例年、正月二日に書初めをするのを習わしとしてきた。
気持ちも新たに、新しい年の抱負をしたためる。
漠然と思いつくままに、幾つもの抱負や目標を、何枚もの紙に何度も繰り返し書き続けていると、
徐々に収斂されてくる。
「これだ!」と思える形に纏まると、心は希望に満ちながらも穏やかになり、筆を置く。
書初めによって抱負を練り上げることは、私にとって新年の大切な恒例行事であり、醍醐味でもある。
・・・と言うと聞こえはいいが、実のところ、(大きな声では言えないけれど、ここだけの話、)
殆ど毎年、年賀状を書き始めることさえできないまま、お正月を迎えてきた。
そして、この「書初め」とは、年賀状のことである。
元旦に受取った年賀状一枚一枚に対し、感謝を述べ、
年が明けてから書くことをお詫びし、「来年こそは年末に書きます」と頭を下げてから、
心を込めて新年の挨拶と抱負を書く。
ここで、だいぶ身勝手ではあるが、
「年賀状を書く時期」という、感心できない側面を棚に上げてみる。
すると、これは「新年の抱負を書く試行を、年賀状の枚数だけ繰り返すこと」とも捉えられる。
一枚目では海のものとも山のものとも分からなかったようなメッセージが、
最後の一枚を書き上げる頃には、何となく抱負らしくなっている。
こうして練り上げた抱負を胸に、新しい年をスタートするのは、爽やかで気持ちの良いものだ。
ところが、この年末年始は様子が異なった。
昨年12月上旬、仕事を数日間休む機会があり、そこで年賀状を書いたのである。
しかし、私にとって12月上旬は、飽く迄も漠然と抱負の卵を温め始める時期であって、
練り上げるには尚早であった。
悩んだ挙句、抱負を書かずに、挨拶のみとすることにした。
いつもとちょっとばかり趣の異なる年賀状を全て書き上げたのは、
12月9日、雅子妃殿下の誕生日、夏目漱石の命日だった。
郵便ポストに、「年賀郵便」と「一般郵便」の表示が貼られる15日を待って、投函した。
こうして、懸案事項も後ろめたさもなく迎えた元旦は、
不思議なことに、ほんのチョッピリ物足りなく感じられた。
小さな一歩とはいえ、普通の立派な大人としての偉業を成し遂げながらも、
その裏側で、抱負を練り上げる機を逸した私は、あたりを見渡しては相談相手を探した。
昼間は雲や山並みに、夜は月や星に向かって、
今年の私にどんな成長を望むべきか、尋ねてみた。
いつもとちょっとばかり違うお正月を迎え、
いつもとちょっとばかり違う方法で新年の抱負を立てている。
慣れたやり方を離れて抱負を立てるのは、思うようには捗らないが、
新しい方法は、いずれ確立することだろう。
何はともあれ、これからも12月のうちに年賀状を書こう。
そして今年は、1月一杯掛けて抱負を練り上げること、
ひとまず、このプロセスを楽しむこととしよう。