2011年10月31日月曜日

ラブレター用のペン

「これは、ラブレター用のペンだよ」
二十歳の誕生日に、当時私のお兄さん的存在だった方が、万年筆をプレゼントしてくれた。
素直な私は、ほんのチョッピリの試し書きさえも、ラブレターらしくした。

 親愛なる私へ
 I LOVE 私。
   愛を込めて
      私より

そして、いつか誰かにラブレターを書くその日まで、と、大切に大切に、引き出しにしまい込んだ。

何年か経ったある日、引出しの整理をしていると、ラブレター用のペンが出てきた。
活躍する機会を見つけられぬまま、引出しの奥深くで、ヒッソリと長い間眠っていたそのペンで、
試しに、ぐるぐると書いてみた。
インクが内部で固まって出てこなかった。

ペン先を水に浸したり、洗い流したり、アレコレ試しているうちに、インクの通り道が出来た。
ぐるぐる書いてみたら、書けた。
自分の名前も、書けた。
住所も、電話番号も、「あいうえお」も、「賀正」も、「暑中見舞い」も、何でも書けた。

せっかく再開したインクの通り道が、再び塞がることのないように、
毎日少しずつでも、ラブレター用のペンを使って何か書こう。

とりあえず、ラブレター用のペンで、頻繁に書くものの代表格・お小遣い帳をつけ始めた。
ほどなく、新しい仕事のオファーが来た。
給与をはじめ諸々の条件が、それまでより良いものだった。

意図してはいなかったものの、ラブレター用のペンでお小遣い帳をつけることにより、
結果的に、私はお金にラブレターを書いていたのだろうか。
そして、その想いが通じたのだろうか。

当時、疎遠になっていた恩人に、ラブレター用のペンで手紙を書いた。
「休暇でも取って、泊まりに来なさい」とご自宅に招待され、今でも交流は続いている。

チラシの裏に、ラブレター用のペンでらくがきをした。
「一人暮らしでも、してみようかなー。ぐるぐるパー」
何の当てもなく、ただ何となく思いつきで書いただけだった。
間もなく、思いがけず色々と状況に変化が生じ、あれよあれよと言う間に実家を出た。

もしかして、もしかすると、
これは、本当にラブレター用のペンなのだろうか。

いつか、このペンで本当にラブレターを書く日が来るとしたら、
どんな時、どんな相手に、どんなことを書くのだろう。
そして、その先、どんなことがあるのだろう。

2011年10月27日木曜日

希望

私はこの言葉を、次のように定義している。

困難な状況において、解決策が見出せずにいる時も、
肩肘張らずにフツーの生活を送りながら、
「いつかどこかで出口を見つけられる」と信じ続けること。

たとえ、ハンカチを忘れても、お財布を忘れても、宿題を忘れることがあったとしても、
これだけは、いつでも忘れずに携えていよう。

2011年10月24日月曜日

尊敬する人

とても尊敬する人がいる。
人柄の素晴らしさもさることながら、
エネルギッシュな彼からは、常に物凄いパワーが発生している。
しばらく近くにいるだけでも、私の内部に何かがチャージされた感じがする。

一体、何を食べたら、こんなパワーが発生するのだろう?

仕事の後、関係者皆でおすし屋さんに入った。
ネタと味の良さに加え、盛りが良くて有名な店らしい。
確かに、とってもおいしかった。
また、確かに、盛りが良かった。否、良すぎた。

文字通り「すし詰め」になったお腹を抱え、列車に乗った。
2時間半ほどの帰り道、目からご飯粒があふれ出そうだった。

尊敬する人は、私と同じメニューだった。
「これくらい、普通ですよ」と言っていた。

あの強烈なパワーは、
「何を」ではなく、「どれだけ」食べるか、によって発生するようだ。

2011年10月20日木曜日

誰か・・・

良く熟れた果物が、「見切り品」という名札をつけて、安価に、かつ大量に手に入ったとき、
あるいは、
曲がったキュウリなど、見てくれの宜しくない野菜が、格安で入手できたとき、
料理の苦手な私が、嬉々として台所に立つ。

