃないか。
もうちょっともち米が硬めに炊かれているんじゃないか。
それから、もち米の半殺し具合が、もう少し手前でやめているんじゃないか。

ゴメンね。
いつものおはぎと、また比べている。