「『先生』と呼ばれる職業なんぞに就くもんじゃない。
そんな風に持ち上げられて、いい気になっていたら、
お前みたいなお調子者は、ふんぞり返っているうちに、
人間として落ちぶれていくだけだ」
昔々、いつのことだか、誰からだったか、忘れてしまったが、
何しろ、そう言われたことがある。
その時、「これはビンゴに違いない!」と直感的に確信を持った。
「先生」と呼ばれて持ち上げられても、ビクともしないような器の大きな人だけが、
「先生」と呼ばれる職業に就く資格を持つ。
そして、小さい頃からお調子者の私には、間違いなく、その資格は無い。
だからこそ、ずっと、その手の職業には、一切近付かないように心掛けてきた。
教員、医師、弁護士、美容師、代議士、芸術家・・・
これらは、私にとって「絶対に就いてはいけない職業」として、
深く深く、胸に刻み付けられている。
ところが数年前から、非常勤(*)とはいえ、大学で授業を担当するようになった。
授業中は、学生さんたちから「先生」と呼ばれる。
事務室に行っても、「先生」と呼ばれる。
会議に出れば、偉い偉い大学の先生方からも、「先生」と呼ばれる。
ああ、もうダメだ!
私はこのまま、人間として落ちぶれてしまう!!
非常勤一年生のころ、大学に行くたび、ドキドキして、不安でたまらなかった。
さて、現在、
「先生」と呼ばれて持ち上げられても、ビクともしないような、器の大きな人に成長したか?
・・・正直、そんな大きな器への道のりは、遥か彼方、途方も無く遠い。
お調子者でなくなったか?
これまた子どもの頃に輪を掛けて、お調子者度120%だ。
しかし同時に、ふんぞり返っている余裕も無い。
実は、落ちる心配も無いくらいに低いところで、もがいているのが現実のようだ。
思い起こせば、これまで、
学生さん達のお蔭で学ばせてもらうことが、どれほど沢山あったろう。
授業を手伝ってくれるTAの大学院生にも、教えてもらうことばかりだ。
先生方には、いつも暖かく見守られ、折に触れて心に沁みる助言をいただいている。
そして、事務室の皆さんには、お世話になりっぱなしだ。
(手の掛かる講師でスミマセン!)
結局、誰にも頭が上がらない。
「先生」なんて、ただの便宜的な呼びかけだけだったんだ、
ということに、最近やっと気付いた。
さて、明日は授業だ。
受講生の皆さん、TAの院生さん、
私は、あなた方の手本になれるほどの器でもなければ、
あなた方に何か教えを授けるほどの器でもありません。
ただ、
あなた方から、そしてあなた方との関わりから、
私自身が多くを学ばせてもらっていることだけは本当です。
こうして自分が必死で学び続けること、それだけが、
今の私にとって、「先生」と呼ばれることに対して報いることのできる最大限なのです。