子どもの頃から、後片付けが、あまり得意ではなかった。
周りの大人たちからは、「全く、だらしない・・・」と言われることが少なからずあった、
と記憶している。
しかし、後片付けに対して、決して悪い印象は持っていない。
むしろ、好意的にさえ思っているほどだ。
中学生の頃のこと。
地元の花火大会の翌朝、ランニング目的で近くの河原に行ってみると、
そこはゴミ野原と化していた。
驚きのあまり、しばらく呆然と立ち尽くした。
そして我に返り、「今朝は走らずに、花火大会の後片付けをしよう!」と思い立った。
夜間の外出を禁じられていた当時、花火大会を見に行ったことはなかったが、
お腹に響いてくる音を感じるだけでもワクワクして、何となく楽しかった。
音だけとはいえ、私も楽しんだ花火大会だ。
後片付けとして、楽しんだ音の分だけゴミ拾いをしよう。
ポツリポツリと、何人かの大人たちがゴミ拾いをしている姿が目に入るものの、
とてもじゃないが、この広大なゴミ野原に太刀打ちできる人数ではない。
そこに私一人が加わったところで、変わりはない。
更には、夏休みも始まったこの季節、暑くて昼日中に作業はできないだろう。
日が高くならないうちに、この人数で何をどう頑張っても、
ゴミ野原は相変わらずゴミ野原のままに違いない。
しかし、そんなことはどうでも良かった。
近くに落ちているレジ袋を拾い上げ、作業を開始した。
まるで、見えない誰かに先導されながら、
「ハイ、次はこれ!それから、これ!その次はこっち!」
と指差されては拾い、拾っては袋に入れて、一歩進んでいるような心持ちだった。
すぐに袋はいっぱいになったが、次の袋も、その次の袋も、誂えたように目の前に現れた。
しばらく作業に夢中になっていたら、ちょっと腰を伸ばしたくなった。
立ち上がって後ろを振り返った。
ゴミ野原の中に、ほんの短い距離だったが、緑の芝生の道ができていた。
水前寺清子の気分だった。
「あなたのつけた足跡にゃ、綺麗な花が咲くでしょう」
花こそ咲いてはいないものの、猫の額ほどの面積とはいえ、
そこだけは、ゴミ野原でなく、いつもの河原だった。
少しくたびれてきたし、暑くもなってきた。
気も済んだことだし、この辺で帰ろうか、と思ったその瞬間、
「待って、ここ!あと一つだけ!」
見えない誰かの声が聞こえた・・・わけではないが、そんな気がした。
足元に目をやると、千円札が二枚、落ちていた。
それはまるで、風で飛ばされないように、草の間に挟み込まれているようにも見えた。
「これって、天からのお駄賃なのかしら?」千円札を拾い上げて、日の光に透かし、眺めた。
日常的にお金に触れる機会が少なく、
せいぜい100円玉や10円玉をいくつか机の引出に忍ばせている程度だった当時の私にとって、
二枚の千円札は、天からのお駄賃としてそのままポケットに入れるには、あまりにも高額だった。
眺めているうちに、見つけたのが一億円くらいに思えてきた。
慌てて、交番まで走った。
夏休み中、早朝ランニングをすると決めたこと、
今朝も早起きして、ランニングをしようと家を出たこと、
今朝だけは走るのを諦めて、花火大会の後片付けに切り替えたこと、
そして、この大金を見つけてしまったこと、
何もかも、一部始終を、興奮しながらお巡りさんに説明した。
お巡りさんは、そんな大金を見せつけられても、落ち着いた様子を崩さなかった。
ランニングも、後片付けも、交番に来たことも、一つずつ褒めてくれた。
そして、拾得物届出の手続きを説明してくれた。
翌朝、「今度は3億円くらい見つけてやる!」と勢い込んで、
軍手やゴミ袋の準備まで整え、うんと早くに河原へ急いだ。
するとそこは、もうすっかり片付いて、いつもの河原だった。
誰が?どうやって?魔法みたい。
ランニングのことなど綺麗サッパリ忘れていた私の浅ましい根性を、見透かされた気分だった。
半年ほど後、警察署に赴き、河原で見つけた大金二千円を再び手にした育ち盛りの私は、
仲良しの友人と二人で街に出て、ステーキランチを食べた。
こんなことがあったためだろうか、後片付けに対して、決して悪い印象は持っていない。
むしろ、好意的にさえ思っているほどだ。