前者ではジャムを、後者ではピクルスを作る。
いずれも、手間の掛かる話ではない。
大量の材料を水洗いさえすれば、殆ど出来上がったようなものだ。

詰めるものをビンに詰めたら、アツアツのうちに蓋を閉める。
温度が下がるに従って、中身の圧力も低下し、蓋は独りでにギュッと閉まる。
ギュッと閉まった蓋の上面が、僅かに凹んでいるのを、指で触って確認するのが好きだ。

しかし、ここで問題が生じる。

ギュッと閉まった蓋は、開かない。
頑張っても、開かない。
翌日、再トライしても、開かない。

そんな時、
ビンの蓋開け器、という秘密兵器を登場させると、大抵の場合、こちらが勝利を収める。

ところが、ここ一ヶ月ほど、格闘し続けても負かすことができずにいるビンが2つある。
毎日毎日、朝に晩に、見るたび、秘密兵器にご登場願っては開封を試みるものの、
ギュッと閉まったビンの蓋の決意は固く、開く気配は、ない。
一方、それに挑む私は、脆くも諦めムードになってきた。

誰か握力の強い方が、我が城に立ち寄ってくれないものだろうか。

2011年10月17日月曜日

ぎんなん

ついに今年もこの季節が来た。

これまでに私の住んだ地域、
引っ越した先、
学校の近く、
職場の近く、
どういうわけか、必ず立派なイチョウの木が沢山ある。

自称「犬の10分の1の嗅覚を持つ人間」である私にとって、
暑くなく寒くなく、カラリとした爽やかな日の多い、気候の上では最高のこの季節、
おもてに出るのが、ちょっと辛い。

その一方で、
あとは食べるばっかりに処理されたギンナンは、大好きだ。
ちょっと炒って、熱くなった殻を歯で割って、磨き上げた宝石のような中身にお目にかかると、
「ああ、今年もこの季節を迎えることができた」と、つくづく幸福を感じる。

そもそも、
イチョウの木からボトリと落ちてきた、あのギンナンを「口に入れてみよう!」と、
世界で最初にチャレンジした人を、尊敬し、感謝する。
その人の勇敢な挑戦なしには、今の私の幸福はありえない。

あの臭い部分を取り去る技を確立すべく、試行錯誤を重ねた歴代のチャレンジャーたちも、
深く尊敬し、感謝する。
彼らの、血のにじむような、否、鼻の曲がるような努力なしには、今の私の幸福はありえない。

そして、大きくて立派なギンナンを、あとは食べるばっかりに処理してから、
「確か、あんた好きだったわよね」と、毎年プレゼントしてくださる、あの方も、
深く尊敬し、心から感謝している。
彼女という偉大なる存在なしには、今の私の幸福はありえない。

2011年10月13日木曜日

「先生」と呼ばれる職業

「『先生』と呼ばれる職業なんぞに就くもんじゃない。
そんな風に持ち上げられて、いい気になっていたら、
お前みたいなお調子者は、ふんぞり返っているうちに、
人間として落ちぶれていくだけだ」

昔々、いつのことだか、誰からだったか、忘れてしまったが、
何しろ、そう言われたことがある。
その時、「これはビンゴに違いない!」と直感的に確信を持った。

「先生」と呼ばれて持ち上げられても、ビクともしないような器の大きな人だけが、
「先生」と呼ばれる職業に就く資格を持つ。
そして、小さい頃からお調子者の私には、間違いなく、その資格は無い。

だからこそ、ずっと、その手の職業には、一切近付かないように心掛けてきた。
教員、医師、弁護士、美容師、代議士、芸術家・・・
これらは、私にとって「絶対に就いてはいけない職業」として、
深く深く、胸に刻み付けられている。

ところが数年前から、非常勤(*)とはいえ、大学で授業を担当するようになった。
授業中は、学生さんたちから「先生」と呼ばれる。
事務室に行っても、「先生」と呼ばれる。
会議に出れば、偉い偉い大学の先生方からも、「先生」と呼ばれる。

ああ、もうダメだ!
私はこのまま、人間として落ちぶれてしまう!!

