『遅刻魔』と呼ばれることがある。
しかし実際には、そうしょっちゅう遅刻をしている訳ではない。
たいていの場合、約束の時刻ピッタリに、約束の場所に現れている。
特にピッタリを狙うわけではないのだが、
夜、床に就く直前に、
「明日は○○時に○○駅で待ち合わせだ」などと枕に向かって予定を確認すると、
翌朝、適当な時間に目が覚め、
何となく身支度をして出掛けると、
なぜか、ピッタリ○○時に○○駅に到着する。
OLをしていた頃、始業時刻ピッタリにタイムカードを押すことがよくあった。
とはいえ、
9:00
9:00
9:00
9:00
9:00
とタイムカードの月曜から金曜まで綺麗に並んだ週は、さすがにちょっとミラクルを感じる。
まれに、8:50、なんて印字されると、
あと10分をどう過ごしたら良いものか、と更衣室に隠れてソワソワしたものだ。
こんな私を、家族は、「本物の『時間に正確な人』」と呼んだ。
一般的には、
約束の時刻より早めに、約束の場所に到着する人を、『時間に正確な人』と称することが多い。
しかし、その人たちは本当に時間に正確か?
という疑問が、その時、持ち上がったためである。
例えば5分前行動を宗とする人は、
本当に毎回、約束の時刻のピッタリ5分前に、約束の場所に到着しているのか、というと、
そんなことは滅多にない。
その時によって、10分前だったり8分前だったり、
場合によっては3分前のこともあれば、30分前のこともある。
これは時間に不正確と称すべきではないか。
そして、いつでも約束の時刻ピッタリに、約束の場所に現れる人こそ、
「本物の『時間に正確な人』だ!」ということになった。
・・・
と、ここまでおバカな屁理屈をこねてきて、我に返った。
これまで、待ち合わせでハラハラさせてしてしまった皆様、本当の本当にごめんなさい。
「この子、明日は本当に間に合うのかしら?」と心配しながらも、暖かく見守ってくださった皆様、
心から感謝します。
これからは、多少不正確になってでも、少し早めの5分前行動を目指します。
2011年5月26日木曜日
2011年5月23日月曜日
小指の爪の形
何年前になるだろうか、こんなことがあった。
一緒に食事をしていた上司が一言、
「僕の小指の爪の形、良いでしょ?」
正直、おったまげた。
何におったまげたか、というと、
見た目には特別華やかでもない、日本人の、ちょっとお腹の出っ張った、
極々フツーのオジサマが、
自分のチャームポイントを明確に認識していること、
そして、それをアッケラカンと口に出せることに、である。
注目してみると、上司の示す小指の爪の形は、確かになかなかのものだった。
手全体を見れば、お世辞にも「手タレのよう」とは言えないし、他の指の爪は横長だし、
小指の爪全体を見れば、加齢による縦ジワもあるけれど、
『小指の爪の形』を見ると、これがなかなか良い。
ネイルサロンで整えてもらったばかりの私の爪の形と比較しても、引けをとらない。
彼は、自分自身を愛しみ、観察し、認めている。
良いところも、そうでないところも、目を逸らすことなく、受け容れているのだろう。
当時の私には、それが出来なかった。
自分のダメなところから目を逸らしたいばっかりに、
良いところも、あるいは、どうでもいいところも、何もかも、
何しろ私というものから、必死になって目を逸らそうとしていた。
「自分自身を受け容れるなんて、限られた、特別な人にだけ許されたことだ」と言い訳して、
どこかへ逃げてしまいたかった。
しかし、上司は、
見た目には特別華やかでもない、日本人の、ちょっとお腹の出っ張った、
極々フツーのオジサマである上司は、
限られた、特別な人という感じの全くない、その上司は、
気負った様子もなく、当たり前のこととして、
自身の良いところも、恐らくそうでないところも、全体として、受け容れているようだ。
自分自身という存在を丸ごと受け容れること、
それは決して「限られた、特別な人にだけ許されたこと」なんかではなく、
特別華やかでなくても、胴長短足の日本人でも、ちょっとお腹が出っ張っていても、
老若男女、誰しもが、
極々フツーに、当たり前のこととして、やって構わないことなんだ。
いや、むしろ、すべきことなんだ!
