2011年12月26日月曜日

2011年12月22日木曜日

母の詫び状

仕事をしていると、電話のベルが鳴った。
「この間のことだけど、ゴメン。やっぱり、お母さんが間違ってたわ」
受話器から聞こえるの声は、普段より沈んていた。

しかし、私には謝られるような心当たりがない。
前回実家に帰ったときも、これと言って行き違いもなければ、気まずいこともなかった・・・と思う。
何について謝られているのか、何を間違ったのか、兎にも角にも確認する必要があった。

「何を間違ってしまったの?」
「こないだ話してた、あれよ」
「あれって?」
「お母さん・・・読んだのよ」
「何を?」
「だから、このあいだ言ってた、あれを。ほら、あそこで」
「どこで?」
「う~ん・・・」

私はあまりにも質問を畳み掛け過ぎてしまったようだ。
沈んだ母の声は、言い澱んだままだった。
何を間違ったのか確認して、すぐに謎から抜け出すはずが、
かえって、会話がはまり込んだ謎の淵に、更に深く深く、足を取られていった。

取り急ぎ頭を整理する必要がある。
いま分かっていることは、
① 最近私が実家に帰ったときに話題に上った案件である
② 母は、①に関し、何かを、どこかで、読んだ
③ ②の結果として、彼女は自らの過失に気付いた
④ ③に関して、私への謝罪がなされた
の4点である。

これら4つの条件を全て満たす『何か』をいきなり見つけることは、ほぼ不可能に思えた。
とりあえず、①②を満たす案件、つまり、
「最近、実家で話題にしたことで、何らか文字情報として読むことが可能なもの」は、
あるだろうか?

あった。このブログだ。
確かに、実家で話題に上ったし、読むことが可能な文字情報だ。
更に母は、これを「ほら、あそこで」読んだ、と言った。
実家には、パソコンが子ども(といっても十分大人の)部屋に一台あるのみで、
そこは母のテリトリーでないことから、「ほら、あそこ」と指差して言ったのかもしれない。

①と②はクリアした。

残るは、③と④、「母の過失」と、「私への謝罪」である。
母に限らず、誰かの過失に対する非難として受け取れる書きかたのないよう、心掛けてはいるつもりだが、やはり配慮が不足していたのかもしれない。
彼女は一体、何を自らの過失と認め、そして、なぜ私に謝罪したのか?

そうだ。考えられることと言えば、「末娘の子育て」だ。
彼女はこのブログを読んで、
自らが産み、育てた末娘のあまりのトンマ振りに、改めて驚いたのだろう。
そして、子育て、少なくとも末娘の子育てに関し、自らの過失を認めた。
更には、その過失の結果として、そんなトンマを疑いなくまっしぐらに突き進む私に、
せめてもの謝罪を述べたのかもしれない。

これで、③と④もクリアした。

軽い気持ちで投稿を重ねてきたが、
まさか実の母親に、ここまで打撃を与えてしまうとは、思いもよらなかった。
今からこのトンマを直すことは至難の業だし、一生かかっても完了できないかもしれない。
すぐに手をつけられることと言えば、このブログを閉じることくらいだ。

もう潮時、ということだろうか・・・。
案外短かったな。止めると思うと名残惜しい気がする。

そう思った時だった。
「ほら、駅前のスーパーで!」
受話器の向こうの母は言った。
しかし、駅前のスーパーでは、このブログを読むことはできない。

よくよく話を聞いてみると、こういうことだった。

実家近くの駅前のスーパーでは、使用済みスチロールトレイの回収をしている。
母はこれまで、納豆のトレイも綺麗に洗って回収ボックスに入れていた。
一方、私の住む地域では、納豆のトレイは回収対象外であるため、それを相違点として母に伝えた。
彼女は駅前のスーパーに行き、改めて注意書きを読んだところ、
そこでも納豆のトレイは回収対象外であることが判明した。

なるほど、確かにこれで、①~③はクリアしているものの、
最後の④、すなわち、なぜ私に謝ったのか、は未だ説明できていない。
更に話を聞いてみたところ、
回収ボックスに謝るのも変だし、そうかと言って黙っているのも収まりがつかずに、
誰に向けて良いかも分からない気持ちを、とりあえず私にぶっつけてみたらしいことが分かった。
晴れて①から④の全てがクリアされた。

