テーブルの上には、巨大な皿が現れた。
その皿には、丸ごと蒸されたエビが山と盛られている。
この蒸しエビ、6歳と3歳になる彼の息子たちの大好物である。
パパとママはエビの殻をむいては愛しい息子たちの取り皿にのせる。
自分の食事もままならぬほどの忙しさだ。
・・・おや?
「おや」、そう、親だけにパパとママとをよくよく見れば、
思いのほか、彼らの手と同じくらいに、口も忙しく働いているではないか。
殻をむきながら、エビから滴る汁を「チュッ、チュッ」と吸うのである。
考えてみればこのエビ汁こそが、美味しいところを一手に引き受けている。
つまり、敢えて誤解を恐れず断言するならば、
蒸しエビは、身を食べるよりも、汁を吸う方がずっと贅沢なのだ。
そして、この最高の贅沢を享受するための資格は、「エビの殻をむく」という作業をする者にのみ与えられる。
こんなノーベル賞級の大発見をした時のことだった。
パパは殻付きのままのエビを長男に手渡した。
同時に自らも1尾を手に取り、ゆっくりと殻をむき始めた彼は、
「エビの殻をむく」という、最高の贅沢を享受するために必須の作業を自らの手で示しながら、
息子に真似をするよう促した。
一つ一つの段階において、
「エビのお腹に親指を入れるようにして」
「もいだ頭には、美味しいジュースが入っているよ。こうやって吸ってごらん」
「ほら、右手首に汁が回ってるぞ」などと、丁寧に説明している。
長男の目は俄然輝き出した。
既にお風呂を済ませたはずの彼は、口の周りも、鼻も、あごも、指の股も、肘までもが、エビ汁でベタベタになった。
彼が初めて自ら殻をむいたエビを食べるまでの間に、大人ならば軽く5尾は進んでいただろう。
しかし、もうそんなことはどうでも良かった。
次のエビを食べるためにも、その次も、彼は大人の力を借りようとはしなかった。「ああ、明日のごはんもエビだったらいいのに!」
着替えたばかりとは信じ難いほど汚れたパジャマ姿の彼は、顔を紅潮させながら言った。
パパは私の耳元で囁いた。
「彼はこれまで、『エビを食べる』ことしか経験しなかった。
それが今晩、『エビを楽しむ』ことを知ったんだ。
いま彼の脳内で、『エビ』と『幸せ』とがシナプス結合しているのが、僕には見えるよ」
生きるために、食べることは絶対的に必要である。
しかし人生とは、決して食べるためだけに生きるものではない。
彼は息子たちに「人生を共に楽しもう」と日々働きかけているのだ。
台所で食器を洗っていると、子どもたちには聞こえないように小さな声でママが言った。
「同じメニューが続いちゃうけど、明日のお昼もエビで良い?」
私は大きく頷いた。
『エビを楽しむ』あの子の姿を見るだけでも、他には代え難い価値があるから。
それに、私だってあの子と一緒に、彼女の作る美味しいエビを楽しみたいから。