と、おったまげた日のことを、ふと思い出した。
かの上司にとっての小指の爪の形は、私にとっての何だろう。
次の休暇では、のんびり温泉にでも入りながら、自分のチャームポイントを探してみよう。
一緒に食事をしていた上司が一言、
「僕の小指の爪の形、良いでしょ?」
正直、おったまげた。
何におったまげたか、というと、
見た目には特別華やかでもない、日本人の、ちょっとお腹の出っ張った、
極々フツーのオジサマが、
自分のチャームポイントを明確に認識していること、
そして、それをアッケラカンと口に出せることに、である。
注目してみると、上司の示す小指の爪の形は、確かになかなかのものだった。
手全体を見れば、お世辞にも「手タレのよう」とは言えないし、他の指の爪は横長だし、
小指の爪全体を見れば、加齢による縦ジワもあるけれど、
『小指の爪の形』を見ると、これがなかなか良い。
ネイルサロンで整えてもらったばかりの私の爪の形と比較しても、引けをとらない。
彼は、自分自身を愛しみ、観察し、認めている。
良いところも、そうでないところも、目を逸らすことなく、受け容れているのだろう。
当時の私には、それが出来なかった。
自分のダメなところから目を逸らしたいばっかりに、
良いところも、あるいは、どうでもいいところも、何もかも、
何しろ私というものから、必死になって目を逸らそうとしていた。
「自分自身を受け容れるなんて、限られた、特別な人にだけ許されたことだ」と言い訳して、
どこかへ逃げてしまいたかった。
しかし、上司は、
見た目には特別華やかでもない、日本人の、ちょっとお腹の出っ張った、
極々フツーのオジサマである上司は、
限られた、特別な人という感じの全くない、その上司は、
気負った様子もなく、当たり前のこととして、
自身の良いところも、恐らくそうでないところも、全体として、受け容れているようだ。
自分自身という存在を丸ごと受け容れること、
それは決して「限られた、特別な人にだけ許されたこと」なんかではなく、
特別華やかでなくても、胴長短足の日本人でも、ちょっとお腹が出っ張っていても、
老若男女、誰しもが、
極々フツーに、当たり前のこととして、やって構わないことなんだ。
いや、むしろ、すべきことなんだ!
と、おったまげた日のことを、ふと思い出した。
かの上司にとっての小指の爪の形は、私にとっての何だろう。
次の休暇では、のんびり温泉にでも入りながら、自分のチャームポイントを探してみよう。
2011年5月22日日曜日
『控室』というところ
このブログを始めるときに、題名とその説明を、こう書いてみた。
- 控室 -
業務中以外のときにいるところ
ただ何となく付けた題名と説明なので、これと言った理由はなかった。
敢えて言うなら、控室にいる時間が嫌いではなかったから。
そこが自分の居場所であるような、ないような、
しかもそこに居られるのは、ほんのいっときだけ、
業務時間中でもなく、かと言って、プライベートの時間というわけでもない、
どっちつかずの中途半端な時間を過ごすための、中途半端な場所。
ここでは、『プライベートの私』から『業務中の私』に、
あるいは、『業務中の私』から『プライベートの私』に、変身する。
これら二人の私達は、当然、連続した同一人物だ。
しかし、決定的に何かが異なる。
ある意味における別人を、統合された一人の人間として結びつける橋のような場所、
それが私にとっての控室なのだろう。
日本語として共通に認識されている辞書的な意味を全く気にせず、
一人勝手に認識していることだけれど、
私は『魂』というものを、
「心と体を結びつけるもの」、「意識と無意識を結びつけるもの」、「自分と他人を結びつけるもの」
など、
「何かと何かを結びつけるもの」として定義している。
控室は、「『プライベートの私』と『業務中の私』を結びつける橋」であり、
ほんの、ほんのちょっぴりだけ、魂を垣間見る場所なのかもしれない。
- 控室 -
業務中以外のときにいるところ
ただ何となく付けた題名と説明なので、これと言った理由はなかった。
敢えて言うなら、控室にいる時間が嫌いではなかったから。
そこが自分の居場所であるような、ないような、
しかもそこに居られるのは、ほんのいっときだけ、
業務時間中でもなく、かと言って、プライベートの時間というわけでもない、
どっちつかずの中途半端な時間を過ごすための、中途半端な場所。