母と私は、トレイ回収に関する正しい情報を得たことを共に喜び、今後はそれに従って分別することを約束して、電話を切った。

幸か不幸か、パソコンの苦手な母は、未だこのブログを目にしていないようだ。
末娘の子育てをひどく失敗した、と気に病んでもいないらしい。
やはり当面は、ブログを閉じることなく、ここでノーテンキな投稿を続けてみることにしよう。


窓を開けると、抜けるような青空が見えた。

個人にせよ地域にせよ世界にせよ、あらゆるレベルにおいて、様々な困難が尽きないけれど、
有難いことに、トレイ回収の注意事項が大問題として扱われるくらいに、
少なくとも、たった今だけでも、我が家は平和だ。
こんなチッポケな平和を、この空の下の全ての人が、
それぞれの暮らしの中で、自分のものとして享受できることを、願ってやまない。

2011年12月19日月曜日

人生は 重荷を背負いて 歩む道

第二の家族」として親しくしているパパ、ママ、弟くんと一緒に、温泉地に行った。

ショッピング好きのママは、お土産屋さんでも、抜かりなく目を光らせる。
そして、お眼鏡に叶う品を見つけると、「お揃いで買おうよ」と強く私に勧める。

この度も、棚の端から端まで眺め回していた彼女は、一つの品物に目を留めた。
女性の握りこぶしくらいの大きさの土鈴を取り上げてコロコロと鳴らすと、私に手渡した。
どうやら老眼鏡をバッグから取り出すのが面倒らしく、書かれた文字を音読するよう促された。

「人生は 重荷を背負いて 歩む道」

彼女の目が輝いた。「お揃いで買おうよ!」
素焼きの土鈴はホコリが積もっても水洗いできない。掃除の得意でない私にとっては、致命的だ。
首を横に振る私に、彼女は例のごとく、この商品が如何にスグレモノであるかを説いた。

人生において、自分のしたことは、他人のせいにすることも、消し去ることも出来ない。
どんなに愚かな失敗でも何でも、自分で背負って進まねばならないのは当然だ。
更には、時に自分の力ではどうしようもないことが課題となる場合もある。
しかし、それも、「業(ごう)」や「カルマ」と呼ばれるもので、
恐らく一生を通して、逃げることも放り投げることも出来ない。
いずれにしても自分のリュックサックにしっかり入れて、自分で背負って歩くしかない。
たとえそれが、どんなに重い荷物でも、覚悟を決めて、背負って、そして歩き続けるのだ。
だからこそ、人生の荷物が重く感じたとき、あるいは放り投げたくなったときに、
この土鈴を鳴らし、改めて覚悟を決めるのだ!

「買おうよ」「買わない」の押し問答が、土産物屋の店先でしばらく続いた。


ところで、
オシャレなママは、たとえ温泉一泊旅行といっても、化粧品もアクセサリーも、ちょっとしたドレスのような装いも、何でも持って来る。
宿に着いたと言ってはお色直しをし、皆が宿の名前をプリントされた浴衣で過ごす夕食タイムには、素敵にドレスアップして現れる。

さらには、海もプールもないところへ行くのに、トランクの中には水着も入っている。
ヨガをしないのに、ヨガマットもある。

それだけに、荷物がとてつもなく多い。
ちょっとした引越しにも見える。
そんな荷物が運べるのは、ひとえにパパと弟くんがいるお蔭だ。


・・・あらら?
ねえ、ママ、
自分の荷物は自分のリュックサックに入れて、自分で背負って歩くんじゃなかったの?

