そこには、ターシ君と名づけられた猫が出入りしている。
その界隈を縄張りとするオス猫で、住所は不定らしい。
2年ほど前に見たターシ君は、
ツーシ君(ツヨシ君)という、なんとも男らしい名の母猫の後ろに隠れて、
世界中の全てに怯え、体をブルブルと震わせながら、玄関前に現れた。
ツーシ君なら丸呑みしてしまうような、小指の先ほどの小さな魚の切れ端を一つだけ貰うと、
植え込みの陰にすぐ逃げ込んで、時間を掛けて食べた。
そんな食の細い、やせっぽちで、ひどく臆病な仔猫だった。
今年の夏休み、ターシ君に再会した。
開け放した玄関から猫の鳴き声が聞こえると、パパは、
「あ、ターシ君が来た!」と出迎えに行った。
そして、とてつもなく大きなトラ猫を抱えて居間に戻ってきた。
これが食の細い、やせっぽちで、ひどく臆病な、あのターシ君?
この貫禄満点のネコさんが?
我が両の目を疑った。
しかしよく見れば、目の辺りには子ども時代のターシ君の面影が確かに残っている。
歩く姿は のっしのっし と横綱さながらだが、
子ども時代からの臆病な性格は変わらないらしく、
見慣れぬ私に対し警戒心を露わにした。
「あんた、何者ニャー」
ターシ君は、毎日少なくとも朝と晩の二回、来訪する。
夕食後の一時間ほど、決まって私が留守番をしていると、
これまた決まって玄関でターシ君の声がする。
この家の流儀に従い、戸を少しだけ開けて招き入れる。
玄関には、口を開けたままのカリカリ(乾燥タイプの猫の餌)の大きな袋が立ててある。
ターシ君が来たら、これを倒す。
ターシ君は、袋に頭から入って行く。
尻尾だけを袋から出して、中でカリカリ、カリカリ、と食べる。
満足すると、ターシ君は袋から出てくる。
そして見慣れぬ私の顔を見て、警戒心を露わにする。
「ところであんた、何者ニャー」
「東京から参りました○○です。
こちらのお宅とは長い付き合いでして、今回一週間ほどの滞在を予定しております」
などと自己紹介してみるものの、ターシ君の警戒心が解けることはない。
次の晩も、その次の晩も、留守番をしていると同じことが繰り返される。
ターシ君の警戒心も変わらない。
「図々しいあんた、一体何者ニャー」
結局、1週間の滞在中、ターシ君の私に対する警戒心が緩むことはなかった。
さて夏休みもこれでおしまい。東京に発とうと玄関を出ると、ターシ君が待っていた。
ついに私を第二の家族と認めて、別れの挨拶をしに来てくれたの?
ガラス細工のような淡い期待が胸の中に生じるのを感じた。
「怪しい人物、まったく何者ニャー」
ガラス細工は瞬時にして砕け散った。
さんざん怪しませてしまって、ゴメン。
でもねターシ君、公式には、あなたの方が野良なのよ。