「読めるものなら、何でも読みます」
ラジオから、こんな言葉が聞こえてきたら、
何だか急に、「読んでもらいたい!」衝動が、ムラムラと抑えがたく湧いてきた。
読んでもらいたいものは、もう瞬間的に決まっていた。
確か今年の初めごろ、寒がり屋の私には応える時期だったはず……
ブログから、過去の投稿を引っ張り出して、
コピーして、貼り付けて、
生まれて初めて、ラジオ局にメールを出した。
しばらく後、
同じ曜日の同じ時刻、同じ周波数に、ラジオをチューニングすると、同じ声が聞こえてきた。
「東京都の非常勤さんからのお便りです」
ラジオの声はそう言うと、私のメールを、何の変更も加えずに、そのまま読んで聞かせてくれた。
今では殆ど声を発することのなくなった父の言葉を聞かせてくれた。
次の週末、病院へ父を見舞いに行って、それを報告した。
「お父さんの言葉をラジオ局に送ったら、番組で読んでもらえたよ」
そう言って、ラジオで読んでもらったままの原稿を、今度は私が読んで聞かせた。
いつもは目を開けることさえ大儀そうな父が、大きく目を見開いて、顔をこちらに向けた。
元気だった頃の父は、ラジオや新聞に、川柳やらどどいつやらを時折投稿しては、
読まれたり読まれなかったり、掲載されたりされなかったり、していたものだ。
「気付いた時にはラジオ局にメールを送っていたなんて、
どうやら私、しっかりお父さんの血を引いてしまったみたい」
父は、ぎゅっと目を閉じた。
『蛙の子は蛙』
『この親にして、この子あり』
『血は争えない』
なんて言われることの多い、こんな状況を、
そう言えば、あの夫婦はいつも、チョット風変りにこんな表現をする。
リンゴはリンゴの木の近くに落ちる
私には、夏休みや正月休みを取っては滞在している「第二の家族」がある。
ここでの「あの夫婦」は、そのお宅のパパとママだ。
入院中の父と実家の母が気掛りで、今度の年越しには「帰省」できそうもないことを伝えると、
パパとママは代わる代わるに、電話やメールを何度もよこしてくれた。
「淋しいな。お前と一緒に年を越すのは、既に我が家の伝統となっているんだよ。
しかし、今は堪え時だな。
ご両親を、家族を、そしてお前自身を、しっかり支えてやりなさい」
実家で年を越すのは、何年振りのことだろう。
今度の正月、リンゴはリンゴの木の近くで過ごすつもりだ。