こう思った瞬間、むしろ合点が行った。

そう、ここでの『荷物』は、比喩だもの。
ママは、パパや弟くんが当然のこととして荷物を運んでくれるように、
日頃から彼らの胃袋とハートを鷲掴みにしている。
彼らに荷物を持ってもらうだけの、その土台を、365日24時間掛けて、しっかりと固めているのだ。
つまり彼女は、この巨大な荷物を、自分で運んでいると言っても差し支えない。


結局、彼女は釣れない私をなじりながらも、一人でその土鈴を買った。
宿では何度となく土鈴を箱から出し、よくよく眺めてはコロコロ鳴らし、「あんたも買えば良かったのに」と言った。

「ねえ、これ、また読んでよ」
寝入り端に声を掛けられ、目をこすりながら隣に座って読んだ。
「人生は 重荷を背負いて 歩む道」
ママは今一度目を輝かせ、この土鈴の素晴らしさを説いた。
「もう、寝てたのにぃ」と思ったのも束の間、つい付き合ってしまい、つい楽しくなってしまう。
そして、ついつい、老眼鏡の役目を買って出てしまう。

そう、私の胃袋とハートも、長い年月を掛けてしっかりと鷲掴みにされてしまったのだ。
つまり彼女は、私という老眼鏡をかけて、自分で読んでいると言っても差し支えない。

でもママ、寝入り端だけは勘弁してね。

2011年12月15日木曜日

一分勝負

OL時代、好きな人がいた。
カレー屋さんの移動販売車で、職場近くに毎週来ていたお姉さんだった。
『ハツラツ』という言葉をそのまま体現したような彼女から、「こんにちは!」と声を掛けられると、
それだけで、いっぺんに自分の人生が素敵に見えてくる。

恵まれた職場環境だったとはいえ、人並みに仕事上の困難や悩みはあった。
一週間分のそんなこんなが、彼女の「こんにちは!」と美味しいカレーで、
みんな希望に変わってしまう。
温かいカレーを手に職場まで戻る間、気をつけることといえば、
① スキップをしない
② 鼻歌を歌わない
③ 知らない人に笑いかけない
の三点だった。
そして実のところ、いずれも殆ど守れたためしがない。

そんな彼女にカレーを注文してから、器に盛ってもらい、受取るまでが、ほぼ一分間。
そんな短い時間ではあるが、ほんの少しずつ、オシャベリをするようになっていった。
週に一回一分間、話の進みは遅々たるものだが、
数多い顧客の注文を手際よく捌きながらも、彼女は必ず先週までの話を覚えていてくれた。


OLを辞め、カレー屋さんにもご無沙汰して、半年以上が経ったある日、
「あのカレーが食べたい!あのお姉さんに会いたい!」という抗し難い衝動に駆られた。

昼休み、気付くと、移動販売車の前に並んでいた。
前のお客さんが注文する肩越しに、彼女の姿を覗き見た。
以前と変わらぬ笑顔と、以前と変わらぬ手際だった。

間もなく始まる彼女との一分間の会話を、どう切り出したら良いのだろう。
そもそも、果たして私のことなど覚えているだろうか。
「私は○月まで毎週通っていた者です」心の中で練習してみた。
こんな言い方、ストーカーまがいの人間と思われるかもしれない。
かといって、何と言えば、思い出してもらえるだろう・・・。

前のお客さんがカレーを手に立ち去った。

「こんにちは!」以前と変わらぬハツラツとした笑顔が私に向けられ、一分勝負は始まった。
注文をした後、深呼吸をした。
残り50秒、当たって砕けろ!思い切って切り出した。
「あの、ご記憶でないかもしれませんが・・・」
「覚えてますよ!先生でしょ?」
彼女は、私の顔も、当時の髪型も、OLをしながら非常勤講師をしていたことも、数学の個別指導塾をしてみたいと話したことも、全部覚えていてくれた。

「数学ね。そういう考え方みたいなもの、これからの時代、特に必要とされると思うわ」
以前と変わらず、「頑張って!」という言葉を避けて、選び抜かれた激励が贈られた。

カレーが手渡され、私の一分勝負は終わった。

地下鉄で五分、仕事場に戻ってから食べたカレーは、以前と変わらぬ味だった。
以前と変わらず、あれから私は、スキップと鼻歌とニヤニヤが止まらない。
そして以前と変わらず、自分の人生が、いっぺんに最高に素敵に見えてきた。

彼女は私を「先生」と言ったけれど、実際には彼女が私の先生だ。
たった一分間で、一人の人間の生命力を何百倍にもしてしまう。
憧れであり、光であり、そして導き手でもある。
こんなお手本が目の前に示されたことを、ありがたいと思った。

いずれまた、地下鉄に乗って、一分勝負をしに行こう。
そして私の胸を希望でいっぱいにしてやろう。
そうしたら、
もしかすると、
いつの日か、
誰かの胸を希望でいっぱいにするお手伝いが、私にもできるようになるかもしれない。

