2012年9月10日月曜日

徳永先生

ずーっと、ずっと、すっかり忘れ去っていたことが、
突然、目の前の現実のようにありありと思い起こされたのは、
教育とは縁遠い世界で暮らしてきた私が、大学の授業を受け持つようになって
1、2年経った頃のことだ。

まるでタイムスリップした心地の、その行き先は、
まだ私があどけない大学生だった頃、むかーし、むかし、のことだった。


もう目と鼻の先まで迫り来ている直近の将来において、
「自らが何屋さんとして働くか?」という大問題から、私は完全に逃避していた。
当時在学していた大学の付属中学校に教育実習を申し込んだのは、
ひとえに、親切な友人達の根気強い働きかけのお蔭だった。

そのくせ、生まれ持った性質とは恐ろしいもので、
お調子者の私は、その場に行ってしまえばおもしろがって、
将来の身の振りようなどお構いなしに、実習の3週間を夢中になって過ごした。

最終日の夕方、全てを終え、指導教官にお礼の挨拶をしようとしたときだった。
「一つ聞きたいんだけど」先生の方から切り出された。「あなたは、教員になるつもりがありますか?」

将来何屋さんとして働くか、さえも考えていない私にとって、最も痛い質問だった。
教員になるつもりもないのに、教育実習に来ることは、
指導教官に対しても、実習で担当した3クラス100人あまりの中学三年生たちに対しても、
あまりにも失敬千万なことだ。
一方、ここで体裁だけを取り繕って、嘘の答えをすることも私にはできなかった。

「いいえ、教員になるつもりはありません」私が正直に答えると、先生は穏やかに続けた。
「それは残念だ。あなたは教員に向いていると思いますよ。人の心を捉える何かがあるから。
多少喋り過ぎの感はありますけどね、それも個性のうちでしょう。
経験を積んで、色んな配慮ができるようになったら、良い教員になると思います」

一人ひとりの『教員に向いているところ』に注意を向け、それを伝えることで、
教員を目指す者にはエールを送り、ボンヤリ者には目的意識を持つよう背中を押してくださる。
指導教官としての助言を、有難いと思った
それでも私は、ボンヤリ者から抜け出すことも、責任ある仕事に就く覚悟を決めることも、
まだまだできなかった。

「ありがとうございます。でも、やはり教員にはならないと思います」
なおも厚かましく私が答えると、先生は先生で、なおも穏やかに続けた。
「無理強いをするつもりはありません。
ただ、あなたのような魅力は、生まれ持ったものであって、誰もが持っているものではない。
それに、恐らく訓練によって得られるものでもない。

例えば、一人の生徒が、何か克服すべきものを胸の内に抱えたとする。
でも、モヤモヤするばかりでどうしていいかも分からない。
それで、悪ぶってタバコをふかしたとする。

その時、大抵は大人たち、特に教員には見つからないような場所に吸殻を捨てる。
しかし、何故か、あなただけはその場所を通り、見つける。
これは、恐らく彼が無意識のうちに、その『何か克服すべきもの』に気付いてくれる相手として、
あなたを選んだ結果だ。

『取っ掛かりがある』、これは重要なことです。
吸殻、即ち『何か克服すべきもの』の存在を見せてくれさえすれば、こちらはいくらでも力になってあげたい。
しかし、その取っ掛かりがなければ、つまり、吸殻を見せてくれなければ、何も始められない。

私自身、教員として、あなたのような性質をどれほど望んだか分からない。
けれど生憎、私はそれを持って生まれて来なかった。

ただ、これを持っていたら、それはそれで大変なことだ。

吸殻、即ち、『何か克服すべきもの』の存在を見せてくれるのは中学生ばかりとは限らない。
相手の年齢も性別も職業も関係なく、
たとえあなたが会社勤めをしても、何の仕事に就いても、どこにいても、
生まれ持ってしまったからには、あなたは一生選ばれ続けるように思う。
それは、入れ替わり立ち代り誰かと取っ組み合いのケンカを続けるようなもので、
本当に大変なことだろう。

どのみち大変なものなら、次の世代の教育に活かすことができたら、報われもしよう。
そして、あなたの底に流れる楽観性があれば、その大変さをも楽しむことさえ、可能に思える」


確か、こんなお話をしてくださったように記憶している。
だいぶ昔のことで、記憶はかなり変容したことだろう。
その時の指導教官のお話は、実は全く異なる内容だったかもしれない。

ただ、一つだけ確かなことがある。
たとえ、これが記憶の変容の結果であったとしても、
あの時の指導教官の言葉は、今の私に、大きな影響を与えている。


相も変わらずボンヤリ者でお調子者の私が、
思いもかけない巡り合わせで、思いもかけなかった教育という責任重大な活動に、
非常勤とはいえ、関わるようになった。
お蔭でボンヤリ者でお調子者のガラにもなく、
時に、立ち上がれないほど酷く悩み、落ち込むことがある。

そんなとき、強い支えとなっているのが、あの時の言葉だ。

『何か克服すべきもの』を抱えたならば、その人は、いつかきっと吸殻を私に見せてくれる。
取っ掛かりさえあれば、周りに助けを求めたなら、きっと力になってくれる誰かがいる。
どのみち大変な思いをするのなら、ほんの僅かでも、誰かの未来のためにその大変さを活かそう。
そして、どのみちお調子者なら、その大変さをも、丸ごと楽しんでやろう。


あらためて、あの時の御礼を言いたい、と思った。
そんな今、残念ながら先生の連絡先も何も知らない。

もしかして、どこかで偶然にも先生に伝わるかもしれない。そんな一縷の望みを託して、
今回だけ、敢えてお名前を出すことにしよう。


徳永先生
昔々、教育実習生として、大変お世話になりました。
ワンピース姿のまま体育のバレーボールに飛び入り参加して叱られた大学生が、
紆余曲折を経て、今、ささやかながら、教員として学生たちと関わろうと、もがいています。
小さなことにも一喜一憂しながら、何とか逃げ出さずに、必死に悩み、試行錯誤を続けられるのは、
あの時、先生にご指導いただいたお蔭です。
きっと、これからも、先生の言葉は、私の大切な支えであり続けることと確信しています。
本当にどうもありがとうございました!