その人の名は、パステルさん。
「オジサン」か、「オジイサン」か、どちらに分類しようか、悩ましいお年頃の殿方だ。
前回会った時は、空色のシャツに、ライムイエローのズボン、レモン色のお帽子姿だった。
その前に会ったときは、クリーム色のシャツの襟元から淡いオレンジ色のTシャツが覗き、ピンクのズボンのお尻には、水色のポケットが張り付いていた。
何しろ、お召し物が、常に総パステル調なのである。
彼とは、いつの間にか気付いたら出会っていた。
朝、近所の池の周りを走っていると、私と逆回りにお散歩をする彼と会う、というか、すれ違う。
しばらくの間は、互いに個体識別さえしていなかった。
ある朝、すれ違いざまに彼が手を挙げた。
ちょうど、バスがすれ違う時に、運転手さん同士で挨拶を交わすみたいに。
「きっと知り合いがいたんだ」と思い、そのまま走り過ぎた。
翌朝も、彼はすれ違いざまに手を挙げた。
「また知り合いがいたんだ」
そのまま走り過ぎた。
その翌朝も、そのまた翌朝も、彼はすれ違うたび手を挙げて見せた。
誰かに挨拶していることは、明らかだった。
周囲に他の誰かの気配がある時も、ない時も、彼は挨拶を安定供給している。
「もしかして挨拶の相手は、私?」
突然、彼を意識し、個体識別した。
そして、「パステルさん」と名前をつけた。
どうしよう。
今度パステルさんとすれ違う時は、挨拶を返した方が良いだろうか?
でも、実は私の勘違いで、彼は他の誰かに挨拶をしているのかもしれない。
だとしたら、私が挨拶を返したら、なんだかカッコ悪いし、恥ずかしい。
その翌朝も、そのまた翌朝も、彼はすれ違うたび手を挙げて見せた。
誰かに挨拶していることは、明らかだった。
周囲に他の誰かの気配がある時も、ない時も、彼は挨拶を安定供給している。
「もしかして挨拶の相手は、私?」
突然、彼を意識し、個体識別した。
そして、「パステルさん」と名前をつけた。
どうしよう。
今度パステルさんとすれ違う時は、挨拶を返した方が良いだろうか?
でも、実は私の勘違いで、彼は他の誰かに挨拶をしているのかもしれない。
だとしたら、私が挨拶を返したら、なんだかカッコ悪いし、恥ずかしい。
しかし、仮に勘違いで挨拶を返したところで、失うものは何もないはず。
更に、もしも、だ。
あんな大人のパステルさんの方から、娘のような年代の私に挨拶してくれているとしたら、
それだけだって、恐れ多い話ではないか?
本来ならば、目下の私から挨拶すべきではないか?
でもでも、やっぱり、ここだけの話、
臆病者の私は、子どもの頃から「友達になりましょう」アクションを、自分から起こしたことがない。
200%濃度の「友達になりましょう」アクションを供給し続けてくれた相手としか、お近付きになれないまま、今日に至っている。
更に、もしも、だ。
あんな大人のパステルさんの方から、娘のような年代の私に挨拶してくれているとしたら、
それだけだって、恐れ多い話ではないか?
本来ならば、目下の私から挨拶すべきではないか?
でもでも、やっぱり、ここだけの話、
臆病者の私は、子どもの頃から「友達になりましょう」アクションを、自分から起こしたことがない。
200%濃度の「友達になりましょう」アクションを供給し続けてくれた相手としか、お近付きになれないまま、今日に至っている。
高々合図程度の挨拶にしろ、
未だ一度も言葉を交わしたことのない人に、お名前も知らない人に、
こちらからリアクションをすることが、私には怖かった。
臆病風が、私の中を嵐のように吹き荒れた。
パステルさんとの挨拶問題は、吹き荒れる臆病風に押されて堂々巡りを続け、
結論の出ないまま翌朝を迎えた。
私は、ただ一つの愚かしい言い訳にしがみついて、走り出した。
「バテバテで挨拶できない」
やっとのことで走っている私にとっては、声を出して挨拶することは愚か、
パステルさんと同じように手を挙げて見せることだって、容易ではない。
走りながら挨拶できるくらいの体力がつくまで、パステルさんの様子を静観しよう。
もしかしたら、その間に、彼の挨拶の相手だって明らかになるかもしれない。
こんな私の逃げの姿勢に、パステルさんは気付くだろうか。
何となく後ろめたく、毎朝、彼とすれ違うことが、私のハラハラドキドキの種になった。
一ヶ月以上静観し続けたろうか。
彼は、私とすれ違う時には、必ず手を挙げて見せ続けた。
間違いない。あれは私への挨拶だ。
パステルさん、さんざん知らん顔して、ごめんなさい。
何としても、臆病風を追い払って、挨拶を返そう!
でも、どうやって?
走りながらでは、声も出せないし、手も挙げて見せられないのに。
そうだ!
声を出せなくても、手を挙げて見せられなくても、「口元でニッコリ」だけならできる!
今度パステルさんとすれ違う時は、必ず「口元でニッコリ」しよう!
超長考の末、
すれ違いざまに手を挙げるパステルさんに、とうとう、「口元でニッコリ」の挨拶を返した。
すると彼は顔をほころばせ、小さな子に言い含めるかのように、「お・は・よ!」と言った。
ところで私は、
ボーイフレンドへの想いとは、特定の人物に対する個体識別の発展形、と捉えている。
その発展した個体識別には副次的効果がある。
それは、
「相手を強く個体識別し、それを特殊なレンズや鏡のようにして、世界や自分を見ることで、
自らの課題が明確になり、現状打破への一歩を踏み出すきっかけを得る」
ということだ。
そして、実のところ、この副次的効果こそが、ボーイフレンドという存在の醍醐味の一つだ、
と信じている。
後になって判明したことだが、パステルさんには、池の周りを散歩する沢山の友達がいる。
これは彼の「友達になりましょう」アクションの賜物に違いない。
どこの馬の骨かも分からない、ちっとも愛想のない、ただバテながら走り過ぎていく私にも、
会うたび、すれ違うたび、彼は小さな愛(*)、即ち挨拶を投げかけ続けてくれる。
そして私は、その小さな愛を喜ばしく享受しながら、自分と反対の姿を映して見ることで、
「口元でニッコリ」の挨拶を返すという微細な一歩を、否、一歩踏み出すための体重移動を、
今やっと、始めたところだ。
私もパステルさんのように、「友達になりましょう」アクションを自分からできるようになろう。
彼を個体識別したことで、新しい課題を一つ見つけた。
そこで、新しいボーイフレンドができた、と一人勝手に思うことにした。