そして、不思議なことに、その後も私が後片付けをすると、
何かしら「天からのお駄賃?」と思えることが、毎回ではないが、時に、ある。
ただ、やたらにこんな話をすると、子どもの頃から耳に馴染んだ
「だったら日頃から身の回りを綺麗に片付けておきなさい!」
という家族の声が、今にも聞こえてきそうだ。
2012年2月23日木曜日
2012年2月16日木曜日
トラちゃん
友人の二歳になるお嬢さんが自分の名を呼ぶと、たまに「トラちゃん」と聞こえることがある。
未だ不安定な発音のため、本名と少しばかりズレた結果、こうなる。
時折、彼女は私のことを『ママ』とか『おばあちゃん』とか呼ぶ。
頻繁に呼ぶ名前がつい口を衝いて出るのか、女性の呼び名がこんぐらかるのか、
あるいは、私の名をド忘れするのか、その辺のところは解明できていない。
しかし、小さな子どもの澄み切った良く通る声で、
「ママ、こっち来て一緒に踊ろう!」「おばあちゃん、バナナの絵描いて」なんて言われると、
呼び名が違ったことなどお構いなしで、妙に心弾んでしまう。
そんな彼女と二人で、時の経つのも忘れ、夢中になって遊んでいたときのことだ。
彼女は突然顔を上げて私を見ると、驚いたように「おっ、おっ、おっ」と、小さく声を詰まらせた。
そして私を指差し、「これ、何?」と尋ねた。
「○○さんよ」私は自分の名を答えた。
すると彼女は、安心したとばかりに重ねた両手を胸に当ててニッコリと笑い、
膝を深く曲げながらこう言った。
「トラちゃんね、○○さんと一緒に遊べて、とぉ~っても嬉しい!」
言い終えると同時に、小さく一つ、ピョンッと跳ねた。
たとえ私の名を忘れたとしても、もし他の用件だったなら、
呼び名を省略できたろうし、『ママ』や『おばあちゃん』で済んでしまったかもしれない。
しかし、このセリフばかりは、
どんなに好きな 『ママ』や『おばあちゃん』の呼び名を使っても、代用が効かない。
相手の名前を言わなければ意味が違ってしまうのである。
だからこそ彼女は、それを間違いなく確かめてから、私に気持ちを伝えてくれた。
大好きなトラちゃん、ありがとう。
私も、あなたと共に過ごせたことが、
嬉しくて嬉しくて、嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて、とぉ~っても嬉しい!
また一緒に遊ぼうね。
未だ不安定な発音のため、本名と少しばかりズレた結果、こうなる。
時折、彼女は私のことを『ママ』とか『おばあちゃん』とか呼ぶ。
頻繁に呼ぶ名前がつい口を衝いて出るのか、女性の呼び名がこんぐらかるのか、
あるいは、私の名をド忘れするのか、その辺のところは解明できていない。
しかし、小さな子どもの澄み切った良く通る声で、
「ママ、こっち来て一緒に踊ろう!」「おばあちゃん、バナナの絵描いて」なんて言われると、
呼び名が違ったことなどお構いなしで、妙に心弾んでしまう。
そんな彼女と二人で、時の経つのも忘れ、夢中になって遊んでいたときのことだ。
彼女は突然顔を上げて私を見ると、驚いたように「おっ、おっ、おっ」と、小さく声を詰まらせた。
そして私を指差し、「これ、何?」と尋ねた。
「○○さんよ」私は自分の名を答えた。
すると彼女は、安心したとばかりに重ねた両手を胸に当ててニッコリと笑い、
膝を深く曲げながらこう言った。
「トラちゃんね、○○さんと一緒に遊べて、とぉ~っても嬉しい!」
言い終えると同時に、小さく一つ、ピョンッと跳ねた。
たとえ私の名を忘れたとしても、もし他の用件だったなら、
呼び名を省略できたろうし、『ママ』や『おばあちゃん』で済んでしまったかもしれない。
しかし、このセリフばかりは、
どんなに好きな 『ママ』や『おばあちゃん』の呼び名を使っても、代用が効かない。
相手の名前を言わなければ意味が違ってしまうのである。
だからこそ彼女は、それを間違いなく確かめてから、私に気持ちを伝えてくれた。
大好きなトラちゃん、ありがとう。
私も、あなたと共に過ごせたことが、
嬉しくて嬉しくて、嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて、とぉ~っても嬉しい!