2011年12月12日月曜日

工作教室 改め 人生相談

ある年、夏休みの単発バイトをした。
科学イベント・ブースでの、工作教室の説明係だった。
教室の参加者は殆どが小学生で、彼らに工作の手順を説明したら、あとは、各自の作業を応援し、完成を共に喜ぶ。
参加者が入れ替わっては、説明と応援と歓喜が夕方まで繰り返され、
更にそれが数日間繰り返された。

最終日の、とある回に参加した女の子が、作業をしながらポツリと言った。
「お母さんは、どうしてあっちに行っちゃうんだろう?」
見ると、母親は娘から少し離れて、壁面に貼られた図表を眺めていた。
「あっちには、何か魅力的なものでもあるんじゃない?」
「魅力的なもの?本当にある?それとも私に興味ないのかな?」
「興味津々、大ありに決まってるじゃない!」
「どうしてそう思うの?」
「そりゃ、大切な娘だもん。後で、お母さんに『私のこと好き?』って訊いてごらん?『大好き!』ってとろけちゃうよ」
「え~」
彼女は、嬉しそうに照れながら体をくねらせた。
しかし突然、表情を引き締めて尋ねてきた。
「もし、自分に娘がいて、毎日一緒に暮らしていても、いつでも『大好き!』って、言える?」
ドキッとした。
体の中身までえぐられるような、鋭い眼差しだった。
「もちろん!」
「じゃあ、悪さをしても?」
「悪さって、どんな悪さ?お母さんのスカートでもめくって叱られたの?」
「そんなバカなことはしない」
「さすがだな、利口なことしかしないのか~」

そこに母親が様子を見に来た。
「お母さん、あっちには何か魅力的なものがあったの?何を見ていたの?」
「魅力的なもの?資料集があったから、それを見てたけど・・・」
「お母さんには、それが魅力的なの?」
工作をする娘と説明係の私との間で、今の今まで繰り広げられていた会話を知らない母親に、
この質問の意図を読み取れと言うのは、困難を通り越して、無理な相談だった。
何も出来ない他人の私は、黙って見ているのもいたたまれず、横から軽く合いの手を入れた。
「学生時代と違って、大人になってから見る資料集は、格別に面白くて魅力的ですよね!」
「ええ、そうね。・・・あ、工作教室、改め、人生相談になったのかな?」
察しの良い母親は、私の言葉に合わせながらも、
娘が真剣な様子で、喉から出掛かっている私への問いかけを必死に抑えていることに気付き、
既に見終わった資料集をもう一度眺め直すことにして、その場を離れた。

「でもね、上手く言えないけど、もし自分の娘が何か悪さをしても、絶対に怒らないの?」
「『悪さ』って言葉だけだと意味が広すぎて、判断は難しいな。
ただ、自分の子どもはもちろんのこと、世界中の子ども達一人ひとりに、将来、人生をより幸せに歩んで、より楽しめるような大人になって欲しい。
だから、もしそれを妨げるようなことを自分の娘がしたら、私が悲しんでいるってことだけは、何とかしてその子に伝えたい。
それが怒っているように見えるかもしれないけど、実際は、伝えるのに必死になっているだけだろうな」
彼女は相槌さえ打たずに、ただただ真直ぐに、真剣に、しばらくの間私を見つめた。
その視線は、私の良心を鑑定しているかのようだった。
そして、おもむろに工作を再開した。

すんなりと綺麗に作り上げ、完成品を母親に見せて、無邪気に喜んだ。
「ありがとうございます!」明るく礼儀正しく、ほんの少しだけ照れ臭そうに言い、去っていった。


バイトの全日程を終え、ボンヤリと星を眺めながら、少し遠回りして歩いて帰った。

あの時の、あの質問は、彼女のどんな重大な局面をあらわしていたのだろう。
果たして、私の反応は、適切なものだったろうか。
傷つけるような言葉遣いはなかったろうか。
希望(*)を削ぐような態度はなかったろうか。
答えの出ない疑問がグルグル回り、喉元が締め付けられた。