非常勤一年生のころ、大学に行くたび、ドキドキして、不安でたまらなかった。

さて、現在、
「先生」と呼ばれて持ち上げられても、ビクともしないような、器の大きな人に成長したか?
・・・正直、そんな大きな器への道のりは、遥か彼方、途方も無く遠い。
お調子者でなくなったか?
これまた子どもの頃に輪を掛けて、お調子者度120%だ。

しかし同時に、ふんぞり返っている余裕も無い。
実は、落ちる心配も無いくらいに低いところで、もがいているのが現実のようだ。

思い起こせば、これまで、
学生さん達のお蔭で学ばせてもらうことが、どれほど沢山あったろう。
授業を手伝ってくれるTAの大学院生にも、教えてもらうことばかりだ。
先生方には、いつも暖かく見守られ、折に触れて心に沁みる助言をいただいている。
そして、事務室の皆さんには、お世話になりっぱなしだ。
(手の掛かる講師でスミマセン!)

結局、誰にも頭が上がらない。
「先生」なんて、ただの便宜的な呼びかけだけだったんだ、
ということに、最近やっと気付いた。

さて、明日は授業だ。

受講生の皆さん、TAの院生さん、
私は、あなた方の手本になれるほどの器でもなければ、
あなた方に何か教えを授けるほどの器でもありません。
ただ、
あなた方から、そしてあなた方との関わりから、
私自身が多くを学ばせてもらっていることだけは本当です。

こうして自分が必死で学び続けること、それだけが、
今の私にとって、「先生」と呼ばれることに対して報いることのできる最大限なのです。

2011年10月10日月曜日

ささくれ

昔々、中学校に入学した翌日のこと。

休み時間中、あちこち飛んで回っていると、始業のチャイムが鳴った。
入学式で、「チャイムが鳴ったときには着席しているように」との注意があったことを思い出した。
先生が教室に向かって歩いて来るのが見えた。
廊下を全力疾走し、先生より先に教室に入った。
しかし、車と同様、全力疾走する私も急には止まれなかった。
机に激突し、足を骨折した。
「廊下を走ってはいけません」と言われるわけを、このとき痛感した。


その何週間か後、右足からギプスを外してもらった翌日のこと。

軽くなった足を試しに使ってみようと、学校中を跳ねて回った。
階段があったので、四階から駆け下りてみた。
一段抜かしをした。
   ちょろい、ちょろい。
次は、二段抜かし。
   余裕。
三段、四段、・・・と抜かしていくうちに、すっかり気分は高揚した。
「えーい、いっそのこと、踊り場から一気に飛んでやる!」
と思いついたのは、二階と一階の間の、最後の踊り場で、足を踏み切る瞬間だった。
ふわりと宙に浮いたその時、
校舎は天井が高いこと、特に二階と一階の間の最後の階段は長いことに、初めて気付いた。
コンクリートの床にたたきつけられ、同じ場所をもう一度骨折した。
「調子に乗ってはいけません」と言われるわけを、このとき痛感した。


二度目の骨折をした晩、父が言った。
「一番の親不孝は、親に葬式を出させることだ。
二番目の親不孝は、病気や怪我をすることだ」
私は二番目の親不孝を、一ヶ月足らずのうちに、二度もしてしまった。


つい最近、手にささくれが出来た。
爪切りを取りに立つのが面倒で、食事のあと、お茶を飲みながら、ささくれをいじっていた。
「痛い!」
いじっているうちに、剥いてしまった。
1mm2にも満たない小さな小さな部分が、私という全存在を脅かすほどの勢いで主張した。
「ささくれは親不孝の印」と言われるわけを、このとき痛感した。

これからは、もっともっと自分の体を愛しみ、大切に使ってあげよう。
健やかであることこそが、最大の親孝行であり、同時に自分孝行でもあるのだから。

2011年10月7日金曜日

理想の男性像

シャツの裾を、ズボンの中にしっかり入れている人

2011年10月6日木曜日

写真、よろしいですか?