ここでは、『プライベートの私』から『業務中の私』に、
あるいは、『業務中の私』から『プライベートの私』に、変身する。
これら二人の私達は、当然、連続した同一人物だ。
しかし、決定的に何かが異なる。
ある意味における別人を、統合された一人の人間として結びつける橋のような場所、
それが私にとっての控室なのだろう。
日本語として共通に認識されている辞書的な意味を全く気にせず、
一人勝手に認識していることだけれど、
私は『魂』というものを、
「心と体を結びつけるもの」、「意識と無意識を結びつけるもの」、「自分と他人を結びつけるもの」
など、
「何かと何かを結びつけるもの」として定義している。
控室は、「『プライベートの私』と『業務中の私』を結びつける橋」であり、
ほんの、ほんのちょっぴりだけ、魂を垣間見る場所なのかもしれない。
2011年5月14日土曜日
一旦自分で決めたことを守り通す
「一旦、自分で決めたことは、守り通すべきだ」
子どもの頃、何人かの大人たちからそう言われた。
社会人になって以降、守り通そうとしていることが一つだけある。
それは、
『ソフトクリームのオブジェを見たら、必ずその場で食べる』
店先で、巨大なソフトクリームのオブジェを時折見かける。
「当店ではソフトクリームを扱っています」という意味の、高さ1m弱のプラスチック製の置物だ。
あれを見たら、必ずその場でソフトクリームを買い、その場で食べる。
しかも、雨降りの日以外は店内で食べるのは禁止。
あくまでも屋外で風に吹かれながら食べてこそのソフトクリームだ。
簡単そうに見えて、実際にこれを守り通すのは、難しい。
まず、寒いとき、これは辛い。
そして、さっき食べたばっかりのとき、これはもっと辛い、と言うより、無理。
更に、体調の優れないとき、これも絶対無理。
自らの肉体のメンテナンスは欠かせない。
これに加え、気温やタイミングなど、運も重要な要素となる。
大学の学食には、ソフトクリームのオブジェがある。
つまり、ソフトクリームを扱っている。
バニラ、フレーバー①、バニラとフレーバー①のミックス、フレーバー②の四種類があり、
フレーバー①はおよそ1、2週間で、フレーバー②は気まぐれに入れ替わる。
大学に通い始めて間もないある日、授業を終えてから学食に向かった。
学食の前にはオブジェが出ている。
フレーバーは何だろう、と胸躍らせて近付いてみると、
オブジェはネックレスをつけている。
ペンダントトップ部分は小さな看板になっており、
「今日のアイスは終了しました」
とある。
一瞬、立ち止まった。しかし、
「終了したのはアイスであって、ソフトではない」と気を取り直して店に入った。
ソフトクリームを注文すると、「今日は終わりました」との答えが返ってきた。
翌週、授業終了後に学食に行くと、オブジェは一週間前と同じネックレスをつけていた。
そして私の注文に対する返答も、「今日は終わりました」だった。
その翌週も、そのまた翌週も、同じことが繰り返された。
その間、店内に掲示されたフレーバー①も②も、次々と新しくなっていった。
週を追うごとに日差しは強くなり、気温は高くなった。
ソフトクリームへの思いも、日差しや気温と同様、強く、高くなっていった。
ある日、お決まりとなりつつあった3点セット、
ネックレス付きオブジェと注文と「終わりました」を繰り返した後、店員さんに尋ねた。
「一体全体、何時に来ればソフトクリームがいただけるのでしょうか?」
「金曜日は早めに終わるんです。木曜日までに来てください」
「非常勤なので、担当する授業のある金曜だけ、片道2時間かけて来ているんです。
他の曜日には来ることが出来ません。どうか私を哀れんでください」
「3時までに来てください」
「わかりました」
・・・とはいったものの、万が一のことを考えると、
3時より前、つまり授業開始前に冷たいものを食べるだけの自信を持てる日は少ない。
そんなわけで、社会人になって以降守り通してきた唯一のことが、このところあまり守れていない。
子どもの頃、何人かの大人たちからそう言われた。
社会人になって以降、守り通そうとしていることが一つだけある。
それは、
『ソフトクリームのオブジェを見たら、必ずその場で食べる』
店先で、巨大なソフトクリームのオブジェを時折見かける。
「当店ではソフトクリームを扱っています」という意味の、高さ1m弱のプラスチック製の置物だ。
