「大きくなったら、代議士になるといいよ。
連呼に耐えうるフルネームだから」
子どもの頃、同級生が言った。
彼女はその後も、思い出したように、私の将来の職業選択に関する提案をした。
「大きくなったら、コメディアンになるといいよ。
一緒にいると楽しいから」
「大きくなったら、新興宗教の教祖様になるといいよ。
発する言葉、全てを信じたくなるから」
「大きくなったら、物書きになるといいよ。
話を聞いていると、時間の経つのを忘れてしまうから」
そして、卒業を目前に控えて言った。
「いずれにしても、大きくなったら、きっとビッグになると思うよ。
学校を卒業して、お互いすっかり忘れた頃、この名前をどこで見ることになるか、楽しみだな」
子どもの頃は、自分が同級生のことをすっかり忘れるなんて、想像もできなかった。
でも、今となっては、これが小学校時代のことか、中学時代のことか、
それさえも思い出すことができない。
可愛らしい笑顔だけをうっすらと覚えてはいるけれど、彼女の名前も忘れてしまった。
いつまでも色あせない記憶も幾つかはあるけれど、多くのことは忘れてしまう。
かつて私は、忘却することを、ひどく寂しいことと、恐れていた。
しかし彼女の言葉によれば、忘却して初めて、それまでにない全く新しい楽しみが生まれる。
記憶が薄れ行き忘却すること、あるいは、記憶力を始め様々な衰えが生じること、
これらは、必ずしも恐れるべきことではないのかもしれない。
新しい楽しみの始まりと捉えてみようではないか!と、
うっすらとした記憶の中から、小さな彼女は語りかける。
今のところ、私は特別大きくもなければビッグでもないけれど、
彼女の言葉を思い出すたび、未来がとことん明るく感じられて、
いつの日か、大きくなるのが、楽しみになる。