2011年6月9日木曜日

愛の一コマ

古い録音テープが発掘された。
父の字で、私の名前が書いてある。
再生してみると、祖母と私との会話が始まった。

「今、いくつになる?」
「よんさい」
「おせち料理の中で、何が一番好きかい?」
「くりきんとん」
「どうして?」
「甘いから」
「他にもおせちで好きなものはあるかい?」
「だてまき」
「どうして?」
「甘いから」

四歳の私は、よほど甘いものに飢えていたらしい。

会話は続く。

「おやおや、こんなに日焼けして。真っ黒だね」
「日焼けはしているけど、これは真っ黒ではなくて、真っ赤だよ。
今は焼けたばかりだから赤いけど、何日かしたら茶色くなるの。でも黒にはならないの」

四歳の私は、妙に理屈っぽい。

「こんな屁理屈をこねる四歳児、私は付き合えるだろうか」と、
何十年か後の本人には、自信が持てない。

それでも会話は続いている。
祖母は私の日焼けが痛かろうと気遣い、
私は赤みが引くまでの二、三日が勝負だと能書きをたれる。
更に、冷やしてみようか、軟膏でも塗るか、と提案する祖母に対し、
私の方は、やってみてもいいよ、と態度が大きい。

思い起こせば、祖母はこんな私に愛想を尽かすこともなく、最期まで一緒に暮らし、
常に注意を払い、話しかけ、働きかけ続けてくれた。

愛とは、注意力である。
そして、相手の健康と幸福を願うことである。
更には、相手の幸福に、ほんの僅かでも貢献したい、と望むことである。
……というのが、私の勝手な「愛の定義」である。

この定義に従うならば、この録音テープから流れる会話は、まさに愛の一コマと言える。
私は、祖母に愛されていたこと、そして彼女の血が自分の中に四分の一流れていることを、有難く、また嬉しく思う。

屁理屈をこねられようが、多少とっつきにくかろうが、なんだろうが、
彼女のように、目の前の相手を遠慮なく愛せる人に、私もなりたい。