あれを見たら、必ずその場でソフトクリームを買い、その場で食べる。
しかも、雨降りの日以外は店内で食べるのは禁止。
あくまでも屋外で風に吹かれながら食べてこそのソフトクリームだ。
簡単そうに見えて、実際にこれを守り通すのは、難しい。
まず、寒いとき、これは辛い。
そして、さっき食べたばっかりのとき、これはもっと辛い、と言うより、無理。
更に、体調の優れないとき、これも絶対無理。
自らの肉体のメンテナンスは欠かせない。
これに加え、気温やタイミングなど、運も重要な要素となる。
大学の学食には、ソフトクリームのオブジェがある。
つまり、ソフトクリームを扱っている。
バニラ、フレーバー①、バニラとフレーバー①のミックス、フレーバー②の四種類があり、
フレーバー①はおよそ1、2週間で、フレーバー②は気まぐれに入れ替わる。
大学に通い始めて間もないある日、授業を終えてから学食に向かった。
学食の前にはオブジェが出ている。
フレーバーは何だろう、と胸躍らせて近付いてみると、
オブジェはネックレスをつけている。
ペンダントトップ部分は小さな看板になっており、
「今日のアイスは終了しました」
とある。
一瞬、立ち止まった。しかし、
「終了したのはアイスであって、ソフトではない」と気を取り直して店に入った。
ソフトクリームを注文すると、「今日は終わりました」との答えが返ってきた。
翌週、授業終了後に学食に行くと、オブジェは一週間前と同じネックレスをつけていた。
そして私の注文に対する返答も、「今日は終わりました」だった。
その翌週も、そのまた翌週も、同じことが繰り返された。
その間、店内に掲示されたフレーバー①も②も、次々と新しくなっていった。
週を追うごとに日差しは強くなり、気温は高くなった。
ソフトクリームへの思いも、日差しや気温と同様、強く、高くなっていった。
ある日、お決まりとなりつつあった3点セット、
ネックレス付きオブジェと注文と「終わりました」を繰り返した後、店員さんに尋ねた。
「一体全体、何時に来ればソフトクリームがいただけるのでしょうか?」
「金曜日は早めに終わるんです。木曜日までに来てください」
「非常勤なので、担当する授業のある金曜だけ、片道2時間かけて来ているんです。
他の曜日には来ることが出来ません。どうか私を哀れんでください」
「3時までに来てください」
「わかりました」
・・・とはいったものの、万が一のことを考えると、
3時より前、つまり授業開始前に冷たいものを食べるだけの自信を持てる日は少ない。
そんなわけで、社会人になって以降守り通してきた唯一のことが、このところあまり守れていない。
2011年5月7日土曜日
カイワレバジル
ちょうど去年の今頃、バジルの種を母からもらった。
区役所のお祭りでもらったけど自分で育てるつもりはない、とのこと。
私は植物の育て方を心得ていない。
そのうえ、種の入った袋には説明書など一切ついていない。
ともかく植木鉢に全部蒔いた。
毎朝水をやっては、
「早く芽を出せ、バジルの種」と声を掛けてみた。
一週間後、一斉に芽を出した。
そして背が伸びていった。
まるでカイワレ大根のようだ。
いや、どう見てもカイワレ大根だ。
そもそも、バジルではなく、カイワレの種だったのではないか?
それとも、芽を出すまでの一週間で、自主的に遺伝子を組み替えてカイワレになったのか?
それほどまでに植物界ではカイワレへの憧れが強いのか?
毎朝の声掛けが、
「あなた方は、バジルですか?それともカイワレですか?」という問いかけに変わった。
するとある朝、
「私達はバジルです。カイワレではありません。バジルになりたいんです!」
という声が・・・聞こえてはいないが、そんな気がした。
しかし、相変わらず見た目はカイワレのまま。
その時ふと、かつて聞いた話を思い出した。
ある偉い理事と一緒に、神社の境内で日向ぼっこをしながらお弁当を食べていた時のこと。
「植物を育てるために必要なのは、思いっきりだ。
『間引き』なしには、植物は育たない。
顔を出した沢山の芽は、どれも等しく可能性を持っている。
たとえ一つだけでも、その可能性を摘み取ってしまうのは心苦しい。
しかし、最終的に実りを望むならば、一つだけを選び、他を摘み取らねばならない。
そうしないと結局は、全ての芽が、可能性が、実ることなく枯れてしまう」
そうか、間引きか!
