2013年1月21日月曜日

日陰の雪

入院中のを見舞いに行くと、ロビーではお楽しみ会が開かれていた。
懐かしのメロディーを口ずさむ紳士淑女たちの中に、父の姿は見られなかった。
部屋を覗くと、父はベッドで横になっていた。
体調が悪いわけでも何でもない。
気難しい父にとって、「皆さんと一緒にその場を楽しむ」のは、何よりも苦手なことなのだ。

私は懇願に懇願を重ね、やっとのことで、父は自分の体を車いすに移動することを許可した。
もちろん、お楽しみ会には出席しない、との条件付きだ。

車いすに腰掛けた父は、窓外の景色を眺めた。
数日前には雪が降ったことを話すと、
父は目を凝らして、景色の中に雪の名残を探しながら言った。

「雪は、降ったばかりの時は良い。柔らかくて、白くて、きれいだ。
でも、しばらくすると、凍って固くなる。
光の具合で見えなくもなるし、汚れた色にもなる。
日の当たるところは良いんだ。いずれ融けてしまうから。
日陰の雪は、すっかり固くなってしまって、融かすことも、どかすことも、どうにもできなくなる。
だから、日陰の雪には気を付けないといけない」
「そうだね。まだまだ凍っているところがあるし、氷は見えにくいから、歩くときは気を付けるよ」
「転ばないようにな」
そんな受け答えをした。

そして私は、最近の出来事を、あれこれと報告した。

金曜の晩には、ごちそうを作って、友人たちを招き、賑やかに過ごしたこと。
歓迎の準備が間に合わず、お客さんに料理を手伝ってもらったこと。
翌日は、残ったごちそうを実家に運んで、今度は家族で宴会をしたこと。

どれもこれも父の苦手な話題だった。
私の話を一通り聞き終えると、父は言った。

「それは良いことをしたな。楽しかったろう」

さっきまで、お楽しみ会を頑なに拒んでいた父は、穏やかに微笑みながら、言葉を続けた。

「雪は、降ったばかりの時は良い。柔らかくて、白くて、きれいだ。
でも、しばらくすると、凍って固くなる。
光の具合で見えなくもなるし、汚れた色にもなる。

日の当たるところは良いんだ。いずれ融けてしまうから。

日陰の雪は、すっかり固くなってしまって、融かすことも、どかすことも、どうにもできなくなる。
だから、日陰の雪には気を付けないといけない」

父は、窓の外を指さした。
その先には、ブロック塀の陰に、黒っぽく固まった雪があった。
きっと、あの日陰の雪は、いつまでも融けることなく、徐々に固さを増していくのだろう。
しばらく黙ったまま、二人で日陰の雪を眺めた。

「じゃ、暗くならないうちに帰る。また来るわ」
「日陰の雪には気を付けてな」

一人になって歩きながら、父の言葉を思い返した。

二度目に「日陰の雪」の話が出たとき、
話題が窓外の景色に移った、とは、私には思えなかった。
いったい、父は何を「日陰の雪」に喩えていたのだろう。
気難しく、人と一緒にその場を楽しむことを大の苦手とする父は、そんな自分の頑固さを、
「すっかり固くなってしまって、融かすことも、どかすことも、どうにもできなくなった日陰の雪」
に喩えたのだろうか。

「まだ柔らかくて、白くて、きれいなうちに、
お前は、日の当たるところに出て、融かしてしまいなさい。
決して、固くなってはいけない」
そんなメッセージが聞こえた気がした。

私の人生において、「日陰の雪」になり得るものは、何だろう。
今のうちに、日の当たるところに出して、融かしてしまうべきものは、何だろう。

そもそも実のところ、父が「日陰の雪」に喩えたかったのは、何だろう。