2025年4月25日金曜日

母の戦後

 「山並みがきれいだった」

昔の話をしない母が、学童疎開先の景色を懐かしんで言った。


「こんど行ってみよう。まずは下調べね」と口をついて出たものの、何をどう調べたらよいのか見当もつかぬまま、遠足がてら区の平和資料館へ。

受付で母の出身校を伝えると、「ちょうど今、その小学校の疎開資料の展示が……」と奥に通された。

同窓生たちの絵日記だ。

が、あいにく疎開先が異なる。

同じ小学校から三つの地区に分かれて学童疎開していたらしい。


母の目をまっすぐ見ながら話を聞き取った職員さんは、事務室に戻ると紙の束を持ってきた。

表紙には母の疎開先の学校名。

子どもたちの描いた絵だ。


一枚めくると、近所の友だちの絵があった。

気が急くのだろう、母は手を震わせながら、一枚、また一枚とめくっていく。

その手が、ピタリと止まった。


母の兄の絵だ。

若くして死んだ兄の。


そこには疎開先の山並みが描かれていた。


あれからというもの、母は以前にも増して体力づくりに励み、PCまで習いだした。

ふりかえることさえできなかった過去に、向き合おうとしているのだろうか。


戦後80年の今年、母の戦後は、やっと始まったところだ。