沢山芽が出たからといって、いつまでも狭い植木鉢の中で押し合いへし合いさせていては、自分達同士で成長の邪魔をしてしまうんだ。
早速ハサミを用意して、一つだけを選び、他を摘み取ろうとした。
かの偉い理事の言葉通り、心苦しさを感じた。
「せっかく芽を出したのに、若いうちに摘んでしまってごめんね。
でも、あなた達チームとして、立派な大人のバジルに育つためなの。
今日のお昼のサラダは、カイワレバジルのトッピングだよ」
そして、思い切って、生まれてはじめて『間引き』をした。
翌朝、植木鉢にはバジルがいた。
未だ痩せっぽちだけれど、もうカイワレではなかった。
3日後には、もう、誰が見てもバジルと分かる姿になり、
去年ひと夏、折に触れて食卓を彩ってくれた。
カイワレバジルは、命懸けで教えてくれた。
可能性は、全てを永遠に温存し続けることは出来ないと。
しかるべき時機が来たら、その中から一つを選び、他を捨てるだけの思いっきりが必要であると。
そして、自ら取捨選択した決断をその後も背負ってこそ、開花し、実りがあるものだと。
あの日のサラダは、見た目にはカイワレがのっているようだった。
口に運ぶと、若々しいバジルの香りがした。
区役所のお祭りでもらったけど自分で育てるつもりはない、とのこと。
私は植物の育て方を心得ていない。
そのうえ、種の入った袋には説明書など一切ついていない。
ともかく植木鉢に全部蒔いた。
毎朝水をやっては、
「早く芽を出せ、バジルの種」と声を掛けてみた。
一週間後、一斉に芽を出した。
そして背が伸びていった。
まるでカイワレ大根のようだ。
いや、どう見てもカイワレ大根だ。
そもそも、バジルではなく、カイワレの種だったのではないか?
それとも、芽を出すまでの一週間で、自主的に遺伝子を組み替えてカイワレになったのか?
それほどまでに植物界ではカイワレへの憧れが強いのか?
毎朝の声掛けが、
「あなた方は、バジルですか?それともカイワレですか?」という問いかけに変わった。
するとある朝、
「私達はバジルです。カイワレではありません。バジルになりたいんです!」
という声が・・・聞こえてはいないが、そんな気がした。
しかし、相変わらず見た目はカイワレのまま。
その時ふと、かつて聞いた話を思い出した。
ある偉い理事と一緒に、神社の境内で日向ぼっこをしながらお弁当を食べていた時のこと。
「植物を育てるために必要なのは、思いっきりだ。
『間引き』なしには、植物は育たない。
顔を出した沢山の芽は、どれも等しく可能性を持っている。
たとえ一つだけでも、その可能性を摘み取ってしまうのは心苦しい。
しかし、最終的に実りを望むならば、一つだけを選び、他を摘み取らねばならない。
そうしないと結局は、全ての芽が、可能性が、実ることなく枯れてしまう」
そうか、間引きか!
沢山芽が出たからといって、いつまでも狭い植木鉢の中で押し合いへし合いさせていては、自分達同士で成長の邪魔をしてしまうんだ。
早速ハサミを用意して、一つだけを選び、他を摘み取ろうとした。
かの偉い理事の言葉通り、心苦しさを感じた。
「せっかく芽を出したのに、若いうちに摘んでしまってごめんね。
でも、あなた達チームとして、立派な大人のバジルに育つためなの。
今日のお昼のサラダは、カイワレバジルのトッピングだよ」
そして、思い切って、生まれてはじめて『間引き』をした。
翌朝、植木鉢にはバジルがいた。
未だ痩せっぽちだけれど、もうカイワレではなかった。
3日後には、もう、誰が見てもバジルと分かる姿になり、
去年ひと夏、折に触れて食卓を彩ってくれた。
カイワレバジルは、命懸けで教えてくれた。
可能性は、全てを永遠に温存し続けることは出来ないと。
しかるべき時機が来たら、その中から一つを選び、他を捨てるだけの思いっきりが必要であると。
そして、自ら取捨選択した決断をその後も背負ってこそ、開花し、実りがあるものだと。
あの日のサラダは、見た目にはカイワレがのっているようだった。
口に運ぶと、若々しいバジルの香りがした。
2011年5月4日水曜日
あなた美しいわね!
散歩していたら、通りすがりのご婦人と目が合った。
互いに軽く微笑みを交わすと、
「あなた美しいわね!」と声を掛けてくれた。
「嬉しい!!(もっと褒めて!あと3回)」
心の中でおねだりしてみた。
・・・ん?
