2012年7月1日日曜日

小娘の夢

オジサン、もとい、社会でご活躍中の立派な紳士二人の会話の断片が耳に入った。

「女性からさぁ、『子どもが欲しい』って言われちゃうと、男性としてはプレッシャーだよね」

えっ、「子どもが欲しい」がプレッシャー?
ちょっと待って、どういうこと?

私は一人、心の中で、そのオジサン、もとい、社会でご活躍中の立派な紳士に問いかけた。

彼は、「子どもが欲しい」という言葉を、どんなメッセージとして受取ったのだろうか?
「発芽率100%保障の種を植えてください」というメッセージとして受取った結果、
プレッシャーを感じてしまったのだろうか?
しかし、結果的に「授かるか否か」は、飽くまでも神様の責任範囲であり、
男性も女性も、高名なお医者様でも、何しろ人間様には決められないのが実情だろう。

一方、「子どもが欲しい」と言う女性の側が発するメッセージは、何だろう?

もちろん、人それぞれ異なるはずで、一概には何とも言えない。
中には、男性に対して種馬的要素を強く求める女性もいるだろう。
気の毒にも、くだんの紳士は、愛する人のそうした強い願いを叶えてあげたいばっかりに、
本来ならば神様の責任範囲である「授かるか否か」にまで、自分の責任が及ぶものと見誤り、
悩み、苦しんだ経験を持つのかもしれない。

実際、世の中には、この「授かるか否か」という問題のどちらの側にも、
悩み、苦しむ人々がいることだろう。
そんな人たちの悩みや苦しみを、ひいては、全ての人の悩みや苦しみを想像することが、
弱虫の私には、恐ろしくて、どうしてもできない。
どうにも真正面からは考えられそうにないのである。

だったら、いっそのこと、別の問題として考えてみよう。

ところで、ここで、一つだけ断言できることがある。
それは、もしも、いつの日か、私がパートナーに対して「子どもが欲しい」と言う時が来たなら、
そこに込めるメッセージは全く異なる、ということだ。

私なら、こう考える。

この人は、世界と自分の人生とを、どのくらいのスパンで結び付けているだろう?
人生、即ち、様々な行動や不行動の決断の連続において、その決断の根拠を、どの程度の深さに根付かせているだろう?

今、とりあえず、この場限り、何とかやり過ごせれば、それで良いの?
今年度を、何とか〆られれば、それで良いの?
定年までを、何とかこなせれば、それで良いの?
老後を安定して暮らせたら、それで良いの?

それとも、次の世代の誰かのために、チッポケな自分なりに、チョッピリでも貢献したいの?

もし、世界と自分の人生とを、次の世代に繋がるスパンで結びつけていたら、
もし、人生、即ち、様々な行動や不行動の決断の連続において、
その決断の根拠を、自分だけでも、今だけでもなく、世代を超える深さに根付かせていたら、
きっと、未来は素晴らしいものになる。
きっと、現在は希望に満ちたものになる。
きっと、過去からは、より多くを学ぶことができる。

たとえ、
未熟で愚かでチッポケな私たちが、幾つもの失敗を重ねていくことに変わりはなくても、
きっと、この命題は真である、と信じている。

この場合、「子どもが欲しい」という言葉において、「授かるか否か」を問うことはない。
ここでの「子ども」は、「次の世代」であり、未来に関して、希望や責任を共有することを指す。

その上で、「子どもが欲しい」と言った時、
「これからは、世界と、あなたの人生と、私の人生とを、次の世代にまでも結び付けましょう」
というメッセージを込めることになる。


その後、あの紳士達の会話は、どのように展開していったのだろうか。
それとも、その場限り、ウヤムヤになったろうか。

社会でご活躍中の立派な紳士淑女のうちの、たった一人でも、
チッポケな小娘のこんなメッセージに、いつか、どこかで、共鳴してくれることを、
ついつい、夢見てしまう。