気付くと、星に向かって、心の中で彼女に話しかけていた。

お母さんは、あなたの行いの好悪に係わらず、いつでもあなたを大好きだと思うよ。
叱るなんて、愛(*)をもって注意深く見ていなければ、絶対に出来ないことだ。
たまに叱られることがあっても、良いチャンスと思って、納得いくまで話し合ったら、
今よりも、もっともっと、お母さんと好き合うようになるんじゃないかな。


その後、彼女は母親と、どのように関わっているだろう。
延いては、自らの人生と、どのように関わっていくのだろう。

もしも将来また会うときがあったら、あなたの考えを聞かせてね。
そして、今度は私の人生相談に乗ってね。

2011年12月8日木曜日

3億円の使いみち

宝くじを買った経験がない。
従って、宝くじに当たった経験も、ハズレた経験もない。
しかし、こんな質問を受けた経験はある。

「3億円当たったら、何に使う?」
「もちろん!100円玉100枚持って、バッティングセンターに行く!」
「それって、しめて一万円・・・」

子どもの頃から温め続けてきたデッカイ夢だけに、余程の大金が必要なものとばかり思い込んでいた。
何度も検算し、間違いなく「100円玉×100枚=10,000円」であることを確認した。
しかし、検算後の今でも、100円玉100枚持ってバッティングセンターに行くことを想像すると、
どうしても、一万円札一枚分とは思えない。

まず、お財布には入りきらないだろう。
丈夫なカバン一つで足りるだろうか?
しかし、一人で持ち上げられないくらいに重たいかもしれない。
否、そもそもアパートに入りきらないかもしれないし、無理に入れたら床が抜けるかもしれない。
まるで、昔々の海賊が隠した宝物を独り占めしているような気分になってくる。

重さはともかく、第一、デッカイ夢を叶えるほどの、とてつもない大金だ。
100円玉100枚分、いっぺんにバッティングセンターで打ちまくったら、
さぞかし心持ちの良いことだろう。

そしたら、もう満足かな。
残りの2億9999万円は、義援金にしよっと。

2011年12月5日月曜日

女心・確認

町内会の掲示板の前で、思わず足を止めた。
そこに貼られたポスターには、標語としてこう書かれている。

 女心・確認

この町内会の掲示板、比較的オカタイ感じのお知らせしか見たことがない。
それが、この度ばかりは、あまりにも謎めいている。

男性諸氏への警鐘か、それとも、女性向けか?
いずれにせよ、何に注意を促そうと言うのか?

前者の場合、
「独りよがりな言動をして、実は女性たちから軽蔑されるようなことのないために、
まずは女心を確認してから、発言や行動をしましょう」
ということだろうか?

そもそも、どのような場面を想定しているのか?
職場、家庭内、友人同士、それとも近所づきあいか、はたまた恋人同士か?
いずれも当てはまるようでもあり、
かと言って、ことさらにポスターにまでする必要性もピンと来ない。

一方、後者の場合、
「あなたは、日々の暮らしに追われて、自分が女であることを忘れてはいませんか?
時には自らの内なる『女心』の存在を確認し、その声を聞き、それに従って生きてみましょう」
ということだろうか?

少なくとも私には、心当たりが、・・・ないこともない。
胸に手を当てて考えれば考えるほど、心当たりは、ある。確かに、ある。
しかし、こんなにも身につまされることを、
なにもそんなポスターにまでして貼り出すなんて、ずいぶん酷な仕打ちではないか。

大きく縦書きされた四文字を眺めながら、掲示板の前で呆然と立ち尽くし、そして我に返った。
改めてポスターの下のほうに書かれた小さな字を読んでみると、
「防炎マークの付いた製品を使いましょう」という内容だった。

「防炎マーク」と「女心」、一体どんな関係があるのか?
驚くべき進歩を遂げた現在の科学技術をもって作られた防炎マーク製品は、
女心が炎に包まれることまで防げる、とでも言うのだろうか?


掲示板には、幅の狭い雨よけ屋根が付いている。
ほんの少しだけ背を屈めて屋根の下を覗いた。
屋根の下、女の上には、「ウ」があった。
 安心・確認
と書いてあった。
「防炎マークがついていることを確認し、安心して製品を使用しましょう」というポスターだった。

「うかんむり」が屋根に隠れていたことを確認し、安心して帰宅した。