そういえば、このところ、時折こんな風に声を掛けられる。
しかし、(1)私は自分の容姿を十人並みと評価している。
更に、(2)往々にして私の自己評価は他人からの評価よりも高いらしい。
これら(1)(2)をあわせると、他人から見たら十人並み以下らしい、ということになる。
そんな私に、時折「あなた美しいわね!」と声が掛かる。
しかも、キャッチセールスでもなければ、新興宗教のお誘いでもない。
私を褒めちぎったところで、これといった利益が生じるわけでもない、
そんな、謂わば純朴な普通の大人のご婦人が、下心なく声を掛けてくださるのだ。
美しい人、というと思い出すことがある。
彼女はパジャマの上にガウンを羽織ったままの姿で、
愛する夫と息子(と半ば居候の私)に美味しい朝食をたっぷり摂らせ、
肉食獣(彼女は、夫と息子が食事をする時だけそう呼んでいる)を職場に送り出した。
ほっと一息ついてお茶を飲みながら、
「今日は天気が良くなりそうね」と窓の外に眼をやった。
そのとき、
あまりの美しさに圧倒された。
彼女の瞳の中には、愛と希望が確かに感じられた。
美しさとは、
生活に根ざした愛と希望が握手をするときに発生するエネルギーのようなものなのだろうか。
仮にそうとしたとき、
これまで「美しい」と声を掛けてくれたご婦人方は、
私の中に、愛と希望を感じ取ってくれた、ということになる。
今日声を掛けてくれたご婦人には、私の心の声が聞こえたのだろうか、
しばしの立ち話の合間合間に、
「やっぱり美しいわ」
「見ていて気分がいいわ」
「素敵よ」
と、本当にあと3回、爽やかに褒めてくれた。
その潔いまでのの褒めっぷりは、彼女の生き方そのものを映しているのだろう、
実に美しく感じられた。
私も人の美しさを感じ取れる感性を持っていたい。
そしてそのときには臆することなく、
「あなた美しいわね!」
と声を掛けられる大人になりたい。
互いに軽く微笑みを交わすと、
「あなた美しいわね!」と声を掛けてくれた。
「嬉しい!!(もっと褒めて!あと3回)」
心の中でおねだりしてみた。
・・・ん?
そういえば、このところ、時折こんな風に声を掛けられる。
しかし、(1)私は自分の容姿を十人並みと評価している。
更に、(2)往々にして私の自己評価は他人からの評価よりも高いらしい。
これら(1)(2)をあわせると、他人から見たら十人並み以下らしい、ということになる。
そんな私に、時折「あなた美しいわね!」と声が掛かる。
しかも、キャッチセールスでもなければ、新興宗教のお誘いでもない。
私を褒めちぎったところで、これといった利益が生じるわけでもない、
そんな、謂わば純朴な普通の大人のご婦人が、下心なく声を掛けてくださるのだ。
美しい人、というと思い出すことがある。
彼女はパジャマの上にガウンを羽織ったままの姿で、
愛する夫と息子(と半ば居候の私)に美味しい朝食をたっぷり摂らせ、
肉食獣(彼女は、夫と息子が食事をする時だけそう呼んでいる)を職場に送り出した。
ほっと一息ついてお茶を飲みながら、
「今日は天気が良くなりそうね」と窓の外に眼をやった。
そのとき、
あまりの美しさに圧倒された。
彼女の瞳の中には、愛と希望が確かに感じられた。
美しさとは、
生活に根ざした愛と希望が握手をするときに発生するエネルギーのようなものなのだろうか。
仮にそうとしたとき、
これまで「美しい」と声を掛けてくれたご婦人方は、
私の中に、愛と希望を感じ取ってくれた、ということになる。
今日声を掛けてくれたご婦人には、私の心の声が聞こえたのだろうか、
しばしの立ち話の合間合間に、
「やっぱり美しいわ」
「見ていて気分がいいわ」
「素敵よ」
と、本当にあと3回、爽やかに褒めてくれた。
その潔いまでのの褒めっぷりは、彼女の生き方そのものを映しているのだろう、
実に美しく感じられた。
私も人の美しさを感じ取れる感性を持っていたい。
そしてそのときには臆することなく、
「あなた美しいわね!」
と声を掛けられる大人になりたい。
2011年5月3日火曜日
非常勤講師
大学からはじめて仕事のオファーをいただいたころのこと。
『非常勤講師』: 非常事態に対応すべく勤務する講師
きっと今、大学は非常事態の大ピンチなのだろう。
もう、こうなったら、最後の手段だ、とばかりに
スーパーマンを呼ぶべく「Help!」と叫ぶように
バットマンを呼ぶべく、バットシグナルを出すように
アンパンマンを呼ぶべく、・・・(勉強不足でアンパンマンの呼び出し方を知らないけれど、)
この私に声が掛かったのだ。
「我らの大学を救えるのは、あなたしかいません」と。
私は正義の味方のヒーローに変身する必要がある。
どうしたら変身できるのか。
彼等の共通点は、割れた腹筋だ。
スーパーマンも、バットマンも、割れている、たぶん。
アンパンマンは例外かもしれない。でも、丸顔の割りに体は締まっている。
仮面ライダーもウルトラマンも割れている。
そうだ、腹筋を割ろう。
スポーツジムに入会し、毎晩筋トレを続けていると、ジムのトレーナーから声を掛けられた。
「熱心ですね」
「ええ、何だか明日辺り、腹筋が割れそうな気がします。バリッと大きな音がしたらゴメンナサイ」
「腹筋は割れても音はしませんよ、ご心配なく」
蓮の花は咲くときにポンッと音がするらしいが、腹筋は割れても音はしないの?
