朝、走っている公園の池には、今、蓮の花が沢山咲いている。
蓮の花の真ん中には、黄色い部分がある。
ちょうど、レンコンを半分に切ったような形をしている。
花の真ん中の黄色半レンコンの穴は、ずーっと茎を通って、
そのまま、本当のレンコンの穴につながっているのだろうか?
これは、子どもの頃からの謎として、何十年も温めてきた。
しかし特に積極的に調べることもせず、
折に触れて、身近な人に
「蓮の花の黄色いところに開いた穴は池の底のレンコンまでつながっているのかな?」と尋ねては、
「かもね」との返事を、これまた何十年も受け続けてきた。
仮に、この説が正しかったとすると、
花の上に広がる空と、池の底の泥とは、文字通りの筒抜けである。
花の上の青空からは、蓮を通して、濁った池の底の泥が見えるし、
暗い池の底からは、蓮を通して、花の上に広がる青空が見える。
純粋培養の澄んだ綺麗な青空なんてないし、純粋培養の濁った暗い泥水もない。
丸ごとの世界には、なにしろ、どちらも存在している。
あっちとこっちの存在をそれぞれに認め、それぞれとの行き来を可能にしながらも、
そのどちらでもない自分の場所で、自らを開花させるだけの自由で逞しい精神を
蓮は持っているのかも知れない。
泥臭さに根ざしてこそ花開いた美しさ、なのだろう。
だからこそ、蓮は極楽浄土の花と言われるのかな。