また一緒に遊ぼうね。
2012年2月11日土曜日
カメの味噌汁
友人宅に滞在し、休暇を過ごした。
そこでは毎朝、友人の母上が心を込めておいしい朝食を用意してくださる。
それを、友人の二歳になるお嬢さんと一緒にいただく。
「今朝もお味噌汁がおいしいね」と私が言うと、お嬢さんは応えた。
「うん、カメが入ってるね」
「え、カメ?」
「そう、カメ。カメさんが入って、おいしいね。ほら!」
彼女は箸で味噌汁の具をすくった。
それを見て、私は思わず叫んだ。
「わぁ、カメ!」
その朝の味噌汁には、タマネギと、キノコと、ワカメが入っていた。
彼女の言葉通り、確かに、味噌汁の中には、『カメ』が入っていた。
そこでは毎朝、友人の母上が心を込めておいしい朝食を用意してくださる。
それを、友人の二歳になるお嬢さんと一緒にいただく。
「今朝もお味噌汁がおいしいね」と私が言うと、お嬢さんは応えた。
「うん、カメが入ってるね」
「え、カメ?」
「そう、カメ。カメさんが入って、おいしいね。ほら!」
彼女は箸で味噌汁の具をすくった。
それを見て、私は思わず叫んだ。
「わぁ、カメ!」
その朝の味噌汁には、タマネギと、キノコと、ワカメが入っていた。
彼女の言葉通り、確かに、味噌汁の中には、『カメ』が入っていた。
2012年2月1日水曜日
僕、嫌われたくないですから
ここ数ヶ月というもの、父の気力も体力も、急激に落ちた。
原因は不明である。
外に出ることも殆どなく、余程の必要が生じない限り、狭い家の中でさえも立って歩こうとしない。
そんな父の元に、毎週、リハビリ体操の先生が往診される。
仕事を休んで実家に帰る機会があり、父のリハビリ体操に立ち会った。
体操のカウントを取ったり父を激励したりしながら、先生は私に促した。
「気になることとか、知りたいこととか、ありますか?」
「やはり、先生がお見えにならない日も、自主練習をしたほうが宜しいでしょうか?」
日頃、散歩やら何やら誘ってみても上の空で、表情さえ変えようとしない父に
痺れを切らしていた私は、半ば当て擦るような気持ちで言った。
「ご本人がしたいようにされたらいいと思いますよ。まあ、普通はしないと思います」
意外な返答に面食らっていると、先生はノンビリと続けた。
「こんな筋トレみたいな地道なこと、大抵の方は生まれて始めてされるんです。
生まれてから何十年もの間、一度も経験のないことを、
しかも、華やかでもなければ、別段楽しくもないことを、
突然『やれ』って言われたって、できるわけないですよ。
僕なら、できないです。
だから、僕が来たときだけでも一緒にやってくれるのは、本当に立派なことだし、
それで十分だと思うんです」
体操メニューの一つでも二つでも、覚えておくことができれば、
週に一度の往診の時間だけでなく少しずつ体操ができて、回復の効率も良かろう。
目の前の一部始終を頭のノートに書き込んで、そして何とかして父に自主練習させよう、
と、躍起になっていた自分に気づかされ、ハッとした。
そんな私をなだめるように、先生は更に続けた。
「もちろん、週に一度でも、ご自身で体操をされたら、効果は2倍どころか、3、4倍になりますよ。
ご家族としては、早く良くなって欲しい、少しでも良くなって欲しい、って思いますからね。
むしろ、家族のほうが、やる気あるんですよ。
体操を手伝っているうちに、応援する気持ちが強くなって、『もっとやれ』ってケンカになっちゃう。
でも、そこで、家族がケンカをしたり、本人が体操をイヤになったりしたら、
元も子もなくなってしまうんです。
だから、無理をしないで、ケンカもしないで、嫌いにもならないで欲しいんです」
思い起こせば、私には「起き上がれない」という経験は片手で数えられる程度しかない。
しかも、そんな時であっても、せいぜい2、3日も眠り続けたら、ケロリと治ってしまう。
自分の体が思うように動かない、立ち上がる気力さえ湧かない、といった経験など、一度もない。
そんな私が痺れを切らすよりも、ずっと前から、
当の父親こそ、自分の体に痺れを切らしていたことだろう。
私が父の機能回復を願うよりも、ずっとずっと強く、
当の父親こそ、自分の体の機能回復を願ってきたことだろう。
そんな当然のことに目を向ける余裕もなく、
「私がこれだけ頑張るのだから、あなたも同じだけ頑張りなさい」という、
身勝手な押し売りをしていた。
「僕、嫌われたくないですから」
先生はポツリと付け加えた。
『嫌われたくない』という言葉は、往々にして、日和見的な臆病さを連想させる。
しかし、そんな言葉を発する彼の柔らかな態度は、極めて強い意志に支えられていた。