ちょっと、がっかり。
いずれにせよ、健康な肉体を維持し、健全な精神をもって、教育という奉仕活動をしよう。
大学の直面する大ピンチを救うために
常勤の先生方では対応できないほどの大ピンチを救うために
非常勤の私が必要とされているのだから!
あれれ?
常勤、非常勤って
常勤の先生でないから、『非・常勤講師』だったの?
『非常(事態に対応すべく)勤(務する)講師』じゃなかったの?
私は正義の味方のヒーローとして呼ばれたんじゃなかったの?
まあ、まあ、いずれにせよ、
これからも健康な肉体を維持し、健全な精神をもって、教育という奉仕活動を続けよう。
今、大学は大ピンチに直面していないかもしれないけれど、
いざ!というときには、日頃の小さな積み重ねが物を言う。
だからやっぱり体は鍛え続けよう。
この春、きっと多くの人たちが特別に複雑な思いを抱えているであろう、
そんなこの春も、可愛い一年生たちが来てくれた。
さあ、大学生活を、数学を、人生を、一緒に楽しもう!
今、あなた方は大大大ピンチには直面していないかもしれないけれど
いざ!となる前の小さな兆候に気付くことができるように、
そしてそんな時、ほんのチョッピリでも力になれるように、
日頃から、大学生活を、数学を、人生を、私自身が楽しめるだけの心身の体力をつけておこう。
『非常勤講師』: 非常事態に対応すべく勤務する講師
きっと今、大学は非常事態の大ピンチなのだろう。
もう、こうなったら、最後の手段だ、とばかりに
スーパーマンを呼ぶべく「Help!」と叫ぶように
バットマンを呼ぶべく、バットシグナルを出すように
アンパンマンを呼ぶべく、・・・(勉強不足でアンパンマンの呼び出し方を知らないけれど、)
この私に声が掛かったのだ。
「我らの大学を救えるのは、あなたしかいません」と。
私は正義の味方のヒーローに変身する必要がある。
どうしたら変身できるのか。
彼等の共通点は、割れた腹筋だ。
スーパーマンも、バットマンも、割れている、たぶん。
アンパンマンは例外かもしれない。でも、丸顔の割りに体は締まっている。
仮面ライダーもウルトラマンも割れている。
そうだ、腹筋を割ろう。
スポーツジムに入会し、毎晩筋トレを続けていると、ジムのトレーナーから声を掛けられた。
「熱心ですね」
「ええ、何だか明日辺り、腹筋が割れそうな気がします。バリッと大きな音がしたらゴメンナサイ」
「腹筋は割れても音はしませんよ、ご心配なく」
蓮の花は咲くときにポンッと音がするらしいが、腹筋は割れても音はしないの?
ちょっと、がっかり。
いずれにせよ、健康な肉体を維持し、健全な精神をもって、教育という奉仕活動をしよう。
大学の直面する大ピンチを救うために
常勤の先生方では対応できないほどの大ピンチを救うために
非常勤の私が必要とされているのだから!
あれれ?
常勤、非常勤って
常勤の先生でないから、『非・常勤講師』だったの?
『非常(事態に対応すべく)勤(務する)講師』じゃなかったの?
私は正義の味方のヒーローとして呼ばれたんじゃなかったの?
まあ、まあ、いずれにせよ、
これからも健康な肉体を維持し、健全な精神をもって、教育という奉仕活動を続けよう。
今、大学は大ピンチに直面していないかもしれないけれど、
いざ!というときには、日頃の小さな積み重ねが物を言う。
だからやっぱり体は鍛え続けよう。
この春、きっと多くの人たちが特別に複雑な思いを抱えているであろう、
そんなこの春も、可愛い一年生たちが来てくれた。
さあ、大学生活を、数学を、人生を、一緒に楽しもう!