昨日のブログを読み返して、思い出した。
ネイルサロンでのモデル初体験のほかにも、「写真、よろしいですか?」と聞かれたことがある。

かつて携わっていたプロジェクトは、とてもオカタイ内容であった。
しかしある年、何故か、その活動を、何と、あの東京モーターショーで小間展示した。
片隅で、ヒッソリと、目立たず、ではあったが、確かにあの華やかな会場内にブースが設けられた。

当然ながら、無人ブースというわけには行かない。
留守番が要る。
私も会期中の二、三日、説明員の名札をつけて、ブースの留守番に借り出された。
会場の華やいだ雰囲気を全く無視したかのような、四角四面のスーツに身を包んだ私は、
会場の片隅のブースの、そのまた片隅で、ヒッソリと、目立たないように、立っていた。

展示されたモノは、
私よりも背の高い、白くて大きな四角い箱や、
黒くて円筒形の重たい塊、
それに、黒っぽくて大きくて重たい箱などだった。
会場の雰囲気を全く無視したかのような、四角四面のブースだった。

「難しい質問をされませんように」と祈っていると、一人のビジネスマンらしき紳士が近付いてきた。
「すみません、写真、よろしいですか?」と手に持ったカメラを少し持ち上げ、
爽やかな笑顔で、白くて大きな四角い箱を指し示した。
「どうぞ、どうぞ、360度どこからでも、遠慮なく撮ってください!」
彼は嬉しそうに箱を眺め回し、数枚の写真を撮り、去って行った。

爽やかな笑顔を見られるかどうかは別として、
こんなことは、ブースの留守番をしていると、よくある。

今度は、大学院生らしき青年三人組が来た。
そのうちの一人が歩み出て、私に声を掛けた。
「あの、写真、よろしいですか?」
「もちろんです!どうぞ好きなだけ」
すると彼は、持っていたカメラを友人の一人に手渡し、私の隣に立った。
「写真って、私の・・・ですか?」
「すみません。お嫌なら、無理に、とは申しません」
むげに断ってしまうには、あまりにも誠意が感じられた。
若い男の子と地味な私の二人は、地味な展示物を背景に、一枚の写真に納まった。
「本当に、どうもありがとうございました」
彼は写りを確認すると、丁寧に、少し照れくさそうに挨拶をして、仲間と一緒に去って行った。

三人の背中を見送りながら、つくづく不思議に思った。

ほんの少し向こうに進めば、プロフェッショナルのモデルさんや、コンパニオンさんが、
華やかで見栄えのする、素敵な衣装に身を包み、
綺麗な顔立ちの上から、更に綺麗にお化粧をして、ポーズをとっている。
人口密度ならぬ、美人口密度がとてつもなく高い場所だ。
背景だって、カッコ良くしつらえてあるのが、ここからでも良く見える。

それなのに、なぜ、よりによって、こんな地味なブースで、こんな地味な私と、並んで写真を撮りたかったのだろうか。
実は、幼い頃に亡くして顔も覚えていない母親の写真の面影と、私の様子に重なるものでもあったのだろうか。
それとも、母親でなく、姉だろうか。
いやいや、もっと別のいきさつが・・・。
名前も知らない青年の人生ドラマを勝手に作りあげたり、打ち消したりした。

あれは、なぜだったのだろう。
今でも、思い出すと不思議になる。

2011年10月5日水曜日

モデル初体験

「写真、よろしいですか?」
ネイルサロンで指先美人にしてもらったら、声を掛けられた。
サロンのブログに載せるために、私の手の写真を撮りたい、とのことだ。

日頃から、ちゃんとハンドクリームを塗っておけば良かった、それに日焼け止めも・・・
今更ながら悔やみつつも、
こんなチャンスは滅多にないので、二つ返事でOKした。

かくして、モデル初体験をした。

「こんな風に、両手を少しずらして重ねてみてください」
「ちょっと丸みを帯びた感じに、指を柔らかくおいてみて」
「そうそう、素敵。可愛らしいですよ」
なんて言われて、すっかりいい気になりながら、
手しか撮られていないのに、笑顔を作ってみたり、髪を整えたりしながら、
15分ほどの撮影会が終わった。

意気揚々と帰宅し、早速パソコンの電源を入れた。

さて・・・?
URLを聞き忘れていたことに気が付いた。

サロンの名前で検索をかけたら、別のサロンばかりがヒットした。
条件に駅名を加えてみたが、それでも何故か、別のサロンばかりがヒットする。
ブログの種類を聞いていたので、それも入れてはみたものの、やはり同じことだった。
一時間ほど、考えられる限りの条件を入れたり変えたりしては検索してみたが、
結局、かかりつけのサロンのブログには行き当たらず、あきらめて寝た。

かくして、自らのモデル初体験の成果物に、いまだお目にかかれていない。