誰かに無理をさせることなく、嫌な思いをさせることもなく、
どの関係も損なうことなく、どこにも皺寄せを食わせることなく、
皆で一緒に、一歩ずつ、ほんのチョッピリずつでも、良くなる道を模索していきましょう。
と、言われた気がした。
無理のない範囲で、できるだけのことをする。
それがどんなに小さな小さな一歩でも、その一歩を確かに踏んでいることを、認めよう。
自分自身のためにも、また、他者に無理を強いないためにも、
まずは私自身が無理のない一歩ずつを踏み、そのチッポケな一歩ずつを認めよう。
そして、
「私、嫌われたくないですから」と宣言できる勇敢さを育もう。
原因は不明である。
外に出ることも殆どなく、余程の必要が生じない限り、狭い家の中でさえも立って歩こうとしない。
そんな父の元に、毎週、リハビリ体操の先生が往診される。
仕事を休んで実家に帰る機会があり、父のリハビリ体操に立ち会った。
体操のカウントを取ったり父を激励したりしながら、先生は私に促した。
「気になることとか、知りたいこととか、ありますか?」
「やはり、先生がお見えにならない日も、自主練習をしたほうが宜しいでしょうか?」
日頃、散歩やら何やら誘ってみても上の空で、表情さえ変えようとしない父に
痺れを切らしていた私は、半ば当て擦るような気持ちで言った。
「ご本人がしたいようにされたらいいと思いますよ。まあ、普通はしないと思います」
意外な返答に面食らっていると、先生はノンビリと続けた。
「こんな筋トレみたいな地道なこと、大抵の方は生まれて始めてされるんです。
生まれてから何十年もの間、一度も経験のないことを、
しかも、華やかでもなければ、別段楽しくもないことを、
突然『やれ』って言われたって、できるわけないですよ。
僕なら、できないです。
だから、僕が来たときだけでも一緒にやってくれるのは、本当に立派なことだし、
それで十分だと思うんです」
体操メニューの一つでも二つでも、覚えておくことができれば、
週に一度の往診の時間だけでなく少しずつ体操ができて、回復の効率も良かろう。
目の前の一部始終を頭のノートに書き込んで、そして何とかして父に自主練習させよう、
と、躍起になっていた自分に気づかされ、ハッとした。
そんな私をなだめるように、先生は更に続けた。
「もちろん、週に一度でも、ご自身で体操をされたら、効果は2倍どころか、3、4倍になりますよ。
ご家族としては、早く良くなって欲しい、少しでも良くなって欲しい、って思いますからね。
むしろ、家族のほうが、やる気あるんですよ。
体操を手伝っているうちに、応援する気持ちが強くなって、『もっとやれ』ってケンカになっちゃう。
でも、そこで、家族がケンカをしたり、本人が体操をイヤになったりしたら、
元も子もなくなってしまうんです。
だから、無理をしないで、ケンカもしないで、嫌いにもならないで欲しいんです」
思い起こせば、私には「起き上がれない」という経験は片手で数えられる程度しかない。
しかも、そんな時であっても、せいぜい2、3日も眠り続けたら、ケロリと治ってしまう。
自分の体が思うように動かない、立ち上がる気力さえ湧かない、といった経験など、一度もない。
そんな私が痺れを切らすよりも、ずっと前から、
当の父親こそ、自分の体に痺れを切らしていたことだろう。
私が父の機能回復を願うよりも、ずっとずっと強く、
当の父親こそ、自分の体の機能回復を願ってきたことだろう。
そんな当然のことに目を向ける余裕もなく、
「私がこれだけ頑張るのだから、あなたも同じだけ頑張りなさい」という、
身勝手な押し売りをしていた。
「僕、嫌われたくないですから」
先生はポツリと付け加えた。
『嫌われたくない』という言葉は、往々にして、日和見的な臆病さを連想させる。
しかし、そんな言葉を発する彼の柔らかな態度は、極めて強い意志に支えられていた。
誰かに無理をさせることなく、嫌な思いをさせることもなく、
どの関係も損なうことなく、どこにも皺寄せを食わせることなく、
皆で一緒に、一歩ずつ、ほんのチョッピリずつでも、良くなる道を模索していきましょう。
と、言われた気がした。
無理のない範囲で、できるだけのことをする。
それがどんなに小さな小さな一歩でも、その一歩を確かに踏んでいることを、認めよう。
自分自身のためにも、また、他者に無理を強いないためにも、
まずは私自身が無理のない一歩ずつを踏み、そのチッポケな一歩ずつを認めよう。
そして、
「私、嫌われたくないですから」と宣言できる勇敢さを育もう。
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