今、あなた方は大大大ピンチには直面していないかもしれないけれど
いざ!となる前の小さな兆候に気付くことができるように、
そしてそんな時、ほんのチョッピリでも力になれるように、
日頃から、大学生活を、数学を、人生を、私自身が楽しめるだけの心身の体力をつけておこう。
干し芋干し器
『乾物ネット』『干しかご』などの名称で市販されている便利グッズがある。
ベランダで乾物を作るための道具だ。
100円ショップで買ったメッシュかごに手を加え、その小型版を作ったのが2ヶ月ほど前のこと。
名付けて、『干し芋干し器』
当初は、その名の通り干し芋ばかり作っていた。
そして分かったことは、
芋は、干すと縮む
ナマの時も、蒸かした時も、あんなに立派だったお芋が・・・
売っている干し芋は、ナマの時、一体どれくらい大きいのだろう?
かつては、干し芋の値段が高い!と思っていた。
しかし、この縮み具合を目の当たりにして、
干し芋は安い!に鞍替えした。
そして昨日、干し芋干し器に、はじめて芋以外のものを、千切り大根を干した。
朝、ベランダに干して、
夜、取りこんだ。
切り干し大根のにおいがした。
でも、見えない。
切り干し大根は、どこ?
部屋の明かりをつけて、良く見ると・・・あった。確かに、あった。
干し芋干し器のメッシュにへばりつくように、
メッシュと区別がつかないような姿になって、確かに干した場所にあった。
そして、分かったことは、
千切り大根は、干すと、恐ろしく縮む
ナマの時は、あんなに立派だった大根が・・・
千切りにしたら、ドンブリから溢れんばかりの勢いを誇っていた、あの大根が・・・
売っている切り干し大根一袋のために、一体どれくらいの大根を千切りするのだろう?
かつては、切り干し大根の値段が高い!と思っていた。
しかし、この恐ろしい縮み具合を目の当たりにして、
切り干し大根はとっても安い!に鞍替えした。
ベランダで乾物を作るための道具だ。
100円ショップで買ったメッシュかごに手を加え、その小型版を作ったのが2ヶ月ほど前のこと。
名付けて、『干し芋干し器』
当初は、その名の通り干し芋ばかり作っていた。
そして分かったことは、
芋は、干すと縮む
ナマの時も、蒸かした時も、あんなに立派だったお芋が・・・
売っている干し芋は、ナマの時、一体どれくらい大きいのだろう?
かつては、干し芋の値段が高い!と思っていた。
しかし、この縮み具合を目の当たりにして、
干し芋は安い!に鞍替えした。
そして昨日、干し芋干し器に、はじめて芋以外のものを、千切り大根を干した。
朝、ベランダに干して、
夜、取りこんだ。
切り干し大根のにおいがした。
でも、見えない。
切り干し大根は、どこ?
部屋の明かりをつけて、良く見ると・・・あった。確かに、あった。
干し芋干し器のメッシュにへばりつくように、
メッシュと区別がつかないような姿になって、確かに干した場所にあった。
そして、分かったことは、
千切り大根は、干すと、恐ろしく縮む
ナマの時は、あんなに立派だった大根が・・・
千切りにしたら、ドンブリから溢れんばかりの勢いを誇っていた、あの大根が・・・
売っている切り干し大根一袋のために、一体どれくらいの大根を千切りするのだろう?
かつては、切り干し大根の値段が高い!と思っていた。
しかし、この恐ろしい縮み具合を目の当たりにして、
切り干し大根はとっても安い!に鞍替えした。
2011年5月1日日曜日
なぜ?の記憶
昨日ここで、「なぜ?」と3回畳み掛けた。
そうしたら、また別の「なぜ?」の記憶がよみがえってきた。
上司の不在時に来客があったことを伝えた。
「先ほど、○鹿さまがお見えになりました」
「どんな漢字?」
「○×の○に、ウマとかシカとかの鹿です」
「!」
なぜ、「動物の鹿」と言わずに、
せめて、「『鹿にもみじ』の鹿」と言うこともできたのに、
なぜ、よりによって、
なぜ、ウマとかシカとかの鹿・・・馬とか鹿とかの鹿・・・と例を挙げてしまったのか?
この「なぜ?」は、家族によって即時解明された。
「それは、お前がウマとかシカとかだからだよ」
そうしたら、また別の「なぜ?」の記憶がよみがえってきた。
上司の不在時に来客があったことを伝えた。
「先ほど、○鹿さまがお見えになりました」
「どんな漢字?」
「○×の○に、ウマとかシカとかの鹿です」
「!」
なぜ、「動物の鹿」と言わずに、
せめて、「『鹿にもみじ』の鹿」と言うこともできたのに、
なぜ、よりによって、
なぜ、ウマとかシカとかの鹿・・・馬とか鹿とかの鹿・・・と例を挙げてしまったのか?
この「なぜ?」は、家族によって即時解明された。
「それは、お前がウマとかシカとかだからだよ」
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